鹿嶋春平太チャーチ

解釈自由原則で聖句を吟味している教会です。YouTubeで「ヨハネ伝解読」を検索し、同名の動画とあわせご覧ください。

Vol.36 英国教会の国教権威、完全崩壊

2016年07月15日 | キリスト教の正しい学び方






こんにちわ。


「キリスト教の正しい学び方」、今日も進めてまいりましょう。

国教会制度をとっている英国に、次々に新教会が誕生します。

代表的なものには長老派教会もありますが、これは後にしましょう。


今回は、アングリカンチャーチ(the Angican Church・・・英国国教会)が宗教統制機能を失って、変質していく様をながめましょう。




<国教会制度とは>


そもそも国教会制度とは「我が国の宗教はこれでいく、他は禁止」と国家の政権者が宣言し、維持する制度です。

他宗教を行うものは異端者として、火刑に処したりして厳しく取り締まる制度です。

+++

英国は中世時代にはカトリック教会を国教としてきました。

カトリックはこれまで見てきたように、宗教統制のプロ集団です。

英国に於いても、他宗教は禁止て、完全統制してきました。




<ヘンリー8世の豪腕>

だが国王ヘンリー8世が、突然この教団を追放し、アングリカンチャーチに切り替えました。

突然のことですので、新教会はカトリックの模倣版でいくしかありませんでした。

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カトリックの教皇はイエス・キリストの代理人として絶対の権威をもって君臨していました。

ヘンリー国王はその教皇の役割を新しく、カンタベリー大司教に割り当てました。

ただし、国王はその認可権を自らの手に握りました。

そのぶん、カトリックとまったく同じというわけではありませんが、まあ、大変な権威を大司教に与えました。

司教、司祭にもカトリックと同じ権威を与えました。

英国教会はそうして始まったのですが、突然職位に着いた聖職者には、カトリック僧侶のように念入りな統制を実施する技術がありません。

英国での国教統制は、大幅に緩やかになってしまいました。





<自由吟味者に覚醒される>


欧州大陸の自由吟味者たちは、 その情報をいち早く入手して、英国にどんどん移住してきました。


英国人民は自由吟味者たちの真摯で知的活性にあふれた活動を目にして、速やかに精神の覚醒を受けました。

影響されたのは人民に留まらなかった。

アングリカンチャーチの聖職者たちも覚醒されてしまいました。


+++

彼らの一部は改革ピューリタンとして国教会を内側から激しく揺さぶりました。

他の一部は分離派ピューリタンとして、勝手に国教会からの分離を宣言し独立行動をとっていきました。

またあるものはアングリカンチャーチは真の教会にあらずと、メソディスト教会を作り、
組合派教会を作り、長老派教会を作りました。




国家教会はボクシングで言えば、棒立ちでボディーへ顔面へと乱打を受けている状態になりました。

これが続いて、英国の国教制度は塩のように解けていきました。




<弾力的に対応する体質>

しかし、そうなっても英国教会は大木のように倒れることはなかった。

自分も上手に変化していって、存在し続けたのです。



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けれども英国の「国教」を意味する「アングリカン」の名は、もはや実態とかけ離れてしまいました。

すると、誰が作ったか新しい名が現れました。

「監督派」がそれです。

こういう事態は普通は起きません。

この弾力的というか,なし崩しに現実に対応していく姿に、筆者はとても英国的なものを感じます。

そしてそれを形成した土壌として、自由吟味活動を感じます。






<監督派という名>


名前の由来を見ましょう。

「監督」は英語で(episcopacy)です。

これは初代教会時代の使徒の呼び名に発しています。

使徒たちは長老とか牧者とか監督とか呼ばれました。


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初代教会の使徒たち自身は、自分を特別な権威あるものとはしませんでした。

イエスは彼らに、教える立場になっても君臨するなと、有名な「最後の晩餐」で入念に戒めています。

すなわち、ここでイエスは彼ら一人一人の足を洗っている。

そして「先生である自分がこうしたのだから、これから先生になる諸君も奉仕する人になれ」と命じているのです。

(「ヨハネによる福音書」13章)


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そういうわけで使徒たち自身は君臨しなかったのですが、カトリックはそうではなかった。

