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Withjjj(詩と韓国と真理とじゅんと)

聖書と共に育ち、孤独に沈み、世を憂い、書に親しみ、哲学に耽り、詩を愛し、人を好き、愛を求め、真理を知り自由を得ん

堕胎

2011年12月06日 | ■罪と死と痛みと悲しみと

人を生かすために先端技術と多くの労苦とお金、、、
涙が払われているのに
もう一つの手では毎日命を奪うのだろうか

成人には自由に生きる選択権があり
みどりごや嬰児には生きる権利がないのだろうか

法は盗みを裁けても
超えた非道には無力なのだろうか

人は愛を叫びつつ
暗い矛盾に目を伏せなければならないのだろうか

感覚は麻痺し
快楽だけが優先されるのだろうか

いろんなケースがある
どうしようもない事情があったんだと人はいうだろう

でも世界に厳然と存在する
この一事だけを見ても

ぼくの心は壊れそうで
楽しい会話の渦中でも
深い悲しみが心の底に流れ続ける

きっと必要なのは、、、
罪悪感に苦しむ人への創造主からの赦しの宣言と
こんな悲しみをこれ以上だれも負わないための
魂の叫びと
もがきだと...
No more!!


食べもの

2011年10月14日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
食料は全世界の人が食べられるだけあるのに
貧しい国の人々がそれを買えないで飢え死にしていくのは

投機家が値をつり上げているからだと言われています。

それなら、食料に対する投機行為を
今すぐ国際法で禁止すべきではないでしょうか。

日本はその提案を出来る国だと思います。
それはイタミを知ったからです。

イタワリの心

2011年04月05日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
人は強いときには多く争い
弱いときにイタワリあえるのだなと
今回改めて思う

むしろ僕が健康であった時よりも
病床で過ごした年月のほうが
兄弟や家族のやさしさを感じたように

強がっていたときに喧嘩ばかりしていた
僕たちが
病床の上で涙し合えたように

国々が和解し合えるのも
一致して協力して明日に向合えるのも
弱さがあらわになる時ならば
何も虚勢をはらなくたって
他国を仮想敵国に見なさなくたって
そんなに警戒ばかりしなくたって良いのだろう

ある国が自国の常識に合わないような
振る舞いをしているように見えるのは
その国に僕たちの知らない事情がある故だから

遠い異国と良い関係を保つよりも
すぐ隣の隣国を信頼することの方がどの国にとっても
難しいことなら
多くの犠牲者の上にあらわれたイタワリの心を
大切に育てるべきなんだろう

それは心無い一言や
意地やプライドや虚言によって
簡単にまた踏み潰されてしまうものだから

イタミを知った僕たちは
また他の国々のイタミをも感じられるだろうか
そしておたがいが一つの存在のようにイタワリあえるのだろうか
あなたが自分のためだけに涙するのでなく
他国の人々があなたのために涙し
僕たちが他国の人々のために涙を流せるなら

そんな未来を作ることが残された僕たちの使命であれ
それだけが多くの犠牲者の鎮魂であれ

天にましますわれらの父よ
全ての人に平和と日用の糧がありますように

ニュース

2007年06月16日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
四角い魔法の箱は
次々と新しい事を言うものだから
先の前に聴いた事などを
思い出せなくなってしまう
でも決して軽い内容などではなく
一生かかって取り組んでも
手に余るようなことばかりだ

憐憫の念と驚愕の衝撃も
煽られてはリセットされるので
僕達の小さな心は
一杯なのか空っぽなのか分からないような
グレー色に塗りつぶされてしまう
正しい事も偽善のように映り
性(さが)は流行ごととされる

人を肯定するのは素敵だけれど
それだけではいかにも危なかしい
人の中に起こる感動と隣人愛の心は
萌芽したばかりの芽のようで
嵐やら毒薬にやられなくても
水がなければ枯れてしまう
コップで運ばれる一杯は
ひと時ひとを生かすとしても
やはりなんとも心もとない

