私たちの周りには、イエスについて誤解している人がとても沢山います。彼を正確に知ることは全ての人にとても重要です!!
彼はいつ頃この地に生まれたでしょうか?
⇒彼は2000年前にこの地球に生まれたということは、クリスチャンでない人でも知っている歴史的な事実ですが、彼はそれ以前から存在している方なのです!!
この箇所を読んでみましょう。
ヨハネの福音書8:58イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。アブラハムが生まれる前から、わたしはいるのです。」
アブラハムはイエスの2千年前くらいの人ですから、それではイエス様は大体5千年くらいまえに存在しはじめたということでしょうか?
⇒それよりも前、永遠のはじめからおられたのがイエスです!!
ヨハネ1:1初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
2この方は、初めに神とともにおられた。
ちょっとわかりずらいですが、このことばとはイエス様の事を意味しています。そして彼ははじめから、神と共におられた方だと書いてあります。
それでは世界を創られたのは誰でしょうか?
ヨハネ1:3すべてのものは、この方によって造られた。造られたもので、この方によらずにできたものは一つもない。
ヘブル人への手紙1:2
この終わりの時には、御子によって、私たちに語られました。神は、御子を万物の相続者とし、また御子によって世界を造られました。
全宇宙を創られたのはイエスであり、神はイエスを通して世界を造られたとあります。
世のはじめからおられ界を創られた方という事は、イエスは神ご自身なのです。
ヨハネ1:1初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
このようにイエスは100%神ですが、100%人として来られました!!
彼は誰により生まれましたか?
⇒マリヤにより普通の人として生まれました。
Mat1:21 マリヤは男の子を産みます。その名をイエスとつけなさい。この方こそ、ご自分の民をその罪から救ってくださる方です。」
そして彼は人としての弱さを全て身にまとって来られた方
Heb4:14~15
さて、私たちのためには、もろもろの天を通られた偉大な大祭司である神の子イエスがおられるのですから、私たちの信仰の告白を堅く保とうではありませんか。
私たちの大祭司は、私たちの弱さに同情できない方ではありません。罪は犯されませんでしたが、すべての点で、私たちと同じように、試みに会われたのです。
つまり彼もお腹がすき、疲れ、眠気と戦われた方なのです。
神である方が、人となってこの地に来られた、、、それも又、多くの人々がイエスを理解できない理由です。しかし聖書ははっきりとこのように宣言しています。
Matt1:23 「見よ、処女がみごもっている。そして男の子を産む。その名はインマヌエルと呼ばれる。」(訳すと、神は私たちとともにおられる、という意味である。)
John1
1初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
14ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。父のみもとから来られたひとり子としての栄光である。この方は恵みとまことに満ちておられた。
それでは、父が神であり、子なるイエスも神であるなら、神は二人になるのでしょうか?
これこそが、イスラム教の人もユダヤ教の人もその他の宗教の人も、その他多くのグループがイエスを神として受け入れられない最大の理由です!!
しかし実際は、神は二人ではなく唯一なる方であり、唯一なる神様が父と子の位階(人格)を持って存在しているのです!!
神が唯一であるということを確認してみましょう!!
DEU6:4 聞きなさい。イスラエル。主は私たちの神。主はただひとりである。
はっきりと、神が唯一だと書かれています!!
イエスと父が別々のキャラクターである事を確認してみましょう!!
MATT26:39 それから、イエスは少し進んで行って、ひれ伏して祈って言われた。「わが父よ。できますならば、この杯をわたしから過ぎ去らせてください。しかし、わたしの願うようにではなく、あなたのみこころのように、なさってください。」
イエスが十字架につく前夜、苦しみの盃を取り去って下さいと父なる神に祈っています。それがイエスの願いだったのです。しかしイエスは父が別の思いを持っていることを知っていたので、父の願いを優先して下さいと祈ったのです!!
今は何の期間か覚えていますか?