彼らは、使徒の権威を職業聖職者の正当性イメージ形成のために用いました。


たとえば使徒ベテロを「教皇」の地位を作るのに使った。

彼らは使徒ペテロのリーダー的地位を、創造神によって与えられた「使徒座」としました。

そして、ここに座るのは教皇であり、そして歴代教皇はこの座を受け継いでいるのだとしました。


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また、そこから他の教職者にも権威を供給した。

司教を使徒の「監督」の権威を分与されている地位であるとした。

(なにやら日本で、本山の神社のお札をもらって支部神社を作っていくのに似てますね)

とにかくそうやって聖職者による独占的教会運営を正当化してきたわけです。

+++

アングリカンチャーチもカトリックの運営方式をそのまま受け継ぎました。

だが、その統制力は急速に空洞化しました。

これをみた人々から、エピスコパルチャーチ(監督派教会)との呼び名が現れたのではないでしょうか。

+++

その事情は、次のように推定されます。

プロテスタント教会では、教会運営には一般教会員も教会運営に関与するのが通常です。

牧師など教職者だけではない。

また組合派や長老派などは信徒だけの運営です。

+++

この中でアングリカンチャーチでは、聖職者が独占的に教会運営をしています。

その聖職者に,人々は初代教会の使徒たちのイメージを重ねたのではないでしょうか。

この「使徒たち」は初代教会ですから「監督たち」でした。

(これでいくと、カンターベリー大司教も司教も「監督たち」になります)


この概念を,人々は変質した英国教会に適用した。

それでエピスコパルチャーチ(監督派教会)と呼んだと思われます。


気分としては「えらい監督さんたちが独占的に運営してい教会」といったところだったでしょう。


+++

この教会では、今も聖職者を「監督」としてやっています。

そしていまでは、大規模プロテスタント教会の一つのようになっています。



     


<聖公会>


ところが日本では、英国教会にもう一つ、聖公会という呼び名も出現しています。

こちらの方が監督派よりポピュラーになっています。


この名前が出たのは、おそらくこういうことでしょう。

当初はエピスコパル(Episcopal)を監督派と直訳した。

だけどこの邦訳語からは、日本人は具体的なイメージをさっぱり描けなかった。

せいぜいプロ野球球団の派閥争いでの、コーチ派に対抗する監督派くらいしかイメージできない。

そこで、もう少しましなものを、と「聖公会」を考えたのではないでしょうか。


+++

聖公会の名は「使徒信条」の中の「聖なる公同の教会」という語句からとったものでしょう。

だが「聖にして公同」というのはキリスト教会すべてに適用できるフレーズです。

一つの教会の特徴を示すにはあまりに意味が広く、アングリカンやエピスコパルの語とも全然繋がっていません。

こういう語しかつけられないところに、アングリカンチャーチの実体が流動的多面的でとらえどころのないものになっていることがうかがえます。

+++

<立教大学を創設>

この教団は他のプロテスタント教会と同じく海外宣教師も派遣しています。

明治維新後にキリスト教の禁教を解いた日本に来た聖公会の宣教師は、東京に立教大学の前身を設立しています。

福沢諭吉も聖公会の宣教師と家族ぐるみの交わりをしています。

もうプロテスタント教会とかわりありませんね。

この教会は現代米国にも沢山あります。

米国南部では、「アングリカンチャーチ」が通称のようです。

今回はここまでにしておきましょう。



(Vol.36 英国教会の国教権威、完全崩壊  完)








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Vol.35 会衆派教会~新島襄の同志社を支援した教団~

2016年07月06日 | キリスト教の正しい学び方







こんにちわ。

「キリスト教の正しい学び方」、本筋に戻ります。


今回は、会衆派教会の説明ですが、それにからめて思いつく事柄、いろいろ語ります。


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筆者は今、近代イギリスに生成したプロテスタント的な教派教会を順に紹介しています。

それらの情報を一つ一つ順に暗記するのは賢明ではありません。

それらすべてををカバーする全体像の中で、個々の出来事をつながりある形で認識することが大事です。

そうやって体系的に理解しないと、知識は力にならないのです。





<ドイツ人民は自由にならなかった>

ドイツでは、ルターの宗教改革運動によってルター派教会が、カトリック教会と併存するようになりました。

だがそれでも、欧州大陸は依然として強烈な宗教統制世界でした。

ルター派教会も、基本的にカトリック方式から教皇制度を取り除いただけの教会だったからです。

伝統的な教理統一方式の教会のままだったのです。





<カトリック教団の宗教統制を知るのが鍵>

ドイツでの教会の統制がいかに厳密詳細で執拗であったかを、我々は今少し具体的にイメージする必要があります。

それによって、英国に実現されていた宗教的自由のイメージが具体化してくる。


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そしてその鍵は、本家本元であるカトリック教団の統制行動を事例的に知ることにあります。

