Withjjj(詩と韓国と真理とじゅんと)

聖書と共に育ち、孤独に沈み、世を憂い、書に親しみ、哲学に耽り、詩を愛し、人を好き、愛を求め、真理を知り自由を得ん

英知と謙遜

2012年04月23日 | ■思うことなど

素直に聞いてそのまま学び、家を建て、果たしてそうかどうか調べ、何か違うようなら家を壊せ
全ての人から学び、建てて壊し建てて壊せ!!
そして遥かな次元の事を自分の心と魂の内でイメージし確信を持てるようになれ
そしてその確信すらもいつでも柔軟に再考する英知と謙遜をもて


宮沢賢治「雨にも負けず・・・」の実在のモデル

2012年04月15日 | ■聖書・信仰・キリスト教

「雨にも負けず、風にも負けず、

雪にも夏の暑さにも負けぬ丈夫な体を持ち、

決して怒らず、いつも静かに笑っている。

一日に玄米四合と味噌と少しの野菜を食べ

あらゆることを自分を勘定に入れずに、よく見聞きし分かり、

そして怒らず 野原の松の林の陰の小さな藁ぶきの小屋にいて、

東に病気の子どもあれば、行って看病してやり、

西に疲れた母あれば、行ってその稲の束を負い、

南に死にそうな人あれば、行ってこわがらなくてもいいと言い、

北に喧嘩や訴訟があれば、つまらないからやめろと言い、

日照りのときは涙を流し、寒さの夏はおろおろ歩き、

みんなにでくのぼうと呼ばれ、褒められもせず、

苦にもされず そういう者に私はなりたい」


この詩の最後に書かれている そういう者に実在のモデルが居たことを、ご存知でしたか?
その人の名は斎藤宗次郎といいます。

宗次郎は1877年岩手県花巻市でお寺の子供に生まれました。
彼は小学校の教師になり、ふとしたきっかけで、聖書を読むようになりました。

そして1900年冬洗礼を受け、花巻市ではじめてのクリスチャンになりました。

この時代、キリスト教がまだ「耶蘇教」(やそ)となどと呼ばれ
人々から迫害を受けていた頃でしたので、クリスチャンになった日から親から勘当されました。
町を歩いていると「やそ」「ヤソ」とあざけられ、何度も石を投げられたそうです。

彼はいわれのない中傷を何度も受け、ついには小学校の教師を辞めるはめになります。
また、宗次郎の長女はある日「ヤソの子供」と言われ腹を蹴られ、
腹膜炎を起こし、数日後9歳という若さで天国に行きました。
それでも、彼は信仰を捨てずに、そこに生き続けたのです。

教師を辞めることになった彼は朝の三時から新聞配達をして生活をするようになりました。
重労働の中、肺結核を患い何度か血を吐きながら、それでも毎朝三時に起きて、夜遅くまで働き、聖書を読み、祈ってから寝るという生活を続けました。

不思議な事に、このような激しい生活が二十年も続いたにもかかわらず、彼の体は支えられていました。

また、あのように自分の娘を失ったのにかかわらず、冬に雪が積もると、彼は小学校への通路を雪かきをして道を作りました。
彼は雨の日も、風の日も雪の日も休む事なく、地域の人々のために働き続けました。
また、新聞配達の帰りには、病人を見舞い、励まし、慰めました。
彼の生き方は、第一にイエス、第二に周りの人々、最後に自分という優先順位をつけていたのです。

やがて彼は、東京に引越しする事になりました。
その彼を見送るために迫害していたはずの町長や、学校の先生や、たくさんの生徒、また、町中の人々が集まりました。
人々は宗次郎がいつもしていた事を見て、感謝をしにやってきたのでした。 

その中人々の中に宮沢賢治もいて「雨ニモマケズ、風ニモマケズ」の詩をつくったのでした。

http://homepage3.nifty.com/outsuchrist-g-church/newpage33.htmより引用


異なるエパ枡、落穂拾い(レビ記19)

2012年04月13日 | ■聖書・信仰・キリスト教

異なるエパ枡、落穂拾い(レビ記19)

レビ記の主題を覚えていますか?
レビ19:2「イスラエル人の全会衆に告げて言え。あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。

神様は私たちに神様と同じような心を持って欲しいと願っているのです!!

