アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第11章 限りない光への道 ②光の道、光の子

2010-10-08 08:48:31 | 第11章 限りない光への道
些か不謹慎だが、毎晩寝る前にベッドの中で新訳聖書を睡眠薬代わりに読んでいた時期がある。何回も読み返したので、聖書の内容にはかなり精通したつもりでいるのだが、その中に何ヶ所か“光の子”という表現が唐突に出てきて、正直どのような意味があるのか良く判らなかったが、どうやら光とはイエス或いは神のことであり、“光の子”とは神或いはキリストを信じる者だろう位に思いながら読んでいた。幾つか出てくるので、その部分を引用すると、

ヨハネ12章36節「光のある間に、“光の子”となるために光を信じなさい」
ルカ16章8節「ところが主人は、この不正な家令の利口なやり方を誉めた。この世の子らは、その時代に対しては“光の子”らよりも利口である」
エペソ人への手紙5章8節「あなた方は、以前は闇であったが、今は主にあって光となっている。“光の子”らしく歩きなさい」

ところが、最近になってアトランティス人でありエジプト文明を起こしたトスが書いたとされる『エメラルド・タブレット』(その由来に就いては、前節、第11章の①をご参照)を読んでいたところ、“光の道”、“光の子”といった表現が盛んに出てくることに気付いた。その部分を同書P79から引用すると、

「聞け、おお人よ。我が警告を聞け。夜の束縛より自由となれ。闇の兄弟等に汝の魂を引き渡すな。汝の顔を常に光に向けよ。おお、人よ。汝の悲しみは夜のヴェールを通してのみ来ると汝は知らず。然り、人よ。我が警告に注意せよ。常に上に向かいて努力せよ。汝の魂を光に向けよ。暗黒の兄弟等は光の道を旅せし者を、彼らの仲間に求む。光への道で太陽に向かいて旅せし者らは、光の子等を闇もて縛る、いとも大なる力を持つ者なるを、彼等はよく知ればなり。」
「おお、人よ。汝の所に来る者の言葉を聞け。されど、その言葉が光のものなるか否かを調べよ。黒ずみし輝きの中にて歩むもの多ければなり。然らざれば光の子等なり。」
「彼ら(筆者註:暗黒の兄弟)の道を行くことは易し。彼らの誘う道に従うことは易し。されど、おお人よ。我が警告に注意せよ。光は努力する者のみに来る。智慧に至る道を行くは難く、光へ誘う道を行くは難し。その道には岩石多く、光に向かいてよじ登るべき山脈多きを見ん。おお人よ。打ち勝ちし者に、光の道の解放さるるを知れ。汝、暗黒の兄弟等の道を行くこと勿れ。汝、常に光の子たれ。おお人よ。遂に光は勝ち、闇と夜は、光より離れて消え去るべきを知れ。・・・」
「人々の間には、暗黒の兄弟等居れども、光の兄弟等もまた存在す。光の兄弟等は、夜から人々を解放せんとして、闇の兄弟等の敵手なり。彼等は惑星の従う法則を知りて、強き力を持つ。彼等は調和し、秩序もて働き、人間の魂を束縛より解き放つ。彼等もまた秘密に、かくれて歩く。彼等は人々の子等には知られず。されど知れ。彼等は人々の子等に道を示しつつ常に汝等と共に歩むなり。彼等は常に暗黒の兄弟等と戦いて征服し、終わる時なく征服し続くるなり。されど、常に最後には光がかしらとなり、夜の暗さを追い払わん。」
「然り、人よ。汝、このことを知れ。光の子等は常に汝のかたえにありて歩むなり。」
「彼等は太陽の力を持てる大師等なり。いつも見えざれど、人々の守護者なり。凡ての者に道は開かる。光に踏み入る者にその道は開かれん。彼等は暗きアメンティーの広間への出入りの自由を得たり。かしこにては生命が無上に主権をふるう。彼等は太陽にして、朝の君主、人々の間に輝く光の子等なり。彼等は人の如くなれど、同じならず。彼等は過去世に分かたるることなし。時のはじめより、永遠なる一つなるものの中で、凡ゆる空間にあまねく居たりき。彼等は“一切無限なるもの”と一つにして、原子の空間から来たりしもの、形を持つこともあれど、形なきこともあるものなり。」

文語体で書かれている上に前後の脈絡が無いので多少判り辛かったかもしれないが、この『エメラルド・タブレット』はトスが書き残した物ということであるから、若しそれが事実であれば、彼がエジプトを治めていた時期にアトランティス時代の思想に基づいて書いた物と推測出来よう。そして、ドランヴァロの『フラワー・オブ・ライフ』によれば、トスの息子のタットはラーと共にエジプトに残り、このグループが「タット同胞団」として知られるようになったと書いてある(第1巻P187)。そして同じくP218には、この「タット同胞団」は紀元前500年頃にイスラエルのマサダに移動し、「エッセネ同胞団」を組織したと書かれている。更に、イエスの母マリアは「エッセネ同胞団」の中心メンバーの一人だったとのことである。ということで、聖書にある“光の子”との表現は、アトランティス→トス→タット同胞団(エジプト)→エッセネ同胞団(イスラエル)→聖母マリアという流れで、イエスに繋がり、それが聖書に書かれることになったとも考えられる。と云うことで取敢えず本節においてはこの繋がりを断定することは避けるが、次節においてこのことに関連するイエスに就いての以外な話をご紹介したい。

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