中目黒再開発の事実

中目黒の再開発・工事について。少しでも事実を伝えられれば…。

コメントに応えて

2008-01-05 19:13:24 | このブログに関して
前回のエントリーに対してコメントを頂いたが、一部、誤解があり反論の必要があるため、一つエントリーを起こそうと思う。


あまりに文章・言い回しが乱暴で、せっかく興味深い内容なのに堪えかねます。
(通りすがり氏)

具体的にどこを指しているのだろうか?場所が分からなければ、反論も弁明もしようがない。だから私は常々「批判は具体的に」と言っているのだが…。

少なくとも私は、元のブログが行った「失礼さ・乱暴さ」を上回るほど失礼・乱暴な発言はしていないはずである。このようなことを言い出す人が出ることに関しては、私はブログを開始した時に既に予想済みであった。だから、こう書いている。


しかし、考えてみて欲しい。(私の)発言の節度を云々するのであれば、そもそも「誤った根拠を元に他者を批判する者」こそが非難されるべきである。事実無根の内容で他人を批判するなど、通りすがりに他人を後ろから殴り倒すに等しい。
(略)
私が他者へ批判することを問題視する前に、元々の発言に問題がないか考えるべし。
当ブログより)

今回の件で言えば、「再開発に便乗」「街の破壊」など乱暴極まりないことを書いていることこそ、まず非難されるべき問題であろうし、そういう乱暴な誹謗中傷を書いた以上、私が書いた程度のことを書かれても、何ら不思議ではあるまい。

ある人は乱暴なことを書いても良いが、それを批判する人は書いてはいけない、というのは、単にダブルスタンダードだ。


新しい事実よりも、新しい「ブログの批判」が多いようです。

この点については、確かに認めざるを得ない部分はある。しかし、あるブログに反論することも、一つの「新しい事実」だと私は考えている。このエントリーについても「馴染みの店が消えるのは街の破壊だ」と言う人に対して「それは脈々と続く街の変化の一局面に過ぎない」という新事実(新しい物の見方)を提示しているのである。
それは「通りすがり」氏にとっては分かりきったことで、ただの批判にしか見えなかったのかもしれないが、それすら気づくことができない人には「新事実」なのだ。


このエントリーに至っては、事実を正すだけでなく、『街は壊されて』の辺りは単に感情の吐露でしょう・・・。

この部分は意味不明である。


この1件の店が壊される、って話ではなく、「多くの人が愛している町並みも、何かのきっかけで一気に無くなることだってある。こうして街は壊されていくもの。良くなることも多いだろうけど、寂しい想いもするねぇ」という風に読み取れます。

私も、一軒の店の問題といっているとは捉えていないが。確かに「自分の店が無かったら破壊か」とは書いたが、先のエントリーの本質的テーマは「自分の気に食わない変化を破壊と呼ぶことの是非」である。
それに、その好意的な解釈は無理だろう。特に「良くなることも~」以下の感情をどこから読み取るのか、私には全く理解できない。

かのブログは「東急の再開発で、ナカメの風情在るガード下が姿を消そうとしています」「再開発に便乗した、老朽化ビルの立て替えで立ち退きを迫られてます」とした上で「こうして街は壊されていく」としているのである。どこから「良くなることも多いだろうけど」という感情を見出せるのだろうか?


ブログの批判行為をすることは多くの敵を生むことになり、かえって貴方が望んでいる「中目黒再開発の事実を伝えること」にマイナスになると思うのです。

この忠告については、全くその通りである。確かに敵を作るリスクについては、私の一つの課題であり、悩みでもある。しかし、誤りであったり、一方的な見方であったりに対して反論しなければ、それが妥当な意見として流布してしまう危険もあるということだ。ブログに反論して、敵を作るマイナス面と、新たな事実・見方を提示できるプラス面と、どちらが大きいかという問題にすぎない。

例えば「中目黒」を検索した人が先方のブログを読んだとしよう。読む人によっては「中目黒は破壊されているのか。酷い話だ」としか思わないだろう。そして、それをまた自分のブログに書くかもしれない。
しかし、同じ検索に私のブログが引っかかっていれば、検索した人は異なる二つの見方を元にして考えることができるのだ。その上で、その二つの意見を踏まえた、その人なりの見解を提示してくれるだろう。

