
12月の2週目の金曜日・土曜日に山口県の萩に旅行をした。幕末に活躍した長州の偉人達を生んだ土地がどういう所なのかを是非確認したくて行った。天気は最高で、羽田を離陸した時点で視界100%!普段は見れない羽田上空からの東京をいっぱい撮った。

行きは羽田→萩・石見空港→バスで萩市内のルートを行った。写真は萩・石見空港のエントランスだ。とても小さな空港で1日に1本しか離発着しないのだが、こじんまりしていて、どこかタイのサムイ空港を思い出させる空港だった。

ローカルバスで東萩駅に到着した後、徒歩で宿泊先の「萩本陣」に向かった。チェックイン時間にはまだ早かったので、荷物を少し預けて、レンタサイクルで早速市内観光に出掛けた。最初に向かったのは、萩本陣にも近い松蔭神社だ。元々、この辺りは松下村といって吉田松蔭が生まれた場所でもあり、この松蔭神社内に松下村塾の建物が残されている。写真はその松下村塾になる。ご覧の通りとても小さなボロい木造掘っ立て小屋だ。この村塾から日本の歴史を動かす重要な人物がたくさん出現したとは、なんとも意外な気分になってしまう。

この建物は、幼い頃の松蔭を指導した玉木文之進の家だ。スパルタ教育で知られる文之進は、松蔭の他に乃木希典も教育している。乃木希典も多くの信奉者を作った歴史的な人物だが、そのルーツがこの玉木文之進に共通しているところが興味深い。

松蔭神社から西に向かい、中村という和食レストランで昼食をすることにした。この店は事前に相方が調べておいてくれた店で、僕らは刺身定食を注文することにした。僕はせっかくの旅行だし、車も乗っていないので、萩の地酒を飲むことにした。でてきた地酒は長門峡というブランドの酒で萩の地酒としては有名なものだった。恐らく純米酒だったかと思うのだが、口当たりがとてもよく、スッキリした味わいで相当刺身にマッチした酒だった。萩に来て、いきなりヒットな食事だったので、とても満足してしまった。

こちらが注文した刺身定食。このボリュームで1,300円!!やはり地方は食事のバリューが全然違う。この店の味付けなのか萩の味付けなのかは分からないが、煮物等を含めて、どちらかというと甘系で僕の好みだった。

昼食の後、萩城下町の中心部に自転車を進めた。この写真は街のちょうど中心くらいに位置する「明倫館」だ。現在、萩市立明倫小学校の敷地内となっており、有備館、水練池、聖賢堂などの遺構が残っている。坂本龍馬もここを訪れ、剣術試合をしたらしい。敷地内に入ることはできなかったのだが、小学生が普通に校内で遊んでいた。この子達にとってはただの普通の小学校に過ぎないのだが、小説を読んでイメージを膨らませている僕にとっては、恐ろしく神聖な場所で学問を学んでいる彼らがとても羨ましかった。

明倫館から更に萩城跡に自転車を進めると、かつて上士階級が住んでいた街並みがあり、その中に桂小五郎や高杉晋作の旧宅が立ち並ぶ。この写真は桂小五郎の旧宅だ。医者の息子だったようで、建物はとても立派なものだった。ビックリしたのが、幼年時代(7・8歳頃)に書いた書道「今日」が飾ってあったのだが、その巧さに圧倒された。朱書きで「以っての外よろし」と誉め言葉が書かれていて、当時、城下でも相当評判だったようだ。

こちらは旧周布政之助で有名な周布家長屋門だ。彼はは天保の藩政改革を行った家老・村田清風の影響を受けた人脈として村田の政敵であった坪井九右衛門派の椋梨らと対立することになる。周布は、村田清風の路線を継ぎ財政再建、軍制改革、殖産興業等の藩政改革に尽力し、また桂小五郎・高杉晋作ら、吉田松陰の薫陶を受けた若い人材の登用に熱心であったが、藩内の派閥争いに敗れて、一時は失脚した。しかし、その実直な性格から多くの人望を集め再度藩政に復帰し、尊皇攘夷を掲げて藩政の陣頭に立った。司馬遼太郎曰く、長州には古くから、今で言う2大政党のようなものがあり、「俗論党」と「正義党」が絶えず政権を奪い合っていたらしい。この写真は特に古めかしい街並み部分を撮ったわけではなく、萩の街並みは全体的にこんな感じだったことが、僕にとっては凄く斬新なイメージで記憶に残った。

初日の萩城下町散策を終え、予約していたホテル「萩本陣」に行った。このホテルは松蔭神社のすぐ近くで、萩市内の東に位置する。比較的高い位置に建物が建っているので、街全体を見下ろすことができた。このホテルの特徴は色々な種類の温泉が用意されているところだ。写真は内湯の一つなのだが、男女それぞれ7種類くらいの風呂場が設けられていて、全部入るだけでも結構な時間がかかった。どれも工夫されて作られており、お風呂だけでもかなり満足できる宿だと思う。

この街を自転車で走っていて一番感じたことは、ある空間の中に自分が確実に居るという感覚を持つことができたことだと思う。一つ一つの家が整然と隣り合って立ち並び、少し頭を見上げると、どの角度にも青い空が見える。視界を遮るものは何もないのに、なぜかしっかりと空間を感じる。この街でかつて高杉晋作や桂小五郎が同じように空を見ていたかと思うと、結構いい感じでタイムスリップした気分になれる。時空を移動するのがタイムスリップだとすれば、そこには、かならず空間が必要だ。空間を強く感じることができるなら、目に見えるものが昔から変わらなければ、自分もそこに居るような気分になれるのかもしれない。1泊2日の短い旅行だったが、とても内容の濃い旅行だった。事前に念入りに下調べしてくれた相方に改めて感謝したい。