だが我々には、カトリック僧侶がとった統制行動の情報に接する機会があまりありません。

そのあたりの情報公開が、意外になされていないのです。

ここにも、自由吟味方式が「人間の精神を解放する様」を知るのを妨げる障害があります。  





<『マラーノの武勲』>

だが幸いなことに、カトリック統制の有様を詳細に描いてくれている、ドキュメンタリー的小説があります。

『マラーノの武勲』作品社(マルコス・アギニス著、八重樫克彦・八重樫由貴子訳)がそれです。

ここでも作家の調査力と描写力が助けになるのです。











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この小説の舞台は南米です。

著者が主人公に選んだフランシスコ・マクドナルド・ダ・ジルバは、アルゼンチン、トゥクマン出身の実在の人物です。

彼は1632年リマの異端審問裁判所で「ユダヤ教信奉の罪」の判決を受け、火刑に処せられています。

著者アギニスは、彼を巡る膨大な資料を解読し、専門研究者への聞き込みをも綿密に行い、異端への調査、追跡、逮捕、尋問、拷問の有様を臨場感あふれる物語のなかで描いています。








<『インディアスの破壊』>


ここで若干脇道ですが、小説に描かれた時代の前段階の情報を追加します。


大航海時代以後の南アメリカ大陸は、欧州カトリック諸国の軍隊と僧侶たちによって地獄のような侵略を受けました。

その様は、報告書『インディアスの破壊についての簡潔な報告』岩波文庫(ラス・カサス著、染田秀藤訳)に記されています。

報告書の著者ラス・カサスは、カトリックの聖職者です。

彼はスペイン人たちの非道な所業を止めさせるべく、スペイン国王カルロス五世に現状報告書を提出した。

その原本が上記の文庫本のもとになっているといいます。







+++

これを読むと、カトリックの聖職者は良心的だったような印象を受けます。

だが、実のところこうした聖職者は例外的でした。

大部分は軍隊の非業を黙認したり、その実行を命じたりしていました。

その非道の様を読むと、極東の平和な島国に住んできたわれわれ日本人は、胸が苦しくなります。

吐き気に襲われる人もいるでしょう。

人間はこんなことも出来る動物なのだ、と改めて思い知らされます。






<聖書の勝手な解釈をすると>

我々は、こういう行為を肯定する理念が、聖書から(安易に)引き出されていることを知らねばなりません。

安易に引き出した単純な解釈は、ほとんど、スローガンでしかなくなっているような身勝手な教理にもなりえます。

軍隊に随行した僧侶は、そうやってつくった勝手な催告を、原住民に対して読み上げたという。

報告書の著者カサスはその催告事例を下記のように記録しています。


・・・・・・・・・・・・・・・

~人間ひとびとりの身代わりとなって、自ら犠牲になられた神の子イエスは、「全世界に行って、すべての人々に福音を述べ伝えよ」と語られた。

~そのみことば(御詞)を受け入れ、(スペインの)カスティーリャの国王に臣従せよ。 

~もしそうしなければ、諸君らに情け容赦なく戦いを仕掛け、殺したりとらえたりすることになろう。

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・



「スペイン人たちは、自分たちの土地で平和に暮らしている異教徒たちに対して、この催告を読み上げておいて、残忍な行為に及んだ」

~と著者カサスは記しています。


深夜に村落近辺にたどり着くと、そこでこれを読み上げた。

原住民に聞こえるわけがなく、また、聞こえたとしても、言ってる内容などわかりません。

だが、そういう儀式でスペイン軍人にこれから行う行為に正当性意識を与え、あらん限りの残虐を尽くしたのです。

そして、これを作成したのが軍隊に随行したカトリック聖職者だということ、これを忘れてはなりません。





<福音では「人間の自由意志」が前提>


たしかに「全世界に出て行って福音を述べ伝えよ」はイエスの命令です。

だが「受け入れない者は殺していい」という思想はそれに付随してはいません。

それは聖書の基本思想とは真逆でさえある。


福音には、「人間の自由意志を容認する」という大前提があるのです。

「受け入れない」という「選択」をした人は、最後の審判で予告された裁きを受ける~とはなっています。

だがそれは文字通り、ず~と後の「最後」のことです。

それに至る間での「受け入れる受け入れない」は人間の自由意志に任されているのです。


+++

けれどもそのことは聖書を総合的に吟味していって初めてわかってくることです。

軍隊や司令官や随行聖職者たちには、そんな感覚はない。

教団上層部から下される教理(一解釈)を鵜呑みにするのみです。

その上で、それを受け入れない者は「異端」として裁きにかけるのです。


こういう世界にいると、聖職者であってもその場その場で勝手な解釈を付け加えることになるのです。

