アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第13章 世界宗教 ⑪マントラ

2011-05-13 06:38:31 | 第13章 世界宗教
前回の“第二イニシエーション”に於いて、マントラに就いての説明を積み残している。実は第12章⑪‘人間社会を変容する鍵’において、既にゴーヴィンダン師によるマントラに就いての素晴らしい説明を『ババジと18人のシッダ』からの引用で説明しているので、できれば再度参照して頂きたいのであるが、最近J.D.ストーン博士の『完全アセンション・マニュアル』(以下、同書)を読み返していたところ、そこでもかなり説得力のある説明が為されていることに気付いたので、本稿では先ずそちらを引用する。

「日常的に行える霊性を高める為の習練で最も大切なものとして、瞑想の次に来るのが、神の名、マントラ、そして力ある言葉の復唱であるというのが私の個人的見解である。いかなる宗教の道にある霊的教師であれマスターであれ、形こそ違えど、この種の習練を奨励しなかった者はない。私は本章において、折衷主義的で普遍的観点から取り集めた神の名、マントラ、力ある言葉を紹介し、もしそれらの詠唱を定期的に励行されれば、あなたが神的高揚感に満たされることを保証したい。」

「こうした習練がもたらす恩恵には言葉に託し難いものがある。ガンジーは生涯を通じて神の名である“ラーマ”(筆者註:宇宙の保持者であるヴシュヌ神の化身)を唱え続けたが、彼はその励行が自身の業績の究極的な鍵の一つであると語っている。『バガヴァッド・ギーター』には“死んで何処へ行くかは、死に際に何を思っていたかで決まる”とあるが、ガンジーが暗殺されたとき、最後に口にしたのは“ラーマ”という言葉であった。サイババは、神の名を復唱し神の姿を視覚化することこそ、霊的な成功に至るための主要な鍵であると述べている。そしてそれは瞑想中のみならず、銀行の窓口にならんでいたり掃除や洗濯をしたり、シャワーを浴びたり歩いている時など、一日を通して行うことが大切なのである。」

「“思考が現実を創る”という心識(マインド)の法則がある。エネルギーは思考に従う。神の名を唱えるとき、実際あなたは究極的には自分が唱えているものになっているのである。神の名を十二分に唱えると、その結果として肉体、感情体、メンタル体、エーテル体の浄化が進むため、神のみを反映するようになれるのである。霊的探求の道にある人にとって最大の問題となるのが迷いである。“怠惰な心は悪魔の仕事場である”とは、まさに言い得て妙である。神の名を唱えることは、神に心の焦点を合わせ、その状態を続けることである。もし心が神に向いていないとすれば、それはいともやすく低次自己や否定的自我へと振れ戻ってしまいかねない。インドに見られるように神の名を唱える習慣が欧米にないのは残念である。・・・実際の神の名以外にも、同様に聖なる音であるマントラを使うこともできる。その一例が“オーム”音である。サイババは、オーム音は矢であり、その的はブラフマーであると述べている。オーム音は、ブラフマーへの直行便であり、全てのマントラの母である。」

「マントラの驚くべき点は、その多くが、実際に至高の次元に存在していたものが古代インドの聖賢(リシ)や先覚者によって人類にもたらされたということである。彼等は高次元に同調することができたため、実際に透聴力でそれらのマントラを聞き取っていた。マントラには信じがたい威力がそなわっている。なにしろ神は、マントラを唱えながら宇宙を創造したのである。宇宙レベルの霊性を達成するまでに進化すれば、あなたをしてもマントラの力を借りて、惑星や太陽系でさえ生み出すことが可能となる。」

「おそらくあなたがたも言葉の力を意識されていることとは思うが、言葉の力の証しは聖書にも見ることができる。イエスの“ラザロよ、(墓から)出て来なさい”という言葉で、ラザロは生き返ったのである。ナチス・ドイツ時代に、ヒトラーの言葉がどれだけ影響力を持ち得たかを想い起こしていただきたい。言葉の威力は、白魔術師によっても、黒魔術師によっても利用され得るほどである。ところがほとんどの人は、自分が発した言葉のもつ絶大なる力を意識していない。」

「現在では音に関する研究も進み、ある特定の振動周波数の音を癌細胞に当てた結果、癌の完全治癒に成功したとの報告もある。人の声は、音作りの究極の道具である。音と語意、或いは音と神の名との連携が起きたとき、あらゆる問題が癒されるのである。」

