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妄想する美術史。

妄想と現実間のアートの歴史記録

今月は建築月間?

2005-10-01 | 教養系番組

今月はヒストリーチャンネルで建築特集が組まれています。
『そして高層ビルは建つ』では
1.骨組、2.外壁、3.環境、4.中枢 の内容で各1時間、2時間単位で放送されます。

『世界の建築鑑賞』では、世界の有名建築が紹介されるみたいです。
こちらは各30分で1時間単位で放送されるみたいです。
1.バウハウス校舎
2.ポルト大学建築学部校舎
3.ファミリステール
4.ネモージュス1
5.ポンピドゥーセンター
6.ウィーン郵便貯金局舎
7.ヴィラ・ダラヴァ
8.ジョンソン・ワックス本社ビル
9.ウンベルト一世のガレリア
10.TGVリヨン・サトラス空港駅
11.ヴァルスの温泉施設
12.パリ国立高等美術学校校舎
13.シカゴ市庁舎
14.オペラ・ガルニエ
15.カサ・ミラ
16.セイナッツァロ町役場
17.ラ・トゥーレット修道院
18.ユダヤ博物館

なかなか世界には行けないので、こういう特集はうれしい。


現代の驚異シリーズでは『アジアのツインタワー』をやるようです。
あのタワー片方が既に傾いているという噂を聞きましたが、どうなんでしょうね。

History Channel



そして日本映画チャンネルでは『sur|FACE 14人の現代建築家たち』というドキュメンタリーが放送されます。
外国の映像作家によるもので、字幕は英語です。
外国人の視点で見た日本の建築家はどうなのかが理解できる内容なのではと勝手に想像しています。

インタビュ-の内容は以下の通り。

安藤忠雄 『淡路夢舞台(兵庫)』
青木淳  『馬見原橋(熊本)』
坂茂   『MIMC(東京)』
原広司  『京都駅ビル(京都)』『札幌ドーム(北海道)』
長谷川逸子『市民文化会館(新潟)』
磯崎新  『水戸芸術館(茨城)』
伊東豊雄 『せんだいメディアテーク(宮城)』
隈研吾  『馬頭町広重美術館(栃木)』『石の美術館(栃木)』
黒川紀章 『大阪国際会議場(大阪)』
槇文彦  『オフィス(東京)』『風の丘葬斎場(九州)』
内藤廣  『オフィス(東京)』
妹島和世&西沢立衛 『小笠原資料館(長野)』
丹下憲孝&丹下健三 建築都市設計研究所 『フジテレビ本社(東京・台場)』
谷口吉生 『東京国立博物館・法隆寺宝物館(東京)』

日本映画専門チャンネル 

秋の夜長、久しぶりにゆっくり建築を楽しむことにします。


東洋一の巨大ホテル

2005-05-17 | 教養系番組

プロジェクトX~挑戦者たち~
東洋一の巨大ホテル 不夜城作戦に挑む
5月17日(火) 9:15~9:58
NHK

プロジェクトの内容そのものよりも、オリンピックが間もなく開催されるという段階で外国人観光客を受け入れるホテルがないという話に驚いてしまいました。旅館に受け入れをお願いしたり、個人宅にもお願いしても宿の数が確保できずに、最終的に実業家にホテルを作らないかという話を持ち寄るなんて、今の常識では信じられない話です。オリンピックが誘致できた段階で舞い上がってしまったんでしょうね。アテネも突貫工事だというし、そういうものなんでしょうかねぇ~。

17階建てのホテルを作るのに設計などの工程を含めてたったの17ヶ月。図面も出来上がらない状態で施工が始まるとは、驚きの状態です。工期を短くするために柔構造を採用したり、カーテンウォールを採用したり、世界初のユニットバスを考案したり、最短で作るためのいろいろなアイデアで作られたホテルと言えそうです。

それにしても、ユニットバスの歴史は意外に浅いことに驚きました。しかも、日本で考案されたものだとは思いませんでした。この時の切羽詰った状態がなければ、ユニットバスの開発は遅れていたかもしれませんね。切羽詰った状態も時には必要なのかもしれないと番組を見ながら、思ってしまいました。



