
今日、エラワンタイが閉店した。1990年創業の横浜の老舗タイレストランが20年間の営業を終えた。僕は2005年くらいから5年間このお店に通い続けたので、約1/4のエラワンタイ期間を通ったことになる。今日は20:00時に予約をして最後のディナーを楽しんだ。お客はまばらで結局最後のお客になった。大好きなお店だったから20年間の最後の客にあたったことはとても嬉しいことだ。と、同時にシェフのラム氏の料理がもう食べれないと思うと、物悲しい気持ちでいっぱいだった。
村上春樹の1Q84に「ある年齢を過ぎると、人生というものは失っていく連続的な過程に過ぎない。二度とそれらを取り戻すことができない。かわりのものを見つけることもままならない。30歳を越えると、少しずつ人生のそういう黄昏た領域に脚を踏み入れていく。その何かを失うというきつい感覚が、だんだんとわかりかけてくる。」という行があるが、まさにその通りだと思った。
30歳くらいまでは、色んなものに出会い、色んなことを吸収し続けて、自分の中から何かが消えていく感覚なんて考えたこともなかった。それがいつの間にか失う感覚のほうが多くなってきて、それに対して悲しい気分と、何か無力感というか、ただただ傍観するしかない自分自身を客観的に感じてしまっていることがよくある。だからこそなのか、これまでに自分が得てきたものを大切にしたいと思う感情がだんだん強くなっている気がする。会社でも自分を殺して色んなことに我慢している人を見た時、彼らがそうすることで彼らにとって大切なものを失わないで済むのなら、それはそれで賢明な生き方なのだと思うようになった。
そう考えると改めてno man is an islandという詩人ジョン・ダンの言葉も言い得て妙な気がする。映画のabout a boyでは積極的に世間と関わらない気ままな独身生活を送っていた男がちょっと風変わりな少年と関わり、その少年が去った時に自分自身が失われた気分になり、逆に色んな人に含まれたことを認識し始める。人間はやっぱり何も失いたくはないんだと思う。
明日で2010年が終わる。エラワンタイも今日で終わった。昨今の景気動向を見ていると、恐らく2011年もそれほどパッとしないだろう。大方の人がそう思っているからデフレは終わらないし、金利も上がらない。何かを失う気分をまた何処かで味わうかもしれない。が、ただそれらを傍観しているだけの年にはもうしたくない。失うことが必然ならば、新しいものを自分自身で得てバランスさせていくしかない。閉店していくエラワンタイの照明の光を見ているとそんなことを感じてしまった。