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妄想する美術史。

妄想と現実間のアートの歴史記録

マラケシュとドバイ

2004-09-17 | 教養系番組

マラケシュとドバイ
9月17日(金) 3:00~4:00他 
ディスカバリーチャンネル


モロッコはアフリカの北部に位置し、広大な砂漠、高い山々豊かな文化を持つ国です。
その中の都市、マラケシュは大西洋岸とアトラス山脈の間にある街で赤い日干し煉瓦の建物が多いことから、通称「赤い町」とも呼ばれています。1000年前から100万の人口で栄え、アフリカや欧州の文化が融合している街です。

この街は、11世紀にベルベル人のユーセフが築いた街で、スペイン征服による奨金で世界から注目される街を造りました。そして、彼は住民の生活を守るため、町を16キロに及ぶ土壁で囲うことにしました。今でも、この壁は旧市街にあるみたいです。

市内最大のモスクは「クトゥビア・モスク」で、旧市街の西の端に位置しています。


モスクというからには、イスラーム文化です。でも、イメージ的にいうと、中東よりイスラームの戒律が厳しくなさそうです。結局、宗教って解釈の問題が大きいから同じ宗教でも、何をどう取り入れるかによって違ってきてしまうようですね。



12世紀に街が開けて以来、スーク(市場)は人々の生活の中心で、スークは町の中心部から北へ迷路のように広がり、ありとあらゆるものを売っているそうです。


市場が元気な街は活気に満ち溢れています。ものの売買が盛んなだけでは、活気はうまれません。
人と人がものの売買を駆け引きというゲームで楽しむことによって活気が出てくるのではないかと最近思っています。値切ることのできる市場は楽しいのでしょう。
日本では、値切ったことありませんが、かつて海外に行ったとき、一度だけ値切ったことがあります。けっこう、これが楽しいんですわ。



モロッコの歴代6つの王朝はそれぞれに芸術的な建物を建てました。
マドラサと呼ばれる大学は16世紀のサアード朝時代に建てられました。


そのほかにどんな建物があったかは追々調べていきたいと思います。



旧市街の南東にユダヤ人居住区があります。
紀元前10世紀ころにモロッコに移住してきたユダヤ人は、国家統治にに貢献し、イスラム教徒と共存してきました。
第二次世界大戦では、ムハンマド5世がナチスに反対し、モロッコにユダヤ人はいないと宣言します。
イスラム教では利息を取る金貸しが禁止され、ユダヤ人からローンを借りるイスラム教徒もいたそうです。
1948年、イスラエル建国でモロッコのユダヤ人口は2万人から1000人へと激減します。


もともと他宗教って共存できていたんですよね。
ユダヤ教とイスラーム教はもともと、同じ宗教から派生したものだし、
仲良くできないわけはないはずなんだけどね・・・
まぁ、イギリスの2枚舌がすべての原因で、今の中東ができちゃったわけで。。。。
その辺の話は書くと大変なことになるので、省略します。
因みに、ユダヤ人が商売上手なのは、キリスト教徒がかつて、お金の扱う仕事は卑しい人がするものだということでユダヤ人にさせてしまい、偶然にもその才能を持ち合わせていたものだから、ユダヤ人の金持ちができたという話をどこかで聞いたことがあります。本当かどうかは調べていないので、わかりませんが・・・



共同浴場もこの街の集団生活の特徴で、浴場は情報交換の場になり、女性は昼、男性は夜に集まるそうです。


共同浴場といえば、ローマを思い浮かべますが、ローマだけではないようです。
裸のつきあいって、隠しているものがなく、腹を割って話せるから社交の場になるのでしょうか。
日本にも銭湯文化って存在するしね。



マジョレル庭園はフランスの画家マジョレルが1920年代につくり、その後、イヴ・サン・ローランが買い取り修復しました。

新市街は旧市街の北西にあり、1912年から1956年までフランスがモロッコを支配した間、フランス人は新しい町を作ります。フランス人が支配した結果、1980年まで旧市街地は寂れてしまいましたが、独立後、新市街の道路をモロッコ風に改名し、市街地は芸術家や建築家によって蘇がえります。彼らは「リアド」と呼ばれる昔の邸宅を買い、旧市街に住んでスークに活気を与えました。「リアド」とはアラビア語で「庭」を意味し、一般的に小さなプールや噴水が中庭にはあり、それらのある邸宅をさします。緑に囲まれ水がある空間は、イスラムでは楽園を意味します。


いいなぁ・・・プールつきの庭。庭がついているだけでも羨ましい。
古いものを壊さないで、街づくりをするというのは、好感が持てますね。
日本の都市ではあり得ないに近いくらい、古いものと共存はできないしね・・・





モロッコ総合情報





アラビア湾の中心アラブの首長国連邦ドバイは、砂漠の中から急に現れた近代的な国際都市で、
ドバイは石油ではなく貿易で栄えた国です。湾から13キロ続く水路が貿易の中心舞台です。
人々は数百年前からダウ船で遠方のヨーロッパ諸国やインドと交易していて、今でも従来と同じ帆船が使われているそうです。