気がつくと

2005-04-27 | 教養系番組

本屋に行くと、本に誘惑されて10冊くらい買ってしまうので、
本屋には極力行かないようにしていました。

1ヶ月以上、本屋をチェックしていない間に
NHK教育でやっていた人間講座が終了し、
代わって「知るを楽しむ」シリーズが始まっていたようです。
1週間に4つの番組があるのは、人間講座と一緒ですが、
曜日のテーマが明確になりました。
特に、そそられるのは水曜日。
社会科系好きとしては、たまりません。
月曜日も、興味深い方が出れば見てしまいそうです。
すっかり出遅れましたが、
再々放送を期待して見るつもりです。

水曜日の「何でも好奇心 横浜中華街 京都モダン」の本を開くと
最近ツボに入っていた「NTT京都中央支店 西陣別館」の写真があり、
思わずにやけてしまいました。
他にも私の知らないステキなモダンな建物がいくつか出てきてときめいてます。
もっと早く知っていれば、見に行っていたのに。残念。。。



アルハンブラ宮殿

2005-04-21 | 教養系番組

探求ロマン世界遺産
アルハンブラ宮殿
4月21日(木) 20:00~20:43 
NHK


アルハンブラ宮殿は中世イスラムの宮殿建築の中で最も完璧な姿を残していると言われている。
いかにもイスラムらしい土地ではないところに、そんな姿で残っているのは少し皮肉に感じる。

この土地は、もともとキリスト教の領土であった。
それが、8世紀に砂漠の民が海を越えてキリスト教徒が支配するスペインにやってきて、わずか数年でスペインを制圧し、イスラムの国を作ったと言う。しかし、その繁栄も11世紀には終わりを告げている。キリスト教徒が領土を取り戻したのだ。運が良かったのかどうかわからないけど、アルハンブラ宮殿のあるグラナダ王国だけがイスラム芸術の姿を残すことができたらしい。

アルハンブラ宮殿は赤い。語源を知れば、「当たり前のことか」と納得してしまう。
アラビア語で「アル・ハムラー」は「赤い」という意味。赤いからアル・ハムラー。


宮殿というからには、部屋はたくさんある。
その中でも『二姉妹の間』は、息を飲む懲った装飾をしている。
『二姉妹の間』は王の妃が住んだ部屋らしい。
遠目で見ると蜂の巣のように見える天井は、鍾乳石をイメージしている。
鍾乳石の天井をはじめ、壁の装飾も文様が緻密すぎて頭がくらくらしてしまう。
よくもここまで文様を掘り込んだものだ。
イスラームは偶像崇拝を禁止したために、文様文化が発達した聞いたことがある。
美しい文字を書くことは大事なこととされていたとも聞いたことがある。
だから装飾文字も発達したらしい。


イスラム建築には鍾乳石飾りは欠かせない。
預言者ムハンマドが神の啓示を受けた場所が洞窟だから、それにあやかってのことだという。

この鍾乳石のデザインは緻密に計算された文様だと思っていたけど、番組の説明を聞いているとそうでもないらしい。
基本パーツが7つあり、それを組み合わせて作るという。
たった7つのパーツで無限な世界を表現する。
単純なものでも数をなせば迫力が出てくる。
ここまで文様が細かいと祈りの気持ちより執念を感じてしまう。
幸せになりたい気持ちは誰にでもある。
その思いの強さを感じざずにはいられない。



話は変わるが、ガウディのサグラダファミリア教会は鍾乳石を逆さにしたデザインだと『ガウディ展』で読んだ記憶がある。
ガウディはイスラーム教徒ではない。
なのに、何故あのデザインを採用したのだろうか。
ガウディはイスラーム建築に何を見つめたのだろう。



アブラハム宮殿がすごいのは建物や装飾だけではなかった。
水まわりの設備もすごい。水を水道橋をつくって引かせてきている。
すばらしいこだわりとすばらしい技術。
豊か水量がなければ、この宮殿の魅力は半減していただろう。



アルハンブラ宮殿
グラナダ王国の宮殿兼城塞1238年に着工し、1391年完成。総面積1万4000平方メートル。


人間講座

2005-02-15 | 教養系番組

数日前にアクセス元URLをチェックしていたら、美輪さんで検索をかけられた形跡があり、なんやろなと思っていたら、『義経』に出ていたり、『人間講座』に出ていてさりげなく美輪さん祭り状態だったらしいことが判明しました。

『義経」見たかったかも・・・。
『人間講座』一回目逃してしまいました・・・。

こんなこと書くと美輪ファンだと思われそうですが、そういうわけではないんです。
昔はかっこいい生き方をしている人だと思っていましたが、ここ数年、考え方が極端すぎて苦手な人になっていました。
あの髪の毛の黄色もなじめないし・・・
アゴの肉も気になるし・・・

