アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第7章 アセンションとは ①肉体、魂、霊

2010-01-14 22:18:12 | 第7章 アセンションとは
第7章 アセンションとは

筆者は2008年末以来、約1年間に亘ってアセンションに関係する本を多数読んで来た。これら多くの本には、アセンションに至る為の方法論、或いは2012年までに何を為すべきかに就いては良く書かれているのであるが、残念ながら“アセンションとは何か”を明快に定義した説明はこれまで見当らない。敢えて紹介するとすれば、坂本政道氏は、『分裂する未来 ダークサイドとの抗争』(著作G)の中で、アセンションとは現在の人類の進化の度合いを示す指標、第三密度(註:3次元では無い)が、第四密度へ移行することだと述べている。又、中丸薫氏はその著書、『こころ』(著作C)の中で、3次元から5次元の世界へ次元上昇することだと説明している。しかし、第4密度に移行したり、或いは次元上昇するという説が正しいと仮定した場合(恐らく正しいのだとは思うが)、卑近なはなし、我々の肉体や魂はどうなるのであろうか? 因みに、『バシャール』の第8巻では、次元上昇しても肉体は無くならないと説明しているのだが・・・。
しかしここで良く考えて見ると、アセンションに関する本を書いている多くの著者の中で、地球外生命体との交信(チャネリング)に拠って書かれた書籍は別として、既にアセンションを体験している人は地球上には殆ど居ないのであろうから、アセンションを確りと定義出来る人はこの地球上には居ないのかもしれない。そういう筆者も当然アセンションを経験した訳では無いので、アセンションとはそも何ぞやということを語る資格は無いのであるが、にも拘らず、筆者なりにアセンションの定義(或いは漠とした説明に終わるかもしれないが)を本章で試みたい。

① 肉体、魂、霊
アセンションを説明するため、先ずは言葉の定義を明確にしておきたい。肉体と魂の区別がつかない人は恐らく居ないと思うので肉体の説明は省くとして、魂、霊、或いは霊魂とも云う。更に、聖書には聖霊という言葉も使われている。何となく我々は、日常これらの言葉を何気なく同じ意味だと思って使っている。そもそも、筆者が普段頼りにしている広辞林をひくと、‘霊’とは‘死んだ人の魂、霊魂’と定義しているので、どうやら日本人には、魂と霊をはっきり区別して考える習慣が無いらしい。即ち、霊という言葉は、少なくも広義では(広い意味で)魂と同じである。

しかし、良く考えて頂きたい。魂は英語でSoul,霊は英語でSpiritと全く違う言葉を使っている。つまり、少なくも聖書の文化に馴染んできた欧米人或いはクリスチャンにとって、魂と霊は違う概念なのだ。たとえば聖霊に就いて、聖書には次のような記述がある。聖書をお持ちの方は、使徒行伝の第2章、第1節を開いて確認願いたい。
『五旬節の日がきて、みんなの者が一緒に集まっていると・・・舌のようなものが、炎のように分かれて現れ、一人ひとりの上にとどまった。すると、一同は聖霊(Holy Spirit)に満たされ、御霊(みたま:Spirit)が語らせるままに、いろいろの他国の言葉で語りだした。』

そんな話は信じられない、或いは作り話だと思っている読者の方も居られるかも知れないが、作り話と決めつける前に、先ずは筆者の説明、いやバシャールの説明を聞いて頂きたい。以下は『バシャール』(著作S)の第2巻からの引用である。
“みなさんそれぞれ(筆者註:人類)は私達のいうところのオーバーソウルというものでできていますけれども、オーバーソウルというのは集団的なエネルギーのことで、みなさんそれぞれが生きている現在の人生あるいは過去世に生きてきた人生、あるいはこれから生きるであろう人生のすべてを総合的に呼んだものです。そのすべての人生を一緒にすると、あなたの意識がひとつの意識として築いている意識、今まで送ってきたすべての人生の総合としての意識を持っていることになります。これがオーバーソウルの定義です。にもかかわらずあなたが創っている幻想がこの世界です。これが物理的世界の定義です・・・。”
つまりバシャールは、我々人間の本体(実体)はオーバーソウルであり、しかもそれは現生のみならず、幾多の過去世と未来世を同時に生きている(霊界即ち非物理的な現実には時間の体験が無い)ものだと説明する。このバシャールの云うオーバーソウルこそ、聖書に記載された聖霊或いは、魂と区別される狭義の‘霊’と殆ど同一のものでは無いかと云うのが筆者の推断である。つまり、使徒行伝では、使徒の上から聖霊(=オーバーソウル)が降りてきた。ところがその聖霊(=オーバーソウル)は幾多の過去世や来世を生きているので、そこで使徒たちが過去世或いは来世で使っていた他国の言葉を話せるようになったとしても何ら不思議は無いのである。即ち、霊とはバシャールの云うところのオーバーソウルであり、人間の実体(実相)なのである。少し論理が飛躍して判り難いだろうか。
それでは魂とは一体何なのか。これに就いては広辞林の定義が役立ちそうである。‘生物の身の内に宿り、精神の作用を司どり、生命の存続を保つもの。古くは、肉身を離れて存続するといわれた。’‘古くは’は余計だと思うが、筆者はこの定義で略間違い無いと思う。早い話、仏壇に祭ってあるのが御先祖様の‘魂’である。即ち、魂は、死後も幽界において現在の肉体と同じ個性を保有して存続するエネルギー体の総称であり、肉体人間と霊の中間に位置するものと考えて良いのでは無いだろうか。これに対して、狭義の霊(オーバーソウル)とは、魂と呼ばれるエネルギー体が更にRefineされた後、行き着く先、或いは状態なのではないだろうか。だからこそ日本語の聖書においては、広義の霊(=魂)と区別するために、敢えて‘聖霊’と記述しているのではないかと思えるのである。

何故敢えて、筆者がここで魂と霊の区別に固執するのか、それは狭義の‘霊’こそがアセンションの鍵となる概念だと思うからである。トニー・スタッブス著、『アセンション・ハンドブック』(著作V)にも、先に引用した使徒行伝の1節とも近いこと(聖霊の下降)が書かれている。即ち、“アセンションで皮肉なのは、それがディセンション(次元下降)から始まるということです。すなわち、身体、感情、精神フィールドへの「スピリット」(筆者註:聖霊)の下降です。”
以後、本ブログに於いては、霊とは、敢えて別段の定義をしない限り、狭義の霊(或いは聖霊)を指すものと理解して読み進んで頂きたい。

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