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音楽家 ヲノサトル のブログ

アフリカ音楽の想像力

2007年02月15日 | [特集] ダンス音楽 ブックレビュー
白石顕二
アフリカ音楽の想像力
勁草書房, 1993





音楽がなかったらダンスができない
ダンスがなければ音楽もできない
両者は離れられない関係なのだ
- ニッカ・ロンゴ(ザイコ・ランガ・ランガ楽団)


80年代末から90年代初頭「ワールド・ミュージック」なる言葉が流行した。それまで一部の愛好家のものだった土着の民族音楽とは違って、欧米(や日本)のリスナーにも聴きやすく「洗練」されたアジアやアフリカがらみの音楽。言ってみればディフュージョンされた「エスニック音楽」が、トレンドの最先端として消費された。

本書はまさにこのようなワールド・ミュージック出現の前後にアフリカを旅した著者による、最前線レポートである。

あまりに表層的であったワールド・ミュージック現象の功罪はともかく、現実問題そういったマーケットの力学を利用してのしあがらざるをえない現地ミュージシャンの実情や、とにかく切実に音楽を必要とする都市の若者たちの姿など、著者の視線はあくまで「現場」に即したものだ。

アジスアベバの音楽酒場で流しの歌手を聴く。ナイロビの掘っ立て小屋クラブで地元楽団を聴く。キンシャサのコンサートホールで衰退した名門バンドを聴く。ザンジバルでターアラブを聴く。タンザニアでアフロレゲエを聴く。聴く。聴く!

ワールド・ミュージックどころか「アフリカ音楽」と総称する事すらナンセンスなほど多種多様で極彩色の音楽体験の数々。

読んでいるこちらも、まるでロードムービーのような筆者の旅に同行して、路上で地元の若者たちに話しかけられたり、クラブの楽屋でミュージシャンに会ったりしている気分になってくる。

またダンスと音楽についても、こうした著者の「現場主義」から見えてくる発見は興味深い。とりわけ第2章。

「ダンスパートが絶頂にさしかかり、ボーカル・セクションとパーカッション隊が、持ち前の喉で熱く盛り上げていくなかを、突如としてバック・ミュージシャンの演奏がフェードアウトしていく [略] 今まで軽快なステップを分でいた観客も散り散りになってテーブルの方へと戻っていく。時間的な区切りがはっきりしない。また曲が始まるとフロアは思い思いのファッションで着飾った人で埋まる。この繰り返しが明け方まで続く」

といった様子で延々と続くザイール音楽の特徴を、これは要するに、一年中切れ目なく収穫を続ける熱帯雨林の自然と社会のリズムそのものなのだ、と捉える視点には説得力がある。

なにしろ「熱狂的なダンスが伴わなければ、ザイール音楽も空気の抜けた風船と同じ」なのだという。現地の音楽家が「ぼくらはダンスで育ち、ダンスで生き、ダンスで死ぬ」と言うほど、ザイール民族にとってのダンスはアイデンティティそのものなのだ。

また第6章では、アフリカにもブラジルのようなカーニバルがある、という話が紹介されている。旧ポルトガル領だった西アフリカのギニア・ビサウや南アフリカのアンゴラなどでは今も毎年、盛大なカーニバルが開かれているらしい。

たとえばビサウでは、リオのサンビスタのように艶やかで豪奢な衣装こそないが、行進にはまぎれもなくサンバ的なリズムが流れる。アンゴラの言葉で「サンバ」と言えば「他の人とのヘソとヘソのぶつかり」を意味するらしい。さらにはサンバを踊る行為を指す「バトゥケ」という言葉もあるという。これなどはバトゥカーダ(高速でポリリズムを刻むブラジル独特の打楽器合奏)の語源ではないだろうか?

このように「音楽」を探し求め彷徨する筆者が、しかし最後に出会うのは結局、西洋との歪んだ歴史が生んだアフリカの貧困や、それこそ悪い意味でのワールド・ミュージック的な文化帝国主義、つまりは西洋(や日本)との「格差」だったりする。

なにしろアフリカの多くの国では平均寿命が50歳以下なのだ。

都市人口の実に7割は15歳から25歳の若者たちだ。職を求めて地方から出てきた者、所在なく街路をぶらつき、一時しのぎの仕事についたり、一攫千金を夢見てうさんくさいビジネスに手を染める者…

「カネもなければ仕事もない彼らには、夢が必要だ。それを与えられるのは、アーチストとスポーツマンだけなんだよ」(マヌ・ディバンゴ)という状況は、本書の出版から15年近くたつ現在でも大きく変わってはいないのではないだろうか。



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