エクレシア

へっぽこクリスチャン・翔の暴走爆裂ブログ

エペソ人への手紙 6章2節

2007-07-31 21:37:28 | 神さま
以前の日記で少し書いた通り、毎週日曜日はICFから帰宅後、愛隣チャペルの礼拝ビデオを見るのが日曜日の日課になってます。
が、このところ多忙で溜まっていたので、ダウンロードしておいた3週分をまとめて見る。恵み3倍なり(?)

特に印象深かったのが、22日のメッセージ。
「あなたの父と母を敬え。」(エペソ6:2)

メッセージ最後の、牧師先生の祈りがグサッときました><
「自分の両親なんて
 『いない方がいい、愛せない、敬えない、うざったい!!』
 そんなことを思うときも、あるかも知れません。
 でも親を亡くすと、親の愛が分かるんです。
 だから今、今成すべきことを成せますように。」)


グサッときたというのも、まさに私自身がそれを体験しているからなんだよね・・・
私の母が召天してもうすぐ6年になるけど、召天する前までは、不謹慎にも「いない方がいい」と思ったことも正直言って度々ある。
ところが実際いなくなると・・・というわけ。
さらに、母が親しかったICF教会のとある姉妹から、召天後母のことについて話を聞き、母の愛を私は全然分かっていなかったことを痛感した経験があります。

今、父とは色々事情があって私自身が避けているのですが、この機に関係を直したいな~と強く思いました><



「いない方がいい、愛せない、敬えない、うざったい!!」

多分、誰しも一度はそんなことを思った時があるんじゃないかなぁ。もしかしたらそれは親じゃなくて兄弟姉妹に対してかも知れない。

改めて、お互いの存在の大切さを知った気がします。

「今」

2007-04-28 01:47:00 | 神さま
任天堂のテレビゲーム機、WiiとDSの売上は好調で、ライバルであるソニーのプレステ3に大きく差をつけている。
この間見たニュースでは、任天堂がこうも圧勝した理由として、
「現代の少子化や、ゲームの複雑化等に伴うゲーム離れという現状をいち早く察知し、対策を講じてきたため」
という話がある。
具体的には、ゲームの単純化や年齢層を幅広くカバーするようなゲームを多く発売してきたようだ。
なるほどね~
今起こっていることをいち早く察知する。さすが任天堂だな~と思いました。

「今」をとらえること。

これはクリスチャンにおいても霊的な部分で重要なことなんじゃないかな~と思った。
今、世界で何が起こっているか。
そして今、神さまは何をなさっているか。

我らがICF教会では、これまで病気が癒されるなどの奇跡が報告されることが度々あったが、この頃は毎週のように癒しの奇跡の証を聞く。医師でさえも解明できないような癒しも多い。また、昨年10月の祈りの祭典では会場に金粉が降るという奇跡があったが、今もなお教会で、断続的にだが起こっているという。
ICFに限らず、世界中のいろんな教会からこれまで無かったほどに多くの奇跡が報告されている。
そう考えると日本のリバイバル、そしてイエスさまの再臨もごく近いうちに起こるんだろうなぁ~と思います!

キリストの復活

2007-04-08 00:37:57 | 神さま
クリスチャンが祝う日として、主に2つの日があります。
ひとつはクリスマス、イエス・キリストの誕生を祝う日です。そしてもうひとつはイースター(復活祭)と呼ばれる、イエス・キリストの復活を祝う日です。
イースターの日は一般的に「春分の日以降で最初に満月になった日以降の最初の日曜日」という、少々複雑な定義がされています。このため、イースターの日は毎年変わります。今年は今日、4月8日です。

さて、先述の通りイースターはイエス・キリストの復活を祝う日です。死からの復活、つまり生き返りです。
イエスさまはご自身の意思で十字架にかかり、一度死なれました。しかしイエスさまは生き返ったのです。
「しかし、神はこの方を死者の中からよみがえらせたのです。」(使途13:30)

「死からよみがえるなんてあるものか!」
と思われるでしょうか。
聖書には、よみがえったイエスさまを目撃した人たちが大勢いることがはっきり記されています。

ところで、私の母が召天(死)した当時、母の実家を訪れていた僧侶にこう尋ねたことがあります。
「あなたは極楽浄土について話しているが、あなた自身は極楽浄土へ行けるのか?」
と。
その僧侶の答えは
「わからない」
というものでした。
それを聞いて以来、私はイエスさま以外に信仰を置こうと思ったことはありません。

イエスさまの死は、それまで誰も味わったことが無いほどの、恐ろしく、苦しい死でした。これから先も、このお方を超えるような死を味わう人は現れません。
ところが、史上最悪の死でも神の子であられるイエスさまを滅ぼすことはできませんでした。逆に、死がイエスさまに滅ぼされました。
「わたしは死んだが、見よ、いつまでも生きている。また、死とハデスとのかぎを持っている。」(黙示録1:18)

