1952年 ジーン・ケリー&スタンリー・ドーネン監督
DVD "雨に唄えば"
多摩美術大学で「映像論」という講義を担当している。毎年1つのテーマを設定し、それに沿って映画を観ていく内容だ。
今年度のテーマは「映画は踊る ダンス!ダンス!ダンス!」
学校教育ではダンスが必修化され、風営法ではダンスが禁止されるという、不思議な「踊ってはいけない国、日本」。
最近なんだかキナ臭い動きが世の中に見られ始め、些細な事でも規制したり、個人の自由や権利を制限したいと考える人たちが、どうも目立つような気がする。そんな世の中を「ダンス」という、きわめて自由で個人的な身体運動を通して考え直してみるのも面白いのではないか。
というわけで、これから15回にわたって「ダンス映画」を講義していく。
その1本目は本作『雨に唄えば』。ハリウッド・ミュージカルの、いや映画の歴史に輝くこの名画から、ダンスを巡る映画の旅に出発だ。
なにしろ曲が良い、ダンスが良い、脚本が良い。
個人的にいちばん好きなのは、落ち込んでいる主人公(ジーン・ケリー)を慰めようと「何があってもショーを続けろ!客を笑わせろ!」と親友(ドナルド・オコーナー)がめちゃくちゃコミカルでアクロバティックなダンスを始める "Make them laugh" のシーン。
Make 'Em Laugh
また、芝居なら毒蜘蛛にでもキスできると豪語する主人公が、面と向かうと好きな女性に告白もできない…とつぶやき、舞台セットを用意して愛を告白する "You are my lucky star" のロマンティックな空気もたまらない。
そしてもちろん、タイトルロールの『雨に唄えば』。
Singing In The Rain
恋が成就して浮き立つような気分にある時の、あの多幸感を十二分に表現した雨の中のダンス。同時に、誰しも身体でおぼえているだろう、裸足で泥んこの水たまりに入ったり、わざと雨の中に飛び出していったりした、子どもの頃の記憶を蘇らせてくれる、名シーンだ。
全体の構成としても、ヒロインに逃げられることで始まったストーリーが、最後に劇場から逃げ出そうとするヒロインを、今度は逃がさずに済んでハッピーエンドとなる、作劇の上手さに唸らされる。
だが、初回講義に本作を持ってきたのは、映画界の言わばバックステージを描いた「映画についての映画」としても、じつに興味深い作品だからだ。
この映画は、声を持たなかった映画=movie(moving picture)が、声を持つトーキー=talkie(talking picture)へと変身をとげた過渡期に、映画人たちがどのように対応していったかを描いている。
最初にトーキーの試写を見せられた映画関係者たちは一様に笑い出し、こんなもの遊びだ、実験にすぎない、ウケるはずがない…と否定的なリアクションを見せる。これなど今でも、新しいテクノロジーやメディアが登場するたびに、あちこちで見受けられる光景ではないか。
テクノロジーの変化で、表現がどう変化していくか。という観点からは、フィルムからデジタルに激変している映画の世界を捉えたドキュメンタリー映画『サイド・バイ・サイド』にも通じる部分がある。
変化に対応できない旧世代は、舞台を去るほかない。この映画では、ヒロインをいじめる悪役の女優はとんでもない悪声という設定。彼女は"talk"できないがゆえに、"talkie"という新技術に対応できず、凋落していく。
その様子は勧善懲悪のストーリー上、あくまでも面白おかしく描かれているのだが、実際にこういった事態に直面した俳優たちの困難は、ただ事ではなかったはずだ。
ここで思い出すのは2011年のアカデミー作品賞受賞作品、『アーティスト』だ。この映画は、そういった「旧世代俳優」の側に焦点を当て、彼の味わう苦悩と、そこからの再生を描いていた。
歌とダンス、そして恋と友情の幸福感に満たされた『雨に唄えば』は、今日ではもう想定もできないほど楽天的でカラフルで夢のような映画だが、結末で観客に嘲笑される悪役女優の姿には、ちょっとホロ苦さを感じざるをえない、そんな作品でもある。
+ + +
ところで、浅学にも今回リサーチするまで知らなかったのですが、この映画のヒロインを演じるデビー・レイノルズってキャリー・「レイア姫」フィッシャーのお母さんなのですね。確かに笑顔とか、似てる!
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