エクレシア

へっぽこクリスチャン・翔の暴走爆裂ブログ

はかなきは生きること

2005-11-29 20:19:26 | 神さま
 むー、ホントは23日に書きたかったんだけどずーっと忙しくて今日になってしまった・・・。
というのも、11月23日は私にとって特別な日。母親の4回目の命日なのだ。
で、今更だけど当時の回想を書いてみる。かなり長文。


2001年11月22日のこと。
夜、私が仕事から帰ってくると、母が「具合が悪い」と言っていた。
どうせ風邪か何かだろうと思っていたので、大して気にかけていなかった。
というのも、母は昔から病弱で、よく風邪をひいたりしていたからだ。
だから、今回もそんなところだろうと思っていた。
だけど、今回のは重度の風邪のようだった。ひどい頭痛がすると言い、嘔吐を
繰り返していた。
もう夜なので、母と話してとりあえず今日は安静にして、明日になっても良くならない
ようならば病院に行くということにした。

翌日、母は昼頃に起きた。昼食を終えてしばらくテレビを見ていたが、やはり
具合が悪そうだった。症状は良くなっていない。
夕方になって、母が突然「救急車を呼んで欲しい」と言い出した。
私は「風邪ぐらいでそんな大袈裟な・・・」と思ったので、代わりに風邪薬を買ってきて
飲ませた。
そして母は再び布団に入って休んでいた。
母はそのままずっと寝ていたが、安静にしているところを起こしたくなかったので、
そのままにしておいてあげた。
でもさすがに心配になったので、深夜になってから眠っている母の額にそっと手を置いてみた。
認めたくなかったが、手に伝わってきた温度は冷たく、死んでいることが分かった。
単なる風邪だと思っていたし、突然のことだったので、なぜこんなことになったのか
解らなかった。
何も考えられないまま、身内の数件に電話してこのことを知らせた。救急車も呼んだが、
既に手遅れだった。
少しして大勢集まり、おじいちゃんが泣きながら「どうにもならなかったのか」と言った。

もとはといえば、母の病状から風邪だと思い込み、母の「救急車を呼んで欲しい」という
訴えも真に受けなかった私に責任がある。
もっと大事をとって考えて行動していれば、あるいは・・・どうにかなったかもしれない。


そういえばこのことの少し前から、母はまるで自分の死期を悟ったかのような
ことを言っていた。
「葬儀は教会でやりたい」とか、携挙(神が人を生きたまま天国に引きあげること)のことを
母の口から何度か聞いた。
死因は急性のクモ膜下出血。死期を悟るなんて出来なかったハズなのだが。

母はこの日より一年くらい前からICF教会に通っているクリスチャンだった。
私もそのことを知っていたが、特に何とも思っていなかった。教会のことを
良くも悪くも思っていなかったからだ。
時折、私に教会へ一緒に行こうと誘うこともあったが、日曜日だしゆっくり
していたいということもあり、結局一緒に行くことは一度も無かった。

葬儀は母の意に反して仏教式で行われた。当時私はクリスチャンではなかったし、
母が通っていたICF教会には一度も足を踏み入れたことは無かった。
それ以前に、生前の母の言葉を思い出す余裕も無かったか。
葬儀にはICF教会の人たちも数人来てくれた。
葬儀の日から数日間は身内の人達が毎日来て、食事を作ってくれたりと世話になった。
心配をかけたくなかったので平静を装っていたが、心の内は空虚だった。


シンガーソングライターである(故)村下孝蔵の「引き算」という歌に
「はかなきは生きること」というフレーズがある。
その通り、生きることってはかない、空しいことだ。
何のために生きるんだろう。
なぜ、生きているんだろう。
なぜ、生きなければならないんだろう。
そう考えていると、一つの案が浮かんだ。

死のう。生きる意味が解らないから。

どんな人でも必ず経験するのが、生と死。生まれることと死ぬこと。
それぞれいろんな環境の中で生まれ、両親に育てられ、入学して卒業し、就職して退職し、
やがて死ぬ。
生まれても、いずれどのようにしてかは解らないけれど、必ず死ぬ。
ならば、今死んでも同じことではないのか。

母がいなくなり、これからは独り暮らしを余儀なくされる。
これからの生活は大変なものになることは明らかだった。
だから、死のうと思った。


そう思ったものの、結局何も出来ずに数日が経過。
週末になって、母と同じ職場で働いていたICF教会の人から電話が来た。
「教会に行かないか」という誘いだった。

母が行っていた教会だ。死ぬ前に見ておくのもいいだろう。
初めて入った教会だったが、皆とても親切にしてくれた。
一番印象に残ったのは、皆すごく生き生きしていたこと。
そういえば小学生の頃に一時期通っていた愛隣チャペルという教会も、皆生き生き
していたっけ。
この日私はクリスチャンになったわけだけど、もっと前からクリスチャンであれば、と後悔した。

