エクレシア

へっぽこクリスチャン・翔の暴走爆裂ブログ

祈りの祭典レポ7「連鎖祈祷その1」

2006-10-30 21:45:20 | ICF
昨日からmixiのプロフィール画像を変えてますが、重大なミス発覚!
大きいほうの手はイエスさまの手、小さいほうは私の手というイメージで作成した画像でしたが、、、

「イエスさまの手に釘の痕が無いっ!!!」
というわけで急遽修正。

さて、祈りの祭典レポート。聖会編は前回で終了し、今回からは20日夜~21日朝にかけて行われた連鎖祈祷についてのレポート。
連鎖祈祷そのものは聖会間の休憩時間にも行われてきたが、そちらは不参加だったのでレポートもなし・・・。
連鎖祈祷編を3,4回、最後にまとめで1回にて本レポートは終了予定。

連鎖祈祷は、エルサレムにある祈りの塔が採っている、世界を12のエリアに分割し、それぞれのエリアにある国々に対して2時間ずつ祈る、という方式にならい、北海道の中心地から12のエリアへ、2時間ずつ祈るというものでした。
ずーっと祈りっ放しというわけではなく、主に賛美・祈り・御言葉の分かち合いといった内容で行われました。
私が参加した中で最初にあたるのは20日21時~24時(この回だけ3時間)の連鎖祈祷。
夜の割と早い時間のためか、参加者は約15名。
祈りの課題として挙げられた中で、個人的に特に印象に残ったのは
 ・個人が持つ何らかの恐れ(証や伝道すること)からの解放
 ・ロシアにおけるギリシャ正教によるキリスト教会の迫害
です。
日本のクリスチャン人口は1%未満と言われていますが、これまで献身的に伝道して来ていればこんな数字にはならなかったのではないだろうかと思わされました。
献身的に伝道した結果がこれだとすれば、よほど悪霊の働きが強いということか・・・
ロシアでの迫害については全く知りませんでした・・・。

他に、富良野・上川・名寄・江差に対する祈りや聖会の中でも挙げられた、教会の一致や牧師の祝福のための祈りなど。
改めて、北海道にはまだまだ(伝道という面において)未開拓の地が多いんだなーと考えさせられました。


24:00~翌02:00はICFがリードの番。ジェリー師&Gスちゃんが登場。
参加者は8人。うちICFは6人。
賛美、もうちょっとメジャーな曲の方が良かったのでは・・・という気が(他教会の方々がついて来れていないように見えました)
祈りの課題として挙げられたもののうち3つを分かち合いたいと思います。
 ・聖霊の炎が教会、クリスチャンに下るように
 ・日本の政治家、芸能人などにクリスチャンが起こされるように
 ・クリスチャンが神の視点による考え方が出来るように

聖霊の炎について。
聖会の中でも「牧師が人間的な限界を超えた働きが出来るように」という祈りの課題が挙げられましたが、これを成就するにはどう考えても聖霊様の働きなくしては不可能。
私は牧師ではありませんが、いつどんな時でも聖霊様を求めていきたいものです。

クリスチャンの政治家、芸能人について。
今、本当に必要だと思います。これらに限らず、学校などの社会に大きく影響を与えるような地位にクリスチャンの働きがあればと思ってます。
特に学校では最近、自殺など悲惨な事件が多いですから・・・

神の視点による考え方について。
個人的に、とーっても驚いたことがあります。
「神の視点による考え方」ということで、ジェリー師が第二列王記の13章16~19節を引用されたんですが、、、
この箇所って私が10月18日付の日記(http://mixi.jp/view_diary.pl?id=247084770&owner_id=2860840)で書いた箇所と全く一緒じゃあありませんかっ!!!
(私はこの箇所から「考え方」ではなく「忍耐強い祈り」ということで書きましたが。。。)
あわわわわ、、、驚きと同時に主を賛美しつつ、恐れかしこみます・・・。

「彼はイスラエルの王に、「弓に手をかけなさい。」と言ったので、彼は手をかけた。すると、エリシャは自分の手を王の手の上にのせて、「東側の窓をあけなさい。」と言ったので、彼がそれをあけると、エリシャはさらに言った。「矢を射なさい。」彼が矢を射ると、エリシャは言った。「主の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを打ち、これを絶ち滅ぼす。」
ついでエリシャは、「矢を取りなさい。」と言った。彼が取ると、エリシャはイスラエルの王に、「それで地面を打ちなさい。」と言った。すると彼は三回打ったが、それでやめた。
神の人は彼に向かい怒って言った。「あなたは、五回、六回、打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って、絶ち滅ぼしたことだろう。しかし、今は三度だけアラムを打つことになろう。」(第二列王記13章16~19節)

