河内国喜志村覚え書き帖

大坂の東南、南河内は富田林市喜志村の歴史と文化の紹介です。
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畑104 / たわわ

2023年10月14日 | 菜園日誌

まずは、前回の記事「103/蜜柑」の最後に抱いた疑問について調べた結果から。
①なぜ蜜柑の歌が少ないか?
リンゴが人里近い平地で栽培されるが、蜜柑は陽の良くあたる山の中腹で作られるため、人々にとって身近な存在ではなかった。
②種がないのに、どのようにして苗木を増やしたのか?
他の木を台木にして接ぎ木で増やした。
③日本独自の蜜柑の品種なのに、なぜ「温州」という中国の地名を付けたのか?
温州蜜柑と言い出したのは江戸時代からで、その頃は漢文読みの名の方が権威があった。

さて、我が畑にも二本の蜜柑の樹がある。両方ともに温州蜜柑で、そのうちの一本が、五年目にしてたわわに実をつけた。
ことわざに、「桃栗三年柿八年、梅は酸いとて十三年、柚は九年の花盛り、枇杷は九年でなりかねる」というのがある。
なぜか、ことわざに蜜柑が入ってないのは、蜜柑が案外新しい果物だからだ。
ならば蜜柑は何年で実がなるのか。
調べてみたら、「苗木を畑に植えてから五年くらいで実を結ぶようになり、十年目くらいからたくさん実る」とあった。
おお! なるほど、我が畑の蜜柑も、まさしく五年目でたわわに実った。

実の重さで枝がたわんでいる。
「たわむ」は漢字で「撓む」で〈弓なりに曲がる〉の意。
パンツのゴムがゆるみにゆるんでいるのが「ゆるゆる」になったのと同様に、枝が垂れさがるほど実って、たわみにたわんでいる状態から「たわたわ」という擬態語になり、それが省略されて「たわわ(だ)」という言葉になった。
枝がたわんでいるのが「たわわ」だから、「スイカがたわわに実っている」とは言わない。

初めてたわわに実った我が畑の蜜柑を眺めながら思う。
この歳になった我が人生も「たわわに実っている」のかと?
はてと、頭の中で疑問詞をうつ。
そして、違ゃう違ゃう、違うがな! 人間をミカンと同じように考えたらアカンがな! 人間が「たわわに実る」はずないやろ!
なるほど。枝がないのだかから「たわわに実る」はずがない。
そやろ! 人それぞれ実り方が違う。他と比較することで己の人生を実りあるものかどうかを判断したらアカンということや!
なるほど。ほなら、自分で判断して、どういうのが実りある人生やねん?
まあ・・・まあやなあ・・・? 蜜柑みたいに、たわわに実るということやろ!
?!
※伊東深水 画『伊豆八景 : 新作木版画』,渡辺版画店,昭14. 国立国会図書館デジタルコレクション


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