むー、ホントは23日に書きたかったんだけどずーっと忙しくて今日になってしまった・・・。
というのも、11月23日は私にとって特別な日。母親の4回目の命日なのだ。
で、今更だけど当時の回想を書いてみる。かなり長文。
2001年11月22日のこと。
夜、私が仕事から帰ってくると、母が「具合が悪い」と言っていた。
どうせ風邪か何かだろうと思っていたので、大して気にかけていなかった。
というのも、母は昔から病弱で、よく風邪をひいたりしていたからだ。
だから、今回もそんなところだろうと思っていた。
だけど、今回のは重度の風邪のようだった。ひどい頭痛がすると言い、嘔吐を
繰り返していた。
もう夜なので、母と話してとりあえず今日は安静にして、明日になっても良くならない
ようならば病院に行くということにした。
翌日、母は昼頃に起きた。昼食を終えてしばらくテレビを見ていたが、やはり
具合が悪そうだった。症状は良くなっていない。
夕方になって、母が突然「救急車を呼んで欲しい」と言い出した。
私は「風邪ぐらいでそんな大袈裟な・・・」と思ったので、代わりに風邪薬を買ってきて
飲ませた。
そして母は再び布団に入って休んでいた。
母はそのままずっと寝ていたが、安静にしているところを起こしたくなかったので、
そのままにしておいてあげた。
でもさすがに心配になったので、深夜になってから眠っている母の額にそっと手を置いてみた。
認めたくなかったが、手に伝わってきた温度は冷たく、死んでいることが分かった。
単なる風邪だと思っていたし、突然のことだったので、なぜこんなことになったのか
解らなかった。
何も考えられないまま、身内の数件に電話してこのことを知らせた。救急車も呼んだが、
既に手遅れだった。
少しして大勢集まり、おじいちゃんが泣きながら「どうにもならなかったのか」と言った。
もとはといえば、母の病状から風邪だと思い込み、母の「救急車を呼んで欲しい」という
訴えも真に受けなかった私に責任がある。
もっと大事をとって考えて行動していれば、あるいは・・・どうにかなったかもしれない。
そういえばこのことの少し前から、母はまるで自分の死期を悟ったかのような
ことを言っていた。
「葬儀は教会でやりたい」とか、携挙(神が人を生きたまま天国に引きあげること)のことを
母の口から何度か聞いた。
死因は急性のクモ膜下出血。死期を悟るなんて出来なかったハズなのだが。
母はこの日より一年くらい前からICF教会に通っているクリスチャンだった。
私もそのことを知っていたが、特に何とも思っていなかった。教会のことを
良くも悪くも思っていなかったからだ。
時折、私に教会へ一緒に行こうと誘うこともあったが、日曜日だしゆっくり
していたいということもあり、結局一緒に行くことは一度も無かった。
葬儀は母の意に反して仏教式で行われた。当時私はクリスチャンではなかったし、
母が通っていたICF教会には一度も足を踏み入れたことは無かった。
それ以前に、生前の母の言葉を思い出す余裕も無かったか。
葬儀にはICF教会の人たちも数人来てくれた。
葬儀の日から数日間は身内の人達が毎日来て、食事を作ってくれたりと世話になった。
心配をかけたくなかったので平静を装っていたが、心の内は空虚だった。
シンガーソングライターである(故)村下孝蔵の「引き算」という歌に
「はかなきは生きること」というフレーズがある。
その通り、生きることってはかない、空しいことだ。
何のために生きるんだろう。
なぜ、生きているんだろう。
なぜ、生きなければならないんだろう。
そう考えていると、一つの案が浮かんだ。
死のう。生きる意味が解らないから。
どんな人でも必ず経験するのが、生と死。生まれることと死ぬこと。
それぞれいろんな環境の中で生まれ、両親に育てられ、入学して卒業し、就職して退職し、
やがて死ぬ。
生まれても、いずれどのようにしてかは解らないけれど、必ず死ぬ。
ならば、今死んでも同じことではないのか。
母がいなくなり、これからは独り暮らしを余儀なくされる。
これからの生活は大変なものになることは明らかだった。
だから、死のうと思った。
そう思ったものの、結局何も出来ずに数日が経過。
週末になって、母と同じ職場で働いていたICF教会の人から電話が来た。
「教会に行かないか」という誘いだった。
母が行っていた教会だ。死ぬ前に見ておくのもいいだろう。
初めて入った教会だったが、皆とても親切にしてくれた。
一番印象に残ったのは、皆すごく生き生きしていたこと。
そういえば小学生の頃に一時期通っていた愛隣チャペルという教会も、皆生き生き
していたっけ。
この日私はクリスチャンになったわけだけど、もっと前からクリスチャンであれば、と後悔した。
思い返してみると、神さまはクリスチャンになるためのチャンスを何度も与えて
くださっていた。
でも私はそのチャンスをことごとく見過ごしてしまっていた。
そして今ではそのことを後悔している。
人は皆神さまに愛されていて、生きるために生まれる。
そんな中、ただ一人イエスさまだけは死ぬためにお生まれになった。私が生きるために。
私のために支払われた、神の子イエス・キリストという大きな犠牲。それを無駄に