私たちの働きって、時に単なる自己満足で終わってしまうことがあるのではないでしょうか?
主が真にお望みになっていることが達成される前に、です。
何事においても、神さまの視点から物事を考えられるように、というメッセージでした。

他に「日本ハムファイターズが主の栄光のために用いられますように」という課題もありました。ジェリー師らしい・・・。


今回のレポートはここまで。
なお、祈りの課題についてはメモしきれた分だけ「札幌+近郊のクリスチャン」コミュに挙げてありますので、よろしければ参考にして下さい。

祈りの祭典レポ6「特権(聖会6)」

2006-10-29 01:55:48 | ICF
今月の携帯電話の請求額は、機種変更の際のキャンペーン等が適用されてわずか700円だった。歯医者への通院も先日終わり、しかも今月から給料が上がったので、今月はかなり金銭的に余裕がある。そこで今日は服を買った。
普段はユニクロで買うが、ユニクロは安い分(?)デザインがシンプルなのが多いので、今日は近所のゼビオにて購入。ゼビオも意外と安かった。今日使ったお金は計5000円。
今日は区域礼拝がありましたが、その中で2人の姉妹も服を買ったそうな。今日はそういう日なの?

ところでICFの皆様、マタイ師がメッセージされた22日の礼拝CDは2枚目があります!
1枚目は普段通り賛美とメッセージですが、2枚目は祈りの時間を収録したものです。2枚目は完全受注生産となっていますので、欲しい方は翔までご一報願います。

さて、いよいよ聖会6のレポートです。
メッセンジャーは我らがICFのジェリー師。最後の聖会にして、改めてこの「祈りの祭典」の目的を思い起こされた。
 ・教会の一致のために
 ・私たちが変えられるために

ジェリー師のメッセージの中で特に「特権」という言葉が印象に残りました。

「感謝しつつ、主の門に、賛美しつつ、その大庭に、はいれ。主に感謝し、御名をほめたたえよ。」(詩篇100篇4節)
神さまが私たちに与えてくださった恵みは、私たちが一生かかっても感謝しきれないほど多いハズだが、私たちはいったいどれだけのこと「しか」感謝していないことだろうか。
 ・住む家があること
 ・食べるものがあること
 ・今生きていること」
  etc...
クリスチャンにとってはこれらに加え
 ・主を礼拝できること
 ・日曜日は教会へ行けること
 ・色んな集会へ参加できること
  etc...
などの、クリスチャンにしかない「特権」が加わる。
これらすべて、主の恵み。感謝する人になりましょう。
「喜びをもって主に仕えよ。喜び歌いつつ御前に来たれ。」(詩篇100篇2節)


最後の聖会ということで、聖餐式が行われた。
イエスさまがすぐ側に立っておられるのを感じた。十字架の贖いと、聖餐の恵みに預かれることに精一杯感謝してパンとぶどう酒を頂いた。


余談ですが、今、先日買ったミクタムのCD"Holy Power"から「聖霊の雨」という曲を聴いている。すごくいい曲ですよー。
「聖霊の雨で私を満たし、強めて下さい、主よ」
聖霊様の力が全て。。。聖霊様なしに私たちはいったい何ができるだろうか?
聖霊様によって人は癒され、地は癒される。

人は、変えられる。

祈りの祭典レポ5「イエス・キリストにあって(聖会5)」

2006-10-28 12:17:34 | ICF
祈りの祭典が終わって最初の金曜祈り会がありました。なんだかとても解放感に溢れていたように感じます。
金粉の奇蹟が祭典の後も続いていたとは驚きですねー。


さて、祈りの祭典レポート。聖会5は再びマタイ師のメッセージでした。
この聖会で印象に残った言葉は
 ・イエスさまにあって全てのことが可能
 ・神の力を制限してしまうのは私たちの不信仰
 ・御言葉は全て必ず成就する
 ・神さまとの関係をなるべく単純に
 ・力と権威をもって、大胆に祈る
 ・力ある御名、イエス