しかし実際は、、、多くの人は神様の心と反対の事をしています、、、

たとえばこんな戒めがあります、、、、
レビ19:13あなたの隣人をしいたげてはならない。かすめてはならない。日雇人の賃金を朝まで、あなたのもとにとどめていてはならない。14あなたは耳の聞こえない者を侮ってはならない。目の見えない者の前につまずく物を置いてはならない。あなたの神を恐れなさい。わたしは主である。

なぜこのような戒めが必要なのでしょうか?

→多くの人が、弱者をしいたげ、自分は沢山持っていたとしても支払うべき賃金を遅らせ、能力のない人を下に見るからです!!

将来みなさんがどんな事をするにしても、弱者をしいたげてはなりません!!これは神様の心と完全に反対の事だからです。

又、私たちは誰に対しても公平でなければいけません。神様は公平でないことを嫌われます。

レビ19:35あなたがたはさばきにおいても、ものさしにおいても、はかりにおいても、分量においても、不正をしてはならない。
36正しいてんびん、正しい重り石、正しいエパ、正しいヒンを使わなければならない。わたしは、あなたがたをエジプトの地から連れ出した、あなたがたの神、主である。

エパ枡というのは、当時麦などの物を売るときの単位だったのですが、サイズの異なる枡を使うとどういう事が出来ると思いますか?
→人から麦などを買うときには、大きな枡を使い、売るときは小さな枡を使えば利益を大きく確保することが出来ます。
→又、無知な貧しい人や目の見えない人に穀物を売るときには小さな枡を使い、同じ値段で少ししか与えないということも出来るでしょう。

それが主の嫌われることです。しかし今の時代、、、多くの人が異なったエパ枡を当然のように使っています。

例えば、NYでは最低賃金とういのがあります。
→大体時給7ドルくらいです。

また子供を働かせてはならないという法律もあります。

しかしナイキやアップルなどの大きな会社は貧しい国の人を、搾取工場で働かせています。工場によっては一時間20セントで劣悪な環境の中、働かせたりします。そして安く製品を作り、利益を多く確保しているのです。

ある工場では、休みもろくになく毎日12時間以上、7日間働かせられていると言います!!
しかも、子供たちも働かせられている工場もあるのです!!

これこそ今の時代の異なるエパ枡でしょう!! 7ドルと、20セント、、、何倍ですか?
→35倍です!!

国内では同じエパ枡を使っているような会社が、海外では異なるエパ枡を使っているのです。
神様はそれを嫌われます。神様はそれを罪だといわれるのです!!

ゼカリヤ書5:6 私が、「それは何ですか。」と尋ねると、彼は言った。「これは、出て行くエパ枡だ。」そして言った。「これは、全地にある彼らの罪だ。」

ちなみに、ウォルマート社CEOの報酬総額は3500万ドルで、時給換算では1万6,836ドルだそうです。
多少、各自の努力や能力によって労働の対価に差が出ることはあるでしょうが、少し行き過ぎではないでしょうか。

それでは公平にしていればそれで十分かと言えば、そうではありません。神の子達が公平に歩むのは当然の事なのです!!それプラス、弱者に対してあわれみの心を持つものとなって欲しいと神様は願っています。

レビ19:9あなたがたの土地の収穫を刈り入れるときは、畑の隅々まで刈ってはならない。あなたの収穫の落ち穂を集めてはならない。
10またあなたのぶどう畑の実を取り尽くしてはならない。あなたのぶどう畑の落ちた実を集めてはならない。貧しい者と在留異国人のために、それらを残しておかなければならない。わたしはあなたがたの神、主である。

昔貧しい人たちは畑も種も持っていませんでした。特に、戦争などで親を失った孤児や未亡人は、毎日食べるものを入手する術が全くありませんでした。唯一の方法は、他の人の畑に行って、落ちている麦などを拾うことでした。

これを「落穂拾い」と言います。
1857年にフランスの画家ジャン=フランソワ・ミレーによって描かれた油彩作品が有名ですね。

もしも畑の主人が全ての実を収穫してしまったら、貧しい人たちは食べるものがなかったのです!!

