馬籠の街はずれにあった高札場です。
江戸時代のものの再現版なのですが
ホントに江戸時代からあったのではないかと
思えるほど良くできています。
御上からの告示のいろいろ
今なら官報の掲示板というところでしょう。
同じものが妻籠の街にもありました。
宿場ごとに掲示され
おふれを旅ゆく人たちに
知らしめていたわけです。
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桶狭間古戦場で、
今川義元の本陣だった高徳院。
上段の写真が門前。
下段が本堂裏の丘陵に続く竹林の中。
いずれもお地蔵様が並んで
いらっしゃいます。
古戦場に散った武者たちの
慰霊のためのお地蔵様なのか
少しもの悲しい雰囲気を漂わせています。
古戦場公園のすぐお隣です。
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昨日の続きです。
写真は桶狭間の古戦場公園の中にある
今川義元の墓です。
墓としては明治以降になってから
建てられたもので、
今川義元本陣近くに位置しています。
桶狭間は名古屋の東南部の丘陵地帯にあり
名前の通り丘に挟まれた狭い窪地に
なっています。ここから豊明市に
かけてが戦場だったわけですが
豊明市の田楽狭間の方が主戦場だったと
する説も有力です。
(そちらには江戸時代に建てられた
やはり今 . . . 本文を読む
北杜夫の「楡家の人々」に出てきそうな
某大学関連病院施設の時計台のある建物。
昨日に続いて古戦場なのですが
古戦場公園のすぐ隣にある
このユニークな建物がどうしても
気になってしまいます。
あべこべに、今やこの建物が
古戦場のランドマークになっているような
気がしています。
この建物の向こう側は
国道一号線です。
地元の人は判っちゃいますね。
撮影は有名な古戦場の記念公園の中からです。
今 . . . 本文を読む
近年NHK大河ドラマで、前田利家、まつの物語を
放映していましたが、利家が合戦で「槍の又左」の
異名を得たところが、地元だとはつい最近まで
知りませんでした。
戦国時代尾張の覇権を狙う織田信長は親族間での
戦いを繰り返し、織田信賢軍を撃破したのが、
浮野古戦場での戦い。3000人の軍勢同士が
戦ったといいますから、かなりの戦いだった
のでしょう。
若き日の前田利家が得意の槍で敵の首級を挙げ、
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昨日思い出した画像が出てきました。
東京は菊坂、樋口一葉旧居前の井戸です。
ポンプの形を見ると昨日のものと
全く同じですね。
これが標準の形だったのかな?
畑の中の井戸と違って
周りが建て込んでいる下町の井戸。
着物姿のおかみさんたちが
洗い物や食事の準備をしながら
話している姿が浮かびます。
(今日はgooのメンテナンスらしいく
宵から数時間アップが出来なくなるようなので
早めの更新です . . . 本文を読む
画像はだいぶ前のもの、
デジカメが30万画素だった頃なので粗い画像です。
1000円札になった野口英世博士の銅像。
東京の上野公園の一角にあります。
偉人になってしまうと
さも聖人君子らしく伝記が作られてしまいますが
渡辺淳一さんが「遠き落日」で描いているように
野口英世は、語学力や集中力は並はずれていて
天才的だったのに、お金にはルーズ、人間関係は
押しの一手の人物だったようです
医師の試 . . . 本文を読む