アセンションへの道 PartII

2009年に書き始めた「アセンションへの道」の続編で、筆者のスピリチュアルな体験と読書の記録です。

第1章 ゴーイング・ウィズィン ⑤ エッセネ派の思想

2015年04月24日 10時09分19秒 | 第1章 ゴーイング・ウィズィン
以前筆者のブログPartI、第11章③イエスの実像(?) に於いて、クムランの洞窟から発見された死海写本から、イエスがユダヤ教のエッセネ派に属していたという事実が明らかになったことに触れるとともに、イエスが12歳から30歳までの間に経験した修業の内容などを、エドガー・ケイシーのリーディングや『完全アセンション・マニュアル』に基づいて紹介しているので、興味のある方は、是非そちらも一読願いたい。多少長くなるが、念のため再度『完全アセンション・マニュアル』の一部を引用しておく。

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“宝瓶宮福音書”によれば、イエスはインドにおいてバラモン教やヴェーダも学んでいるという。イエスはまた、ネパール、チベット、シリア、ギリシャ等といった土地にも在留している。
ケイシー、リバイ、そしてジュワル・クールによるチャネリング情報は、いずれもイエスの十八年間に及ぶ東洋紀行を記録している。・・・1800年代の終わりにチベットを旅していたニコラス・ノートヴィッチというロシア人ジャーナリストは、チベットの首都ラサにある記録保管所で、そこに預言者イエスの存在を論じた古代の巻物が数千巻眠っていることをラマ僧から伝えきいている(東洋においてイエスは“預言者イッサ”と呼ばれている)。1894年、ノートヴィッチは通訳を介して読み上げられたという文章を出版しているが、それらの記録のなかには、イスラエルの子供たちや、インドの人々に対して、聖なる教義を伝道する覚者イッサの生きざまの描写を見出すことができるのである。・・・1922年にはスワミ・アビダナンダがチベットのヒミスの大僧院に赴き、ノートヴィッチの話の内容を再確認した。彼はラマ僧の助けを借りて、同じ文章を翻訳したものを、後にノートヴィッチの英語翻訳版と一緒に上梓している。
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 つまり、エドガー・ケイシーやリバイ等によれば、イエスもチベット或いはヒマラヤで、どうやらヨーガの修業をしていたということになるのだが、たまたまヨグマタの『心を空っぽにすれば夢が叶う』という本を読んでいたところ、155頁にその事実を示唆する個所が出てきたので念のため紹介しておきたい。

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 キリストは、荒野で四十日間、瞑想をしたと言われています。キリストが修業した歴史的な証拠があるといわれる場所が北インドにあると聞き、私はその地、ラダックにあるお寺に行ったことがあります。
 キリストという偉大な魂もまた、懸命になって心理の道を歩み、気づき、そして本当の幸せについて人々に説いたのです。
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 元々、ヨグマタはキリストの修業の証拠を明らかにする為にそのラダックのお寺に行った訳ではないので、どんな証拠を見たのかまでは書いてないが、ヨグマタほどの人物が活字にしていることなので、間違いないものと筆者は思っている。
 ところで、その「エッセネ派」であるが、同書(ゴーイング・ウィズィン)に於いても、クムランの死海写本からイエスがエッセネ派であったことが明らかであること、更にその思想や信条、生活がどのようなものであったのかについて判り易く解説しているので、以下に紹介して行きたい。

