畑123 / 花盗人
百姓仲間のライングループに「ニンジンを100本ほど盗まれた」とメールがあった。
年の瀬とはいえ、なんとも世知辛い話だ。
盗まれた側は損害以上に、数か月大切に育てた努力が一瞬ににして無にされることが最も腹立たしい。
人事の及ばない自然災害ならば、いたし方なく諦めるしかない。
アライグマやヌートリアは、生きるために食べるのだから罪の意識はないから、ぼんやりとなんとなく許せる。
しかし、罪の意識があるはずの人間の仕業は許せない。
『花盗人』という狂言がある。
庭の桜の枝が折られているのを見つけた主人が、盗人の再来を待ち構える。そこへ花盗人がまた盗みにやってきたので、捕えて桜の幹に縛り付ける。
その花盗人が和歌を詠む。
この春は 花の下にて縄つきぬ 烏帽子桜と人やいふらん
(この春に桜の樹の下でお縄になり我が名誉も尽きてしまった。縛られている桜の樹が自分がかぶっている烏帽子のように見えるから、人は烏帽子桜と言うだろう)
その機転のきいた風流な和歌に感心した主人は、盗人を許し、酒をふるまい、別れ際に桜を一枝折って渡してやる。
「花盗人に罪はない」と言われるようになったのは、この狂言からだ。
しかし、花盗人は窃盗罪で、10年以下の懲役または50万円以下の罰金を科せられる。
だのに、そんな罪の意識にさいなまれながら、凍てつくほどの闇の中で、100本のニンジンをどんな気持ちで抜いたのだろう。
それを思うと、逆に、盗まれた側が、悲しくも寂しい気分になる。
だから、警察沙汰にはしないという。
「俺が作ったニンジンは美味しい? みんな喜んだ? 高く売れた? よかったなあ!」
百姓には、『花盗人』で桜の枝を折られても盗人を許した主人の優しさ、おおらかさがある。