それよりも美が全てという考え方はやっぱり馴染めません。
確かに美しいものは心を豊かにするとは思いますが、その美しいものや美の基準って人それぞれだと思うし、時代によっても変わっていくものだと思います。

美輪さんに対してネガティブな考えをもっていますが、彼の作り出す世界は独特で興味深いものがあるのも事実です。いつものように素直に番組を見ることはないと思いますが、『黒蜥蜴』の話もあるようだし、できる限り見てみたいと思っています。

人間講座


つづら

2004-11-26 | 教養系番組

和の学校 「京つづら」
2004年11月26日  9:00~9:30 他
History Channel

つづらって関西では「ぼて」というそうです。
ぼてって、はりぼての「ぼて」だとか。

はりぼてというと安っぽいマイナスイメージがあるのですが、
それは私の勘違い?

っということで、はりぼてを辞書で調べてみました。
張りぼて

芝居の道具でつかうものという意味しか知りませんでした。
ちょっと勉強になりました。


つづらを作る工程でいちばん驚いたのが、
竹と和紙をタピオカのリに柿渋を混ぜたもので貼り、
かき竹という道具を使って強く掻いて、
竹と和紙の密着させて丈夫にさせるというところです。

掻いて密着させるという考え自体驚きものでした。
そして、和紙って丈夫な素材なのだとあらためて思い、驚きました。
つくづく日本の工芸の巧みさはすばらしいです。
このすばらしい伝統文化の担い手が、
今では日本に一人しかいないなんて、
この後どうなっていくのでしょうかね。

もっともっと日本の伝統文化見直してみませんか?


京からかみ

2004-11-12 | 教養系番組

和の学校 「京からかみ」
11月12日  9:00~9:30
History Channel 

唐紙ってあまり意識したことありませんでしたが、
きれいなものですねぇ~



唐紙ってもともと、平安時代に中国から輸入された紙のことをいい、
当時は「書」の紙として発達していったそうです。
それが時代と共に、衝立となったり、襖となたり、コラージュされたりと
書くための紙から部屋を飾るための紙に変わっていったそうです。



書として用いられていた時代も、一つの紙に書いたわけではなく、
コラージュした紙の上に文字が書かれているものがあります。
何かの展覧会で見たことあるのですが、紙に手が凝っているのはもちろん、
文字も背景の色や柄に合わせて墨の濃淡を調節して文字が書いてあるんですよね。
当時の人って見る人に感動を与えるようにいろいろと工夫をしているんですよね。
そういうところに「おもてなしの精神」が見えたりします。
今って、この精神かなり薄れていますよね。

生まれたときから。壁紙は白無地という生活をしてきたので、
文様の入った壁紙に囲まれた空間って想像できません。
いや、想像はできるのですが、落ち着きをなくしてしまいそうです。
でも、そう思いながら、文様のある壁紙は憧れます。



からかみで欠かせないのが「きら(雲母)」という貝殻をすりつぶした絵の具。
この絵の具で描かれると、見る角度や光の当たり具合によって、
浮かび上がって見えたり、消えたりするんです。


きらって雲母と書くんですか!!
きらきら光るからきらですよね。
違うのかなぁ・・・
あっ!こんなことを書くと雅な女性に突っ込まれそうです。

見えたり、見えなかったりの美って蛍光灯などのない時代には、
とても幻想的で美しく感じたんでしょうね。
私は、昔の暗がりな時代の美を知らないために、
谷崎潤一郎氏の「陰影礼賛」を最初に読んだとき、
その美意識をまったく理解できませんでした。
最初に読んで5年後にもう一度読んで、
やっと、暗がりの美が少し理解できるようになりました。



文様ではなくひとつずつ独立した絵柄の版木のことをヤキモチ版というそうです。
面白い名前ですが名前の由来はわからないそうです。
ヤキモチ版を用いて職人が柄を描くのですが、
余白の美を大事にしながら、さりげなく描くそうです。
絵描きのように生々しく描いてはダメだそうです。