軍人はもともと単純ですからそれを信じて勢いづく。

彼らは魚を料理するかのように、原住民を拷問し、財産を強奪し、殺戮をした。

それを「自分は神に奉仕している」と信じてやりました。



+++

教理統一方式のキリスト教では、人間はこういう風にもなるのです。

世に言う「キリスト教だって残虐行為をしてきた」とのセリフにおける「キリスト教」は、この方式のキリスト教です。


聖句自由吟味方式でのキリスト教活動では、こういう道は生じません。

だが、いまでも、キリスト教と言えば、前者しか世界の人々の意識には昇りません。

中世から現代に至るまで、そういう片肺非行の精神状態に人類はあります。

世界の人々は、キリスト教活動には二つの方式があることを、早く早く、 知らねばなりません。






<ユダヤ教徒も「異端者」だった>


話を小説『マラーの武勲』に戻しましょう。

スペイン軍による、そうした地獄の地ならしがなされた後の南米に、カトリック教団は欧州と同じ制度の教会を移植します。

そして、欧州大陸におけるに勝るとも劣らない執拗さで、宗教統制をおこないました。


+++

実在の人物だった小説の主人公は、ユダヤ教徒でした。

カトリック僧侶にとって、カトリックキリスト教以外はみな異端ですから、ユダヤ教信徒もまた、改宗させるべき異端でした。

その一人であった主人公に対する、執拗な追跡と攻撃の様を、著者アギニスは、準ドキュメンタリー小説として調査に基づいて詳細に描いています。


+++

従来、カトリックの異端攻撃の有様を示す具体的な情報は、今一歩のところで公開がなされませんでした。

だがこの本は、小説という手法をとって、それを具体的かつ詳細に示しています。

我々はこれによって、中世カトリック教団の蛇のように執念深い宗教統制の有様をリアルに知ることができます。

そしてそこから、中世欧州大陸の宗教統制世界の有様をも想像することも出来る。

中世カトリックはまさに、人間統制のプロでありました。





<そしてブリテン島の自由を認識>

海を隔てた大ブリテン島の自由世界は、この現実に対比してイメージすべきです。

両者を対比させたまさにその風景の中で、英国内で結果的に現実化していた躍動する精神世界を 追体験すべきです。

英国で生成していった新しい教派教会の情報を味わうべきです。

そこからイギリス国教会の統制力がガタガタになっていたことも推測できるのです。

それによって、われわれはイギリスのみに起きた教会事象を、立体的に理解することができるでしょう。



   


<会衆派教会>

前置きが長くなりました。

大事なことですので、長く語りました。

メソディスト教会の次に紹介すべき新教会は、コングリゲーショナル教会です。

この日本語訳は会衆派となっています。

だが、日本ではクリスチャンにも、それらの名の意味を悟っている人は少ないです。


+++

まず前述した~、。

「定番的になる教派教会の名前は、誰かが作ったニックネームが波及してできている」ことを想起しましょう。

そして、そのニックネームは外部者の目に特徴的に映じた一局面を表現していることを。


+++

この教派の名も同じです。

この教派は~、

 「教会というのは国家の法律で造るものではなく、個々の信徒(会衆)が契約によって結成し運営するもの」

    ~との理念に堅くたっていました。

だから、教会では、会衆が最終決定権を持っていました。

彼らが直接民主制的な方法でもって意志決定し、教会を運営していました。


この教会にも職業僧侶はいます。

だが、彼らは礼拝指導と説教のプロとして雇われた人です。

会衆は、彼らを教会運営に参加させることはしませんでした。


+++

この特徴を捉えて、外部者はコングリゲーショナル教会(Congregational Church )と呼び始めたのです。

コングリゲーショナルは日本語では「会衆的」です。

でも、日本の神学者や牧師さんにも、この意味はよくわからなかったでしょう。

わからないままでこれを会衆派教会と訳し、これを日本名としたのです。




<「組合派」の名も>


だが、わからないものはわからない。

そこで、日本では組合派という呼び名も現れました。

会衆よりも組合のほうが具体的なイメージがしやすいからでしょう。

「くみあい」というと、まず労働組合が連想されます。

次に、協同組合も連想されます。





<協同組合会社と株式会社の違い>


協同組合も、会社です。

これは株式会社に対比するものとして、英国に出現しました。

株式会社での全体運営の決定権は、株を所有する数によって配分されます。

大株主は、大きな決定権を持ちます。

一人が、全株数の51%以上をもてば、独裁権を持てます。


+++

ところが、英国のロッジデールで始まった協同組合(co-operative association)方式では、出資額にかかわらず、決定権配分は均等に一人一票でした。