したくないから生きよう。
というのも、11月23日は私にとって特別な日。母親の4回目の命日なのだ。
で、今更だけど当時の回想を書いてみる。かなり長文。
2001年11月22日のこと。
夜、私が仕事から帰ってくると、母が「具合が悪い」と言っていた。
どうせ風邪か何かだろうと思っていたので、大して気にかけていなかった。
というのも、母は昔から病弱で、よく風邪をひいたりしていたからだ。
だから、今回もそんなところだろうと思っていた。
だけど、今回のは重度の風邪のようだった。ひどい頭痛がすると言い、嘔吐を
繰り返していた。
もう夜なので、母と話してとりあえず今日は安静にして、明日になっても良くならない
ようならば病院に行くということにした。
翌日、母は昼頃に起きた。昼食を終えてしばらくテレビを見ていたが、やはり
具合が悪そうだった。症状は良くなっていない。
夕方になって、母が突然「救急車を呼んで欲しい」と言い出した。
私は「風邪ぐらいでそんな大袈裟な・・・」と思ったので、代わりに風邪薬を買ってきて
飲ませた。
そして母は再び布団に入って休んでいた。
母はそのままずっと寝ていたが、安静にしているところを起こしたくなかったので、
そのままにしておいてあげた。
でもさすがに心配になったので、深夜になってから眠っている母の額にそっと手を置いてみた。
認めたくなかったが、手に伝わってきた温度は冷たく、死んでいることが分かった。
単なる風邪だと思っていたし、突然のことだったので、なぜこんなことになったのか
解らなかった。
何も考えられないまま、身内の数件に電話してこのことを知らせた。救急車も呼んだが、
既に手遅れだった。
少しして大勢集まり、おじいちゃんが泣きながら「どうにもならなかったのか」と言った。
もとはといえば、母の病状から風邪だと思い込み、母の「救急車を呼んで欲しい」という
訴えも真に受けなかった私に責任がある。
もっと大事をとって考えて行動していれば、あるいは・・・どうにかなったかもしれない。
そういえばこのことの少し前から、母はまるで自分の死期を悟ったかのような
ことを言っていた。
「葬儀は教会でやりたい」とか、携挙(神が人を生きたまま天国に引きあげること)のことを
母の口から何度か聞いた。
死因は急性のクモ膜下出血。死期を悟るなんて出来なかったハズなのだが。
母はこの日より一年くらい前からICF教会に通っているクリスチャンだった。
私もそのことを知っていたが、特に何とも思っていなかった。教会のことを
良くも悪くも思っていなかったからだ。
時折、私に教会へ一緒に行こうと誘うこともあったが、日曜日だしゆっくり
していたいということもあり、結局一緒に行くことは一度も無かった。
葬儀は母の意に反して仏教式で行われた。当時私はクリスチャンではなかったし、
母が通っていたICF教会には一度も足を踏み入れたことは無かった。
それ以前に、生前の母の言葉を思い出す余裕も無かったか。
葬儀にはICF教会の人たちも数人来てくれた。
葬儀の日から数日間は身内の人達が毎日来て、食事を作ってくれたりと世話になった。
心配をかけたくなかったので平静を装っていたが、心の内は空虚だった。
シンガーソングライターである(故)村下孝蔵の「引き算」という歌に
「はかなきは生きること」というフレーズがある。
その通り、生きることってはかない、空しいことだ。
何のために生きるんだろう。
なぜ、生きているんだろう。
なぜ、生きなければならないんだろう。
そう考えていると、一つの案が浮かんだ。
死のう。生きる意味が解らないから。
どんな人でも必ず経験するのが、生と死。生まれることと死ぬこと。
それぞれいろんな環境の中で生まれ、両親に育てられ、入学して卒業し、就職して退職し、
やがて死ぬ。
生まれても、いずれどのようにしてかは解らないけれど、必ず死ぬ。
ならば、今死んでも同じことではないのか。
母がいなくなり、これからは独り暮らしを余儀なくされる。
これからの生活は大変なものになることは明らかだった。
だから、死のうと思った。
そう思ったものの、結局何も出来ずに数日が経過。
週末になって、母と同じ職場で働いていたICF教会の人から電話が来た。
「教会に行かないか」という誘いだった。
母が行っていた教会だ。死ぬ前に見ておくのもいいだろう。
初めて入った教会だったが、皆とても親切にしてくれた。
一番印象に残ったのは、皆すごく生き生きしていたこと。
そういえば小学生の頃に一時期通っていた愛隣チャペルという教会も、皆生き生き
していたっけ。
この日私はクリスチャンになったわけだけど、もっと前からクリスチャンであれば、と後悔した。
思い返してみると、神さまはクリスチャンになるためのチャンスを何度も与えて
くださっていた。
でも私はそのチャンスをことごとく見過ごしてしまっていた。
そして今ではそのことを後悔している。
人は皆神さまに愛されていて、生きるために生まれる。
そんな中、ただ一人イエスさまだけは死ぬためにお生まれになった。私が生きるために。
私のために支払われた、神の子イエス・キリストという大きな犠牲。それを無駄に
したくないから生きよう。