そもそも、自分の誤りを批判されたり、反論されたりして、その批判・反論が妥当な内容であるにも関わらず、その相手を敵視するようなブログ作者は人格的に問題がある。そういう人と無理に仲良くなろうとは私は思わない。そして私は、そういう逆切れブログ作者よりも、「そうだったのか。教えてくれてありがとう」と言う、人格的に正常なブログ作者の方が多いと信じたい。

私はそこまで考えて、記事を書いているのである。


もっともっと、「なぜ『いい加減な流言飛語が多い』のか」を考えてみてください。
一番間違った答えは、「中途半端な事実を浅はかに信じるバカがあまりに多いから」です。
いい加減な流言飛語は、主に「一般人」から発せられます。
一般人の教養レベルは「一般的」であり、バカではありません。
(批判したブログ筆者の中には、教養が高い方もいるでしょう)

では、「通りすがり」氏の答えは何であろうか?

そもそも「いい加減な情報を信じる馬鹿」であることと、教養のレベルや学歴などは全然関係のない話であり、何らの反証になるものではない。教養も学歴もある大学教授にすら、一方的な情報を吹き込み続ければ、それを信じることもあるだろう。一口に「馬鹿」と言ってもいろいろな種類があるのだ。判断力が「馬鹿」であっても、知識レベルは高いこともある。ある観点で「馬鹿でない」ことは、違う観点で「馬鹿」であることの反証にはならない。

「中途半端な事実を浅はかに信じる」人間が、馬鹿かどうかなど、全く問題ではないのだ。
問題なのは、むしろ人間はしばしば「中途半端な事実を浅はかに信じる」生き物であるということであり、つまり「中途半端な事実」が反論もなしに存在することなのだ。

だからこそ、反論するのである。
そして反論を存在させることによって、誤解の連鎖を断ち切るのである。


ブログ筆者はなぜいい加減な事実を認識し、発信するのか?そこまで推察して文章を書けば、


以上が「ブログ筆者はなぜいい加減な事実を認識し、発信するのか?」に対する、私の考えである。

こんどはぜひ、通りすがり氏に「なぜ『いい加減な流言飛語が多い』のか」「ブログ筆者はなぜいい加減な事実を認識し、発信するのか?」という問いについて、模範解答を示してもらいたいものである。

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6 コメント

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Unknown (通りがかり)
2008-01-05 19:57:48
お、早速の詳細返答ありがとうございます。

一方的発信への回答、本当にありがとうございます。
ただ、やはり言い方はかなり乱暴なのはもったいないですよ・・・。
「具体的にどこを」とありますが、はっきり言うと「全部」です。

例としてあげると、
・『この部分は意味不明である。』
・『私には全く理解できない。』
・『模範解答を示してもらいたいものである。』


これらの表現は全て、読む者に不快な感情を与えます。
意図的になさっている部分もあるでしょうから、それは理解されますよね?
伝えたいのは、貴方が思っている以上に読む人に不快感を与えているであろう、ということです。


例えば以下に変えると、読む人は不快感は減ります。
・『この部分はわかりかねます』
・『より詳しく教えてほしい部分である』
・『お考えを伺いたいものである』


まあその他伝えたいことは色々ありますが、本題から外れるのでこの辺りで。
(必要であればお答えします。)


「ブログ筆者はなぜいい加減な事実を認識し、発信するのか?」

ええと、私の一つの答えとしては、
「疑問を感じ、そこに(中途半端ながらも)答えが返ってくるから」であると思います。
(色んな人によるので、これだけじゃないんですけどね。大きなところとして。)


もう少し詳しく書くと。

人は、一回疑問を持ったものに答えがあると、強く信じる傾向があります。
これは心理学でも検証されています。

例えば、不動産で物件を探していて、値段も手頃で良い物件があるとき。

何かリスクを感じ、「なんでこんなに安いの?」と疑問を持ちます。そこに、「実は日当たりが悪くて…」と伝えられると、だからか、と納得感を高めます。
本当の理由は日当たりではないかもしれないのに。。


