アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第7章 アセンションとは ④人生の目的

2010-01-29 22:18:31 | 第7章 アセンションとは
④ 人生の目的
おそらく、このブログを読み進んできた方の中に、人生の目的などに全く興味は無いという方は一人も居ないものと思う。真剣な哲学的思索に没頭したとまでは行かないまでも、漠然と、人生の目的とは何ぞやと云うことを考えたことがある、或いは今のような生活を続けていて良いのだろうかとの疑問をもったことのある人が殆どでは無いだろうか。

恥ずかしい話、筆者には、今あるこの生を思う存分楽しむことが人生の目的だと思っていた時期がある。仮に神社にお参りに行ったにせよ、基本的にはご利益を得るための信心であった。それは、小学生の時、先生から聞いた話が何らかの形で影響していたことは確かだと思う。その話は、“そもそも人間は偶然に生まれてきた”という話である。その先生が云うには、君たちの両親が結婚したのは偶然である。その両親の夫々の両親(=4人)、更にその4名の両親(=8人)と時間(先祖)を遡ってゆくと、およそ見当もつかないほど大きな数字になる(多分30代も遡れば10億人位にはなる)。その内の一組でも結婚していなかったら君たちは生まれてこなかったのだから、君たちが今あるのは本当に偶然なのだ・・・と云った内容であった。それを聞いて、子供心に、成る程そんなものかと変に納得してしまった記憶がある。つまり偶然ということは、特に目的が無いこととほぼ同義であるから、それなら生きている間に、思う存分今の人生を楽しむべきだとの考えに至り、受験勉強にしても、良い大学へ行き、卒業後には良い仕事について楽して暮らすことが目的であったように記憶している。

しかし、そのようないい加減な人生観で本当に幸せになれるのか徐々に疑問を持ちはじめているもう一人の自分があった。偶然というより、今は「必然」だと思っているが、20代後半になって、梅原猛の『仏教の思想』を読んでみた。そのなかの一節だと記憶しているが、当時の自分自身に響いた彼の文章は、「日本人は基本的に宗教音痴である。また無神論者が多いが、無神論者も神とは何か、仏とは何かを最低でも10年は考え続けてみるべきだ。その上での無神論であれば、それはそれなりに立派な知見であろうし、自分は何も云わない。」と云った内容であった。今にして思えば、大変有り難い御指摘であり、梅原先生には大変感謝をしている。

その後、自分なりに色々な本を読んで見たが、30代も後半になり、ある日、大変素晴らしい本との出合いを果たした。谷口雅春氏の『生命の実相』(著作K)である。因みに、筆者はこの章の書きだしに、アセンションを経験した人は殆どいないだろうと書いたが、この谷口雅春氏(故人)は別格である。筆者は生前お目にかかったことこそ無かったが、この本に書かれた内容は、常人の境地を超えたものがある。谷口氏の文章を読むと、通常であれば非常に難解な問題が比較的簡単に理解できるのみならず、文章そのものの格調が極めて高く、かれこそ生きながらアセンション(次元上昇)していた数少ない一人ではないかと思わせる何かがある。筆者は著作K(全40巻)の、第1巻、しかもその書き出し、‘『生命の実相』の頭注版に序して’を読み、人間の実体は現象としての生命(肉体など)ではなく、その奥に常住の本体(生命の実相)があるという話をたちどころに理解した。まさに自分の人生観を変えた本であり、そこから筆者の精神世界の探求が遅ればせながら始まったとも云える。