⇒40日間のレント期間(受難節)ですね。
特にレントの中でも今週は最後の一週間であり、受難週Passion Week (also known as Holy Week)と呼ばれています。
人格が別々とはいえ、イエスの心は、常に父と一致していました。
そのイエス様が一見、父の心と反対の事を祈らざるを得なかったほどに、十字架の苦しみは大きかったのです。
今までのレント期間を、なんの気なしに過ごしてきたとしたら、最後の一週間くらいは、イエスの十字架の苦しみに思いを馳せ、それだけ神が貴方を愛して下さっているということを胸に刻む時としましょう。
とにかく、もしも子も父も同じ人格だとしたら、このイエスの必死の祈りは、一人芝居というこことになってしまいます。
つまり私たちが正確に知性で理解出来ても出来なくても、聖書は、神は唯一であり、父と子が別々の位階(人格)(persona)を持っていると教えているのです。
ところで神様はは死ぬ事が出来ると思いますか?
⇒神は死ぬことが不可能なお方です。しかし神は人類の罪の贖いの為には尊い罪のない血が必要であることがわかっていました。そこで神は御子を死ぬことの出来る人としてこの地に送られたのです。
つまりイエスはじめからご自身が、人類の罪の為に死ぬということを覚悟しておられたのです。彼は自分の近い将来の事をご自身で証言しておられました。
マタイの福音書20:18「さあ、これから、わたしたちはエルサレムに向かって行きます。人の子は、祭司長、律法学者たちに引き渡されるのです。彼らは人の子を死刑に定めます。
ところで、彼は十字架で死なれただけでなく復活されました。使徒達がその事をはっきりと証言しています。
使徒の働き 2 24 しかし神は、この方を死の苦しみから解き放って、よみがえらせました。この方が死につながれていることなど、ありえないからです。
使徒の働き 2 32 神はこのイエスをよみがえらせました。私たちはみな、そのことの証人です。
そして彼は復活後、四十日間この地に留まり、その後昇天されました。
使徒の働き1:3イエスは苦しみを受けた後、四十日の間、彼らに現われて、神の国のことを語り、数多くの確かな証拠をもって、ご自分が生きていることを使徒たちに示された。
使徒の働き1:9こう言ってから、イエスは彼らが見ている間に上げられ、雲に包まれて、見えなくなられた。
使徒達は、イエスが死ぬときには怖くて逃げて隠れていたのです!!もしもイエスがよみがえっていなかったのなら、どうして弟子たちが、命を賭してこの事を人々に伝えることが出来たでしょうか?イエスは復活されたのです。
そして彼は、世の終わりにもう一度こられます、イエスが昇天した時に天使たちがこういっています、、、
使徒の働き 1 10 イエスが上って行かれるとき、弟子たちは天を見つめていた。すると、見よ、白い衣を着た人がふたり、彼らのそばに立っていた。
使徒の働き 1 11 そして、こう言った。「ガリラヤの人たち。なぜ天を見上げて立っているのですか。あなたがたを離れて天に上げられたこのイエスは、天に上って行かれるのをあなたがたが見たときと同じ有様で、またおいでになります。」
イエスはどんな方か分かりましたか?
⇒彼は、はじめからおられたかたであり、万物を創造したかたであり、神ご自身です。
私たちの罪を解決するために、この地に2000年前に人としてこられ、
十字架で死なれ、墓に葬られ、復活し、40日間弟子たちに現れ、昇天され、再び来られるお方です。
これは私の考えではなくて、聖書の主張するところであり、これら全てを信じるのがクリスチャンの信仰です!!
過ちの信仰を持ったグループは必ず、聖書がイエスに対して教えている事の何かを否定します。イエスの神聖を否定したり、人性を無視したり、父と子が別々の位階を持っていることを否定したり、創造主であることを否定したり、十字架の死を否定したり、復活を否定したり、昇天を否定したり、再臨を否定します。
なぜなら、私たちの理性では神(God)の存在のあり方を完全には理解出来ないからです!!私たちは神(God)よりも賢いことがありうるでしょうか?自分が理解できても出来なくても、神の言葉、聖書の言葉に信頼するものとなりましょう!!
かといってむやみに盲信しなさいと勧めているのではありません。むしろ、より正確に知って欲しいので、聖書のあちらこちらに明記されているイエスのアイディンティティーを丁寧に拾って解説したのです。
イエスこそは私たちが天に、また神に帰る唯一の道なのです!!
ヨハネの福音書14:6イエスは彼に言われた。「わたしが道であり、真理であり、いのちなのです。わたしを通してでなければ、だれひとり父のみもとに来ることはありません。
全ての人がイエスを知り、神のもとに帰り、神の愛を知ることを期待します。
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