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 1948年に、パレスチナのクムランの洞窟から発見された死海写本によれば、キリストはエッセネ派の同志のひとりだった。エッセネ派は輪廻転生を信じていた。彼らの教えは非常に普遍性のあるもので、現在私達が学んでいる神秘主義やニューサイエンスと共通する要素がとても多い。そこで、この人々がどんな人達だったのか、今までにわかっていることを書いてみよう。
 エッセネ派の人々は、奴隷も召使も使わずに、すべてを平等に分配して暮らしていた。物質的には非常に質素であった。基本的には農民であり、樹木を育てていたが、作物や季節や気候の変化、そして砂漠の土地の利用法などについて、深い知識を持っていた。
 彼らは日の出前に起き、毎日、冷たい水で体を浄める儀式を行った。一日中、畑で作物の世話をして働き、昼と日没に、食事と祈りのために少し休むだけだった。生命のあるものを大切にし、肉は決して食べなかった。また、新鮮で生命のあるものしか食べない。つまり、殺されたものは食べなかった。・・・
 彼らは“天なる力”に向かって、長い時間瞑想し、すべての行いには、彼らの愛が表現されていた。
 エッセネ派と同じ時代に生きていた人々による記録が、いくつか残されている。ローマの自然主義者プライニー、アレキサンドリアの哲学者フィロ・・・などの記録である。エッセネ派の人々は他に類がないほどすぐれた民族であること、中央アジアから伝わった教えを受け継いだ人々であること、この教えが大昔から今に伝えられていること、エッセネ派の人々は常に聖なる人々であることなどを、その誰もが記している。
 エッセネ派の教えは、ゾロアスター教の経典の中にも書かれている。これはバラモン教、ヒンズー教、ウパニシャッドの基礎をなす教えと同じものである。伝統的なヨーガや超越ヨーガは、すべてエッセネ派の教えと起源を同じにしている。仏陀もエッセネ派の教えとおなじことを人々に教えている。
 エッセネ派の人々は、いつの時代にも役に立つ智恵に満ちた普遍的な素晴らしい教えを人々に広めた。これらの教えは、紀元前六千年前のシュメール文明のヒエログリフ文字で書かれ、保存されていた。
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 ここで少しコメントを加えたい。「エッセネ派の人々は、奴隷も召使も使わずに、すべてを平等に分配して暮らしていた。」という部分は、聖書に書かれている原始キリスト教団の様子を彷彿とさせるものがある。イエスがエッセネ派に属していたことが事実であれば(無論筆者はそのように確信しているが)、さもありなんというところであろう。

 尚、「これらの教えは、紀元前六千年前のシュメール文明のヒエログリフで書かれ、保存されていた。」という部分については、出処は失念してしまったが、以前ゼカリア・シッチンの本(であったと思うが)で、聖書(特に旧約)とほぼ同様の内容が、シュメール時代にヒエログリフで書かれていたとの内容を読んだ記憶がある。一方、筆者は以前書いたブログ(第11章③イエスの実像?)で、アトランティス→エジプト→エッセネ派→キリスト教(イエスの教え)の繋がりを考えていたので、大元の出処が異なることになるが、アトランティスであれシュメール文明であれ、宇宙人の影響を色濃く反映している偉大な文明の教えであれば、その精髄は大差ないものであったと考えても差し支えないように思っている。どちらが本当の起源だったかについては、いずれ専門家が明らかにしてくれるであろう。

 そのエッセネ派の教えについて、シャーリーの話を続ける。

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 エッセネ派の教えは、世界中のほとんどすべての宗教や文化に見出すことができる。その基本的な教えは、古代ペルシャ、エジプト、インド、チベット、中国、パレスチナ、ギリシャで教えられた。エドムンド・ボルドー・ゼカリーが、ヘブライ語とアラム語で書かれた原本を英語に翻訳したものは、非常に良くできている。彼によると、最も純粋なエッセネ派の思想は紀元前2~3世紀に、パレスチナ、エジプト、シリアで起こっている。パレスチナとシリアで、この人々はエッセネ派と呼ばれ、エジプトでは治療者と呼ばれていた。・・・その後、エッセネ派の教義は、ヨーロッパのさまざまな組織、すなわち、フリーメーソン、グノーシス派、カバラなどにも大きな貢献をした。そして、もちろんイエスはエッセネ派の教師であり、ヒーラーであった。
 エッセネ派にこれほど私がこだわるのは、前にも述べたように、彼らの教えや原理や価値観、そして生活上大切とされている事柄が、今日のいわゆるニューエイジの考え方と、殆ど同じだからである。彼らは薬草や植物を薬として用いていた。神はすべてのもの、すべての人の内にあると信じていた。地球を守っている見えない指導霊に瞑想し、内なる神に瞑想した。そして、カルマを浄化するために、何回もたましいが肉体をまとって地上にあらわれるということを信じていた。しかも同時に、一人ひとりが自由意志によって、カルマをつくり出しているということも、彼らは知っていた。自分たちの神秘的な直観力や予知能力を信じて、自らを光の子と称していた。目に見えない多次元の領域の現実を信じており、そのような領域に住む存在と交信していた。彼らの数学や天文学は、宇宙全体の生命の調和を反映していた。
◇◇◇

