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Withjjj(詩と韓国と真理とじゅんと)

聖書と共に育ち、孤独に沈み、世を憂い、書に親しみ、哲学に耽り、詩を愛し、人を好き、愛を求め、真理を知り自由を得ん

やまい

2005年03月29日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
もしもあなたのとなりに
弱っている人がいるならば
もしもあなたの家族が病気にうなされているならば
健康なあなたは
しつこいくらいに面倒をみてあげて
うるさいくらいに
気遣ってあげて
どんなに強いプロレスラーでも
ウィルス一つで身動き一つできなくなる
心はくじけ
暗い思いがその内側を占拠しはじめる
わかっているけど
忘れがち
今日は又思い出させられちゃったよ
健康であることは幸せ
病気も不幸そのものってわけじゃない
不幸になる人が多いのが
厳しい現実ではあるけれど、、、

,,,

2005年03月22日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
あなた一人の苦しみでさえ
僕には重すぎて
なに一つしてあげられず
うつむいてしまうね
それどころか
自分の内の悲しみ一つ
なだめられずにいるよ
理想は高く
想いは熱く
全ての人のそのイタミを
海のように飲み込んで
大地のように受けとめて
空高く解放してあげたいのに
二畳ばかりの浴槽のなかで
一人で悩み
慟哭するほど泣きじゃくった

知ろうが知るまいが現実は冷徹で
真っ黒いへどろが
背後まで迫っているよ
右を向けば快楽が
左に落ちれば殺戮と嘆きが
いつでも手を伸ばしているじゃないか
言い訳をしても
泣き叫んでも
何の役にも立たないで
さらなる深みが君を待っている

自分はだれも愛さずに
嬰児の頭を踏みつけながら
それでもなお
幸せを求めるのかい
最後まで自分を欺きながら
虚構の愛を求めるのかい
僕は君の闇を負えないけれど
君の横に座っているよ
もし望むなら
共に聖なる山に登ろうではないか
日没までにはまだ少しだけ
赦された刻があるのだろうから


IJIME

2005年02月22日 | ■罪と死と痛みと悲しみと

別に意地悪をしたわけではない
乱暴な事に慣れていなかったんだ
友達の言うことに逆らわないでいたら
(だって争うのは好きではないから)
いつしかひどい事を言われるようになった
とても嫌なことをやらされるようになった
次第にそれらはエスカレートし
適当な所で止まる様子もないようだ
日々は憂鬱になり
泣きながら床についた
明日が来くるのを遠ざけようと
眠りにつくのを必至でこらえた
自尊心はズタズタになり
休み時間をひどく怖れた
ついに耐えられる限界を超え
夜ごとに死を願い
死後の世界を想った
何故僕がこんな目に会い
神様は助けてくれないのか
なんとか病気を隠れみのにし
命を今日まで保つことが出来た
同じ恐怖を多くの子達が味わわされている
命を落とす子も少なくない
僕達は何か取り組むべきではないだろうか

2005年02月20日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
人はいつ死ぬか分からない
当然の事だが
明日死ぬかもしれないし
今晩死ぬかもしれない
とにかく人は100%死ぬ
死ぬ準備は出来ているだろうか
そんなこと考えたくないしまだまだ先の事だと言うのは
いつかしなければならない
大掃除を先延ばしにしているようなものだ
(ちょっと違うか、、、)

無期懲役の人よりも死刑囚の人の方が
生活に張りがあり元気だそうだ
常に今日が最後の日かも知れないと思うので
一日一日を大切に悔いなく送ろうとするからだろう
私達だって若いとしても
「生まれるのに順番はあっても死ぬのに順番はない」
と言うように、いつ最後の日になるかわからないのだ
死に備えつつ
今日という日を送ろうではないか
いかに備えたら分からないと言う人がいたら
共に考え悩む者になりたい
悠久の歴史と広大な大地の中で
同じ時代、同じ国に生まれた
深いつながりがある者の一人として

スマトラとアフリカ

2005年01月18日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
昨日ちょっと聞いた話だ
スマトラでは16万人が犠牲になり
何百億の支援がなされるそうだが
アフリカでは毎日飢えや病の為に
8000人の方が亡くなっているという
毎日阪神大震災を越える死者が
毎月スマトラを越える犠牲者が出ている事になる
そこに手を伸べる人はわずかで
たった一年で292万人が果てている
そこに目をつぶって
僕達だけ幸せになることは
果たして可能なのだろか

銭湯で思ったこと

2005年01月08日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
今日は
一年ぶりに銭湯に行って来た
あたりまえのことをあたりまえにできる幸せ
それが叶わなかった日々を思い返し
それが叶わない人々を想った

喉元過ぎれば熱さを忘れると言う
詩は当時の苦しさを
写真のように再現し
感謝の念を喚起し続ける

苦しみにより
砕かれた魂は
いつのまにか
赤の他人のイタミにも
共振するようになっていた

本当に
全ての人が幸せになれればと思う
その苦しみとイタミから
解放される事を
心から願う
自分は今何が出来るだろうか

主よ憐れんで下さい

2005年01月04日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
主よ憐れんで下さい

わが愛する生ける神
父よ
私を憐れんで下さい
私は酷く欠乏していますから
満たしては頂けませんか
私は極度に弱いのです
何の力もありません
あなただけが希望です

回復、、、
そう回復を与えては頂けませんか
私の身はボロボロです
頭は悪臭を放ち
皮膚はかびていきました
私にはどうすることもできません
何をすれば良いのか分からず
次の日を迎えるのです