このあたりも、人々が会衆派教会の特徴を理解するのに役だったのでしょう。

そこで組合派という名前も現れたわけです。

ただし、それが英国や米国でUnion Churichとか Co-Operative Church とかといって呼ばれていたかどうかは、筆者は、知りません。


+++

一人一票制の思想は、人間の持つ平等精神に呼応するところがあります。

おそらく、それもあってのことでしょう、会衆派教会もまた、大教会に成長しました。





<でも教理統一方式だった>


とはいえこの教会も初代教会のような聖句自由吟味方式にまでは行かなかった。

教理書をもつ教理統一方式で運営をしました。

聖句自由吟味土壌の影響を受けても、自由吟味方式にまで行くのはなかなか難しいようですね。

教理統一方式は、信徒を手っ取り早く一体化するには便利な道具です。

教理書は外部社会に対する教団の身分証明書のような役割もしますしね。





<同志社大学を運営>

日本で会衆派教団の顔となっているのは、京都に現存する同志社大学とその教会でしょう。

この学校は、米国の会衆派教会が創立者・新島襄を支援することによって出来ました。

新島は知恵と度胸をもった面白い人だったようです。

安中藩だったか、そこの下級武士のせがれだった彼は、幕末に米国船の船底に密かに忍び込みました。

発見されたときには船はすでに米国に出港していました。

こうなるとアメリカ人は、「では米国に連れて行って面倒見るか」、となるのですね。


+++


彼は米国のクリスチャンホームに預けられました。

ホームステイ状態です。

その家庭が、会衆派教会の会員で彼に熱心に伝道した。

家族の一員として共に教会に通った彼は、チャッカリと会衆派の信徒になりました。


+++

そしてあるとき「日本で福音を広めたい」と宣言します。

米国の教会では、多くの教会員が海外宣教基金にも多額の献金をします。

新島はそこからの資金と、彼の志に感動した教会員たちの自由献金をいただいて、日本に帰国しました。

そして、すでに米人宣教師が京都で始めていた教会とそれに付属する英学校に転がり込みます。

彼はその発展に尽力し、それがのちに同志社大学と神学部になるのです。

このあたりは、NHK大河ドラマ「八重の桜」でも描かれていましたね。




<入学式でも神学部が源の学校と明示>

余談ですが、筆者の娘の一人も、同志社の神学部に学びました。

入学式に出て感銘したことがあります。

同志社は今では総合大学で、沢山の学部を運営しています。

他の学部の入学生は多く、これにくらべると神学部生はほんのわずかです。

ところが、神学部生の席は、新入生の最前列でかつ中央、講壇のすぐ前にもうけられていた。

特別扱いです。

こんなところにも同志社は、この大学の「原点は神学部」にある、とのアイデンティティを明示していました。




<東京の大学では神学部は追い出されていた>

このあたりは、筆者が勤務していた明治学院大学(東京、白金)とは対照的でした。

この学校はヘボン式ローマ字のヘボン先生が創立された学校です。

だが先生は同時に働き盛りの30年を聖書の邦訳化に注がれた、宣教師でした。

だから、神学部が原点になって発展したのです。

+++

ところが、この学校や同じ東京の青山学院などは、あるとき、神学部を大学から追い出してしまっていました。

それらを外でまとめて出来たのが、東京神学大学ということでした。

神学というのが、経済学や文学などの学問的・科学的思考と異質なものと認識された。

それが主因だったでしょう。

+++

だけど、神学も本来は学問的・科学的思考で行うべきものなんですけどね。