生々しいって・・・
京都の人の言葉遣いってやはり独特なものがありますね。



住宅地図

2004-10-13 | 教養系番組

プロジェクトX~挑戦者たち~
列島踏破30万人 執念の住宅地図
10月12日(火) 9:15~9:58
NHK


住宅地図って日本にしかないものだったとは、驚きです。
確かにこういうこと考えるのは日本人っぽいですね。
でも、まさか観光ガイドから住宅地図作りに発展するとは、
本人たちですら最初に思わなかったでしょうね。
私も、観光ガイドのほうがビジネスになりそうだと思うもの。
でも、自分がそのガイド冊子を持ったらと考えると、地図に出ているところに確実に行きますね。
知らない土地で何かを探すのは容易なことじゃないし、出ていると少し安心感がありますからね。
単純な人間の心理っというものです。

プロジェクトXで住宅地図を取り上げられると言うことは・・・やっぱり人海戦術?と思ったら
案の定。
それ以外に方法はないですね・・・
考えるだけでも、ぞっとする作業量です。
東京や北海道が後回しになるのも理解できるわ。
でも、秋葉原で苦戦したのは意外でした。
確かにあのパーツショップ群の店名を明記するとなったら・・・嫌です。




関係ない話ですけど、秋葉原にはある思い出があります。
多分、テレビに映し出されたあたりだと思いますが、
盗撮用のかばんを求めるおじさんがいました。
しかも、かなり言い訳がましく
「盗撮に使うようなかばんありませんか?いや、盗撮するわけではなく、風な・・・」
風なってなんでしょう!!
面白いからってしばらくその様子を聞いていました。しつこいやり取りに店員うんざりぎみ。
そのおじさん、突然振り向いて私と目が合って、かなりびびってましたが、
それでも小声になりながら、相変わらず、しつこく聞いていました。
きっと、私がお姉さんだったからかなり、びびったのでしょう。
確かに店の中、怪しい匂いをかもし出すおじさん&おにいさんが多かったですからね。
今でもいい思い出です。(遠い目)




魔鬼城

2004-10-10 | 教養系番組

NHK スペシャル 魔鬼城
10月10日(日) 21:00~21:53 
NHK


中国、新彊ウイグル自治区には、「魔鬼城(まきじょう)」と呼ばれる奇妙な景色があります。
どんな景色かというと、この文字の通りに悪魔や鬼などの不気味な生き物が住んでいそうな城に見える岩が点在している景色です。
風が数千年かけて岩山を削ってできたものだそうです。
でも、不気味に感じるのは、光景だけではありません。
吹き付ける風の音は、化け物の声にも聞こえ、ただでさえ不気味な景色を一層、際立たせています。
風が原因でできた景色と理解していても、恐らくそこに立ったら、底知れぬ恐怖感を感じることでしょう。
実際、地元の人は夜は決して近づかないといいます。

しかし、不可思議な景色ゆえに、人の心をひきつけるものがあります。
あるものは人に見え、あるものは何かの動物に見え、あるものは城に見えます。
実際に、この番組に登場した中国人写真家の李学亮氏はその光景にとりつかれた人のひとりです。
写真撮影するときは、道のない道を車でさまよいながら、魔鬼城に向かいます。
魔鬼城の写真を撮るポイントは、空をいれることだそうです。
ほんの一瞬に見せる魔鬼城の真の姿、それを撮るために長い時間を費やし、孤独と闘っているみたいです。
風景写真家は多かれ少なかれ、根気のいる作業をしますが、全てをその一瞬にかけるというのは、
やはりすごいことだなと思います。

今回、番組で紹介されたのは、「奇台の魔鬼城」、「ウルホの魔鬼城」、「福海の海上魔鬼城」の3カ所の魔鬼城です。魔鬼城はよく知られているだけで、7カ所あるそうです。


この番組のナレーターは夏木マリさんで、その不可思議で不気味な雰囲気にとてもあったナレーションでした。この独特の雰囲気は曲アナには出せないものです。



NHKスペシャル 魔鬼城



天空の湖

2004-10-03 | 教養系番組

NHKスペシャル 「チベット 天空の湖 ~標高5000メートルに生きる~」
10月3日(日)21:00~21:52
NHK

標高5000m以上では世界最大の湖「プマユムツォ」を中心に生活している人々やそこに生息している動植物を美しい映像と音楽で紹介するといった内容でした。
美しくゆったりと流れる映像と音楽はなかなか心地いいもので、何度かうとうとと・・・。

プマユムツォとは空から飛んできた宝石が湖になったと伝えられています。
チベット高原には1500以上の湖があり、ヒマラヤ山脈が生まれたとき海の底がせりあがった名残だそうです。