結局は分からない事だらけだけれど
がむしゃらにでも進むしかない
目の前に燈っている 小さなともし火が
消え去る毎に自分も傷つき
その分絶望に進むだろうから

それでも僕は希望を捨てない
日々起きる事象の根が同じものだとしたならば
回復もまた有り得るのだろう
その時はある人だけが笑うのではなくて全ての人が笑えるだろう

君は今どこにいるの

2006年03月31日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
ガラスはさキラキラと綺麗だけれど
やっぱり割れやすいね
大切に大切に扱ったつもりだけれど
結構傷つけちゃったよね

自分の心の内側を
誰にも見せないって決めたんだ
だってとてもとても柔らかいから
いとも簡単に傷つくし
放っておいたらこわばっちゃうし

それでも結構多くの部分を見せてきたし
仲良くなろうと努力もしたよ
でもね
変わる季節の流れの中で
留まることは難しいね

冷めた笑顔はたくさんだし
顔文字のメールもいらないよ
心はぶつからないとスパークしないし
自然と分かり合えるものでもない
破れるのは仕方なくても
ミシンがあれば縫えるはずだよ
話してみれば分かるものだよ
時間は少しかかるけれど

どうすればいいの
何を望むの
雲の中まで行ったって
それを掴むことは出来ないよ
でも君が望むなら
割れたガラスでも握りしめるよ

些細な言葉

2006年02月25日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
些細な言葉が気になると言う
私もやはり同じだと思う
たったの一言を笑い過ごせない自分がいた
朝になってもいの一番に思い出された
不思議だった
小さな自尊心が痛がっていた
怒りと苛立ち等も頭をもたげる
過去にも同様に言われたな
複雑という意の和製英語は
あまり良い響きではないけれど
皆の中にいて
お互いを傷つける
一番弱いその箇所をピンポイントにヒットする
なんとかその呪縛から逃れようと
根源的なものに重きを置くのだけれど
些細な一言に崩される
その中でバランスを保ち続けられれば
年を重ね堅固になり
後の日には老熟するかな
感じやすい十代の心を
しなやかな筋肉で覆ってさ
年相応の筋を入れれば
素敵な自分に近づけるかな

残留孤児の養父母達に敬意を込めて

2006年02月06日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
がんばって生きてきて
年老われた方々に
ちょっとの優しさと
感謝の気持ちを向けたいです
激動の時代を生き抜きながら
哀れみの心を閉ざさなかった方々
今は動くのすらやっとで
援助を受けながら申し訳なさそうに
なんとかかんとか生きていられますね
極度の貧しさの中にありながら
他国の子を育て上げた方々に
わずかなわずかな
恩返しが出来ないかな
現実は全ての人にのしかかって
余裕がないのも分かるし
闇が日常茶飯事なのも分かるけど
一晩の飲み代をそれに充て
一着のおしゃれをそれに換えて
心満たされ心を飾ろう
センセーショナルに報道し
後は知らぬじゃアンバランスだし
命に直結することだから
ほっとくことはできないよ
僕の心はまた泣き出した
なんとかしてよなんとかしようよ

ワールド・ビジョン・ジャパン

2005年11月30日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
1500人の世界の子どもたちに、希望を、クリスマスまでに届けよう!
ワールド・ビジョン・ジャパンでは、貧困に苦しむ一人でも多くの子どもたちに希望を届けるため、支援を拡大します。そこで、11月1日~12月26日の約2ヶ月間で、1500人のチャイルドのスポンサーを大募集しています。

開発途上国の貧しい地域の子どもと交流を持ちながら、その子と家族、地域の自立を月々4500円で継続的に支援するチャイルド・スポンサーシップ。一人の子どものスポンサーになることを通して、その地域全体に希望を届けることができます。

http://www.worldvision.jp/

マルコの福音書14:7貧しい人たちは、いつもあなたがたといっしょにいます。それで、あなたがたがしたいときは、いつでも彼らに良いことをしてやれます。

アフリカの少年兵

2005年07月25日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
悲しみは悲しみを生み
憎しみは連鎖する
幼い子がさらわれて
薬漬けにされ
兵隊にされる
忠誠の証として
親殺しを命じられる事もある
人類の悲しい歴史の中でも
最たる悲劇ではないか
貧困とイデオロギーの
しわ寄せが
一番の弱者を直撃する
私達に出来ることはなにか
関心を持ち省みること
小さな優しさが
小さな命を救いえる