40年前のドバイは入り江のはずれの小さな村落だったが、わずか数十年で目覚しい発展を遂げます。
今では、斬新な形のビル建築の宝庫になっています。

ドバイ市街から30分西にあるジュメイラ・ビーチにつくと、人目を引く建物があります。
ドバイを代表するバージュ・アル・アラブホテル
世界一高いホテルでエッフェル塔よりも高く、人口島に建ち、柱や内装には金箔が惜しみなく使用されているとか。。。
計画中の施設に「ザ・パーム」というのがある。人口島を2つ作り、そこには、住宅地、ショッピングモール、大型ホテルが建つ予定だそうです。


それにしても、すごい形や規模のホテルばかりですよ。しかも、島なんか作っちゃうし。。。
地盤とか構造とか大丈夫なのかなぁ・・・大丈夫なんだろうけど、気になってしまうのは私だけでしょうか。
環境的にもどうなんでしょう。
ここ数年、中東あたりで超高層建築建てられているし、
しかも、何もないところにぽつーん状態ですごい異様なんですよね。
ここはリゾート開発しているから、大きい規模のホテルが乱立しているみたいですけど、
でも、やっぱり異様です。
人の欲望や野望って本当に果てしないなと思います。
こういう建物を利用する人って現地の人より、やっぱ欧米の人たちなんだろうな。
なんだか、複雑な気分です。




ドバイ南西に車で2時間、連邦の首都アブダビがあります。豊かな歴史を持つ町で、アル・フスン・パレスはアブビダ最古の建物です。40年前この町には、この城以外に大きな建物はなかったと言います。
世界屈指の豊かな国の首都、アブダビは、石油ビジネスの中心地で町を行くのは高級車ばかり。

連邦ではイスラム教徒以外モスクには入れません。しかし、イスラム教の理解のため皇太子が創設したセンターでは、非教徒へのモスクワツアーを実施しています。

イスラムの祈り方
体で一番劣った場所である額を床につけて祈ります。
祈りの中でそれが最も尊い瞬間であり、神に救済を求めます。
最後は「サラーム・アレイクム」と言います。
「あなたがたに平和を」の意味で挨拶にも使われます。



イスラームって商業主義に走っちゃっていいんでしたっけ??
理解に苦しんじゃいますよ。
っでドバイのいいところはイスラム文化と近代商業主義の程よい融和と言いますが、
程よいのかなぁ・・・これ以上は突っ込みませんが、かなり疑問。



すごいホテルいっぱい
5つ星のリゾートホテルライフ

ザ・パームは↓参照
経済コロンブス
asahi.com 住まい


モノポリー

2004-09-16 | 教養系番組

失われた物を探して 最古のモノポリー
9月16日(木) 6:00~7:00他 
ヒストリーチャンネル

「失われた物を探して」のシリーズは、1つの回でいくつか紹介されます。
この回はバディ・ホリーのメガネ、ガリレオが中指、最古のモノポリー盤、チャールズ・ディケンズの「クリスマスキャロル」の台本、
ローゼンバーグ裁判のゼリーの箱、南軍の将軍・通称「石垣ジャクソン」のレインコート、アメリカ大統領専用機エアフォースワンを取り上げられていましたが、
その中で興味を持ったのはモノポリーとローゼンバーグ裁判のゼリーの箱とエアフォースワンでした。
今回はその中から、モノポリーについてです。


1904年エリザベス・マギーという女性が「ランド・ロード・ゲーム」で特許をとったのが、後の「モノポリー」の原型になります。
マギーは税金改革論者で、冷酷な地主たちの悪事を教えるために、このゲームを作ったそうですが、
マギーの願いとは裏腹に人を破産に追い込むゲームとして人気を得てしまう。
1924年、マギーは「ランド・ロード・ゲーム」改良し、パーカーブラザウズ社に持ち込みますが、不採用。
しかし、ゲームは広まり人々は独自のボードを作るようになります。


人を陥れるのって楽しいですからね(にやり)
私も子供の頃、人を陥れてこっそりふふふと笑ったものです。
最低なガキです。素直に認めます、ハイ。




1932年ごろ、チャールズ・ダロウは友人のチャールズトッドと自家製のボードで遊んでいました。
ダロウは、独占権を得るために自分のボードを作り、コピーの制作をはじめます。
当初、ダロウの家のテーブルが丸かったため、ボードは丸い形だったそうです。
ダロウは1933年にゲームの特許をとり、パーカーブラザウズ社に持ち込んだが不採用。
不採用の理由は、時間がかかりすぎることとルールが複雑であることと明確な終わりがないことなどなど52箇所も指摘されました。
そこでダロウは個人で印刷業者に印刷を頼み、ゲームを販売します。
この売れ行きは見事なもので、パーカーブラザウズ社は、この間のことは忘れてくれとダロウに話し、ゲームの版権を取得します。
モノポリーの図柄は、ダロウのオリジナルのままだそうです。


人のアイデアでお金をもうけるって、いいセンスですよ。ダロウさん。
でも、独自のボードが売れたってことは、本当にセンスが良かったのかもしれませんね。ダロウさん。

それにしても、パーカーブラザウズ社。
先見の明がありませんでしたね。
そのために恥を忍んで権利を買う羽目になるなんて、
まぁ一時の恥でその後ウハウハになるのなら、苦ではないでしょうね。
因みにパーカーブラザウズ社はマギーさんからも権利を買っているので、
マギーさんとダロウさんの間で争いになることはなかったそうです。
こういうところが、さすが企業ですね。


先日、ニュース番組でビジネスに役立つノウハウがモノポリーにはあると話していました。
仕事中にモノポリーのゲームをしている会社も映し出されましたが、「ほんとかぁ~」と思うのは私だけでしょうか。
実際、本も出ているみたいです。