で、中目黒の件で行くと。

昨年から、多くの人が、だんだんと気になりはじめました。
「なぜこんなに多くの店が閉まっていくの?」

それで、理由を調べます。張り紙を見ます。
「耐震補強のため・・・」

ここで、もう一度疑問が生じます。
なぜいま耐震補強なのか、なぜ補強だと全ての店が立ち退きなのか、なぜこれ以上の情報が無いのか。
怪しい・・・。

そこで、1丁目再開発の看板を見たり、うわさを聞いたりする。
だからか!!と納得感を強める。
耐震補強に疑問を感じた私に間違いはなかったんだ、と。


例えばこの話でいくと。

「当事者」である貴方が書くことの意義が深いのは、
「耐震補強の実態」だったりします。

なぜいまなのか、どのくらい危ないのか、なぜお店の立ち退きが必要なのか。
このあたりはかなり興味深い内容になると思います。


最後に。

私は中目黒に住む一般人です。

この問題に対して同じように課題意識もあり、
だからこそこのブログについて真剣に意見を投げかけています。すごく意義のあるブログとも思っています。

読者の意見が必要であれば、私は本気で伝えます。
だからこそ、相手の人格を否定するような表現はしないでください。
「そんなつもりはない」というのであれば、貴方が気付いていないだけです。実際私は極めて暴力的な表現にかなり驚き、傷付きました。

「批判的な内容」はもちろん良いですが、「暴力的な表現」のほうに問題があります。混同しないように。その表現の仕方である限り、「教えてくれてありがとう」とういブログ作者は現れません。

その点をお気遣いいただけるなら、いつでも意見交換をしたいところです。
そうでなければ、もう来ることはありません。

またまた長文で大変失礼しました・・。
返信する
>通りがかりさん (xg_nakame)
2008-01-06 04:56:41
まず、貴方の忠告は重く受け止めさせて頂きます。

>はっきり言うと「全部」です。

それは困りましたね。もしそうなら、私と貴方は問題意識に差があるということです。
例えば「意味不明です」の何に問題があるのか、私には分かりません。人間であれば意味が伝わらないことがあるのは当たり前。私が「意味不明だ」と言われたら、言い方を変えて伝えようとするか、理解力のない人間だと諦めるか、どちらかです。
「私には全く理解できない」も同様。単に意見を異にすることの表明としか思いません。

そもそも上記のような表現程度で問題になるなら、率直に言わせて頂ければ、貴方の投稿の「文章・言い回しが乱暴」「ものすごく暴力的に見えます」はどうなのでしょうか?貴方は事実を書いただけでしょうが、そう思わない人間から見れば、かなり乱暴な言い草ですよ。また

>もっともっと、「なぜ『いい加減な流言飛語が多い』のか」を考えてみてください。

と、私のことを「考えが不足した短慮な人間である」と決め付け、侮辱している。これも貴方にはそのつもりはないでしょうけど、私には上から目線での侮辱と感じました(別に傷つきもしませんが)。

このように、人間というのは、自分の無礼には甘く、他人(特に意見を異にする者)の無礼には厳しいものです。その特性に照らして考えたとき、貴方の視点は本当に公平でしょうか?

「暴力的な文章」と言うのは、読者の感じ方次第という面もあり仕方ないともいえますが、一方で、ある読者の感じ方だけで「暴力的な文章」かどうかが決まるというのも、一方的で「暴力的」な気がします。

>「疑問を感じ、そこに(中途半端ながらも)答えが返ってくるから」であると思います。

それは確かにあるでしょうね。
だからこそ、先に書いたように、そのブログに反論し「それは答えではないよ」と示し、私なりの答えを示すことが必要なんだと思いますが。

よく「反論ばかりしてないで、自分の意見を言え」という人がいますが、非常に馬鹿げた意見だと思います。反論だって、それがキチンとした論拠に基づいていれば、立派な意見発信なんですよ。

>「当事者」である貴方が書くことの意義が深いのは、
>「耐震補強の実態」だったりします。

残念ながら、私は耐震工事の方の当事者ではないので、誰でも調べられることしか書けませんよ。問題なのは、それを調べない人が多すぎることですけど。

>読者の意見が必要であれば、私は本気で伝えます。

正直言って、とても必要です。しかし…

>だからこそ、相手の人格を否定するような表現はしないでください。

私は今まで「相手の人格を否定するような表現」をした覚えはありません。相手の「意見」や「行動規範」は否定していますがね。仮に「その程度調べないなど馬鹿」と言ったとしても、私は人格否定とは思わない。だって調べるように行動を変えれば「馬鹿」の状態からは脱せられるのだから。それに、私がそこまで書くとしたら、その相手もそれだけのことを書いているのですよ(調べもせずに他人を馬鹿呼ばわりするなど)。そこは自業自得でしょう。

