まだまだ行くわよーそれ、もう一丁~と、やってきたのは、
蔡元培故居
ヒルトン上海の南東側あたりにあります。
近くにあった案内表示。
入り口が見つけにくいので、「鍋比盆大」が目印になるかと。
華山路から奥へと入ります。
↑この門に辿りつくまでの小道には
↓蔡元培先生に関する写真と解説が掲げてあります
清時代の辮髪姿の蔡元培先生
蔡元培先生
「初めてお目にかかります
先生のこと、よく存じ上げないまま来てしまいました。
ふつつかなわたしを、どうかお許しください。 ぱんだママ」
毛沢東の言葉が↑こんなところや↓こんなところに。
先ほどの門から数十メートル行ったところに、ありました
蔡元培故居
2000年蔡元培没後60周年を記念して、
上海の住まいが正式に開放されるようになったそうです。
それでは、 「蔡元培故居陳列館」 の中へ、入ってみたいと思います。
まず、受付で記帳(記帳すると入場料が無料になります)
↓
1階=展示スペース
2階=娘さんのお住まい(今は病院に入院されているそうです)
↓
記帳を済ませると、男の子たち4人がママたちを取り囲みました。
「えっ何事ー!?」
と思いましたら、大学生のガイドさんで、
4人代わる代わる&熱心に館内を案内してくれました。
(そんなこんなで、館内の写真を撮り忘れてしまったので、
館内を見学したときの様子&学生ガイドさんの話など、
文字だけでつまらないかもしれませんが、最後の方にまとめてみました。)
お庭側から見た、蔡元培邸
お庭に咲いていたお花たち
お庭側から、門口側をパチリっ
㊧はお手洗い(和式、まぁまぁきれい。でも戸がなかったような・・・)
↑紹興にも故居記念館があるようです
あちこちで仕事をされていたので、
上海の他に、紹興、北京、
香港(たぶん、ある、と大学生ガイドさんは言っていました)
に蔡元培の故居やら記念館があるそうです。
***見たり聞いたりしたこと覚え書き***
蔡元培(1868年~1940年)紹興生まれ。
1階の入り口近くには、紹興で生まれ育った実家、
蔡元培が幼いころ通っていた私塾のジオラマが展示。
↓
17歳で科挙試験に合格、進士となる。
*二甲の中では34位(一甲と合わせると37位)
↓
ドイツの大学に留学「Lipzig University」
↓
1912年に教育総長となる(3月ー7月)
↓
やめて、フランスに2度目の留学
↓
1916年12月26日に北京大学校長に任命される。
(展示=任命状)
↓
1917年1月~1923年まで北京大学学長を務める。
北京大学学校の宗旨=”思想自由””兼容并包”
↓
魯迅デザインの北京大学の校章が2つ展示。
内、1つは今でも、北京大学の校章として使われている。
↓
1927年大学院院長を務める。
↓
1940年3月5日イギリス領時代の香港でお亡くなりになる。
<その他>
芸術院校、中央研究院を設立。
9つの研究所と1つの自然博物館を設立。
1927年国立音楽院を設立。
1928年杭州国立芸術院を設立。
魯迅先生の葬儀に参列することを許されなかった蔡元培先生。
許可されなかったにも関わらず、
こっそり忍んで参列している写真が、なんだか印象に残りました。
上海蔡元培故居&陳列館Former Residence of Cai Yuanpei
場所 上海市華山路303弄16号
(ヒルトン上海の南東側あたり、入り口近くに火鍋レストラン「鍋比盆大」)
電話 021-6248-4996
開放時間 午前9:00~11:30(11時までに入館)
午後1:00~4:30(4時までに入館)
休館日 月曜日
入館料 記帳すると無料
館内ガイド 中国語のみ
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