「モノポリーで学ぶお金持ちの法則 」アラン・アクセルロッド (著), 大地 舜 (翻訳) ダイヤモンド社 ¥1,470 (税込)

読んでもいないのに批判をするのはどうかと思いますが、この手の本は多いので、恐らくその辺の類のものでしょう。
確かに、モノポリーは駆け引きがあって面白いゲームだと思いますが、そこまで考えるのはやっぱり大袈裟過ぎるのでは??っと思ってしまいます。



関連リンク
ほぼ日刊イトイ新聞「日本モノポリー協会」のページ





中尊寺金色堂

2004-09-14 | 教養系番組

プロジェクトX 中尊寺金色堂大修理
9月14日(火)9:15~9:55
NHK

<内容>
奥州、平泉でおよそ800年前に藤原清衡が、奥州の平和を願い中尊寺を建立しました。
そして、金色堂の須弥壇(しゅみだん)には、藤原清衡公、基衡公、秀衛公の三代の遺体が眠っていると伝えられます。
戦後、ボロボロになった金色堂を修理するために、文部省に掛け合ったが、姫路城や東大寺の修理が重なり
重要な修理と見なされず、却下。
昭和25年、800年間開けてはならないとされた須弥壇を開けて、
遺体調査をし、藤原三代の遺体が確認され国宝の指定を受けるようになりました。

昭和38年解体作業開始。
漆は、現代のものとは違い、光を吸い込むような黒で、
金箔は青みがかった金が用いられていました。
技法が解明されないと再建できないと途方にくれていたとき、
住職が損傷が激しい部材で調査をするように依頼します。
文部省は文化財にメスを入れるとはと反対したが、
学者らの賛成により調査されることになった。
そこでわかったのが、漆の成分は現在と同じで、4回塗られているということ。
青みがかった金には銀が混じっていました。


<感想>
金色堂よりも藤原三代のご遺体の方が
そこに住む人々にとって大事なことだと知りませんでした。
その精神性を知らない人にとっては、
ついつい、目に見える煌びやかな極楽浄土の世界観を表した装飾や建物の方が重要と考えてしまいます。
文部省もそう思ったのでしょう。

それにしても、うっとりするような装飾でした。
螺鈿は南の海でしか取れない夜行貝をアメリカ支配下の沖縄に依頼して500個用意されたそうな。
青みがかった金箔も真の漆黒の漆も美しかったけど、
夜行貝の美しさに魅せられてしまいました。

平和を望んだ藤原三代のご遺体と金色堂を拝みにいつか東北にも行きたいです。


中尊寺ホームページ



枝打師

2004-09-08 | 教養系番組

ヒストリーチャンネル
ワザあり!にっぽん「森に舞う華麗なる円舞~枝打師」

「森に舞う華麗なる円舞」というタイトルにひかれて見てしまいました。
枝打職人の話だとは思ってもいませんでした。
相変わらず、早とちりのうっかりものです。
それでも、しっかり視聴しました(笑)


「高級建材」って言葉よく耳にしますけど、立派な檜などの木で、きちんと加工されたものという認識しかありませんでした。
確かに大きく間違ってはいないけれども、私の頭の中で一つ工程が抜けていました。
育てるということ。
木は勝手に育つけど、いい木は勝手には育たないんですよね。

そこで、枝打師の登場。
枝打師は択伐林で高級建材を育てるのが仕事。

まず、択伐林とは各年代の杉や檜が育成されている林のことで、一斉に木を切り取るのではなく、
必要な木だけを選んで伐採する林で、その後に苗木を植え、跡継ぎの木を育てていく林のことを言うそうです。
因みに同じ年代の木を一斉に植え、育てて伐採する林を一斉林と言うそうです。

それでは、なぜ枝打ちをすると高級建材になるのでしょうか。

枝打ちには主に3つの効果があります。
・木をあまり太らせず、上に伸ばす。
・20%程の陽光を取り、下層木を育てる。
・筋がなく、年輪幅が一定の優良材の育成。


昔から思考錯誤のうちにたどり着いた知恵なんでしょうね。

環境保全のレポートのテーマに使えるかな・・・・(笑)


金箔

2004-09-07 | 教養系番組

ワザあり!にっぽん  加賀百万石黄金のざわめき
9月7日(火)6:00~6:30 他
ヒストリーチャンネル


金沢の由来
兼六園の南端にある「金城霊澤(きんじょうれいたく)」で
芋掘藤五郎という男が湧水で芋を洗ったところ、
砂金がでてきたことから「金洗沢」と呼ばれました。
ここが金沢の地名の発祥場所とされています。

金箔の98%は金沢で生産されているそうです。
ということは、お寺や金閣寺など金箔は100%金沢産と言ってもいいくらいなのね。


金箔は金だけでできているわけではなく、原料地金には1%~5%の銀と銅が含まれているそうです。
理由は
・金だけでは柔らかすぎてうまく伸びないため
・色の問題 銀や銅を加えることにより深い輝きを見せるため

金箔は純金と思っていただけに、えっ?っと思いましたが、
理由を知ってガッテンしました。


金箔の厚さは10000分の1ミリです。
10000分の1ミリにするのは職人の技。
1000分の1までは他の人によって伸ばされ、1000分の1に伸ばされた金のことを
「済(ずみ)」と言います。
済を竹の箸で均等に切る作業を「澄切り」。
金を直接触れるのはここまでで、これ以降は竹でできた用具を使って作業が行われます。
理由は
・金は手で触れると油が付くため。
・金属だと静電気をおこして作業にならないため。