…と、私は考えますし、その考えを今後も変えるつもりはありません。自らは(例えば再開発について)暴力的な批評を書きながら、他のブログから(たとえ暴力的表現で、であっても)批評されて憤るのは「自分勝手で甘ったれた態度である」との考えを変えることは絶対にありません。

それで「その点をお気遣いいただけるなら、いつでも意見交換をしたい」という気が失せてしまうというのであれば、正直、私にはどうしようもありません。

あくまで「宜しくお願いしたい」という気持ちは持った上で、上記のように考えるしかないです。
返信する
>通りがかりさん (xg_nakame)
2008-01-06 05:18:08
書き忘れましたが

>・『模範解答を示してもらいたいものである。』

は確かに皮肉といえば皮肉です。ただ、貴方自身、

>もっともっと、(略)考えてみてください。
>そこまで推察して文章を書けば、

と「貴方は短慮なので、もっと考えるべきだ。答えが貴方に分かるかな」と謎かけのようなことを言い

>一番間違った答えは

と「私は正解を知っているけどね」という態度を取っていますよね。

そういう自分の態度を棚に上げて「じゃあ、模範解答を示してよ」という皮肉のみを「暴力的だ」と問題視されることはないと信じております。
返信する
お詫びと意見 (通りがかり)
2008-01-08 00:53:57
またまた詳しくありがとうございます。

>私のことを「考えが不足した短慮な人間である」と決め付け、侮辱している。
>「私は正解を知っているけどね」という態度を取っていますよね。

上記等のご指摘の通り、私の表現に失礼がありました。
これは感情的に伝えてしまった面があると思います。
不快な想いをさせてしまい、申し訳ございません。
(本心です。反省しております・・・。)


ご迷惑をかけたことをお詫びします。

その上で。


こうした点をお感じになる貴方ならば、より一層私の意見を伝えたく思います。

ブログを書く責任、というより物を書く責任として、
「正しく伝わるように」ということがあると考えます。
いかに科学者が大発見をしても、論文が難しすぎれば誰にも伝わりません。
意義のあるブログでも、表現がきつければせっかくの貴方の意見を読者は読み込もうとしません。

「考えを変えることはありません」とありますが、表現方法についてもそうですか?
だとしたら、問題に感じます。
(表現方法については)貴方がどう思うかよりも、どう周りに伝わるか、を重視するのがモノ書きの責任ですから。

意図的に暴力的表現をして目を留まらせる、というのは週刊誌的な一つの手法としてありますが、それを目指しているようには感じません。(ただ、このままではゴシップを必要以上に強く叩く悪質な週刊誌に成り下がってしまいます。)

あなたが私の表現に不快感があったなら、似たような感情を持つ読者は増やさないほうがいいでしょう?
わざわざ中目黒の事実を知りたくてブログを検索して入ってきて、きつい表現で嫌な気持ちになる・・・。
当初の目的から外れますし、いいことでは無いと思います。

「意味不明である」がきつい表現であると、「本気」で気付きませんか?
そうならば、本当に本気で振り返ってみてください。
きっと、周囲の誰もあなたにこのことを指摘しません。あなたが活躍していればしているほど指摘しないでしょう。

こんな(失礼ながら)匿名の場だからこそ、意見できることです。

>(中略しながら)このような表現程度で問題になるなら、あなたはどうなのでしょうか?かなり乱暴な言い方ですよ。

その通りです。そう感じ、反省しました。
言い換えれば、貴方がこの指摘をしたということは、
私がそれを認めれば(本気で認めていますが)あなたも乱暴な言い方であることを認める、ということになりますね。

貴方も本当は気付いているはず。

過去の心無いコメント者がいたようですが、複数あったことは、「事実」です。
「根拠が無い幼稚な批判をするな」で済ませず、私も含め複数の読者が何らか不快に感じた、という「事実」にそろそろ目を向けるべきではないでしょうか。

顔や雰囲気が伝わらないブログだからこそ、そして批判的な内容を踏まえるブログだからこそ、もっともっともっと柔らかい表現になるようお気遣いいただくことを切に期待します。