「“主の祈り”あるいは、“大いなる祈り”の力は明白である。マントラや神の名や、力ある言葉を使うことに関して今一つの興味深い点は、それらの使用頻度が増せば増すほど、その力が強まるということである。つまり、それらが独自の集合的な霊的威力を帯びてくるのである。たとえば、かりにあなたが聖母マリアのロザリオ(カトリック教の祈り)を唱えると、あなたは自身の神との個人的な繋がりと同時に、集合意識的な繋がりにも接続されることになるのである。」

「マントラや神の名は声高に唱えるもよし、呟くように、或いは心の中で静かに唱えるもよし(筆者註:ヴィヴェーカナンダはその著書『ラージャ・ヨーガ』の中で、心の中で唱えるマントラが、最も高いとしている)また書き映すのであってもよく、それぞれのやり方に独自の効果が期待できる。ただ詠唱があまり機械的になりすぎるのは考えものである。そこでマントラ一語一語を神への賛美と信頼を表す形と見なして唱えて見てはいかがかと思う。ユダヤ密教においては神の名が極度に神聖視されていたため、ユダヤ教のある特定の様式を踏襲する人々の間では、神の名を口にすることさえ憚られていたが、軽々しく神の名を口にしてはならないとする聖書の教えもまた同様な理由からきている。」

「マントラや神の名の詠唱は、あなたがアセンションを遂げる時に使うライトボディの構築を助けることになる。詠唱の回を重ねれば、それだけ神の名があなたの意識の中心に近付くのである。マントラは種子にも似て、ついには見事な樹木に育つ。樹木は神聖の体現の象徴である。マントラや神の名はあなたを自己幻惑、錯覚、幻影、そして否定的エネルギーから守り、あなたが唱えたそのものを自身に引寄せるのである。“神なるものすべて”を意味する“エロヒム”を唱えれば、あなたの引き寄せるものはことごとくすべて、“神なるもの”となる。眠りにつく直前に神の名を唱えれば、あなたは自身の魂体となって漂いながら、唱えた名である次元ないし意識に到達することになる。それは、あなたが睡眠中に赴く場所は、眠る直前の最後に何を思っていたかで決まるからである。」

「神の名やマントラを唱える究極の目的は、あなたの個としての意識を神なる意識と混ぜ合わせることである。神の名もマントラも、あなた自身が“永遠の自己”としての真の資質に気付き、より高次の能力を開花させ、意識をその特定のマントラと共振ないし同調する意識レベルへと高める助けとなるのである。この極めて神聖かつ霊的な習練を続けることで、あなたは自身のオーラ場に、膨大な霊的能力とパワーを構築し、日々に出会うすべての人々と祝福を分かち合う際にそれを使うことができる。思考は驚くべき力を秘めた道具である。イエスは、あなたにからし種ほどの信仰があれば、文字通り山をも動かすことができると語っている。またポール・ソロモンは宇宙心からのチャネリング情報で、イエス・キリストは、実際に宇宙の星々の位置を変えてしまうほど強力に自由な思考を展開していたと述べている(筆者註:脚注*参照)。さらにエドガー・ケイシーは、太陽の黒点は実際、人の否定的思考が創り出したものだと語る。」
*:ヴィヴェーカナンダも『ラージャ・ヨーガ』の中で、次のように記している。
  「たとえば、もしある人がプラーナを完全に理解し、かつそれを支配することができ
たとすると、地上に、彼のものではない何の力がありましょう。彼は太陽や星々を
それぞれの位置から動かすことが・・・できるでしょう。」

「自分の思考の絶大なる力を統制し、それを霊的活動の中心のみの役立てるという感覚がどのようなものか想像出来るだろうか。もし一日24時間、神の名やマントラや力ある言葉の詠唱に意識を向けていれば、あなたの思考や言葉や行為の全てが、神性に端を発したものとなる。あなたの地球での全生涯を、自分の真の姿でもある神の肯定に投じること、それが理想であろう。しかし実際にそうでない人の方が多いのは、その必要性やそのための手段や方法を教えられていないからである。従って、その点をフォローするのが本章並びに本書の総合的な目的なのである。」

「あなたがた一人ひとりに、強い反応を覚える特定のマントラや神の名や力ある言葉が必ず存在している。そうしたものを数多く持つ人も、ごく少しだけの人も、どちらが良いという訳ではない。直感の導きに従い、いろいろ試して楽しんでいただきたい。多大な喜び、神の愛、人々の愛、光などといった形でやってくる結果に、あなたはさぞかし驚かれることになるであろう。一日を通してマントラや神の詠唱をしない場合には、瞑想、祈り、霊性を高める読書、アファメーション、日記を付けること、肉体の訓練等といった他の精神修養を、ぜひ行っていただきたいものである。更に言えば、神の名やマントラの復唱は、終日、そうした習練の全てを繋ぎ合せる糊の役目も果たすものである。」