金箔の箔の字が竹冠なのはここから来ているといわれています。



そして、何よりも番組を見ていて驚いたのが、「箔打紙」の存在です。
「箔打紙」は金を挟む紙ですが、この出来が金箔のできに左右するとのこと。
金箔を均等に伸ばすには紙の繊維が等しく四方に広がっていなければならないそうです。
そしてこの「箔打紙」を作るのも職人の仕事だそうです。
特別な灰汁に漬け込んで乾かして作ります。

番組を見ていても、金箔を作る作業より、
この「箔打紙」を作る作業を長く扱っていました。
それだけ、大事な作業ということです

道具って職人にとって大事なものだとつくづく思いました。

金沢市立安江金箔工芸館

金沢箔の歴史










10年前に金沢に行きたいと思っていた夢っていつ果たせるのかな。。。
金沢独特の文化は憧れます。


小麦粉

2004-08-31 | 教養系番組

6月にヒストリーチャンネルで放送されていた
『人間は何を食べてきたか #1 アジア豊かなる食の世界1  黄土の民の知恵と技 ~麺~』
を見てから、ずっと小麦粉にはまっています。

小麦なんて多少、土が痩せてても作れるものだと思っていました。
しかし、小麦ができない地域ってあるんですね。
当然といえば当然のことなんですけど。

中国・山西省の黄土高原は麺が生まれた場所だといわれています。
しかし、この黄土高原は風が強く、肥料や種、土が残らないため「三逃の大地」と呼ばれていて、
そこは本当に粗末な穀物しか育たなく、その穀物は粉々に砕かなければ、消化できないようなものでした。
その穀物を食べるために編み出されたのが「麺」であったと。

確か、そんな内容だったと思います。
さすがに2ヶ月前のことだから、ちょっとうろ覚え状態です。

それまで、小麦粉なんてお米に比べると「粗末なもの」という認識しかありませんでした。
今までそう思っていて、ごめんなさい <m(_ _)m>

この番組を見てから、麺を食べるとき、パンを食べるとき、揚げ物を食べるとき、ビールを飲みとき
小麦粉に対して感謝するようになりました。


さて、小麦粉の話はここで終わりません。
素朴な疑問がまたまた、沸き起こりました。
何故、「メリケン粉」という言葉が生まれたのか。
メリケン粉とはご存知の通り、アメリカからきた小麦粉のことをいいます。
それまで、日本にも小麦粉は存在していたはず。
なのに、わざわざ「メリケン粉」という名がつけられたのでしょうか。
気になったので、ネットで調べてみました。

まず、日本での小麦粉の歴史
弥生時代に小麦粉を食料として育てるようになり、
うどんなどに加工されるようになったのは7世紀頃。
勿論、食べていたのは貴族で、庶民の生活に登場するのは室町頃と言われている。

やっぱり、古くから小麦粉はあったことになります。
しかし、この時点で「小麦粉」という名称はなく「うどん粉」と呼ばれていたのです。
うどんを作る粉だから、「うどん粉」。
素直な名前ですね。


明治時代に入ると「パン」という食文化がアメリカから入ってきます。
そして、その材料である粉も輸入され、
アメリカから入ってきた粉なので「メリケン粉」
やっぱり、素直なネーミングセンスです。


輸入品は「メリケン粉」
国内産は「うどん粉」

パンやお菓子を作るのは「メリケン粉」
うどんやきしめんを作るのは「うどん粉」

作るものによって、粉が違うのは、勿論品質の違いによるためです。
アメリカ大陸で栽培された小麦は澱粉質が硬く、パンやお菓子作りに向いています。
一般的に種類は「強力粉」と呼ばれています。
一方、オーストラリア大陸で栽培される小麦は柔らかく粘り強いため、日本麺向きです
種類は「中力粉」と呼ばれています。


小麦ってよく知らなかっただけで、こんなにも奥が深かったんだ!!
また、ひとつ賢くなったぜヨ。



小麦粉のおはなし
小麦粉博物誌


















思いっきり話を脱線の独り言
↑の小麦粉博物館の「パンのこぼればなし」の「レディーは「パンをこねる人」」を読んで思ったこと、
薬師丸ひろ子主演の映画で「READY! LADY」ってあったけど、
そんな深い意味なんてまさかないよね・・・
その前にパンを作っていたのはコンタだったか。。。

2004-08-28 | 教養系番組

脳の解明
8月28日(土) 5:00~6:00他 
ディスカバリーチャンネル


人間の脳の85%を占める大脳皮質は2半球8小葉で構成されています。
思考、運動、感覚などの高度な機能は大半がここで支配されます。
脳半球と支配される半身は左右逆。

脳にある神経細胞ニューロンは胎児の頃から形成され、1分間に25万個という驚異的な速度で増殖を繰り返します。
5ヶ月間の胎児のニューロンはほぼ最大値の1000億個に達します。
しかし、脳の機能にとって数以上に重要なのがニューロン間の伝達です。
脳回路網の基本構造を決めるのは遺伝子ですが、
脳の働きを決め人格を形成するのは経験だと考えられています。
つまり、子供のときにどれだけいろいろなことを経験したかによって人格が形成されていくそうです。
この経験によって連結は強化され、生涯を通じて習慣化され、
感覚、想像力、学習能力、恋愛能力までも支配されるそうです。
また、連結の中には特定の時期にしか形成されないものもあるそうです。


