アセンションへの道 PartⅠ その理論と技法

2012年には銀河の中心と太陽系そして地球が整列し時代の節目を迎えます。アセンションの理論と技法について考えます。

第7章 アセンションとは ⑤第三密度から第四密度へ

2010-02-05 22:33:18 | 第7章 アセンションとは
⑤ 第三密度から第四密度へ

坂本政道氏の『アセンションの鍵』(著作M)が、2009年12月3日に出版された。同氏は、アセンションとは第三密度(現在の人類の状態)から「第四密度」へ移行することだと主張しているのであるが、それがどのような状態であるかを、同書の29頁に列挙している(但し、同じ内容が同氏の以前の著作、『分裂する未来』に於いても言及されている)。大変僭越ではあるが、主要なポイントに於いて、筆者のこれまでの説明と表現の仕方は異なるものの、内容的にはかなり重なる部分があるので、両者を比較しながら説明したい。以下、・に続く「 」内が坂本氏の説明である。

・「自分が現実を創造していることに気付いている」:これは、筆者が第6章で説明した、‘投影された世界’の中で、『バシャール』から引用している以下の文章と重なるので、再掲する。「物理的な現実は鏡なのです。鏡というのは、その中に実際に何か確固たるものがあるわけではありません。常に皆さんのすがたを映し出しているにすぎません。物理的な現実もこれとまったく同じです。自分の外に何かがあるのではありません。すべてみなさんの中にあるのです。物理的な現実は、みなさんが真実だと信じているものの産物です。それ以上でも以下でもありません。・・・ときに、非常に強い力を持った観念は無意識の世界にあるので、みなさんはそれを持っているということさえ気づかないことがあります。では、そんなとき、どうすればそれを変えることができるでしょうか。物理的な現実というのは、まさにこのために、贈り物として存在しています。物理的な現実は、意識や無意識の中にある観念を映し出している鏡なのです。ですから、みなさんの意識や無意識の中に自分にとって真実ではない観念や、思考、感情があるときには、自分にとって好ましくない現実として、それを人生の中に映し出して見せてくれるのです。」

・「自分が‘一なるもの’とひとつであることに気付いている。」:筆者は、この内容を同じく第6章の、‘汎神論と色即是空’のなかで、谷口清超氏作の『正法眼蔵を読む』を引用して、次のように説明している。「実相に於いては、衆生の内も外も一切は仏性そのものである。まさに、仏性が悉有となって現れている。これが‘悉有仏性’だ。もうこのままですでに仏性そのものである。衆生は・・・本来仏性であるから実在者だ。単に主観的な存在であったり、現象的存在で根なし草のようなものではない。実態は仏であり乍ら、その姿は衆生なのである。仮にそう現れているのだ。そして、その心でもってみるから、一切の有、悉有がそこに悉有として現れるのである。即ち悉有(現象)の言は、悉有の心でもあり、悉有の主人公である。即ち衆生は悉有である。」
少し判り難いかも知れないが、衆生を人間に、悉有を自然(或いは宇宙)に、仏性を神に置き換えて読んでみて頂きたい。すると、自然とは神の現れであり、人間も神であり、自然(現象)とは人間が神の心で見ているものであるからそれも神であると言った趣旨になると思う。まさにスピノザの汎神論の要諦を数百年も前に道元禅師が書物に著していたのである。因みに、般若心経に出てくる有名な「色即是空」という言葉も、色(現象或いは宇宙)は空(神)である、との謂いであり、これも同じことを、言葉を換えて言っているものだと筆者は理解している。

・「常に喜びに満たされている。怒り、憎しみなどを体験しない」:前半の部分(常に喜びに満たされている)に就いて、筆者はこれまでこのブログでなんら説明いていないが、汎神論的な悟り(換言すれば、一切衆生悉有仏性、即ち自分自身を含め、全ての人も自然も一切が神の顕現であるとの悟り)に到達すれば、全てが有り難く、喜びに満たされた生活になることは間違い無いと思う。また、後半部分(怒り、憎しみなどを体験しない」)は第6章の‘世界劇場’での説明、及び本章の‘人生の目的’で説明した通り、全ての人々は悪人ですらその役割を演じている世界劇場の役者であるとして、自由にその役割を演じることを許し、且つ認める生き方から得られる境地に近いのではないかと思っている。

・「共時性(シンクロニシティ)が多い」:例えば、筆者はローランド・エメリッヒ監督が“2012”を撮影していることなど全く知らなかったが、筆者がこのブログを発表した僅か1ヶ月ほど後に、同監督の映画、“2012”に関する記事や予告編が、日本のマスコミでも取り上げられるようになったこと。又、殆ど映画館に足を運ばない筆者が“2012”を見に行くと、予告編で“アバター”のことを知り、まさに「投影された世界」をモチーフにした映画なので、更に又“アバター”を見に行くと、筆者が第3章の「人類の起源」で紹介したゼカリア・シッチンの唱えるアヌンナキの遺伝子操作による人類創生と略(ほぼ)重なる内容のストーリーであったこと。又、筆者が第6章で、輪廻転生や汎神論の説明をしようとしているところに、友人からシャーリー・マクレーンの『アウト・オン・ア・リム』を紹介され、このブログで紹介することが出来ただけでなく、筆者にとっても精神世界に関わる新しい発見が有ったことなど、筆者はまさにシンクロニシティだと思っている。
しかし、もっと卑近な例を挙げれば、インターネットで多くの人が繋がることによって、社会全体がシンクロニシティを経験するようになってきているとも云えるのでは無いだろうか。筆者は時々古い本を買うので、アマゾンやヤフー・オークションで検索することが多いのであるが、大抵誰かが古本を売りに出していてくれるので、捜す手間が省けて大変助かる。例えば、筆者は最近『ヒマラヤ聖者の生活探求、全5巻』の内、2巻をアマゾンで、2巻をヤフオクで買った。こうしたことは、今でこそインターネットのお蔭で当たり前になってしまったが、90年代中頃までであれば、おそらく週末にでも神保町の古本屋へ出かけて一日中捜し廻らなければとても入手出来なかったような本である。更に付け加えれば、筆者がこうして自分のアセンションに関する知識や見解をブログで発表する、それに対してアセンションに興味を持つ読者が、間もなくそれを読んでくださる。これも立派なシンクロニシティだと思っている。今、時間が加速されるのと同時に社会全体がシンクロニシティを経験している。これは、地球や人類の多くがアセンションを経験する兆侯なのかも知れない。

上記に加え、坂本氏は「第三密度的信念が無いこと」との項目を挙げ、第三密度的信念とは何かを同書の46頁以下で説明している。これらは或る意味、殆どが既に説明した第四密度の反対の考え方なので、詳述は避けるが、参考として箇条書きにしておく。
ア) 自分は肉体であるとの信念
イ) 自我(エゴ)、即ち自分と他者を切り離す考え方
ウ) 必要なものは十分に無いとの考え。これによって競争或いは戦争が起きる
エ) 欲(但し、生命を維持する為の基本的な欲求以外のネガティブな欲)
オ) 何事をなすのも苦労が伴う
カ) 自分は自分の現実を創造していない
キ) 自分は愛されていない
ク) 時間の束縛を超えられない

尚、このブログは書き込みが出来ないように設定してあります。若し質問などがあれば、wyatt999@nifty.comに直接メールしてください。筆者が直接回答するか、或いはQ&Aの欄で、質問の内容共々回答させて頂くか検討致します。


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