特に「神さまとの関係を単純に持つ」ということ。これが一番印象深いものでしたねー。
世の中いろんな神学書などが出ていますが、神さまとの関係を一言で言えば「親子」でしょう。
「ああしないと主に喜ばれない」「これをすると祝福がある」
神さまとの関係を複雑に、そして宗教的なものに成り下がらせてしまっているのは私たちのかたくなさなのかも知れませんね。

もうひとつ「力と権威をもって、大胆に祈る」ということについて。
聖書の中では「主に呼ばわった」といった表記が結構多く見られます。「呼ばわる」とは日常あんまり使わない言葉かもしれませんが、これは「叫ぶ」という意味です。「主に呼ばわった」とは「主に叫び求めた」と訳しても良いでしょう。
なので、当時の人々の祈りは決して「主よもしも御心でございますならばどうか・・・」といった弱々しい祈りではなかったはずです。
私たちは天の父の子です。
私たちには、お父さんに向かって大胆に求める権利があります。

ところで、実は今回の祭典でひとつ危惧していることがありました。
海外の集会で、中にはいわゆる「偽者」の働きもあるということを知っていたからです。そのため、どうしてもマタイ師を信用しきることができないでいたのですが、この聖会でそれも無くなりました。
マタイ師が「私がするのではありません。イエスさまがなさるのです!」と仰ったのがそのキッカケです。
これを聞いたとき「ああ、この器はホンモノだな」と。
そして師を信頼しきることができた時、聖霊様の強い満たしを感じ、涙が止まらなくなってしまいました(;;)
そして主に向かって手を伸ばし賛美していると、イエスさまが私の手を握って下さっているように感じました。

素晴らしい聖会としてくださった主に感謝!!

祈りの祭典レポ4「金の雨(聖会4)」

2006-10-26 23:31:00 | ICF
昨日買ったCDを聞きながらこれ書いてます。
くるくるMEBIG(中高生グループ)のCD、な、なんなんだこれはっ!!!
熱い! 熱すぎるぞ!!!
ICFのユースも負けていられませんぞ!

んで、祈りの祭典レポート4回目。聖会4は大久保師によるメッセージでした。
今回の祭典での、唯一の女性メッセンジャーです。
個人的に特に印象に残った言葉が「主は言われたことをなさる神」ということ。
クリスチャンからみれば当然なんですけどね。改めて考えてみると、これほど心強いことは無いのではないでしょうか?
私たちの主は、仰ったことを責任を持って必ず実行なさいます。
親鸞や釈迦も、良いことを言いました。しかし責任は取らない(取れない)のです。

また、神さまの愛の深さについても語られました。
イエスさまを十字架に磔にし、呪い、殺したのは神さまです。
「木にかけられる者はすべてのろわれたものである。」(ガラテヤ人への手紙3章13節)

何年も前ですが、中澤イサク師が神さまの愛についてこんな喩えをしていたのを覚えています。
「イエスさまを十字架に磔にして殺したと言うのは、道端でのたれ死のうとしている名も知らぬ野良犬を助けるために自分の子を殺すようなものだ」
と。
こんなこと、いったい誰ができるというのでしょう。それほど、主の愛は深いもの。。。

他、この聖会で印象に残った言葉を箇条書きで紹介。
 ・日本のリバイバルは世界に必要
 ・神さまが用意されたものを「ください」というのが祈り
 ・什一献金、奉仕を「させていただく」
 ・日本の国旗は梅干ではなく太陽

聖会の終盤で姉妹のために特別に祈る時間を取りました。
その後、西森師よりメッセージ。
北海道の開拓のために、多くのアイヌが殺されたとのこと。
ロシアの侵攻を抑えるため、急いで北海道を開拓した結果らしい。

中国、韓国、朝鮮から労働力を輸入(「ウサギ狩り」と言うらしい)し、無茶な労働でやがては殺してしまう・・・。正気の沙汰じゃないよね。
ところで、北朝鮮による拉致被害者のことで日本が北朝鮮に対して怒りを燃やしている昨今ですが、北朝鮮の視点から見れば、日本から受けた非人道的な残虐行為と比べればカスみたいなものとさえ言えるようだ。
なのに、自分のことを棚に上げて北朝鮮が一方的に悪いみたいな言い方をしている日本って・・・日本の罪は大きいね。