動物の成長も驚くものはありますが、人間の脳の成長もすごいです。
子供の頃の記憶力というものは、本当に半端じゃなく、
同じ数の言葉を大人の脳では覚えられないそうです。
三つ子の魂百までもってよくいったものだ。

それにしても・・・
私の独特感覚はどこでどう間違えたものなのでしょう。
ぜってぇ~に年の離れた兄弟の仕業に違いない。



幼少期には脳内の連結が何十億と余分に作られ、学習の対象や才能発揮の選択肢を広げます。
可能性の時期です。幼少期が終わると間引きされていきます。
よく使われた連結は強化され、残りは消失します。十代になると半分になります。

子供の才能を見つけるには、子供のときにいろいろな経験をさせた後に、
その中で興味のあるものを引き出せば、ある分野での天才が生まれるということでしょうか。
子供のときに興味のあったことってなんだっけなぁ・・・
70年代フォークソングとか?
戦隊ものとか?SFものとか???
変身ものとか・・・。
やっぱり、まともな教育を受けてないようです(汗)
自慢じゃないけど、小学校上がるまで文字も書けなかったからね。数字も知らなかったしね。
今の子供じゃ考えられないくらい、教育されずに野放し状態で育ちました。
その結果が今の状態。
嗚呼、悲しくなってきたぜよ。




この番組で一番面白かったところは、若者世代と親世代の考え方の違いは脳の構造によるものなのかという問いでした。
単に経験の違いじゃないの?と思っていたのですが、どうやら脳が影響しているらしいです。

成人は情緒的な情報を前頭皮質を使って処理します。
それに対して、若者は古い皮質である小脳扁桃を利用するのです。
小脳扁桃は脳と共に進化した構造で、怒りや恐怖などの本能的反応を支配します。
若者が成人に比べて頻繁に使う部分です。
一方、成人の脳ではその働きが抑制されます。
論理、理性、倫理をつかさどる前頭皮質が小脳扁桃以上に連結を強化し、優勢になるためです。
活発な前頭皮質は精神の成熟と知性の象徴なのです。

つまり、若者に理性が働きにくいのは、脳の構造上の問題ということになります。
それでも、理性的な若者もいます。
それは、見た目は若者でも、前頭皮質がよく働く脳を持っているからだそうです。
ん?ってことは、大人になってもキレる人がいるということは、
その人の脳は小脳扁桃が活発に動いているということになりますね。
成長しないということは、やっぱり子供のときの経験がものをいうのでしょうか。
そういえば、そういう研究結果もニュースで見たような気が・・・

っということで、番組を見ての教訓は「三つ子の魂百までも」。
これに限りますね。



美とは・・・なんだ?

2004-08-27 | 教養系番組

美の解明
8月27日(金) 13:00~14:00他 
ディスカバリーチャンネル


美をどのように分析していくのかなぁ少し期待をして見ていましたが、
やっぱり、数学的な分析の話がほとんどでした。
脳科学的なものが少ししかなかったのはちょっと残念。
それでも、つっこみながら楽しく見ることができたので、よしとします。

一番の突っ込み箇所はシンメトリーの項目でした。
魅力的な顔の条件とは左右対称であることだそうです。
そのため、多くの民族は顔や体にシンメトリーの装飾を施します。
顔に描く線には、あらゆる文明に共通したパターンがあるそうで、
南米のインディオもアジアの民族も対象性を強調するように顔に装飾を施すそうです。

って、アジアの民族の顔の装飾例で歌舞伎のお化粧が出てきたときは、大爆笑してしまいました。
ディスカバリーチャンネルってどこの国で作っている映像を流しているのかしらとHPを見てみたらアメリカです。
アメリカ人の目から見ると歌舞伎のお化粧は原住民の顔の装飾と同じに見えるんだぁ・・・
さらに極端なことを言ってしまえば、歌舞伎=原住民という公式までできてしまいそう。
・・・っておい!!
「ティファニーで朝食を」に出てくる日本人像にも面白すぎて涙を流しながら、見ていたのにそれ以上のヒットですよ。
しかも、ここ2~3年以内に作られた番組ですよ。
おー!あんびりーばぼぉ


次ぎの項目は美の尺度。 
いわゆる「黄金比」の話です。
古代人はこれを「神聖な比率」と呼び、何世紀もの間、この比率は建築の基準になってきました。
そして、古代人はただ比率にこだわるだけではなく、建物を構成する「数」に意味を持たせました。
例えば、幅3フィート、高さ5フィートだとします。
その場合、3という数は神もしくは三位一体の象徴で5という数は人間を表しているそうです。
私にはその意味がワカリマセン。何か宗教がらみなのかしら?
検索もうまくかけられなくて、わからないまま。
唯一わかったことは、4は大地を表すと言うことです。
そして、偶然なのかこじつけたのかわかりませんが、この2つの数を組み合わせたものが黄金分割です。
ん?5:3+5→1:1.6を言っているのかしらん?