東京での神学教授はそのあたりの方法論(認識論)的な「知性」が薄かったのでは、と今振り返れば思います。

筆者が働き始めた時期にも、学内に神学の先生がいました。

一般教養部門に「キリスト教学の教授」として残留しておられた人々です。

その方々には、事実で語るべきところを、「信仰!」を前面に出して主張することが、教授会でよくみられました。

こういう風ですと「もう、神学部は外に出てまとまってやってもらおう」と一般の教授は思うようになるのでしょう。


+++

とにかく、東京のミッションスクールでは神学部は追い出されていました。

その点、関西では神学教授も神学の本質を外さないでやっていたのでしょう。

関西学院にも神学部は存続していますしね。


+++

これに象徴されると言っていいでしょうが、東京の先生の学問は概して底が浅いですね。

文科系ですけどね。

大学の教授は研究者でもあるのに、ものごとを「探求する」という姿勢の薄い人がほとんどでした。

処世の意識が九割以上といった感じでしたね。


名古屋はもっとひどかった。

まことに、日本の大学、学問は、ガタガタです。





<吉田松陰と新島襄>

余談ついでに、もう一つ「対照」を。

新島襄は上手いこと渡米を果たしました。

この試みは、かの吉田松陰もなしているのですね。

でも成功できませんでした。

それどころか、密航者としてとらえられ、後に幕府に斬首されています。


+++

この絵のような対照はどうして生じたか。

松蔭先生は長州藩萩の武家に生まれ育ち、論語など行動倫理的な知識を自らの身にすり込むようにして学びました。

そうして出来上がった資質が、渡米の試みの際にもまともに出ました。

彼は、米国の艦船に乗り込んで、渡米の熱意を書いた手紙を差し出し、わかってもらおうとしました。

「至誠は通じる」といいます。

それは艦長としてもわからんでもなかったでしょう。


だけど、彼らはいま、日本の統治者(幕府)と合法的に交渉で事を進めようとしているのですよ。

その立場上、密航を願い出た者を、「はいそうですか」と連れて行くことなど、出来るはずないじゃないですか。

ここまで開けっぴろげに正面から出られたら、やはり、密航者として幕府に送るしかありません。


+++

だが、松陰先生は、そういう知恵には無縁だったのですね。

知識はあったとしても、論語的道徳に反する行為など、アイデアに浮かべることすら出来なかった。

松陰先生は、江戸の都会から遠く離れた、誠実な、田舎の人だったのです。


+++

そこへもってくると、新島襄は、安中だったか、江戸に近い藩の下級武士ですからね。

ここでは儒教とかの道徳倫理などに、きまじめに没入して学ぶ文化などなかったでしょう。


新島は松陰先生より、いわば、ず~と「世に長けていた」のです。


自己責任で船に忍び込んで、出向した後に見つかれば、米国人はそのまま連れて行ってくれる。

~そういう人間の機微が読めるのですね。


彼は船底で発見されたと言うことになっていますが、実際には「もうそろそろいいだろう」と自ら見つけられるように動いた。

そんなところではないかと思います。


+++

ただし、それだって度胸のいることではあるでしょうが、松陰先生とは、多くの面で対照的だったのですね。

でも彼は日本で会衆派の教会活動を発展させた。

人間には、それぞれの生涯が計画されているのかもしれませんね。


今回は、これまでにしておきましょう。


(Vol.35 会衆派教会~新島襄の同志社を支援した教団~    完)





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<臨時版>: 英国のEU離脱選挙結果に「騒ぎすぎ、怯えすぎ」)