「これほどまでに罪深いことをしてきた日本なのに、私はそんな歴史さえ知らなかった」
そう思うと涙が出てきます。。。

さて、西森師より祈りの課題が挙げられました。
 ・アイヌに対して日本人がしてきたことに対する悔い改め
 ・アイヌの自然崇拝の罪の赦しのために
 ・アイヌへの伝道のために
 ・日本がアジアにしてきた大罪の赦しのために
 ・北海道が宣教の拠点となるように

聖会が終わって、何やらステージの方が騒がしいなーと思い近づいてみると・・・
なんと金粉が一面に散らばってるじゃあないですかっ!!!
何人かはセロテープで聖書に貼り付けて持ち帰ったりした模様。J師はこれを科学者に渡して調べてもらうとのこと。
ちなみに私は、床をこすって手が汚れてしまったので洗い流してしまいました・・・
そして、後から知った話ですが、我らがICFで一番熱いK姉妹の信友(信仰の友)が
「祈りの祭典で金の雨を降らせて下さい」といった祈りをしたそうな。
ホント、主は生きておられますね。主はほむべきかな!!

祈りの祭典レポ3「エルサレムに平和があるように」

2006-10-26 00:02:11 | ICF
今日は給料日!!
というわけで会社帰りにライフセンターでさっそく買い物。
ミクタムのCDとMEBIGのCD2枚、そして12月に教文で行われる子どもミュージカルのチケット。計約7千円なり。
店の姉妹と祈りの祭典のことで雑談の時をもち、良い時間を過ごすことが出来た。
やはりというか、金の雨の奇蹟(詳細は次回の日記で書く予定)が真っ先に出ましたねー。

さて、祈りの祭典レポート3回目。いよいよマタイ・クルヴィラ師によるメッセージです。
各聖会の前に讃美の時がありましたが、この聖会3での讃美は特に良かったなー。
「ヘヴェヌ シャローム アレイヘム」
ICFでもやりませんか? この讃美。単純だし(爆

讃美の後、マタイ師のメッセージの前に印象に残る話がありました。
 ・異邦人の時が終わりつつある
 ・今、主の目はエルサレムに注がれているので、エルサレムを支点に国々へ向けて祈る
 ・シャル シャローム エルシャライム(エルサレムに平和があるように)
 ・心を開き、神の訪れを受け入れよ
 
で、マタイ師登場!
なんかね、ただマタイ師を見ているだけで、聖霊さまの力が強く注がれているのが分かるんですよ。
威圧感みたいなのを感じるんですよねぇ。
「ユダヤ人は世界の時計」とよく言われますが、ユダヤ人に起こっていることを知っておくのは改めて重要なことだなーと再認識させられました。
マタイ師のメッセージで特に印象的だったのが
「リバイバルを待つというよりは、リバイバルを起こすように」ということ。
ひとりでも日本にリバイバルを起こすことが出来る! という力強いお言葉。
アーメン、何にしても主が共におられれば何が不可能なことがありましょうか。
マタイ師のメッセージからは書き記すべきことがありすぎてのんびりメモしているヒマが無かったので、ノートはほとんど箇条書きで記してあります。そのまま転載しますので、各自で思いを巡らせてみて下さい。
 ・霊的イコール静か ではない
 ・リバイバルを私たちが「起こす」
 ・勝利ある教会
 ・主にあって、何も不可能なことは無い
 ・救われるユダヤ人の増加→主の再臨が近い
 ・今は迫害を受ける時ではなく、飛び立つ時
 ・「私は買い取られた者なので私は決断できません。主が命令なさって下さい」
 ・聖霊の力を受けて、牧師先生方の人間的限界が打ち破られる時
 ・教会でなく、国に焦点を
 ・成長する教会として、エルサレムに対する責任
 ・来年2007年は、ユダヤ人がエルサレムを奪回して40年目
 ・今まで以上に目を醒ましていよ
 ・弱弱しい祈りではなく

祈りの課題は
 ・エルサレムの平和のために

「エルサレムの平和のために祈れ。「おまえを愛する人々が栄えるように。」(詩篇122篇6節)
聖書がハッキリと命令しています。私たちが栄えるためにも、祈るべきです。
私たちが栄えなくては、主のための働きも小さなものになるのではないでしょうか。

祈りの祭典レポ2「捨て石の地 北海道」

2006-10-24 23:59:59 | ICF
今日(24日)はモーリス博士&ICFマスクワイアによるコンサートがありました~!
20,21日の祭典で生活費を全額献金していたのでモーリス氏のCDは買えず・・・ちくしょー><