最悪の死にさえも勝利を収められたイエスさま。この方だけが、唯一死からよみがえられた方です。だから、この方だけに希望があるのです。

祈りの答え

2007-03-01 19:05:39 | 神さま
有名な詩なので、多分知っている人も多いと思う。
ニューヨークのある病院の壁に書かれていた落書きです。

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大きなことを成しとげるために
力を与えてほしいと神に求めたのに
謙遜を学ぶようにと
弱さを授かった
 
より偉大なことができるようにと
健康を求めたのに
よりよきことができるようにと
病弱を与えられた

幸せになろうとして  
富みを求めたのに
賢明であるようにと
貧困を授かった
 
世の中の人々の賞賛を得ようとして
成功を求めたのに
得意にならないようにと
失敗を授かった

人生を享楽しようとあらゆるものを求めたのに
あらゆることを喜べるようにと
いのちを授かった

求めたものは一つとして与えられなかったが
願いはすべて聞き届けられた

神の意に添わぬ者であるにもかかわらず
心の中で言い表せないものは
すべて叶えられた

私はあらゆる人の中で
もっとも豊かに祝福されていたのだ

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作者不詳の詩だが、とても深~い詩。
人間の考えと神の考えはこうも違うのかと思わせられますね。
この詩自体も素晴らしいのですが、この詩の作者も素晴らしいと思いました。
というのも、作者は神さまから与えられたものに気づけたからです。

日々の祈りの中で、何かを求めることがよくあります。
たとえば「車が欲しい」と願い、祈るとします。
するとその日からいつも、車が与えられたか、車が与えられていないかにばかり注目してしまうことはないでしょうか?
そして、車以外のものが既に与えられていることに気がつかないでいるのです。
もちろん、祈った通りに聞かれることもあるでしょう。
しかし、神さまは私たちに最善をなさる方。私たちが思っている最善と神さまがお思いになる最善とは一致していないことがよくあります。

祈りが聞かれないとき、神さまに対してよく「どうして」と聞きます。
「主よ、どうして私の願いに応えてくださらないのですか!?」
神さまの最善を期待して「どうして」から「何を」に変えてみてはどうでしょうか?
「主よ、あなたは私に何をなさろうとしておられるのでしょうか?」

機械発言

2007-02-24 00:39:50 | 神さま
「産む機械」だとか「さびきった機械」発言

人を機械呼ばわりとは、ひどい話だ・・・
国のために祈ることは私たちの義務とさえ言えるほど大事なことだが、こんな有様じゃあとても祈る気には・・・

・・・と考えることはサタンの思うツボだと思うので、これまでよりももっと祈ろうと思った( ̄~ ̄)

神さまの御心って、だいたいの場合私たちの人間的な思いと正反対だな~と思う

無量大数

2007-02-17 15:18:01 | 神さま
小学生の頃、友人同士でよく「無量大数」という言葉を使っていたことをふと思い出した。
無量大数とは数値の単位で、一・十・百・・・と続く最後の単位、10の68乗を表す。
昔は、何かあるたびにこの単位を持ち出し「とにかくスゴイんだ!」ということをアピールしていたっけ(数学的な知識なしに・・・)

今回は久しぶりに伝道メッセージです。

自分の罪(聖書でいう罪とは「神様の御心から外れたこと」です)を数値で表現すると、いったいいくつになるんだろうと考えてみた。
考えてみたものの、もちろん全く予想がつかない・・・

が、確信を持って言えることがあります。
神さまの愛・ゆるしは無量大数以上、数値で表現できないほどの大きなものであるということです。
「人知をはるかに越えたキリストの愛」(エペソ3:19)
とある通り、人の知恵で計り知ることの出来ないほど大きな愛です。

「私はこう確信しています。死も、いのちも、御使いも、権威ある者も、今あるものも、後に来るものも、力ある者も、高さも、深さも、そのほかのどんな被造物も、私たちの主キリスト・イエスにある神の愛から、私たちを引き離すことはできません。」(ローマ8:38~39)
神さまの愛は、すべてに勝ります。

神さまの愛は2000年前にはっきりと表されました。イエス・キリストの十字架です。
神さまはご自分の子であるイエス・キリストを十字架にはりつけ、罪なきこの方に私たちの全ての罪を負わせ、最大の罪人として、本来罰せられるべき私達に代わって罰せられました。
そのため、今私たちはこの方を信じることで罪がゆるされるのです。このゆるしには、一人の例外もありません。
また、このゆるしをいただくのに何の代償もありません。修行も、お布施も何もいりません。ただ、自分が罪人であることを認め、イエス・キリストの十字架の愛を信じて受け入れるのみです。