「神の名を歌うという行為にも、信じがたい力が秘められている。インドではこれをバジャン或いはキルタンの詠唱といい、欧米では讃美歌という。神の名やマントラの詠唱に感情体を付加すれば、その力はさらに強まることになる。あなた独自の旋律を創作するもよし、メロディの入った録音テープを求めるのでもよい。もう一つの注目すべき道具は、既に神の名やマントラが録音されたテープを求め、それをBGMとして利用することである。これは能動的というより、むしろ受動的性質を持つ習練である。これを首尾一貫して励行しているうちに起きてくる興味深い現象の一つに、あなたの潜在意識と内なる本質が、顕在意識の関与なくしてマントラを唱え始めるというものがある。これはごく自然のことであり、夢の中で始まることもある。そうしてあなたの生活は、その内側も外側も、神の音楽と神の歌で徐々に満たされていくのである。」

「もしあなたの意に染むのであれば詠唱の時間を決めても良いし、瞑想しながら行っても良いし、或いはインドでよく見られるマラ・ビーズを用いてもよい。これは白檀かルドラクシャの種子を、108個のビーズ(108は聖なる数とされる)にして糸に通した数珠のことで、マントラや神の名を唱えながらビーズ或いは種子を指で繰っていくのである。・・・この習練は潜在意識を清め、集中力を飛躍的に向上させる助けとなるだけでなく、マインドを黙させ、感情を鎮め、肉体を癒すことになるのである。そしてついには、いついかなる時にも否定的自我中心の意識に陥ることのない、常なるキリスト意識の状態へと導かれるのである。・・・」

「神の名やマントラ詠唱の習練を積めば積むほど、種子はあなたの潜在意識に深く埋め込まれ、その根は更に深く伸びて行くことになる。そしてついにはあなた自身がモナドになり、アセンションするまでに、意識全体をあなたの魂とモナドにかなう在り方へと統合させるのである。“休むことなく祈りつづけなさい”とは聖パウロの言葉ではなかったか。」

同書に於いては、続いて各宗派の様々なマントラや祈りの言葉がリストアップされているのであるが、全てを引用することはとても出来ないし、必ずしも意味がないと思う(理由に就いては次の段落を参照願いたい)ので、代表的なもののみを紹介しておくが、興味のある方や、更に自分の好みのマントラ或いは神の名などを探して見ようという気持ちになった方は同書を読んでみることをお勧めする。

ユダヤ密教のマントラ:エロヒム、エル・エリオン(最高神)、エリ・エリ(わが神、わが神)
ヒンズー教のマントラ:オーム、オーム・ナマ・シヴァヤ、ラーマ、クリシュナ

ここで話は変わり、筆者の第二イニシエーションの体験談に戻るが、マントラ・ヤグナが終了した後、我々はゴーヴィンダン師から2種類のマントラを伝受された(同師はその著書にも書いているとおり、マントラは単に文字で読んで覚えるのではなく、師から直接“音”で伝受されるのでなければ意味が無いと言う)。
その一つは、受講者全員に共通のマントラである。これは7つのチャクラに対応した7つのマントラであり、各チャクラを開くことを可能にする。受講者は数名ずつのグループに分けられ(マントラ・ヤグナを実施した際のグループである)、同師からこれらのマントラを直接音声で伝受されるのであるが、この際各チャクラの図を見ながら行う。例えば、ムーラダーラであれば4つの花弁を有する赤い花の図である。すると不思議なことに、その図を見ながら同師の唱えるマントラを聞き、自分でもその通り発音すると、ムーラダーラの部分が振動するのが良く判るのである。これは無論他のチャクラのマントラであれば、それに対応した部位が振動する。当日それによって直ちに筆者の全てのチャクラが開いた訳では無いと思う(というのも、全てのチャクラが完全に開くとすれば、それはクンダリニ昇華の時だと思うからである)が、これを続けて行けば必ずや効果があると思って以後も続けている。
もう一種類のマントラは、各自が希望するものを一つだけ選んでよい。例えば真我実現に有効とされる“シヴァ・マントラ”とか、神の愛を育て、ハートチャクラを開く“クリシュナ・マントラ”とか、エゴを明け渡すための“完全な放棄のマントラ”とか、健康、繁栄、愛情をもたらす“ラクシュミ・マントラ”など様々である。これらは、108回唱えると1セットを行ったことになる(この108回を意識せず正確に数える為、前述のルドラクシャなどで作られたマラ・ビーズを指で繰ると便利である)。そしてそれを1008セット行う(即ち108,864回)と一つの区切りになり、この時点で小シッディを達成すると言われている(シッディに就いては第12章の①二つのアセンションと⑥クンダリニ昇華を参照)。

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