アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第13章 世界宗教 ②サンスクリット語とヴェーダ哲学

2011-03-11 06:21:40 | 第13章 世界宗教
『あるヨギの自叙伝』を読み終えたのは昨年(2010年)の暮れ頃であったと記憶している。改めて始めから読み返した訳でもなく、そう云う意味では未だ重要なポイントを見落としている可能性もあるのかも知れないが、それでも印象に残った個所には傍線を引き、偶にそこを読み返したりしている。その中でも知識面での興味から筆者が特に注目した点は、同書19頁の欄外に記された、ヨガナンダ師の持っていた護符の解説と共に記されている、サンスクリット語に関する叙述である。その部分を簡単に引用する。

「・・・護符にはマントラ(真言)が彫り込まれてあった。音や、人間の声の有する力について、インドほど深く研究した国はない。宇宙に遍在するオームの波動には創造、存続、破壊という三つのグナ(顕現の相)がある。人が何か言葉を口にするとき、必ずこのオームの三つのグナのどれかが働く。あらゆる聖典が、人は真実を語らなければならない、と教えているのはこのためである。護符に刻まれたサンスクリットのマントラには、正しく発音するとき、有益な霊的効力を発揮する力があった。サンスクリットのアルファベットはその構成が理想的で、50の文字から成り、そのおのおのの発音は一定不変である。・・・インダス河の渓谷から発見された印形は、サンスクリットのアルファベットがセム語から取り入れられた、とする多くの学者たちの説をくつがえそうとしている。最近モヘンジョダロとハラッパーにおいて二、三の古代のヒンズー都市の遺跡が発見されたが、それらは、我々が現在僅かに想像できるにすぎない有史以前のころに、インドの土地にすぐれた文化の歴史が存在していたことを物語っている(筆者註:例えば、バガヴァッドギーターで引用したマハーバーラタの戦いは紀元前3000年以前に行われ、そこでは核を使った武器も使用されたと解釈されるような描写もあると云われている。そして、それを裏付けるように、モヘンジョダロ或いはハラッパーの遺跡からは、核融合によるとしか思えないような高熱の影響を受けたと思われる石も発見された。この点は『バシャール』に於いて関連する記述があった。更に『ババジと18人のシッダ』においては、ハラッパーの遺跡から発見された土器を放射性炭素で年代測定したところ、1万年以上も前のものだったと記載している)。もし大昔この地球上に極めて進んだ文明時代が存在した、というヒンズーの諸説が正しいとすれば、世界で最も古い言葉であるサンスクリットが最も完全な構成をなしているという理由も肯けることになる。(ここで、著者は別の頁に記載しているサンスクリットの語源を参照すべしと述べているのでその部分を引用する:サンスクリットの語源Sanskritaは”洗練された、完全な”の意。サンスクリットは、インドやヨーロッパのどの言語よりも古いものである。そのアルファベットの字体は”デーヴァナーガリ”神の住処の意、と呼ばれている。古代インドの偉大な哲学者パーニニは、サンスクリットの持つ数学的、心理的完全さを称賛して、”わが文法を知る者は神を知る者である”と言っている。言語の源をあくまで追求して行けば、おそらく最後には、宇宙の全てを知ることになるであろう。)アジア協会の創立者ウィリアム・ジョーンズ氏は、”サンスクリットの起源が何であれ、それは全く見事な構成をなしており、ギリシャ語よりも完全でラテン語よりも豊富で、また、そのいずれよりも優美に洗練されている”と語っている。百科事典アメリカーナは記している。”古典研究の復興以来、文化の歴史において、18世紀後半におけるサンスクリットの発見(西洋の学者による)ほど重要な出来事は無かった。言語学、比較文法学、比較神学、宗教学・・・これらはいずれもサンスクリットの発見、またはその研究の影響に負うところが多い”と。」