 上記引用部の最後に「光の子」という、聖書に良く出てくる謎の言葉(筆者は以前聖書を読みながらも、この言葉の意味するところが良く分からなかった。筆者の前ブログ、第11章②光の道、光の子を参照)
の由来が書かれている。これもイエスがエッセネ派の教師であったことを裏付ける証拠の一つと考えてよかろう。
 さらに、ヨーガスートラにも出てくる、シッディ(修業が進むとともに現れる超能力、旧ブログ第17章⑳綜制と超能力参照)についても触れている。

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 イエスはエッセネ派の思想と修養を学ぶ生徒であり、教師だった。彼が行った数々の奇跡は、すべて自然の法則にのっとったものであり、私達には理解できない高次の意識によって行われた。しかし、イエス自身「あなた方も私が行ったようなことをなすであろう。それも、もっと偉大な仕事をなすであろう」と言っている。
 キリストは予知、預言、空中浮揚、テレパシー、心霊治療師などを行った。しかし、キリストの前にも後にも、たくさんの人々が同じような霊的な力を示している。彼らはこうした力は“天にまします神様”からいただいているだけでなく、超意識とつながった内なる力でもあると言っている。
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 ところで、知人に最近ヨーガの修業をしていること話すと、良く冗談交じりに、「何時空中浮揚できるようになるの?」などと揶揄されるが、世間のヨーガに対する認識が、現状この程度のレベルであるということは非常に残念なことである。固より筆者は、そんな超能力を持ちたいが為にヨーガの修業を行っている訳ではないが、シッディを獲得するということは修業のレベルが一定の水準に達したという証であり、通過点でもある重要な指標として是非とも到達したい境地である。

 最後に、シャーリーは次のように結論付ける。

◇◇◇
 イエスとエッセネ派は、愛と光と宇宙、そしてカルマの法則などの教えのゆえに、今日のニューエイジの精神世界を探求している人々によく似ている。このような“新しい”考え方は、実は古代の教義や秘法にそのルーツを持っている。何が“新しい”のかと云えば、左脳主義の科学者達が、意識や宇宙の科学に、右脳的なアプローチをし始めたということなのだ。人間(そして、その他のあらゆるもの)を宇宙創造の観察者であり、参加者であるとする彼らの新しい理論は、一人ひとりの責任という問題を、大きくクローズアップしたのだった。
 私達の世界のエネルギーがどんどん過密化の速度を速めている今、自分が考えていることに、もっと注意を向けることが、絶対的に必要になっている。私達は自分の人生の体験をつくり出す責任がある。したがって、自分の想念をきちんと意識し、チェックすることが大切なのだ。
 ・・・私は自分の感情も全部自分で選んでいると知っている。ネガティブな感情を捨てようと選択し、それに成功した時は、そのネガティブな感情が初めから幻想にすぎなかったことに気が付く。しかし、幻想も時には役に立つ。・・・人のことを批判したり許さなかったりする時は、その人が私に私自身のことを教えてくれているのだ。もし、他の人の中に見たネガティブな面を自分の中で変えることができれば、もっと幸せな自分自身との関係をつくることができる。
 ・・・光と理解は私の内だけでなく、他のすべての人々の内にも宿っているということに思いいたった時、自分自身や他人に対する否定的な批判をやめる道を、私は選ぶことができたのだった。そして、否定的な批判はお互いの創造性を損なってしまうということも、わかってきたのだった。
 そして、一番大切な仕事は、自分自身を含めたすべての人々に対する私の意識を広げてゆくことだった。それによって、私が今、認識している時間と空間の中で、ポジティブな創造性に満ちた宇宙の源と、つながることができたのだった。私の世界は私だけのものであり、私だけが私の世界をいかようにも変えることができるのである。
◇◇◇

 
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