というわけで(どういうわけ?)祭典レポその2。

聖会2では3名の牧師先生によるメッセージが行われました。
まず最初は小栗師。師が北星学園余市高校にて旧約聖書の授業を受け持っていた頃の証がありました。
師はこの授業が楽しくて仕方が無かったと仰っていました。
しかし現代の学校ではどうでしょう。
最近では教師からイジメられて、自殺した少年がニュースに取りあげられましたね。
師によれば、現代の子どもたちは自分が「愛されている」「受け入れられている」という自覚が無いとのこと。
祈りの課題は
 ・不登校、非行などの問題を持つ子の親たちがイエスさまを信じるように
というもの。
個人的に特に印象に残った言葉が
 ・イエスさまの愛が憎しみ、裁き合いの連鎖を断ち切る
 ・主は決して祈り人の祈りを忘れない
 ・絶望のどん底に主の御手ありき
 ・苦しみの中にある人々の心を開く場は教会
 ・イエスさまにお応えすることを喜びとせよ
というもの。

2番目に、カウエル師によるメッセージ。
引用された聖書箇所はイザヤ書62章6~7節。ここでのキーワードは「見張り人」。
見張り人は戦いに欠かせない存在でした。現代的な言葉で言えばレーダーのようなものかな。
高いところにいる見張り人は、上から見下ろすことで敵の動きを把握することが出来ます。
見張り人からの「情報」で敵の動きが分かれば、それに応じて有利に部隊を指揮することが出来ますね。
私たちの「祈り」は、霊的な戦いと言えます。
これにもやはり「情報」は必要で、もし情報が無ければ何を祈ればいいのか分からないはずです。
だから情報は大切です。
確かエゼキエル書だったと思うが「わたし(神)は祈る者を探したが見つからなかった」といった旨の御言葉があったと思う(もし間違っていたらゴメンナサイ)
主は祈りの中に働かれます。
主が働こうとなさる時、私たちクリスチャンには祈ろうと言う思いが起こされます。

祈りの課題は
 ・ゴスペルを通じての救いのために
 ・夫婦が一緒に救われるように(一方だけが救われて家庭の状態が悪化するケースが多いため)
というものでした。
個人的に特に印象に残った言葉が
 ・祈りによって、主が参戦なさる
 ・城壁の上の見張り人のように、高い位置(神の視点)から見ると大きな問題も小さく見える
 ・あきらめずに祈る
 ・主がなさることを見て、同じことを祈る→力ある祈り

最後に、西森師のメッセージ。
ススキノといえば札幌のソドム。なぜこうも廃れたかと言えば、教会がススキノの地でほとんど伝道してこなかったということらしい。。。耳が痛い言葉です><
このススキノが、札幌の霊的な要塞となっています。
札幌の歴史を振り返ってみると、草創期は酒、女、博打と喧嘩という荒くれ者が集う町であったらしい。また、現在日本中にみられる性的に穢れたもの(風俗など)のほとんどに札幌が関与しているとのこと。
北海道は言わば、当時の日本にとって捨て石の地とも言える。また、ススキノは神社や仏閣が多い地でもあるらしい。
さて、祈りの課題は
 ・ススキノ伝道のために
 ・クリスチャンの男性たちがイエス・キリストの品性を持った器とされるように
 ・これまで献身的な伝道を怠ってきた日本の赦しのために
でした。
印象に残った言葉は、だいたい上に書いた通りなので省略。

いやいや、北海道って本州の人たちから見れば楽園のように見えるのかも知れないけど、こうも悲惨な歴史を持った地だったとは・・・泣けてきます><

祈りの祭典レポ1「主よ、アーメン」

2006-10-23 23:59:59 | ICF
これから当分の間、祈りの祭典レポートになりそう。

聞いた話によると「祈りの祭典ってどんな集会なんですか?」という問いかけに対して「よく分からない集会です」と答えるらしい(笑
「終わってから分かる集会」と言える。
まぁでも、主は何をなさるか全く分からない。だからアーメンだね!