2016年06月28日 | キリスト教の正しい学び方








こんにちわ。


英国でEU離脱か残留かの国民投票が行われて、僅差で離脱派が過半数を占めました。

世界的に激震が走っているかのように、マスメディアは騒ぎ立てています。


+++

結論から言えば、世界は「騒ぎすぎ」「怯えすぎ」をしています。

このことは実は、鹿嶋が今書いている近世英国の歴史に直結しています。

聖句自由吟味活動が生成させた「英国の自由な宗教状況」に密接に繋がっている。

だから、これについて、「臨時版」を投稿します。





<「知」が活性化路線にある国民>


筆者は金融状況にあまり詳しくないので、離脱がもたらす金融上の被害を含めての詳しい論評をすることは出来ません。

だが、マスメディアで流される識者の予想には、欠けている視野があります。

それは、英国民と欧州大陸国民との知的資質の差異に関するものです。


+++



英国民は、聖句自由吟味者の影響によって、知性が活性化路線に入っています。

個々の聖句を小グループで具体的に吟味する生活をしていると、人間の知性(精神も)は活性化するのです。

また、聖句個別吟味の習慣は、社会の諸事象を個別的事例的に思考するエネルギーも与えます。

すると人間は、個々の事例情報に対して、一般法則的な知識を強引に優先させることはしなくなります。

そういう思考法が、判例法中心の法体系をこの国に成立させてもいるのです。

+++

他方、大陸人民の「知」は活性化路線に入っていません。

彼らの聖書の知り方が、活性を妨げるのです。

そこでは教会高僧のつくった教理を絶対正統真理として受け入れることを求められる。

吟味などしたら「異端!」と攻撃されます。

すると人民は、自ら思考することが少なくなる。

それでは、「知」は活性化路線に入っていかないのです。

この状況はまた、法理論をベースにする大陸法の法体系をも生んでいます。







他方、大陸人民の「知」は活性化路線に入っていません。

彼らの聖書の知り方は、教会高僧のつくった教理を絶対正統真理として受け入れることによります。

吟味などしたら「異端!」と攻撃されます。

だから、自ら思考することが少なく、「知」は活性化路線に入っていないのです。

この状況はまた、法理論をベースにする大陸法の法体系をも生んでいます。





<EU参加もはじめから特別扱い>


大ブリテン島と欧州大陸とは、精神文化が対照的だ。

英国の政治家も、そういう知的資質の違いをよく認識していました。

だから、そもそも、EUへの参加決定も最後まで慎重だったのです。

通貨をユーロに統合することも避け続けた。

英国は特別扱いだったのです。

そういう緩やかな連携関係を維持する状況で、英国はEUに加わって協働してきたのです。






<従来有益だった方式は継続する>

もし離脱が実施されるとしても、それはEU連合との交渉開始後の2年先です。

その交渉に入るにも時間がかかります。








キャメロン現首相は、新しい首相を(次の国会議員選挙で)選んで、その人にやってもらう、といっていますから。

それに至る間に、今回、軽い気持ちで投票した離脱賛成者たちは、選挙の選択案のもつ意味を、改めて吟味し学び直すでしょう。


その後に交渉に入っても、従来互恵的だった状況は、担当者はいろいろな調整をして、再現するでしょう。






<自由吟味者の活性化力を知るべし>

{知」が活性化路線に入っている英国民の政治能力は高いです。

同じ欧州でも、大陸西側の人民よりも高いし、東欧人民よりはさらに高い。

中東諸国の人民よりは、また、はるか高いです。


+++

そうしたことに無知で、かれらと同レベルとみて 英国の行動を予測したら、過剰な恐怖におびえることになります。

だが、その事実をリアルに感じるには、聖句自由吟味者が人民と国家にもたらす活性化効果を知らねばならない。

残念ながら、世界の歴史家は、そのことをほとんど知りません。

だから、筆者はいまも、「正しいキリスト教の学び方」を、様々な歴史事情の説明と共に繰り返し、繰り返しお知らせしているのです。


+++

今回の英国での国民選挙での離脱優位結果、大丈夫です。

そんなに遠くない将来、世界は振り返って、今は「騒ぎ過ぎ」「おびえすぎ」であることを、知るでしょう。



(臨時版: 英国のEU離脱選挙結果は「騒ぎすぎ、怯えすぎ」   完)






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Vol. 34 メソディスト教会 ~青学、関学を設立した教団~

2016年06月23日 | キリスト教の正しい学び方






こんにちわ。


「キリスト教の正しい学び方」、今日も進めてまいりましょう。

今回は、統制力を失った英国教会制度のもとで成長した新教会のうち、メソディスト教会を紹介します。


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この教会の創始者はジョン・ウエスレー(John Wesley,1703-1791)です。