あなたは偉大な王
天地を拡げられた方です
私を土塊から
無から造られた方です
憐れんで下さい主よ
憐れんで下さい

偉大な先人はどんな中でもあなたと共に歩みました
主よ
「この苦しみは人の知らぬものでなく、軽い荷だ」
と言われても私の心は弱り
そして嘆くのです
愛の主よ
常に共にされる主よ
どうぞ憐れみ
どうぞ癒し
どうぞ回復させて下さい

優劣なんて

2004年12月31日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
学生の頃の話だ
先生が僕を褒めてくれた
「おまえの友だちは出来が悪いが
おまえはすごいがんばってるな!」
僕はこの時
何か良く解らないが複雑な思いになった
認められて嬉しいような
しかしただそれだけでないような

今日も又同じような事が起きた
自分のちっぽけな自尊心は喜々とし
同時に
言いようのない悲しみが心の中を流れた
十年という年月は人を変える力を持たないようだ
いや
悠久の時でさえ
人を変えることなど出来ないのかもしれない

欺瞞

2004年12月29日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
騙し
騙し合う
仲の良い人でさえ
それどころか
愛する人に対しても
騙し
騙し続ける

ああこれが人の性なのか
遺伝子に組み込まれた
どうすることも出来ない
本性なのか

ついに僕は僕を騙し
君は君を騙し出す
僕は自分が正しいと思い込み
いたずらに君を憎む
君は自分の誤りに気づかすに
責任を転嫁し続ける
互いが互いを傷つけ合い
憎しみはとどまることを知らない

ああこれが人の性なのか
遺伝子に組み込まれた
どうすることも出来ない
本性なのか

僕は一体どうしたらいいんだ
自らのDNAが僕自身を騙しているとは
自分が正しいと思っていた
悪いのは相手だと思い込んでいた
ああ
もう少し早くこの事に気づいていれば
いや本当に僕は気づいているのだろうか

明日も又騙されるのだろうか
明日も又傷つけるのだろうか

イマという時

2004年12月28日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
今日という日、イマという時
人々は生き、死んでいく
世界のどこかで、君のとなりで
社長がいて、乞食がいる
突然の災害に人々はおどろき
泣き叫ぶ
出張中だった同情心を呼び戻して
募金運動に邁進する
もちろんそれは良いことで
大いになされるべきだろう
しかし
ちょっと遠くに目を向ければ
不幸と餓えは日常的で
毎日が死の連続
彼らに目を向ける人はあまりなく
今日もイマも死んでいく

乞食と友

2004年12月11日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
先日の事だ

会社の昼休みに
会社の友達と散歩に出かけた
近くに公園があり
友だちはその近くに住んでいるんだそうだ
そして言った
「ここは乞食公園だ」
「そうなん」
「うん、毎日ここをとおるんだけどあいつらがイヤでしょうがないよ」
「なんで」
「だって素っ裸で体洗ったりするし、匂うし」
「でもしょうがないじゃん」
「あいつら俺たちの税金で公園や水道つかってんだぜ」
「・・・」
「はたらきもしないでぐうたらして」
「でも彼らも若いときは働いて一杯税金払ったかもしれないじゃん」
「いや、でも今見えるところはこうだからさ、、、、」

普段仲良く楽しく話している友だけど、、、
ちょっと悲しくなり午後はなんとなくそのことばかり
思い出された、、、

だれだって好きでああなるわけじゃないし
国や地方が助けてあげたら
多少の費用で、衣食住を供給できるのにな、、、って思った。

そして教えてあげたり導いてあげたりすれば
PCだって使えるだろうし
生産的な活動が出来る人だっていると思う。

イヤ
たとえ生産的な活動ができなくても
人間らしく生きる権利は
万民にあたえられるべきなのに

何十年も前にかかれた
手塚治の「火の鳥」の一場面を
思い出した。
現代の社会の病を
さらに鋭く、突出化して描いているんだけど
まさにそんな社会になっちゃうのかなって思った。

小さく非力な僕には
ただ愁う事しかできないのかな。
イヤ小さなイシを投じて見よう。

イタミ

2004年11月25日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
イタミ

いくつもの感情が
世の中に
人々の中に
蠢(うごめ)いている

嘆きと喜びが
いつの世にもあるのだが
その人自分にとっては
それが全てだったりする

結びつき別れていく
そう、別にめずらしいことじゃない
でも、その人自分にとっては
それが全てだったりする

テレビの中で苦しむ人々
事故、病気、戦死など
そう、それも別にめずらしいことじゃない
でも、その人自分にとっては
それが全てだったりする

愛がその手をにぎると言うのか
真理がそれを支えるのか
苦しみを知っている心は
口を開かず
そばに来て、共に待つのだ
やみと死のきりが
晴れていくその時まで

堕胎

2004年11月22日 | ■罪と死と痛みと悲しみと
人を生かすために先端技術と多くの労苦とお金、、、
涙が払われているのに
もう一つの手では毎日命を奪うのだろうか
成人には自由に生きる選択権があり
みどりごや嬰児には生きる権利がないのだろうか
法は盗みを裁けても
超えた非道には無力なのだろうか
人は愛を叫びつつ
暗い矛盾に目を伏せなければならないのか
感覚は麻痺し
快楽に走るのだろうか
いろんなケースがある
どうしようもない事情があったんだと人はいう
でも
この一事だけをみても
ぼくの心は壊れそうで
楽しい会話の渦中でも
深い悲しみが心のそこに流れ続ける