ここで、ちょっとだけ面白いと思った話を一つ。
建物に関わる言葉のなかに人間の身体表現をいれたものがあります。
それは、フェイスとフィートです。フェイスとは建物の面のことをいい、フィートは測量の単位として使われます。
これは、建物のなかに人間の姿を投影したい願望があったとか。

投影したい願望とは考えすぎな気もしますが、身体表現が入っているという指摘は面白いものだと思います。


フィボナッチの数列
1,2,3,5,8,13,21,34,55・・・とよくIQ問題に出てくる数列ですね。
1と2は置いておいて、3は左側の1と2を足した数字で、5は2と3と足した数字という具合に増えていく数字です。
これも黄金比の一種だそうで、1と2はやっぱい置いておいて、
右側にある数字を分母に左側にある数字を分子におくとおよそ1.6になります。
5/3は1.66666... 8/5は1.6、8/13は1.625と。
これを形に置きかえると渦巻き貝などの自然界に多く存在するパターンになるそうです。

参考URL
黄金比

どうしたらそんな発想にいくのか、ワタクシ凡人には理解できませんが、面白い話です。


パターンについて
規則的に反復される形に魅力を感じるそうです。
パターンは脳の発育や美的判断にも大きく関わっていて、
パターンのない環境で動物を育てると、脳の発育に変化が現れるそうです。
私たちは幼児期からパターンを目にし、それが私たちの美的感覚にも影響しているものと思われるとか。。。
パターンも整然としたパターンやランダムなパターンには美を感じないそうです。
その間の一見、無秩序に見えるが、実は法則のあるパターンが美しく魅力的に感じるそうです。

なーに言っているのかわからないと思うので、例を。

山脈は100キロ先から見ても1キロ先から見てもほとんど同じように見えます。
それは、基本的に同じ形状の繰り返しだからそう見えるてしまうのです。
不規則な形の中に見られる規則的な形の反復をフラクタルといいます。。
フラクタルに反復性がある以上数学的に作り出すことも可能なんです。


私たちの世界は数学とは切っても切れない密接な関係があります。
でも、その関係は私たち自身の美的感覚、つまり、協和と不協和を識別する感覚があって、
はじめて意味を持つようになります。
すなわち、人間の心と数学、そして自然界の間にはすばらしい相関関係があるのです。


っということらしいですが、ワタシにはなんとなーく理解できても難しいです。
美には数学的に分析のできるものもあれば、分析のできないものもあるということですよね?
ごく当然のことだと思います。美というものはもっともっとあいまいなものなんだと思います。
結局、美って個人の思考の問題ということになるんですよね??


最後に番組で、

美とは何もかもが満足な状態を指すものでも、全てが調和した状態を指すのでもなく
音楽であれ、建物であれ、何であれ、そのものが見るものに働きかけ
見るものはその中に自分自身を投影する。その過程の中にこそ美があるのです。

と言っていましたが、そこに宿るのは美だけではなく
人間の持つさまざまな感情が投影されるのではないでしょうか。
ある人は美と感じ、ある人は醜と感じてしまうのは、
その人の生きてきた背景も大きく関係するのだと思います。

なーんか釈然としないオチに落ち着いちゃったような気がします。



感覚

2004-08-26 | 教養系番組

感覚の解明
8月26日(木) 13:00~14:00 他
ディスカバリーチャンネル


感覚器は使えば使うほど、接続は密になっていきます。
特に乳児期は体験によって感覚中枢は大きく影響されてきます。
五感の刺激で神経の接続が増すから、強く数多く物を感じるほど、
脳内の経路は強力なものになっていくそうです。
そしてやがて無数の経路ができて物事が意味をなしていきます。



視覚の解明
脳の3分の1は視覚に関係しています。目と脳の仕事は物のイメージの把握です。

網膜には2種類の視細胞が並んでいます。それは、昼用の錐体と夜用の桿体です
これらが送る信号は脳の視覚皮質のさまざまな部分に伝達し、それが統合されてものが見えます。

色を感じるのは3種の錐体でそれぞれが光の三原色の赤・緑・青に対して感応します。
色覚障害とは、視覚皮質のある部分が傷むことによっておきる障害で、
ここが痛むと色覚が消えるだけではなく、色の記憶さえも消えてしまいます。
また、ものの動きを感じる視覚皮質が損傷すると物が止まってしか見えなくなります。

ものが止まってしか見えないというのは、とても怖いことです。
お茶を入れようにも、ちょうどいい量のところで止めることもできないし、
街を歩こうとしたら車や人が全て止まって見えてしまうために、歩くことができない。
こういう人はものが見えてそれなりに普通の行動ができてしまうため、
一見、障害を持たない人に見えてしまいます。
この人の話を聞いていても、その感覚を理解できる人は恐らくいないでしょう。
私も、こういう人がいるということを、
十年以上前のNHKスペシャル 驚異の人体 脳と心で見てはじめて知りました。
脳のちょっとしたところでも傷ついてしまうととんでもないことになると知り、
大変驚いた記憶があります。



聴覚の解明
鼓膜と耳小骨が振動し、その振動が内耳の体液を震わせ有毛細胞を揺らし、音が聞こえます。
しかしその細胞にとって加齢や病気や騒音は大敵で、有毛細胞は生まれた瞬間から徐々に死んでいきます。

外耳は音の入り口で音の収集と音源の特定に役立ちます。
因みに音が左右の耳に到着する時の時間差は600万分の1秒。人間はそれを感じることができるそうです。



味覚の解明
舌の突起の大部分には味覚がありませんが、
舌乳頭と呼ばれる赤い点には「味覚芽」があります。
人間はここで甘味 塩味 苦味 酸味の4つの味を感じるそうです。