聖会1で引用された聖書箇所は使徒10章1~16節。
否定的で、文句ばかり言うペテロ。
ペテロって、私達とよく似ていますね。。。
それでも、ペテロは主に用いられる器として成長「させられ」ました。

「主よ」と言ったなら、次の言葉は「アーメン」以外にありません。ペテロのように「できません」などと言うべきではありません。
また、主の呼びかけを拒むことは、主との交わりの時を持たないのと同じです。


・・・というのが、聖会1でのメッセージの大まかな内容。
特に印象に残ったのが
 ・古いしきたりに従ってペテロは「できません」と答えた
 ・イエスさまは古いしきたりから外れたことをしたため迫害を受けた
 ・主の呼びかけに対して拒否するのは主との交わりを持たないことである
という点。
特に、古いしきたり(伝統)は現代では教会間の壁にもなっているとのこと。
伝統・・・ねぇ。伝統自体は決して悪いものじゃないけど、それ以前に私たちは父なる神の家族ではないか。。。

祈りの課題は
 ・教団や教派を超えた、教会間の一致があるように
  今や教団や教派がどーのこーの言ってる場合ではありません。
  伝道、そして日本の大リバイバルのために今こそ一致するべきです。
 ・祈りのネットワークが形成されるように
  祈りを絶やすことなく継続的な祈りとするために。


「何事でも自己中心や虚栄からすることなく、へりくだって、互いに人を自分よりもすぐれた者と思いなさい。」(ピリピ2章3節)
お互いが謙遜になって、お互いの信仰を尊重し合い、お互いが認め合うことが必要な時代ですね。

祈りの祭典終了!

2006-10-21 23:59:59 | ICF
やー素晴らしかったっ!!!
今まで色んな集会に参加してきましたが、一番満たされた気持ちになりました。

後日、各集会ごとに少しずつ日記に載せていきたいと思います。
とりあえず今日のところは機密情報を公開(?
 ・モーリス師は大の日本好き。寿司が好物
 ・マタイ師はお稲荷さんに唐辛子つけて食べる人

御座にいます方と子羊とに

2006-10-19 23:59:59 | 神さま
明日からの祈りの祭典に備えて、ミンティア(フリスクみたいなやつ)のカフェイン入りのヤツを3つとノートを購入。
ノートは祈りの課題やメッセージから示されたこと、幻などを書き記すため。

やーいよいよ明日ですねー。
「36時間フル参加しまーす!」という宣言を何人かの兄弟姉妹の前でしてきましたが、念のため言っておきますが、私が注目されたい・賞賛されたいという思いからではありません。
こう宣言してくれば、そうせざるを得なくなるでしょ?(笑
背水の陣を敷いたわけですよ。

今日は静思の時を持ってから、早めに寝ます。

今日ふと思わせられたこと。
イエスさまは、ご自分の命を捨てて私たちを滅びから救い出されました。
ご自分を侮辱する者のために、死なれる前に十字架の上で祈りました。
「父(神)よ、彼らをお赦し下さい」

それほどまでに愛の御方なのに、現代になってもなお侮辱され続けているなんて寂しすぎるよ・・・


御座にいます方と子羊とに、賛美・誉れ・栄光・力、永遠にあるように

忍耐をもって

2006-10-18 23:59:59 | 神さま
最近示された聖書箇所は第二列王記。

「彼はイスラエルの王に、「弓に手をかけなさい。」と言ったので、彼は手をかけた。すると、エリシャは自分の手を王の手の上にのせて、「東側の窓をあけなさい。」と言ったので、彼がそれをあけると、エリシャはさらに言った。「矢を射なさい。」彼が矢を射ると、エリシャは言った。「主の勝利の矢。アラムに対する勝利の矢。あなたはアフェクでアラムを打ち、これを絶ち滅ぼす。」
ついでエリシャは、「矢を取りなさい。」と言った。彼が取ると、エリシャはイスラエルの王に、「それで地面を打ちなさい。」と言った。すると彼は三回打ったが、それでやめた。
神の人は彼に向かい怒って言った。「あなたは、五回、六回、打つべきだった。そうすれば、あなたはアラムを打って、絶ち滅ぼしたことだろう。しかし、今は三度だけアラムを打つことになろう。」(第二列王記13章16~19節)


長い期間祈ってもきかれない時、もしかしたらこの祈りは主の御旨では無いのではないだろうか等と考えてしまい、つい止めてしまいがち。
でもハッキリと答えが得られるまで忍耐強く祈り続けよう。
もし途中で止めてしまったとしたら、この聖書箇所のように中途半端な形できかれることになるかも知れないね。
主が備えられているご計画を、完全な形で受け取りたいものです。