ルツ記を見るとボアズという人は、特にこの哀れみの心の強い人でした、、、

ルツ記2:15彼女が落ち穂を拾い集めようとして立ち上がると、ボアズは若者たちに命じて言った。「あの女には束の間でも穂を拾い集めさせなさい。あの女に恥ずかしい思いをさせてはならない。ルツ記 2 16それだけでなく、あの女のために、束からわざと穂を抜き落としておいて、拾い集めさせなさい。あの女をしかってはいけない。」

なんと、わざと麦を落としておくように命じました。これがあわれみの心なのです!!
ちなみに有名なダビデ王はこのボアズのひ孫にあたります。

弱者を虐げるな、公平になれという法律はあっても、他者をあわれめという法やルールはありません!!一年に最低30ドルは寄付をしなければならないという法律もないのです!!

つまり、だれも人々にそれを強制することは出来ないのです!!ただ私たちは神様が私たちを、先に哀れんで下さり、ご自身の一人子イエスキリストを与えて下さったことを知り、あわれみの心を持とうと努めるのです。

ルカの福音書6:36あなたがたの天の父があわれみ深いように、あなたがたも、あわれみ深くしなさい。

そして、最終的に願っておられるのは、これです。
18 。。。あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。わたしは主である。

もしかしたら皆さんは、人をしいたげず、公平なエパ枡を使い、寄付もし、今までの三つのポイントでは、神様の前に合格点をもらえるかもしれません。

しかし”あなたの隣人をあなた自身のように愛しなさい。”というのは非常に難しいことです。
何故でしょうか?

愛するためには自分がしたいことを時に、がまんしなければならず、時には自分が他の人の為に痛いめにあい、労苦をしなければならないからです。もし皆さんが、楽しいこと、楽な事だけを追求するとしたら絶対に他者の為に自分を犠牲することは出来ません。

今すぐ皆さんが神様の心と完全に同じ心を持つことが出来ないとしても、それに向かって少しずつ成長する皆さんであるように期待します。

右に行くほど神様に近い心になるのですが、皆さんの心はいまどこにあるでしょうか?
弱者を虐げる人→公平な人→あわれみ深い人→隣人を自分自身のように愛する人

すくなくとも、異なるエパ枡を使わない者となりましょう。誰に対しても公平な者となりましょう。人をしいたげる者とならずに、人から無視されるような人の友となるようにしましょう。

わざと麦を落としたボアズのようにあわれみ深いものとなりましょう。
あわれみの心、他者を愛する心を神様によって与えられるように祈りましょう。

最後にイエスのこの言葉を引用したいと思います
ヨハネの福音書13:34あなたがたに新しい戒めを与えましょう。あなたがたは互いに愛し合いなさい。わたしがあなたがたを愛したように、そのように、あなたがたも互いに愛し合いなさい。


イエスの墓

2012年04月09日 | ■聖書・信仰・キリスト教

イースターが終わりましたね。NYでは各教会ではイエスの復活を祝って、様々なイベントが行われました。

イエスの墓が空になってしまった事に関して護衛していた、ローマ兵は弟子たちに盗まれたと流布したのですが、もと漁師で、イエスが捕らえられた時には、ちりぢりに逃げていった弟子たちが屈強なローマの護衛兵から体を盗めたでしょうか?

とうのが今回のイースターメッセージでした。