しかし、当時は『生命の実相』だけ読んで、自分なりに悟ったように思っていたものの、今振り返って考えてみると、どうやら未だそれほど深いところまでは達していなかったように思う。即ち、“人生は、輪廻転生する魂の修養の場である”などと判ったようなことをいいながら(勿論それも間違いでは無いが)、全ての人間が目指す境地は、弥勒菩薩のような、慈悲深く、完全無欠な存在であるべきだと思っていたのである。もちろん全ての人がそのような境地に達することができればそれはそれで理想であるが、ハイデガーの云うように、人間はこの世界劇場(ゲシュテル構造の世界)の中で、それぞれの役割を一生懸命演じている、いや演じざるを得ない役者なのである。そしてそれぞれが、たとえ悪人であろうと、その役割を演じている限りは世界劇場の一員であり、仏教風に云えば、いずれ成仏することを約束された衆生なのである。バシャール風に云えば、「みなさん一人ひとりは、大きな素晴らしい一つの絵を構成するジグゾーパズルの一つひとつのピースなのです。」と云ったところであろうか。即ち、世界劇場という考え方、或いは境地、それはそれで、周囲の人々が自由にその役割を演じることを認め、且つ許しながら、自分自身もこの世界をよりしなやかに生き抜き、成長(自己実現)することを可能にする哲学だと思うのである。

閑話休題、人生の目的を考える上で参考になりそうな文章を『バシャール』から引用してみよう。
『自分で出来る限りの個性を持った人間になったとき、無論他の人を犠牲にしてということではありませんが、自分の個性を百パーセント発揮したときに、全体とひとつになることができるのです。自分の持つ才能を百パーセント発揮するとき、創造のすべての部分がそこで満たされます。それによって、創造の他の部分に触れることが出来るのです。』(4巻、P22)
『みなさんは創造の一部です。ただ、違う所から見た「目」のひとつひとつなのです。全ての「目」は、本当は平等です。違う視点から見ているだけなのです。ですから、意識の進化とは「たくさんの目をもって見る」ということです。』(4巻、P46)
『みなさんの人生の目的や道、運命を表現する方法というのは、人生を歩む上でたくさんたくさん出てきます。けれども、みなさんの人生の一番基本的な目的は、可能な限り完全に本来のあなたになる、それだけです。』(第8巻、P102)
『みなさんが生まれてくるときには、その人生で探求したい全般的なテーマを選んできます。身近にかかわる人々、両親なども選んできます。生まれる時間も選んできます。そして、その生まれた時点の物理次元の周波数が肉体にインプリント(刷り込み)されて、ひとつのパーソナリティとなります。これは、みなさんが占星術と呼ぶコンセプトの根本的な考え方です。』(第8巻、P113)

つまり筆者は、人生の目的には少なくも二つの側面が有ると思っている。一つは、この三次元の空間と時間のなかで、因果律を通じて、良い想念を保持する(自分の波動を高める)ことを学ぶこと。二つ目は、バシャールの云うように、自分の個性を発揮する(或いは自分の才能を磨く)ことで、宇宙の創造に参加し、貢献すること。

然し、上記の二つの目的は、その人がどんな時代に生まれようとも、ある意味共通のテーマなのではないだろうか。それでは、我々が間もなく経験しようとしている2012年を迎えるにあたっての答えとして、必ずしも完全ではないと思う。バシャールの云う通り、我々はこの時代を選んでこの世に生まれてきたのである。何故我々はこの時期に生まれてきたのか、何故100年前ではなかったのか。

これまで、前世においては生まれては死に、死んでは生まれといった輪廻をおそらく100回以上は繰り返し、業(カルマ)を積んでは解消してきた(尤もバシャールは前世も同時に進行していると云うのだが)。ニーチェの云う「永劫回帰」では無いが、それでは我々は永遠にこの三次元世界への転生を繰り返すのであろうか?それに対する答えがアセンションだと筆者は思っている。仏教で云えば、解脱することと略(ほぼ)同義だと思う。アセンション、即ち次元上昇することで、次に生まれ変わるとき三次元世界からは卒業し、より高い次元の世界に生まれ変わることができるのである(或いは、このまま生きながら、次元上昇する地球を経験できるかも知れない)。そして今(2010年1月)から2012年に向かうここ2-3年は、人類がアセンションするにあたって、銀河の中心から最高のエネルギーを受け取る絶好のチャンスなのだ。即ち、多くの人が、アセンションに必要なエネルギーを、この時期、地球上で受け取る為に、この時代、この星を選んで生まれて来たのである。

尚、このブログは書き込みが出来ないように設定してあります。若し質問などがあれば、wyatt999@nifty.comに直接メールしてください。筆者が直接回答するか、或いはQ&Aの欄で、質問の内容共々回答させて頂くか検討致します。


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