Gordon Gekko "Greed is Good" Full Speech *read the description*

川を上り、海を渡れ。
私が自身に課し、多くの方に伝えたいと思っている言葉です。「川を上れ」とは、歴史をさかのぼって見識を深めよ、「海を渡れ」とは、海外に目を向けて視野を広げよ、という教えです。
歴史を知ること、海外を意識することは、今という時代を正しく認識し、未来を考えるうえで欠かせない作業です。歴史は今につながっており、歴史を知ることで、今起きていることの意味や要因が理解できるからです。
また海外に視野を広げることで、違った角度から物事を見ることができ、井の中の蛙のように狭くて古い常識に捉われることなく、誤った考えから抜け出すことができるからです。
https://toyokeizai.net/articles/-/98378

8/1に着任してから約3週間が過ぎた。勝手の分かっている部署であり業務であるので、即日・即戦力で働いている。初めての管理職という部分は正直あまり実感が湧いてこないが、日々勤怠管理やメール監査もありつつ、承認業務をそれなりにこなしている。
今一番感じるのは、前任部署にいた時との「承認欲求」に関する大きな違いだ。正直、前任部署では承認欲求はほとんど満たされることがなかった。色んな働き方があるので、特に気にしない人もいるとは思うが、僕にとっては、それまでずっと高い人事評価を受けてきて、いきなりそれが並み評価になることは相当苦痛だった。配属された部署の性質上、高い評価を残すことは困難だと頭では解っていても、実際に並み評価を言い渡されるとやっぱり嫌な気分になる。一緒に働いていた先輩も支店長として高い評価を貰い続けてきた人であったが、僕と同じく成果を残せず埋もれていた。先輩には悪いが、その先輩が浮かばれないことが僕にとっての救いでもあった。この部署では誰がやっても高評価は望めないと言い訳が出来たからだ。
今の部署は全くの逆で、毎日様々な課題解決を求められる。ぐちゃぐちゃになっている課題を一つずつ解決していく作業は面倒ではあるが、僕の得意分野であり、プレゼンテーションで締めくくるスタイルは遣り甲斐も感じる。なので、毎日、仕事は充実してますか?と聞かれれば、前部署と比較にならないくらい充実しています。と答えられるだろう。
ただ、今の年齢が40歳前後であれば、それで済んでたのかもしれないのだが、50歳近くなってくるとそれだけでは腹落ちしない部分も出てくる。このままこの業務を続けることが、短期的には満足できても中長期で考えた場合、果たして人生後半戦で役に立つキャリアになっているのかという不安が残る。
銀行を卒業した後の泳ぎ方を正直まだ見つけられていない。今の仕事を与えてもらっていることに感謝しながらも、後半戦の生き方を模索していく必要があると思っている。

今日、出向先企業の最終日だった。勤怠管理やPC関連の後始末をして、15時過ぎにオフィスを出て、いつも帰宅に使っていた戸越銀座商店街を徒歩で帰った。
ちょうどまる3年間在籍したことになる。異動希望が叶っての出向先ではあったが、正直、結果は成果を残せずに去っていくという感じだ。ただ、この3年間を後ろ向きに考えるのも前向きに考えるのも自分次第だと思っている。
・成果は残すことができなかったが、逆に、成果を出すために色々と勉強をして、自分自身への新たなINPUTをかなり実行した。INPUTはOUTPUTされないと意味はないが、少なくともINPUTが蓄積されているので、次部署でOUTPUTすれば良いと考えている。
・3年間のリモートワークは疎外感や孤立感を感じるものだったが、逆に、子供との時間を最大限に持つことができた。特に3,4歳くらいからの親とのコミュニケーションがほとんどの時期に一日中ずっと側に居ることができたことは、自分自身が本当の意味で親になる時間を持つことができたと考えている。
・具体的な成果を出せず、組織の中で発言力の弱い立場にあったが、逆に、その立場になってみて初めて組織の中での弱者の気持ちが理解できたような気がしている。これまで、弱者のメンバーに対して、本人の自己責任であるという考えしか持つことができなかったが、場合によっては、タイミングや運によって実力を発揮できないでいるということも考えられる。各メンバーの力を最大限に発揮させるのが上司の役割であるが、多くの組織において、その役割を果たせる上司は多くない。特に、今回のような新興企業においては人事制度が成熟していないため、上司の良し悪しがまともに部下に影響するケースもあると考えられる。
以上、色々と後悔を書いてみたが、それらを生かすも殺すも、この後の仕事にかかっている。
「明日伸びんがために、今日は縮む」
この言葉を信じて3年間やってきた。息子もずっと努力してきた成果が最近花開き始めている。引き続き坂の上の雲を目指して歩き続けないといけない。

今日、人事異動が発令された。プロジェクト中止から3か月間待機していたが、やっと発令が出たという印象だ。希望していた本部への異動は叶わず、また子会社への出向となった。勤務先は築地だ。最初に子会社への異動人事を聞いた時に、色々良い点を説明されても、所詮、子会社への出向なのだからという気分がどうしても拭いきれなかった。ただ、発令後、関係者とミーティングを色々としていく中で、どうやらこの人事は満更悪くもないような気もしてきた。きちんとやれば、良い方向が見えてくるポジションに配置されたような気がする。
なので、話を聞けば聞くほど悪い印象はなくなってきたのだが、同時に、やはりビジネスの領域がニッチな世界であることは否めないなという印象も感じでいる。仕事の難易度は決して楽なものではないと思うが、LINEのような世間に広く認知されているような規模感のビジネスではない。加えて、自分自身のこの会社でのキャリアは長くて5,6年になってきている。従って、ニッチな仕事を一生懸命することは悪いことではないが、それが終わった時の自分自身の去就について、しっかりと準備しておかないと、会社からリリースされて何処も行き先がないというような事態が起きる可能性がある。
これまでは会社内部でどう泳ぐかということを念頭に置きながら仕事をしていたが、来月からは常にセカンドキャリアを考えながら、仕事に取り組む必要があると思ってきた。