このサンスクリット語の発見に就いては、島岩氏が著した『シャンカラ』により詳しく記載されているので引用する。

「東洋ルネサンス:・・・”古代の英知の宝庫”としての東洋という肯定的イメージが登場してくるのは、18世紀末から19世紀初頭の”東洋ルネサンス”の時代のことである。その際に契機となったのが、それまでヨーロッパ諸言語の起源と考えられていたギリシア・ラテン語と多くの共通性を持つインドの古典語、”サンスクリット語の発見”であった。」
「サンスクリット語の発見とヴェーダ研究の高まり:そしてこのサンスクリット語の発見は、西欧の人々に大きな衝撃を与えることとなった。というのは、この発見は、それまで西欧文明の起源だとされていたギリシア・ローマ文明とキリスト教文明を越えてさらに、西欧文明の起源を遡ることができる(その一つの結果がヨーロッパとインドとペルシアの共通の起源としてのアーリア人という概念である)ということを意味していたからである。その結果、この西欧文明の起源を求めてのロマンティシズムの高まりの中から、ヴェーダ研究への関心が高まって行くことになる。もちろん、西欧におけるヴェーダ研究の高まりやヴェーダへの高い評価と、ダヤーナンダ(筆者註:19世紀の復古主義的なヒンズー教の復興運動を主導したアーリア教会の創始者)のヴェーダ復興とには、直接的関係は認められない。だが、ヨーロッパ人と共通の起源を持つアーリア人としてのインド人の最古の聖典であるヴェーダという考えが、ヴェーダ聖典の伝統の復興に、その背景としてなんらかの形で関係していた、と考える方が寧ろ自然だろう。」
「ウパニシャッドとシャンカラ研究:一方、ウパニシャッド(筆者註:ヒンズー教の聖典、ヴェーダの最後の部分に属し、ヴェーダンタと呼ばれる奥義書)およびシャンカラ(筆者註:不二一元論、梵我一如を説いたインドの大哲学者)に関しては、ドイツのショーペンハウアーの影響が大きかったものと思われる。彼は、ウパニシャッドをペルシア語からのラテン語重訳で読んでその影響を受け、ウパニシャッドの思想を根本にすえながら”意思と表象の哲学”を形成するのだが、その彼の著書『意思と表象としての世界』は、そののち西欧で、東洋なかでも特にインドの宗教や思想に関心を抱く者たちに、大きな影響を与え続けたのであった。そしてその後、1870年代の東洋に対するロマン主義的関心の高まり(神智教会の東洋神秘主義的な運動が起こったのはこの時期のことである)を経て、次の1920年代の東洋のロマンティシズムの高まりの時期にドイツででてくるのが、シャンカラに関する初期の本格的研究である。たとえば、ニーチェの同級生だったドイセンの『ヴェーダンタの体系』やオットーの『東西神秘主義』が、その代表的なものである。そして、ウパニシャッドやシャンカラへのこの種の西欧側からの関心、即ち、オットーに特に認められるようなインド神秘主義への関心は、一方では、西欧の恩寵のキリスト教にはあまり見られない神秘主義への関心というオリエンタリズムであると同時に、他方ではインド側が、西欧物質文明・西欧近代合理主義・キリスト教に対してインド精神文明・インド神秘主義、ヒンズー教を対峙的に提示していく際の西欧側の受け皿ともなっていったものと考えられる。・・・」

ということで、西欧でのサンスクリット語の発見によって、ヴェーダ哲学が一躍脚光を浴び、当時ドイツ哲学界の大御所とも言えるショーペンハウアーにも多大な影響を与えたのは間違い無いと思う。尚この点は、『あるヨギの自叙伝』のP135の解説文の中にも記載されているので、その部分を引用する。

「ウパニシャッド(筆者註:前述の通り、ヴェーダの奥義書)はヴェーダンタ(”ヴェーダのしめくくり”の意)とも云う。これはヴェーダ四部の要約で、ヒンズー教の教義の基礎をなしている。ショーペンハウアーは、その深遠で独創的で卓越した思想をたたえて次のように言っている。”思うに、(ウパニシャッドの翻訳文を通じて)ヴェーダに近付くことは、今世紀の最大の特権であり、過去の世紀には不可能だったことである。”」

因みに、Googleでショーペンハウアーとウパニシャッドを検索してみたら、『言葉の体験記』と題するブログが、中村元氏の『東洋のこころ』から、次の文章を引用していたのを発見したので、紹介しておきたい。

「古代インド聖典の代表的存在ウパニシャッドを1851年ラテン語版にて、
初めて読んだショーペンハウアーは、感激した様子を見事に書き記しています。

”その一行一行が実に何と確固たる、明確な、徹頭徹尾調和のとれた
意義に満ち満ちているのだろう。
各ページから、深い、根源的な、崇高な思想が我々に向かって出てくるが、
全体の上に高い神聖な真面目さが漂っている。
ここにはインドの空気と、根源的な自然に順応した生存とが息吹いている。
ここでは、精神がつとにそれに注入されたユダヤの迷信と、
これを有難がっているすべての哲学を奇麗に洗い去ってくれている。
これは(原典サンスクリット語版は別として)
世の中で最も読み甲斐のある、最も品性を高める読み物である。
それは、我が生の慰めであり、またわが死の慰めとなるであろう。”

ショーペンハウアーは、
自身の哲学の基礎に、ウパニシャッドを据えたこと、
自身の学説が,仏教と同様の学説であることを表明しています。

そして、アメリカの哲学を確立させたエマソンの
1840年に友人宛に送った手紙の一部です。

”それは、暑熱の夜、風のそよがぬ大洋のごとく崇高である。
それは、あらゆる宗教的情緒、一切の偉大なる倫理を含み、
それは高尚にして詩的な心を逐次訪れてくる。”

この後エマソンは、ウパニシャッドへの思いを詩にします。
偉大な哲学者が揃って、あまりにも強烈な感激を表しています。
私も初めて、ウパニシャッドの聖典に目を通した時には、
涙があふれ、なかなか先に進めませんでした。
それにしても、ユダヤ・キリスト教の教義が、
ショーペンハウアーにとって、いかに“心地いい”とは言えないものか・・・」。

以上をもって、ヒンズー教の基礎を成すウパニシャッド(ヴェーダ哲学)が如何に深遠な哲学体系に裏付けられているかがお判り頂けたものと思う。そしてどうやら、その哲学体系はサンスクリット語によって完璧に伝えられていると言っても過言では無い。次回は、そのなかでヨーガ学派がどのように位置付けられているのか、考えて行きたい。

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