味覚は体調維持装置で、塩分は重要なミネラル成分であり、筋肉や神経には欠かせないもので、
糖分は脳の栄養源、苦味は毒を見分ける手がかり、酸味を含めてどの味覚も生命維持に重要な要素です。

そして味覚芽の数は人により遺伝的に決まっているそうです。


っと番組で言っていましたが、酸味の理由ってなんですか?
気になります。
毒も全てが全て苦いわけでなはないと思うのですが・・・。
それは、人間の体が現代社会に対応して進化しきれないからかしら?
なーんか納得いかない説明でした。
味覚芽の数が遺伝的に決まっているのは驚きです。
味覚オンチは、環境的なものではなく遺伝的な要素で発生するということになりますね。
日本人が日本の出しにうまみを感じ、外国の人がそれを理解できないというのは
この味覚芽が影響しているのかもしれませんね。



嗅覚の解明
この番組を見るまで気がきませんでしたが、においには名前がないそうです。
なんとかのにおいという表現はできても
色のように赤とか青とかという言葉が存在しないんですよ。
これはアメリカだけのことでなく日本もそうなのにはへぇ~と思ってしまいました。
数万種のにおいがかぎわけられるのに、不思議なことです。

そして、嗅覚と記憶は深い関係があるそうです。
嗅覚と記憶の結びつきが強いのは、両者が脳の同じ部分で扱われているからだそうです。
その脳の部分とは大脳辺縁系で情動、記憶、性欲の中枢です。
嗅覚の信号は大脳ではなくここに直行するために、記憶に結びつきやすいといいます。

ふとした瞬間に懐かしいにおいと感じるのはこのためだし、
性欲を刺激するために匂いの開発もされていますよね。
こういう脳科学的なものごとに基づいてのことだったのかぁ~と思いました。




触覚の解明
触覚は視力や聴覚のように低下することはない感覚だそうです。
皮膚の下には数種類の触覚受容器があり、それぞれが温度や圧力や痛みを担当します。
でも、皮膚は相当な面積を占める部分で、そこの感度が高すぎると大変なことになるそうです。

そして、研究では、乳児のときにたくさん触れられた子は、IQが高くなり、成長も早いそうです。
これは、インシュリンの分泌が促され、食物の消化も良くなり、眠りも良くなるためだそうです。


皮膚の一部一部がちょっとしたことで痛みを訴えたら、脳は確かにパニックおこすでしょうね。
なんだか・・・アメリカでは賢い子を育てる研究は盛んなようですね。
っという見方、ひねくれてますか?
マニュアルどおりに賢い子を育てて、
地球上みんな同じような賢い人間になってしまったらどうなるのだろうと考える私はやっぱり、おかしいでしょうか。
おかしくはないだろうけど、きっと変わっているんだろうな。


共感覚の解明
共感覚は2万5000人に1人の確立でみられることだそうです。
共感覚を簡単にいうと耳の感覚や目の感覚が混線するということで、
有名なモーツワルトは音に色を感じたと言っているように共感覚だったと言われています。


共感覚のゲイジツ家って天才といわれますが、
普通の人がそんな発言したら、バカにされて終わりですね。




ローマ帝国の文明

2004-08-15 | 教養系番組

ヒストリーチャンネルの現代の驚異シリーズの「火と氷」を見ました。
「火と氷」・・・いったい何の話だろうと興味深く見てみたら
何のことはない冷暖房設備の話でした。

ローマ帝国時代にすでに床暖房があったのは、知っていましたが、
それがセントラル床暖房とまでは知りませんでした。
ローマ帝国が滅び、すっかりこのシステムはすっかり忘れ去られてしまい、
それが掘り起こされたのが、1700年代頃だとか(1800年代頃だったかもしれない・・・ちょっと忘れました)
ローマ帝国の文明がどれだけ進んでいたのかを考えると
ローマ帝国が滅んだことが残念に思えます。
まぁ、滅びるべくして滅びたのだから、仕方のないことなんですけどね。
現代も滅びないように、過去の教訓を生かして生きていかねばいけませんね。

それにしても、古代ローマ帝国は、いろいろと調べてみたいことが多いです。
いつか、時間ができたらこの辺のこと掘り下げられたらなぁ~と思っています。

カナダ・北極圏

2004-08-12 | 教養系番組

昨日に引き続き(?)Discovery Channelのグローブトレッカーシリーズから今日は「カナダ北極圏」を見ました。

カナダのモントリオールはフランス語圏第2の大都市。勿論、1位はフランスのパリですね。

氷点下30度になると学校は閉鎖、電気の供給も止まるらしい。

学校の閉鎖はともかくとして。。。
電気の供給が止まるってどういうこと?
文明社会を堪能している私にとっては辛いわ。。。
家で、何をしていればいいの???もう、私にとって想像がつきません。


モントリオールにフランス人が移住したのは17世紀とのこと。

もし、フランス人が移住しなかったらカナダは完全に英語圏になっていたのかしら?


