アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第7章 アセンションとは ②三次元の世界と時間

2010-01-23 21:43:09 | 第7章 アセンションとは
② 三次元の世界と時間

読者諸賢は、ここで疑問を感じないであろうか。即ち、人間の本体が霊(狭義の霊)であると仮定した場合、それでは何故我々人間は、普通(即ち五感を通じて)自分の肉体しか感じることが出来ないのかという疑問である。たった今‘普通’と書いた。そう、我々は、通常この五感で触れることの出来る肉体とその環境として知覚出来る物理的な世界を現実世界として認識しており、魂の世界は‘あの世’と言って、存在すら否定する人が大多数である。従って、魂の世界(霊界とも云うが、このブログでは仮に幽界と呼ぶ)はおろか、更にその上の霊の世界(敢えて神界と呼ぶが、天上界とか第七天とも呼ばれるようである)が本当の世界だなどと、どうやって証明するんだという声が聞こえて来そうである。

第6章の④‘投影された世界’を思い出して頂きたい。これは理屈ではなく、信じるか否かの問題であり、証明が難しいので水掛け論になってしまうのだが、我々が現実だと思っている三次元の物理的な環境や世界は、実は投影された世界なのだ。これは、古くはプラトンがそのように説明し、道元禅師の『正法眼蔵』にもそのような記載があり、谷口雅春氏の『生命の実相』でもそのように説明されている。以上の書籍の内容は、これまでに概略を説明してきたので、ここでは更に、筆者がつい最近読み始めたシャーリー・マクレーンの『ゴーイング・ウイズィン』の文章の中から、この現実の三次元世界と我々(個人或いは人類)の意識の関係を記述した内容を引用しよう。

“物質的現実の幻想をつくっている分子は、エネルギーの電磁場によって組織されている。もし私達の意志的な意識によってこの電磁場の周波数を変えると、私達は現実を変えてしまう。・・・だから私達は生きて歩き回っているエネルギーの電磁場なのだ。私達のエネルギーの場が、私達が物質的な現実と思っている分子構造を組み立てているのだ。”

そして、もう一つの根源的(或いは哲学的)な疑問を持たれた読者も居るかと思う。そう、仮に人間の本体が霊であるとして、それでは何故本体である霊は、三次元の物理的な世界へ、肉体(アバター、即ち分身)を投影する必要があるのかという問題である。その解答に限りなく近づくヒントが、ブルース・モーエンの著わした(坂本政道 監訳)『死後探索4』に「好奇心」の物語として出ているのでその一部を引用する。

“「意識」が、自分自身の中に向けて、自分の認識の一部を「好奇心」という名の探査機として発射していた。「好奇心」は、「意識」の無限の可能性の中を進んでいき、無限に伸ばせる細い繊維を通じて、自分自身の認識を「意識」へと伝達した。時間は意味を持たなかった。空間は存在しなかった。それでも「好奇心」は、時の始まりより以前に、巨大な「意識」の中に向けて発射されたのだ。「意識」は「好奇心」に目的を与えた。「好奇心」は「意識」の中を旅して、広大な未知の暗黒の中で見出しうる限りのものを発見し、収集していくことで、その目的を達成した。「好奇心」の中に入って来た認識は全て、「好奇心」と「意識」を結ぶ細い繊維を通じて、「意識」の認識へともたらされたのだ。・・・”

この物語はまだ続いて行くのであるが、著者ブルース・モーエンは、この「好奇心」の物語を読むときには、感覚を使って聞いて頂きたい、と書いている。確かにこれだけ読んでも、何のことやら訳が判らないかも知れないが、筆者が思うに、ここで「意識」とは創造主のことであり、「好奇心」とは、霊のことを指すのではないかと思っている。即ち、創造主は、霊或いは更にその先にあるアバター(人間)を通じて、創造活動を行っているのである。『バシャール』の第5巻に、これと略附合する箇所があるので、合わせて、紹介する。

“創造は、その中で考えられる限り無限の方法で、自分を創造(自己組織化)していきます。「全体」はその部分部分が自己認識をすることによって、自分自身に気づいていきます。そして「部分」は「全体」を通して、自分自身を体験していきます。ですから本質的にその両方が役に立つ経験となります。(編註:全体が、自らを相対化して認識するためには、それを見る目、すなわち部分が必要だった。全体は部分が気付くことで進化し、その逆もまた真。全体と部分は相互に依存したホロニックな関係)”

そして、いよいよ時間の問題である。筆者が信じるとことは、簡単に云うと、時間とは幻想であり、ただ三次元世界において、魂が因果律や創造を学ぶ或いは経験する為に意識が創りだしたものだという考え方である。再び『バシャール』から引用する(第7巻)。

“時間と云う幻想には、みなさんが「さまざまな変化を体験できるようにする」という目的があります。変化を体験する時間がなければ、みなさんは常に変化、変化、変化というふうに変化をして、その変化と変化の間で物事をふりかえったり、体験したりする時間はなくなってしまいます。時間という幻想のないところで、この無限と云うものの持つさまざまな側面をみること、それ自体にも価値はあります。しかし同時に、変化を体験することも重要なのです。なぜなら、変化を体験することは、物事を創造するというのはどういうことか、創造主になるというのはどういうことかを感じる機会を与えてくれるからです。”

さて、ここで再度、霊=オーバーソウルという筆者の公式を思い出して頂きたい。本章の①で説明した通り、霊は、現生は無論のこと、過去世や来世を同時に(?)経験しているのであるから、基本的に時間に縛られない世界にいる。その限りでは、霊=実相の立場からすれば、時間が本来は幻想であるとの指摘は少なくとも筆者がこれまで説いてきた内容と矛盾していないと思うのである。そして、時間を創りだしているのは、どうやら霊或いは意識であるようだ。・・・ということで、次は我々が眠っている間に見る夢の意味を通じて、時間、魂、霊の問題を再確認したい。

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