wnao

wnao : Artist / Facilitator

4/4 trigger:wnao exhibition

2006-04-04 23:35:16 | trigger
本日は、皆様、ご来場ありがとうございました。

 今日は、午後7時少し前に妹とKさんが登場。妹は、私のことについては誰よりもよく知っているので適切な指摘がビシバシときました。
 Kさんはちょうど1年前ここで個展をされていたのでそのおかげで私は、こうして個展ができています。
 Kさんとは、不思議な縁があります。大昔に難波ブルーナイルでアートイベントとしてギャラリーとクラブを借りて、グループ展を行いました。それが、私が23,4の時なので、もう10年以上前になるでしょうか。そのあともKさんは個展などを開催していたのでその都度、お邪魔していました。
 私が仕事で東京に行ってしまったあとはそれほど連絡を取っていなかったのですが、東京都写真美術館で、メディア文化祭を観に行った際に、Kさんの作品が入賞しているのをみつけました。感心していると、遠くの方にKさんの姿がありました。なんの約束もしていなかったのですが、東京で再会しました。その時は、生まれたばかりのお子さんと奥さんを連れて3人で東京に来ていたのでした。奥さんに、あまりにも自然に挨拶を交わしている私たちを見て「待ち合わせしてたと思った」と言われました。
 そのあと、また関西に戻って来た最初の年に、八坂神社の前でばったりでくわしました。それも横断歩道で信号が変わるのを待っている間に、何気なく、ベビーカーに乗っている赤ちゃんを見て、「なんとなく見覚えのある赤ちゃんだけど?」と思いながら何となく、そばの親の顔を見たら、Kさん夫妻でした。「おお!!こんなところで」とまたお互いにびっくりしました。
 Kさんとは何かの巡り合わせがあるようで、いきなりいろいろなところで出会うことがあります。今後も、なにかと縁のありそうなKさんです。


今日の発見

 携帯電話で風景を撮ると、それは非常に「メモ」的な使い方をしている時がある。通常の写真を撮る時は、なにかその撮る対象になにか意味がある(記念写真や人物を撮るためなど)。けれども、携帯電話のカメラで何かを撮る時はその取る対象そのものにあまり意味や情報を込めず、ただ、そこにある対象をそのまま「メモ」することが簡単にできる。

 無意識のうちに多くのひとがそうしていると思います。

 たとえば、バスの時刻表などは、以前であれば、紙に書いてメモする必要があったけれども、携帯電話のカメラであれば、簡単に撮ることができる。携帯電話の中にいつでも持ち運べる状態にすぐにできる。紙に書くような手間もなく、一瞬のうちに「メモ」できる。「メモ」は、ある特定の一部を局所的に記録していることが多く、その「メモ」は、その「メモ」をした当事者以外には意味が発生しないことも多い。

 今日来ていただいたKさんに「ツイン・ピークス」でカイル・マクラクランが、ボイスメモを取るシーンが何度も登場することを例として教えてくれました。

 そのボイスメモを取る行為によって、観ている者は、その人物の考えを自然と聞くことができる。本来であれば、心の中の声のはずだけれども、それを本人がしゃべっている姿を通して聞くことができる。

 この個展もそうした「メモ」を見せられているような感じかなと、Kさんは言ってくれました。

 ひとつひとつは「メモ」としてただそこに存在した「像」にすぎない。ただ「像」を見せているに過ぎず、今までの写真や映画の機能のように、何か、意味や情報を内包させているわけではない。それを可能したのは携帯電話のカメラという身構えなくても撮ることのできる装置を使っているからだろうという話になった。
 また、すべてが身近にあり、また、安価になっており、現在だからこそ、こうした方法が成り立つのだと思う。

作品の制作方法

 作品は、携帯電話Docomo P900iVですべて撮影している。それをminiSDカードに保存している。そのminiSDカードをコンビニのセブンイレブンのカラーコピー機のメモリーリーダーを通してL判でプリントする。それをさらにある一定の倍率でまずはA4用紙にカラーコピーする。それをさらにA3用紙にカラーコピーする。そこからさらにポスター機能を利用してA3用紙16枚組の作品を制作した。
 コンビニと携帯電話という組み合わせで初めて成り立つのであり、大きなコピーセンターや出力センターでは、そうしたことをしようとは思わないだろう。
 何気ないものの組み合わせが今回の個展を成立させている大きな要因であることも間違いないだろう。
 また、こうした身近なものを使っているということは、極端に言えば、誰でもできることでもある。でも、わざわざそんなこと(携帯電話で撮った画像を拡大コピーする)をするひとはいないだろうというのが観た人の感想だった。
 以前であれば、写真を現像するという行為は、特別な設備や場所、時間、薬品、技術といった条件が揃わなければ無理であった。しかし、そうしたことは、携帯電話で撮る場合には必要としない。携帯電話で撮られた画像はプリントどころか、簡単に削除してしまうことができる。携帯電話の画面以外で、観ることなく、そのまま消えていく画像の数はとてつもない数だろう。それに何か意味が発生したり、情報を記録しているわけではないだろう。けれども、その画像は、なにかしらの切っ掛けにより、撮られている。

 これらの事が何を意味しているかは、自分の中で、まだまだ答えが出てない状態です。

by wnao