マラケシュとドバイ
9月17日(金) 3:00~4:00他
ディスカバリーチャンネル
モロッコはアフリカの北部に位置し、広大な砂漠、高い山々豊かな文化を持つ国です。
その中の都市、マラケシュは大西洋岸とアトラス山脈の間にある街で赤い日干し煉瓦の建物が多いことから、通称「赤い町」とも呼ばれています。1000年前から100万の人口で栄え、アフリカや欧州の文化が融合している街です。
この街は、11世紀にベルベル人のユーセフが築いた街で、スペイン征服による奨金で世界から注目される街を造りました。そして、彼は住民の生活を守るため、町を16キロに及ぶ土壁で囲うことにしました。今でも、この壁は旧市街にあるみたいです。
市内最大のモスクは「クトゥビア・モスク」で、旧市街の西の端に位置しています。
モスクというからには、イスラーム文化です。でも、イメージ的にいうと、中東よりイスラームの戒律が厳しくなさそうです。結局、宗教って解釈の問題が大きいから同じ宗教でも、何をどう取り入れるかによって違ってきてしまうようですね。
12世紀に街が開けて以来、スーク(市場)は人々の生活の中心で、スークは町の中心部から北へ迷路のように広がり、ありとあらゆるものを売っているそうです。
市場が元気な街は活気に満ち溢れています。ものの売買が盛んなだけでは、活気はうまれません。
人と人がものの売買を駆け引きというゲームで楽しむことによって活気が出てくるのではないかと最近思っています。値切ることのできる市場は楽しいのでしょう。
日本では、値切ったことありませんが、かつて海外に行ったとき、一度だけ値切ったことがあります。けっこう、これが楽しいんですわ。
モロッコの歴代6つの王朝はそれぞれに芸術的な建物を建てました。
マドラサと呼ばれる大学は16世紀のサアード朝時代に建てられました。
そのほかにどんな建物があったかは追々調べていきたいと思います。
旧市街の南東にユダヤ人居住区があります。
紀元前10世紀ころにモロッコに移住してきたユダヤ人は、国家統治にに貢献し、イスラム教徒と共存してきました。
第二次世界大戦では、ムハンマド5世がナチスに反対し、モロッコにユダヤ人はいないと宣言します。
イスラム教では利息を取る金貸しが禁止され、ユダヤ人からローンを借りるイスラム教徒もいたそうです。
1948年、イスラエル建国でモロッコのユダヤ人口は2万人から1000人へと激減します。
もともと他宗教って共存できていたんですよね。
ユダヤ教とイスラーム教はもともと、同じ宗教から派生したものだし、
仲良くできないわけはないはずなんだけどね・・・
まぁ、イギリスの2枚舌がすべての原因で、今の中東ができちゃったわけで。。。。
その辺の話は書くと大変なことになるので、省略します。
因みに、ユダヤ人が商売上手なのは、キリスト教徒がかつて、お金の扱う仕事は卑しい人がするものだということでユダヤ人にさせてしまい、偶然にもその才能を持ち合わせていたものだから、ユダヤ人の金持ちができたという話をどこかで聞いたことがあります。本当かどうかは調べていないので、わかりませんが・・・
共同浴場もこの街の集団生活の特徴で、浴場は情報交換の場になり、女性は昼、男性は夜に集まるそうです。
共同浴場といえば、ローマを思い浮かべますが、ローマだけではないようです。
裸のつきあいって、隠しているものがなく、腹を割って話せるから社交の場になるのでしょうか。
日本にも銭湯文化って存在するしね。
マジョレル庭園はフランスの画家マジョレルが1920年代につくり、その後、イヴ・サン・ローランが買い取り修復しました。
新市街は旧市街の北西にあり、1912年から1956年までフランスがモロッコを支配した間、フランス人は新しい町を作ります。フランス人が支配した結果、1980年まで旧市街地は寂れてしまいましたが、独立後、新市街の道路をモロッコ風に改名し、市街地は芸術家や建築家によって蘇がえります。彼らは「リアド」と呼ばれる昔の邸宅を買い、旧市街に住んでスークに活気を与えました。「リアド」とはアラビア語で「庭」を意味し、一般的に小さなプールや噴水が中庭にはあり、それらのある邸宅をさします。緑に囲まれ水がある空間は、イスラムでは楽園を意味します。
いいなぁ・・・プールつきの庭。庭がついているだけでも羨ましい。
古いものを壊さないで、街づくりをするというのは、好感が持てますね。
日本の都市ではあり得ないに近いくらい、古いものと共存はできないしね・・・
モロッコ総合情報
アラビア湾の中心アラブの首長国連邦ドバイは、砂漠の中から急に現れた近代的な国際都市で、
ドバイは石油ではなく貿易で栄えた国です。湾から13キロ続く水路が貿易の中心舞台です。
人々は数百年前からダウ船で遠方のヨーロッパ諸国やインドと交易していて、今でも従来と同じ帆船が使われているそうです。
40年前のドバイは入り江のはずれの小さな村落だったが、わずか数十年で目覚しい発展を遂げます。
今では、斬新な形のビル建築の宝庫になっています。
ドバイ市街から30分西にあるジュメイラ・ビーチにつくと、人目を引く建物があります。
ドバイを代表するバージュ・アル・アラブホテル。
世界一高いホテルでエッフェル塔よりも高く、人口島に建ち、柱や内装には金箔が惜しみなく使用されているとか。。。
計画中の施設に「ザ・パーム」というのがある。人口島を2つ作り、そこには、住宅地、ショッピングモール、大型ホテルが建つ予定だそうです。
それにしても、すごい形や規模のホテルばかりですよ。しかも、島なんか作っちゃうし。。。
地盤とか構造とか大丈夫なのかなぁ・・・大丈夫なんだろうけど、気になってしまうのは私だけでしょうか。
環境的にもどうなんでしょう。
ここ数年、中東あたりで超高層建築建てられているし、
しかも、何もないところにぽつーん状態ですごい異様なんですよね。
ここはリゾート開発しているから、大きい規模のホテルが乱立しているみたいですけど、
でも、やっぱり異様です。
人の欲望や野望って本当に果てしないなと思います。
こういう建物を利用する人って現地の人より、やっぱ欧米の人たちなんだろうな。
なんだか、複雑な気分です。
ドバイ南西に車で2時間、連邦の首都アブダビがあります。豊かな歴史を持つ町で、アル・フスン・パレスはアブビダ最古の建物です。40年前この町には、この城以外に大きな建物はなかったと言います。
世界屈指の豊かな国の首都、アブダビは、石油ビジネスの中心地で町を行くのは高級車ばかり。
連邦ではイスラム教徒以外モスクには入れません。しかし、イスラム教の理解のため皇太子が創設したセンターでは、非教徒へのモスクワツアーを実施しています。
イスラムの祈り方
体で一番劣った場所である額を床につけて祈ります。
祈りの中でそれが最も尊い瞬間であり、神に救済を求めます。
最後は「サラーム・アレイクム」と言います。
「あなたがたに平和を」の意味で挨拶にも使われます。
イスラームって商業主義に走っちゃっていいんでしたっけ??
理解に苦しんじゃいますよ。
っでドバイのいいところはイスラム文化と近代商業主義の程よい融和と言いますが、
程よいのかなぁ・・・これ以上は突っ込みませんが、かなり疑問。
すごいホテルいっぱい
5つ星のリゾートホテルライフ
ザ・パームは↓参照
経済コロンブス
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