思い返してみると、神さまはクリスチャンになるためのチャンスを何度も与えて
くださっていた。
でも私はそのチャンスをことごとく見過ごしてしまっていた。
そして今ではそのことを後悔している。


人は皆神さまに愛されていて、生きるために生まれる。
そんな中、ただ一人イエスさまだけは死ぬためにお生まれになった。私が生きるために。
私のために支払われた、神の子イエス・キリストという大きな犠牲。それを無駄に
したくないから生きよう。

病歴登録プログラム

2005-11-17 22:08:03 | 雑記
今、仕事では病院関係のシステムを開発してます。
最近私が手がけたプログラムに、病歴登録というものがあります。
患者さんの、これまでかかった病気の履歴を作るヤツです。
だいたい一週間くらいで完成させたんですが、その時のハナシでも。

画面には患者の病歴のリストが表示されていて、画面に表示されている病名が
書かれたボタンをクリックすると、その病名がリストに登録されるワケです。
んで、病名のデータベースがあるんだよね。何万って数の病名が登録されてるやつが。
プログラムがある程度出来上がってくると、動作確認のために実際に動かして
テストします。
で、テキトーに患者データを作って、その患者に病歴を登録してみます。
「さーて、どんな病気を登録してやろうかなー」
と考えて、いろいろ病名データベースを見ていると、あるわけですよ、意味不明なのが。

「あくび」
・・・あくびって、病気なのか?

「ためいき」
ためいきが病気なら、いったいどれだけの人が・・・

「チャンス骨折」
チャンスって何だ

「雷撃」
雷撃って、文字通り雷に撃たれた人のことですか!?


診察の時、こんな会話がされるんだろうか。
医者「これまでにかかった病気はありますか?」
患者「雷撃です」

怪しすぎ・・・

若者でも夢を見る

2005-11-16 21:20:43 | 神さま
お久しぶりでございます。
2,3日前に見た夢の証でも書こうかな、と。
ただ、私自身のためだけに与えられたようなカンジのものだったので、
私自身に対する誉れとなるんじゃないかとか考えると、書こうか迷ってましたが、
書きます。ただし、ちょっと隠してみる。

↓↓↓ここに、知恵が必要である。(黙示録13章18節)

私と、ICFのJ先生を含む数人でアウトリーチに行った夢です。
行き先はインド。
みんなで、1000人くらいの人がいる大きな集会に参加しているようでしたが、
とても異様な光景でした。
というのも、その会場のど真ん中に巨大な大仏があるではありませんかっ。
(インドに本当にこのようなものがあるのかは知りませんが、まぁ夢の中のハナシなので)
仏教徒の集会のようですが、なぜか私たちはそこにいました。
で、集会の司会者が何やらしゃべってます。
その中で、思いもしない言葉が出てきました。

「この中にクリスチャンの方はいますか? いましたら前へ来てください」
この時の、司会者の下劣な笑みときたら。
きっとクリスチャンの人達をみんなの前で処刑するのか、晒し者とするつもりなのでしょう。
このアナウンスから少しして、前の方で3,4人がゆっくりと立ち、前の司会者の方へ
歩き出しました。
私も立ちました。J先生を含む他のICFメンバーは危険を察したのか、座ったまま
でした。
(隠して書いているのは、このことのためでもあり・・・)

司会者のそばに来ました。
結局前に出て来たのは私と、先に前に出た3,4人だけでした。
司会者が次に口を開くより早く、私は衝動に駆られるように大声でイエス・キリストの福音を
語りだしました。

そして語り終えると、なんと1000人近くいた参加者全員が涙を流しながら前に出て
来たのです。
この1000人もの人たちが皆その場でイエスさまを主として受け入れ、救われたのです。

以上。

※リンクを2つ追加しました。ご覧あれー

映画撮影近況

2005-11-06 23:44:37 | ICF
書き込むの、お久しぶりになっちゃいました。何かと忙しくてねぇ。

今日は監督不在のため、監督以外の私を含む数名でやりました。
が!!
撮影に割ける時間はあんまり無かったんですが、それでも30分ありました。
ところが撮影時間は全部合わせて5分程度。
撮影すると皆張り切って教会を出て行ったものの、実際は雑談ばかりで撮影時間が
ほとんど取れなかったんです。時間が無いって分かってるはずなのに、どういうこったい・・・

グループのあり方をマジメに考えないとならないね。