雑学

前回に続いて雑学を紹介します。

2008-01-25 09:19:00 | Weblog
芸者と旦那(2):
5.芸者と旦那の不思議な関係
昭和40年頃まで、自前披露目、あるいは一本披露目は「旦那披露目」を兼ねることも多かった。要するに、芸者は経済的な援助をしてくれる旦那がついて、抱えの芸者から看板主(自前芸者)になったときに、お披露目の席に旦那を呼ぶことが行われた。旦那は、花街の人間にはよく知れ渡った常連客で、公に報告し認めてもらう意味で、旦那もお披露目の席に顔を出したのである。3~40年前まで、芸者に旦那がつくことは当たり前であり、また喜ばしいことでもあった。旦那がつけば生活が安定し、お金の心配もせずに思う存分お稽古に身を入れ、芸にますます磨きをかれることができる。芸者の道を貫く以上、旦那を持つことが、最良の生き方だったといえる。この関係も本人同志の話し合いではなく、料亭の女将を通して進められる。話が成立すると、料亭の女将が仲立ちして月々の金額を定めた契約が交わされる。旦那との関係は、資金的な援助ができなくなれば“金の切れ目が縁の切れ目”で別れることになる。また別れの理由はいくらでもある。

6.旦那は芸者のきっぷに惚れた
本妻と芸者の関係は一般的には不倫である、ところが花街では芸者と旦那の関係は公然であり、本妻と芸者にも、お互いの存在を認め合い、領分を侵さない間柄があったという。旦那が「別れてくれ」といえば後追いもしないものだ、と言われている。
とはいえ、そんなきれい事ばかりではなかったと思う。芸者を巡る痴話げんかも日常茶飯事だったに違いない。
一本の芸者とは一人前の大人を意味する。一本になるときのしきたりとして旦那になるべき男性が初体験の相手をした。これが「水揚げ」である。もちろん旦那になるような男性は、半玉のうちに手を出すようなことはしない。なかにはすでに処女ではない半玉もいたらしい。

7.現代芸者の「旦那」事情
むかしは旦那という存在が芸者の生活を支え芸事の応援をしていたが、20年くらい前から、旦那になろうという男性、あるいは旦那になれる男性が徐々に減り、今や、かなり貴重な存在となった。また、芸者の側も旦那を持つことを望まない妓が多くなった。今は旦那という関係でなく、何人かの芸者衆を呼ぶという形で花柳界を応援してくれるご贔屓さんが主流になった。

8.花街の正月は華やかで寂しくて
芸者をやめる(廃業する)ことを「引く」という。やめさせるのは「引かす」、やめさせられるのが「引かされる」。芸者の籍を抜くという意味で「落籍す」と書いて「ひかす」と読ませる。
「引き祝い」---芸者をやめてゆく祝い。世話になったお姐さん方、朋輩を一席に呼んで礼をいう。嫁にゆく場合、囲い者になる場合など様々。大抵は将来に望みのある場合が多い。
旦那がついて、芸を引く者と続ける者がある。独占欲の強い旦那は、引かせて自分ひとりのものにしてしまうことが多い。引き祝いの豪華さは、旦那の羽振りの良さが目安にもなった。
“今日来るか、明日来るか”と待つだけの身、お妾さんのことを花柳界では“くるか屋さん”と言う。
引かさずに“芸者としての彼女”を応援してくれる心の広い男性が、花街にとっての“いい旦那”であることは間違いない。
花柳界の正月は華やかで壮観だが、お座敷の様子はいつもと違う。芸者衆がお互いに義理がけして、お座敷に呼んだり呼ばれたりの席ばかり。ふだんのお客の姿が見えない。

      ♪♪米汁呑忘憂♪♪