彼は英国国教会の司祭でした。

にもかかわらず、儀式中心の国教会の礼拝に疑問を抱いていきました。

そして、もっと実質的で、創造神を直接拝する姿勢を持てる礼拝方法を思案しました。

結局、礼拝場は教会堂である必要はない、と考え、 野外でも礼拝を行いました。

各地を馬に乗って巡回して野外礼拝を導いたのです。

それでも国教会勢力からは、おとがめなしでした。








彼はカトリックのカンタータ風だった礼拝音楽をとりやめ、新作の賛美歌を取り入れました。

弟チャールズは、今でいえばシンガーソングライターの天才でした。

彼はその才能でもって、同時代に適合した讃美歌を新しく創って、兄の教会に提供しました。

生涯に総数9000に及ぶ曲を作ったといわれています。

彼の作品は現代の賛美歌集には”伝統的な賛美歌”として収められています。

けれども当時は、いまの戦後1960年代の若者フォークソングのような存在だったでしょう。





<現代ビンヤード風礼拝の先駆者>


この教会方式は現代では珍しくありません。

戦後米国では特に、牧師がジーンズにギターでもって礼拝を導く教会が多く誕生し、それが世界に広がっています。

ビンヤード教会、サドルバック教会、ホープ教会、ニューホープ教会などがそれです。

だが、当時は斬新そのものでした。

とくに若者には衝撃的だったでしょう。

それは同時に魅力的でもあり、多くの人に受け入れられました。





<メソディストもニックネーム>

教会は成長しました。

外部の人々はこの教会の斬新な礼拝方式に注目して、メソディスト教会と呼びはじめました。

礼拝方式の「方式」は英語でメソッド(method)です。

これからメソディストなる語が生まれた。

これもまたニックネームです。

「礼拝方式にこだわる奴ら」あるいは「礼拝方式を刷新する奴ら」といったニュアンスでしょうか。

その名が広がってこの教団の名前になったのです。

前にも言いましたが、キリスト教活動の名称のほとんどは、一般人の口に上ったニックネームに始まっています。

ピューリタンも、バプテストも、長老派もみなそうです。






<だが自由吟味教会ではなかった>

ウエスレーは革新的な人でしたが、その教会活動は聖句自由吟味方式にまではいかなかった。

教団の正統教理書をつくり、それでもって教会を運営する教理統一方式の教団になりました。

彼らはいまでもメソディスト教理書をもっています。


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けれども大規模な教会に発展しました。

今の米国にも数多くあります。

この教団はまた、明治維新後の日本に宣教師を派遣し、青山学院や関西学院などの学校を造っています。



(Vol. 34 メソディスト教会 完)











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Vol.33 大ブリテン島の宗教環境は自由だった

2016年06月20日 | キリスト教の正しい学び方






こんにちわ。


「キリスト教の正しい学び方」、今日も進めてまいりましょう。


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国教会成立後のイギリスは、ヨーロッパ大陸とは別世界のような、自由世界になりました。

これを、我々は雰囲気として感じなければなりません。

イギリス国教会の司教、司祭は、国家のために働くべき公務員の指導者です。

その彼らの中から、国教会の運営制度を批判し、改革しようとし、激しく運動をするものが、数多く出た。

国教会は過激な運動者を、罰しました。

たが、彼らは限られた人々でした。

国教会から離脱し、自由な宗教活動をさせてもらうと宣言して出て行く司教や司祭もいました。

だが彼らが、執拗に追跡され、処刑されることはありませんでした。






<欧州大陸なら>

これがヨーロッパ大陸でならどうなるか。

ひとりびとりが捕らえられ、宗教裁判にかけられ、処刑されました。

ルター戦争後のドイツでも、それは同じなのです。

人々は、カトリック教会かルター教会かのどちらかの強力な管理体制下に、置かれました。



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ルター教会も、カトリックと同じく、教理統一教会なのです。

運営体制としては、カトリックの法王をなくしただけの教会です。

教理に反するものは、やはり異端とされ、処罰されました。

そこでは聖書を自由に吟味する行動は、厳格に罰せられた。

だからドイツでおいても、新しい教会活動の芽は、でませんでした。

出ないままに年月が過ぎていく。

これがルター戦争後のドイツでした。





<せいぜい国王による国外追放>

ところが、大陸から海峡を隔てた大ブリテン島でははるかに自由な土壌が出来ていました。

有力司祭が「イギリス国教会から出て行って、自由にやらせてもらう」と宣言して出て行く。

その人でさえ、せいぜい国王による国外追放でした。


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この違いを雰囲気として心に浮かべるかどうかが、近代欧米史理解の分かれ道です。

大ブリテン島に出来上がったこの自由な世界の中から、新しい宗教活動が多数生まれた。

そしてその中から新しい教派活動にまで.発展するものが出ました。






メソディスト教会はその一つでした。

組合派教会も長老派教会も後の英国バプテスト教会もそれです。

こんにちプロテスタント諸教会として、世界的に大きな活動をしている教会の大半は、英国国教会制度の中で発芽しているのです。



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メソディスト教会は、大教会となり、明治維新後の日本に青山学院や関西学院を設立し、今も運営しています。

組合派教会は、新島譲の活動を支援して同志社大学を設立しています。

長老派教会は、ニューヨークの教会から、ヘボン式ローマ字のヘボンの先生を支援し、邦訳聖書を完成させ、明治学院大学を設立しています。

これらの新教会は、近代英国に発芽しました。

そしてこれらの動きは、「知」が活性化路線に入った、英国の精神土壌に芽生えたのです。



(Vol.33 大ブリテン島の宗教環境は自由だった   完)











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