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人をして非俗的ならしめ、無欲ならしめ、非現世的ならしむるものにして、鮮明にして確実なる来世の希望のごときはない。
この希望を欠いて、この罪の世にありて信者の生涯を送ることはできない。この世の不義はあまりに多くある。暗黒の勢力はあまりに強くある。この世のみに意を留めて、不信は当然の結果といわざるを得ない。
されども目をあげて上を仰がんか、聖書に示されたる神の約束を信ぜんか、完成さるべき造化と救(すくい)とを望まんか、ここに懐疑の雲霧は晴れて、正義敢行の勇気は勃然としてわき出るのである。
キリスト再臨の希望は信者の歌の源(みなもと)である、愛の動機である、善行の奨励である。これありて、われらはこの涙の谷にありて、歌いつつわが父の家へと進み行くことができるのである。 (内村鑑三)