以前にもこのタイトルでブログを書いた記憶がある。久しぶりに聴くと、やはり心に沁みてくる音楽だ。スガシカオのアルバムは10枚くらい持っているが、どれも歌詞が本当に素晴らしい。どうしてこんな言葉が思いつくのだろうと感心してしまう。このプログレスも本当に素晴らしい歌詞でベタに勇気づけられる。あと一歩だけ、前に進もう。
「でもスガシカオの書く歌詞は、それ(一種の制度言語)とはちょっと違ったところで
成立しているように、僕は感じられる。
つまり「ま、こーゆーもんでしょ」みたいな制度的なもたれかかり性が稀薄であるということだ。
だから僕のように、制度とは関係のない中立的な地点から耳を澄ましていても、基本的には、
自立した公平なテキストとしてそれを受け止めることができる。
そういうのもまた僕に取っては、ありがたいことのひとつである。
(村上春樹「意味がなければスイングはない」より)

今日PJ中止が発表された。約1年くらい前から状況は悪化しているとは思っていたが、遂に中止の決定が下された。要因は新聞報道がほぼ正確に伝えており、違和感はなかった。このPJに3年前に参加して色々と辛い時間が長かったが、後々振り返った時にチャレンジして良かったと思えるような、今後のキャリア形成を考えていきたい。

今日、昼過ぎに飛び込んできたニュース。2年前に統合し、ZHD持株会社に各社がぶら下がる形だったのだが、今回、完全に合併する形態で、リストラを遂行する発表だった。
たった3年前は国内ではLINEが最強アプリで、海外はGAFA全盛期だったのが、今やリストラ祭りになっている。この業界に限らずだが、本当に2年、3年くらい先になってくると予測が全くできない。
だからこそ、どんな環境になってもしっかりと立っていられる本物の実力を培っておくことが大切だと改めて思った。

岸田文雄首相が昨年の10月初旬、秋の臨時国会における所信表明演説で、「リスキリング」の支援に今後5年間で1兆円の予算を投じる方針を示した。リスキリングとは、「新しいことを学び、新しいスキルを身に付け実践し、そして新しい業務や職業に就くこと」らしい。日本人のくせに英語表現を使うことに抵抗感はあるが、言わんとしていることは理解できる。
「少にして学べば壮にして為すこと有り。壮にして学べば老いて衰えず。 老いて学べば死して朽ちず。」
これは、小泉純一郎元首相が平成13年春に衆議院での答弁で、佐藤一斎先生の著書より引用した言葉だ。自分の人生はこの言葉には程遠い、安きに流れる人生だったが、何回か真面目に自分を見つめ直して、リスキリングに努めた時期があった。
1つ目は浪人時期だ。高校で有名進学校に入った驕りから、散々勉強しないで高校生活を過ごした結果、1校も大学に合格せず、自動的に浪人生活に入っていった。毎日後ろ向きな気分で図書館で勉強しながらも、いつの間にか真剣に勉強に向き合う重要性を感じるようになった。その時に、しっかりとした準備のできていない人間にチャンスなどあるはずもないと思うようになった。
2つ目は社会人2年目だった。有名大学に入った驕りから、まともに経済の勉強もせず、だらだらと大学生活を過ごした結果、正しい就職活動をすることができなかった。案の定、就職した直後に、金融危機が起こり(実際はとっくに金融危機は発生していたのだが)、潰れるはずもないと思われていた金融機関が次々に破綻した。その煽りをまともにくらって、僕の会社もそこから数年後に潰れるのだが、その当時から潰れる会社ランキングの上位にあげられていた。完全に選択を誤ったと後悔し続けながら、毎日早朝に出社して、食堂で資格の勉強をした。背水の陣で資格勉強をしながら、同時に経済のことを深く学び、自分がこの先どういうキャリア形成をしていけばよいのかを考え続けた。
今、3つ目の時期が来ていると思っている。メガバンクに就職し、大企業ならでは仕事をしてきたことはとても良い経験になったし、学生の頃のようにだらだらと時間を費やしてきたわけではないが、どちらかというと、これまでの蓄積したものを吐き出しながら仕事をしてきたイメージで、新たなスキルを貪欲に蓄積してこれたかは怪しいと思っている。100年人生とか言われるようになったが、人生半分の折り返し時点で、学生時代から蓄積してきたストックはほぼ吐き出した状態にあると言える。折り返し人生を生きていくには、もう一度、ガソリンを補給してからリ・スタートする必要がある。
それが、今の僕に必要としている課題なのだと思っている。

今日はFP2級の学科試験だった。前回は準備期間がほとんどない状態で受験したため不合格に終わったが、今回は3か月間の試験準備期間をもっての再チャレンジだった。模範解答が試験当日の夕方に公開されるので自己採点ができるのだが、恐らく合格ラインに達していると思う。まあ、マークシートの位置が全部ズレてたりするとアウトだが、恐らくそれもないと思う。
次は実技試験があるので、また準備に入らなければいけない。それが終わったら、次は1級かCFPを目指そうかと思っている。自分充電期間が2,3年経過しており、そろそろ満充電なので放電ステージと行きたいところだが、こればかりは人事次第と言うところか。。