ベーグルパンってユダヤ人のパンだったそうです。初めて知りました。
てっきりNYでヘルシー志向向けに開発されたパンだと思っていました。
ベーグルの歴史は、HPでいろいろ調べてみましたが、様々な諸説があるようです。
確実に理解できたのはユダヤ人のパンということだけ。まんまじゃん!!
あと、生地はゆでてから焼くのですね。
だから、あの食感なんですね、


すっかり忘れたましたが、モントリオールの地下って立派なんですよね。
地下街のある町で育った私にとっては魅力的です。

ロンドン・アイ

2004-08-11 | 教養系番組

Discovery Channelのロンドンシティ2を見ました。

その中で気になったのは、世界一の高さの観覧者「ロンドン・アイ」。
高さ135メートル。自由の女神の台座を含めた高さは約93メートル。
ガメラは60メートル。ガメラの2倍以上の高さということになります。
すごいのは高さだけでなく、人が乗る場所。
楕円形をした透明な巨大カプセルで25人乗れるらしい(後で調べました。)
勿論、足元もすけすけの透明。・・・(汗)腰抜かしそう。
それでも、いつか乗ってみたいものです。

バス

2004-08-04 | 教養系番組

20世紀のファイルから 発車オーライ!バス100年
2004年8月4日(水) 
2:00~3:00他  HistoryChannel

バス事業は1903年9月20日誕生しました。
京都、堀川中立売から七条祇園間を乗り合い自動車が走ったのが始まりです。
その車両は海外から輸入したものだったそうです。

東京では市内電車や鉄道など交通手段が充実していたため、
明治時代にバスが走ることはなかったそうです。


東京でバスが導入されるのが遅かったという理由はごもっともです。
それにしても、京都が最初というのは、考えれば、理解できる話ですが、
最初聞いたときはちょっと意外な気がしたのも事実です。



東京でバス事業が誕生したのは1913年(大正2年)
京王バスの前身である東京電気軌道が路線バスを走らせました。

1923年9月1日に関東大震災で市電を壊滅し、
東京市は市電の復旧のめどが立たないため、バス事業に乗り出すことに決定します。
そして、アメリカのフォード社に1000台のTT型フォードを発注します。
TT型フォード社は家畜の輸送用に使われていたもので、それを東京市は改造し、バスとして使用します。
初乗り運賃は10銭 タバコは6銭


家畜と一緒ですか!!とりあえず突っ込んでみます。
関東大震災で普及するとは皮肉な話に感じます。
確かに、線路の必要はないので、コスト的に安いだろうし、自由に走れるというのも事実です。
でも、この震災がなければ、もうちょっと普及に時間がかかったでしょうね。
災害というものは、ありがたくないものですが、
これを機にいろいろと進化、進展するのも事実です。
都市の歴史を見ると火事の後に栄えた街はいくつかあります。
当事者の必死な復興への情熱が原動力になって、
美しく丈夫な街が作られたからではないかと思います。



日本発の国産バスが誕生したのは1930年になってからです。

戦時中は、石油燃料規制の中 開発された代燃バスが走ります。
薪やアルコール、木炭などさまざまな燃料を使ったバスは戦前から戦後まもなくまで走りました。


人はものがないときはないなりにものを考えて作るようです。
とても、たくましいです。
こういうのを見ると技術者ってやっぱりすごいなぁと素直に思ってしまいます。




「ワンマンバス」って子供の頃、何のことかと疑問に思っていました。
英語がわかるようになって、やっと理解したのはいうまでもありません。

そういえば、子供の頃、祖母の家に行くときは、ワンマンではありませんでした。
大きながま口をぶら下げた人が、乗り口に立っていました。
何をする人なのか子供には理解できませんでしたが、
大きな黒いがま口は印象的でした。

小学校はバス通学だったので、ワンマンバスによく乗りました。
恐らくワンマンバスを導入して間もなくだったのでしょう。
バスには、かつて女性の乗務員が立っていたであろう場所がしっかりありました。
この場所、格好の遊び場になり、よく潜って入って運転手さんにしかられました。
気がつくとその空間ってもうないんですよね。
あたりまえのことなんですが、ちょっと寂しいです。


トルコ・カッパドキア

2004-07-20 | 教養系番組

世界遺産わくわくアカデミー トルコ・カッパドキア
2004年7月20日(火) 
9:15~10:00 
NHK 


1924年 トルコ共和国の成立
トルコのキリスト教徒はギリシャへギリシャのイスラム教徒はトルコへと移り住みました。
この住民交換によってトルコのキリスト教文化は終わりを告げたそうです。


住民交換って不思議な感じがしますが、まとめやすくなることはいいことだったのでしょう。
もともと、イスラームとキリスト教ってそんなに仲の悪いものではなかったらしいですが、
昨今の9.11事件やテロ問題などでよく聞くのが
イスラームVSキリスト教の戦いという言葉。
私は、違うと思うのだけど、どの辺が違うと思うのかは、うまく説明できないけど、とにかく違うと思います。


マルベリー港

2004-07-06 | 教養系番組

戦闘のデザイン「マルベリー港」
SKY PERFECT TV  History Channel    

ドイツがフランスを占拠したとき、連合国軍はノルマンディに上陸しようとしたが、港はすべてドイツ軍が占拠していた。港を奪取しようとするが、うまくいかず、イギリスのチャーチルは港を作ることに・・・

ってマジですか!!そんな話があったなんて・・・
そんな計画、アメリカが乗り気じゃなかったのは理解できるよ。
イギリス陸軍の設計した港は見てみたいなぁ。
イギリス海軍はちょっと面白くなかったらしいし。
まぁ海の領域で陸軍に手柄もって行かれたら、そりゃ面白くないでしょうね。