犠牲の血

2005年06月14日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
そうだったのか

なぜあれほど血なまぐさい戦国時代に
熱心な宗教心が共存しえたのか
不思議だった
武将の母は尼であったり
名を上げた戦人でさえ
若くして仏閣に入る
あまつさえ僧兵という言葉さえあるのだ
お坊様が戦う?
しかもその戦力は相当なもの
学生時代に日本史を習いながら
なんとも不可解だった

しかしわかる
連日血を見るが故に
連日生死の境を歩んでいるが故に
そのあまたの血が人をして
宗教心を持つに至らせるということを
命とは何かを考えさせるといことを
自分の息子よりも若い血は
時としてその最も荒らぶる武将の
心の良心を呼び覚ますのだ
プライド、意地、敵意や殺意
怖れや怒りに振り回されて
殺戮を繰返す孤独な
バーサーカーの心に
神仏を畏れる想いを
グサッと突きつけるのだ

逆に血を見なくなった
私達は
命の重みを見失い
大切な宗教心を失ってしまった
物質の満ち溢れる
ヨーロッパは
キリスト教のダイナミックな
命の本流を枯らしてしまい
日本においても
神仏は省みられなくなった

それでは
争い血を流せと言うのか
無論ノーだ
歴史を振り返り悟れないだろうか
無数の痛む人を見て心痛まぬだろうか
大空を仰ぎ見て人の小さきを知り
宇宙に想いを馳せて創造主を仰がん
感謝が溢れて賛美が口をつく
流されてきた血が濁流のように
今日の私に迫ってきた

パソコンの前に座っている人へ

2005年05月26日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
結局ね
僕らは知っても知らずとも
他人の命と苦しみの上に
安穏とあぐらをかいて
生きているんだ
あるいは
過去の犠牲と
熱情の利息を
食い潰しているといったところか
自分のちょっとした痛みに
上や下への大騒ぎをするが
死すべき定めの人達へ
微塵も感心を寄せないじゃないか

結局ね
人は愛し愛されることにのみ
幸せを得るのだけれども
自分の好きな人だけでなく
全ての人にその愛を向けてみて
でなければ本当の愛は分からないはずだよ
それが無理なら
せめて
酷く弱っている人にだけでも
愛せないなら
同情でもかまわないから
どうかお願い
みながちょっとづつそうすれば
軽やかな世界の裏側が
どす黒い闇から
灰色ぐらいにはなるんじゃないかな

忍耐が練られた品性を生み出し、練られた品性が希望を生み出す ローマ人5:4

2005年05月09日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
苦しいのは分かる
でもそれを
いびつな愛で慰めてみても
結局傷ついてしまうよ

悲しいのは分かる
だからむしろ
暗澹とした孤独の中に
その身を留めて置きなさい
無価値な自分と向き合い
むなしい時の中で思索して
みれば
きっと真に純真なものが残る
それはあなただけでなく
多くの人を慰め
あまたの傷を癒すだろう

苦しいのは分かる
僕もとても悲しいよ
でもね
いびつな愛で慰められても
結局傷ついてしまうんだ

ちょっと抽象的かな

2005年04月15日 | ■罪と死と痛みと悲しみと

真面目に生きようとする人の中にも
どろどろとした闇はあるし
どんな悪者にも
純粋な一面がある
「泥棒にも三分の理」
という言葉もあるし
どんな宗教家も
聖人もいつ
闇に飲み込まれるかわからない

結局は
自分の闇を見据えつつ

善を是とする人が
強い人ではないかと思う
弱さを認めつつ
なお前進せんとする者
明日失敗する可能性を認めつつ
今努力する方

そして
人に頼ることを恥とせず
何もできなくても絶望せず
感謝し
生きていることに感謝する
絶望の中に希望を
腐敗の中に公義を
闇の中に光を