明日は日曜日です。最寄の教会へお出かけになることをおすすめします。

使徒4章32節

2007-02-08 00:51:56 | 神さま
マイミクのtakaさんと少し話したんだけど

「信じた者の群れは、心と思いを一つにして、だれひとりその持ち物を自分のものと言わず、すべてを共有にしていた。」
(使徒4章32節)

ここの「信じた者」を「教会」に置き換えて考えると、どんなに素晴らしいことだろう。。。
一人一人のクリスチャンにそれぞれ違った賜物が与えられているように、教会においてもそれぞれ違った長所がある。
例えばICFは賛美が素晴らしい教会とよく言われるし、愛隣チャペルであれば日本では他に例を見ないような子ども伝道の成功ぶりだろうか。
(私がよく知っている教会はこの2つなので、私の日記にはほとんどこれしか出てこない・・・)

教団・教派という枠を超えて(それらをないがしろにしてしまえと言うわけではなく)、「イエスは主」という根底にある一致に基づき、それぞれの長所を活かして補い合った働きができたらイイのになーと思う。

ビル・ウィルソン牧師の話

2007-01-22 00:57:31 | 神さま
ビル・ウィルソンというアメリカ人の牧師がいます。
アメリカのスラム街で、子どもへの伝道者として有名な牧師で、その働きの中で銃で撃たれたりと何度もいのちの危険にさらされながらも、救いのため主に献身し続けている方です。
彼の元で起こった、ひとつの実話をご紹介。


ある時、彼の元に一人の婦人が来ました。
婦人が言うには、
「先生、私はあなたのお手伝いがしたいです」
とのこと。
ビル先生は困ってしまいました。
と言うのも、この婦人は英語が話せなかったからです。
考えた末ビル先生は婦人に、教会と街とを行き来するバスの中で子ども達の世話をすることをお願いしました。
婦人は教会のスタッフから英語を習い、何とか二つの英文を覚えました。
 "I love you."(私は君を愛しているよ)
 "Jesus loves you."(イエスさまは君を愛しているんだよ)

教会へ向かうバスの中で、婦人は一人の幼い男の子に目が留まりました。
その姿から、貧しい家庭の子であることがすぐ分かりました。
婦人がその男の子を呼ぶと、婦人のひざの上へピョンと飛び乗りました。
婦人は、覚えた二つの英語で男の子に話しました。
 "I love you."(私は君を愛しているよ)
 "Jesus loves you."(イエスさまは君を愛しているんだよ)

教会へ着くと、男の子は婦人のひざから降り、バスを降りました。
男の子は終始無言で、それは帰りのバスの中でも同様でした。
そんな日々が繰り返されました。

そしてある日、いつものように教会からの帰りのバスを降りようとした男の子が立ち止まり、初めて婦人に言いました。
 "I also love you."(僕もあなたを愛しているよ)

その日の夕方、この男の子は街のゴミ箱から遺体で見つかりました。
両親から虐待されたのです。

プチ伝道

2007-01-20 23:28:37 | 神さま
昨日は会社の同僚数人と例の喫茶店で昼食。

これまで、教会のちょっとした話をする程度がほとんどだったんですが、ようやく伝道らしい伝道をする機会に恵まれました。
相手は他所の会社の方々ということで、立場的に難しいものなんですが・・・

今回は結構深い話が出来ました。
アダムの原罪、十字架、裁きの日、罪、救いetc
イエスさまのことを話すのは楽しいな~っと。
話し出すと止まりません。J師がいつもメッセージの最中だんだんヒートアップしてくる気持ちがわかる。。。
この方々はまだ救われていませんが、インパクトを与えることは出来たと思う。

そういえばだいぶ前、とある定食屋で伝道していた時も知らないうちにアツくなっていたのを思い出した。
最初は穏やかに話していて、周りでは知らない人たちの雑談の声が聞こえてきていたんですが、いつの間にかアツくなっていて、周りもシーンとして聞いているようでした・・・

私たちには聞きなれている福音だけど、イエスさまを知らない人たちにとっては新鮮に聞こえるのだろうねぇ。

剣の年

2007-01-20 02:10:49 | 神さま
詳しいところはあんまり分かっていないが、2006年10月からヘブルの年でSWORD(剣=みことば、預言・賛美)という年だそうだ。

そういえば、日記にも書いた通り私は昨年10月に、剣にまつわる幻を3つ与えられている。
剣の年の始まりについて知ったのは今日で、幻を与えられた当時は全然知らなかったのだが・・・

もう、主を畏れるばかりです。。。