
久し振りにグランメゾン東京をMP4で観直している。確か昨年の今頃に放映されていたキムタクドラマだ。僕はキムタクが好きでほとんど全ての彼のドラマを観続けてきたが、このドラマはTOP3に入る好きなドラマだ。ストーリーは全然普通だし、当然派手なアクションも何もない。多分、一般的には評価が低く、僕もなんでこのドラマを気に入ったのか中々言葉にできなかった。でもネットで同じようなことを感じている人のコラムを読んで、やっと腹落ちした気分になれた。
ドラマのおもしろさは,巻き込まれるかどうか、で決まってくる。ドラマ世界に惹きつけられるか、というのがポイントだ。それはストーリーだけの力ではなく、映像とか役者とか音とか間合いとか、そういういろんなものが集まった世界そのものの力だ。『グランメゾン東京』は、最高のフレンチレストランを作ろうと集まってくる人々を描いている。いろんなプロがぽつりぽつりと集まってくる。だいたい1話に1人くらいのペースで加わってくる。そこが面白い。どんどん巻き込まれていく。
物語というのは、細部に意味があるので、ダイジェストでは大事な部分が伝わらない。これは小説と同じだと思う。ダイジェストで小説を読むのが全く無意味と同じことだと思う。そもそも物語というのは、どうでもいいようなところや、ダレダレのところ、なんか意味なさそうな風景描写などが、ボディブローのように身体に効いてきて、それが最後にどーんと身体に響く世界を提示してくれてるものなのだ。かなり19世紀的なお楽しみですね。時間がかかる。自分で体験しないと意味がない。
このドラマはその19世紀的感覚を残したもので、丁寧に追わないとあまり楽しくない。ストーリーだけを追うのって、たとえば「そのゲームやらないから、どうなるかだけ教えて」と聞いてるようなもので、あまり意味ないんじゃないかしら、て感じがする。
木村拓哉はかっこいい役だ。天才的料理人を演じている。その姿がひたすらかっこいい。料理を作る姿が、身体に響いてくる。これは木村拓哉の真骨頂だろう。ドラマ『グランメゾン東京』を見ていると、天才的料理人の才能というのがどういうものか、わかる気がする。
ゴールだけを閃(ひらめ)く力。
それだとおもう。ほんとうにそうなのかどうかはわからない。でもそれだけで充分だろう。「ゴールを見すえた閃き」ではない。到達点だけがすっと閃く感覚である。道筋はわからなくてもいい。あるものとあるものを結びつけたら、まったく新しい場所に行き着くのではないか。そう閃いて、その到達点だけを先に体感してしまう才能だ。あらゆる研ぎ澄まされたクリエイティブ感覚に共通している。
ゴールだけが先に見えてしまう。
それは自分が知らないところだ。そして、そこはまだ誰も知らないところだと信じるしかない。ひょっとして先人が行き着いているじゃないか、という不安は常につきまとうが、それに打ち勝つ強さが大事である。ドラマでもその部分を繰り返し描いていた。クリティカルで繊細な想像力と、泥臭くゆっくり進める強さ。先端の現場では、つねにそれが求められている。それを実践する料理人たちを見てると、勇気が出る。元気になれる。最高峰のフランス料理なんか作ったことはないけど(食べたこともほとんどないけど)、でも見てる者に、最高の料理はこういうものではないか、と想像させる力があった。映像の力と、木村拓哉の底力だ。
ただ、孤高の天才だけでは、レストランは成功しない。「稀にみる舌の持ち主」である女料理人を鈴木京香が演じ、天才シェフと組んで一流レストランを生み出していく。沢村一樹が演じるギャルソンは、主人公の料理の才能を完全に信頼している。かつて『王様のレストラン』というドラマではギャルソンこそがレストランの出来を決めると謳われていたが、そのとおりなのだろう。彼の接客がレストランの質を高める。いろんな組み合わせやアイデアを出す料理人(及川光博)、仕事が正確で早い料理人(玉森裕太)、俊敏な閃きで見事なデザートを生み出す女性パティシエ(吉谷彩子)、日本のワインにやたら詳しく料理そのものの質を上げたソムリエール(中村アン)、そして、雑誌の編集者であり、またレストラン評価を左右する「美食家」でもある美しい女性(冨永愛)。彼女ら彼らが“グランメゾン東京”という熱い空間を作り上げていった。
『グランメゾン東京』では個々の人々が描かれ、それが主人公の欠損部分を補っていき、最後に大きなひとつの力になるところを描いていた。グランメゾン東京は、ひとつところに集まった熱が、最後に大きな力に達するドラマだった。最終ラインを通過して、ドラマは終わる。赤穂浪士四十七人の討ち入りまでを見守るのと同じである。最後、成功しようと失敗しようと、物語はきちんと終わるのだろう、という予感とともに進んでいく。
ひょっとしたらストーリーそのものは記憶に残らないかもしれない。しっかり作られた定型ドラマというのはそういうものなのだ。その代わり、見ていたときの熱を覚えている。何年経っても『グランメゾン東京』というタイトルを見たとき、ああ、と胸突かれる感覚は残る。そういうドラマだった。リアルタイムで見てるときの幸せだった気分は忘れない。また、こんなドラマがみたい。こういうかっこいい木村拓哉を見ていたい。