あなたのフィールド(ブログ上)で、一方的な意見を繰り返し述べさせていただき大変失礼しました。

表現方法は本題からずれるため、私からの指摘はこれで完全に終えますね。本当に失礼いたしました。


今後の更新に期待します。
また再開発について、私からも気付いたことがあればメッセージを送りますね!
返信する
>通りがかりさん (xg_nakame)
2008-01-08 09:44:19
最初にお断りしておきますが、私は貴方の「無礼さ」を特に批判に値するとは思っていません。許容範囲内であると思います。

私が言っているのは「貴方が私の無礼さを許容範囲外だという基準なら、貴方の表現だって無礼なのではないか」ということです。ですから

>私がそれを認めれば(本気で認めていますが)あなたも乱暴な
>言い方であることを認める、ということになりますね。

という話にはなりません。私にとっては、貴方の表現も私の表現も許容範囲内だからです。
その上で

>(表現方法については)貴方がどう思うかよりも、どう周りに伝わるか、
>を重視するのがモノ書きの責任ですから。

これは全くその通りだと思います。私が「許容範囲内だろ」と思っても、大多数の読者が「許容範囲外」だと思うなら「許容範囲外」ということになります。少なくとも、私が「私の言うことを聞いてください」という立ち位置を取る限りは。故に前回

>「暴力的な文章」と言うのは、読者の感じ方次第という面もあり仕方ないともいえますが、

と書いたわけです。しかし、それを分かった上で「努力はしてみるけど、これ以上は無理だと思うよ」という返事をせざるを得ません。私は、暴力的な表現や一方的な思い込みで、再開発なり街の変化なりを批評する人間に対して、優しく「それは違うよ」と言ってあげるほど優しい人間ではないからです。

一つ言わせて貰えば、このブログを書くのに、私は様々なことを調べています。図書館にもずいぶん通い、中目黒界隈の地図については各年代の物を収集しました。
自分で物を調べて文章を書いたことのない人は、そういう努力を過小評価しますが、だったらご自分もそれをやってから偉そうなことを言いなさい、と思います。そういう努力もしていない人を、優しく先生のように導く義務は私にはありません。

>過去の心無いコメント者がいたようですが、複数あったことは、「事実」です。

いえ。それは取るに足らない事実です。
貴方は違いますが、一般に人間は
・自分と意見を同じくする人間の無礼さは気にならない。意見を異なる者の無礼さは過大に批判する。
・自分と異なる意見で、具体的に反論に窮すると「物の言い方が気に食わない」と、反論できない不快感を物言いの不快感に摩り替えて非難し、溜飲を下げようとする
という傾向があります。

貴方以外の批判コメント者(たぶん同一人物でしょう)は単にそういう人間にすぎません。仮に、本当に内容のある意見を持っているのであれば、貴方のように具体的に問題点を指摘できるからです。

仰る通り、私も
・批判は誤りや問題点を訂正するためにすべきで、他者を批判して楽しむようなことがあってはならない
・他者批判はリスクを伴う。無駄に他者批判は自分のためにならない
というのは、強く肝に銘じたいと思っております。

今後ともご指導ご鞭撻をお願いいたします。
返信する
Unknown (通りがかり)
2008-01-09 01:23:11
お忙しい中、失礼な面も多々ある指摘にご丁寧にご回答いただき、本当にありがとうございました。

貴方のお考えや背景、十分に理解し、納得いたしました。

私とのやりとりの中であったように問題意識の差はあると思いますが、それは(私の考えの至らなさも含め)価値観の相違だと思いますし、これ以上言及するつもりもありません。
様々な価値観や表現方法があるからこそ、意義のある議論・意見伝達になるのでしょうから。

私の批判的なご意見も受け止めていただいたと認識しておりますし、貴方の様々な取り組み・努力・課題意識も含めて背景や意図を理解させていただきました。

本当にありがとうございます。

せっかくここまでご回答いただいたので、本題のほうで要望を。


「なぜ(鳥小屋の近くの)ローソンが閉店したり、(改札すぐの)吉そばが近くに増設したりしているのか」がすごく疑問に感じ、実態を知りたく思います。

高架下の向かい側まで立ち退きの必要性があるとしたら、これまで以上の大きな変化になると考えます。

貴方の調べられる範囲外かもしれませんし、無理な要望かもしれませんが、もし情報をお持ちであればブログに記載いただけると嬉しいです。
(すでに関連記事があったらすみません・・・。)


引き続き、今後の更新を楽しみにしています!

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