世界で最も高い村ツィ村(標高5050m)は、人間が生存できる限界の高度で、150人ほどの人が羊の放牧して生活しているそうです。

チベットの人々は山や湖には神が宿ると信じてきました。
そして、プマユムツォには女神が住むと伝えられていて、村人は湖に住む生き物を神の使いとして大切に扱ってきたそうです。番組の中で話していた村の老人の言葉は印象的でした。

神は人間の欲望から湖を守っています。
私たちも神を敬い
生き物を取らずに湖を守ってきました。


人間は欲の生き物です。
人間の理性というものがかろうじて欲を抑えているだけだと思います。
理性というものがなければ、地球はとっくのとうに滅びていたかもしれません。
そう、考えることは極端なことでしょうか。
でも、一人一人の理性だけではどうにもならないことって多いと思います。
そこで神の登場。・・・っということを考えること自体現代の文明社会に完全に毒されていますね。ワタクシ。
自然と共に生きていくということは、簡単なようで難しいことです。
なぜなら、考えの中心に人間がいるからです。
だから、どうしても人間主体なものの考え方になってしまうと思うのです。
でも、それをやってきた我々の先祖やこういう村の人たちってすごいと思います。




羊の放牧の様子を見ていて、興味深いものがありました。
草の草を食べつくした羊をまだ草の生えている湖の中の島に移動させるというシーンです。
湖は氷で覆われ、その上を歩かせて島に連れて行くのですが、羊は氷の上を歩かないのです。
歩かせるために、ヤクの糞を燃やして作った灰をまきます。ヤクの糞は粒が細かいため滑り止めになるそうです。足の感触で氷の上を歩かないのか、視覚的に土色していないと歩かないのか私にはわかりませんが、面白い現象だと思いました。

それと、羊って冷たい雨に濡れると凍え死んでしまう生き物だそうですね。
暖かい羊毛があるのに、なんでなんだろうと思いましたが、
羊毛って、乾いているときは暖かいものですが、濡れると重たくて乾きにくいものなんですよね。
言われるまで気がつかないことって、多いものだと最近よく実感します。


番組で放牧をしている人が「豊かではないが貧しくもない」と話す顔はとても輝いて見えました。
なんともいえない印象的な美しい顔でした。
シンプルな暮らしって魂も心も研ぎ澄まされるのかもしれないと思いました。


番組中に紹介された動植物で興味を引いたものをいくつか紹介します。
ノウゼンカズラ
地面から直接、花を出していました。乾燥や風を避けるためこのように進化したらしいです。

チャガシラカモメ
繁殖期に顔が茶色くなることから名づけられたそうです。なかなか間抜けな風貌でかわいいです。

インドガン
越冬地インドからヒマラヤを越えてやってくる鳥だそうです。卵がはやくかえるように自分の毛を抜いて巣を暖めます。
鶴の恩返しちっくな、そうでもないような・・・
でも、毛を抜くって痛そうと感じるのは私だけでしょうか。

ハダカゴイ
うろこがないからハダカゴイだそうです
水中の薄い酸素を取り込むためうろこをなくし、皮膚でも呼吸しているそうです。
進化というものは面白いです。




NHK情報ネットワーク NHKスペシャル 「チベット 天空の湖 ~標高5000メートルに生きる~」

NHK スペシャル「チベット 天空の湖 ~標高5000メートルに生きる~」

英国世界の歴史

2004-09-30 | 教養系番組

英国 世界の歴史
9月30日(木) 11:00~0:00他 
ディスカバリーチャンネル


イングランドの歴史は紀元前7000年にはじまります。

その中で歴史的に重要な年は1066年。
この年は、ノルマンディー公ウィリアムがヘイスティングスの戦いでイングランドを征服した年です。
ヘイスティングスでは、当時の暮らしや戦いの様子が再現されてて、体験もすることができます。

かなり、リアルに再現されているようです。
防具はやっぱり重たいみたいですよ。
昔の人の体力には驚きますって私が体力ないだけなのかもしれませんが・・・(汗)


ブライトンという街の繁栄により、イギリスは文化的にも商業的にも世界最大の勢力を身につけます。
大英帝国が支配した植民地から莫大な富がもたらされ、それがブライトンで消費されました。
19世紀ここは裕福な人々の娯楽の場でした。現在でもブライトンには古い娯楽場が残っているそうです。
ブライトンの繁栄は1811年、のちのジョージ4世が離宮を建て、上流階級の人々がこれに続き、一躍高級リゾート地になりました。
今でもブライトンはロンドンっ子の保養地だそうです。


とても気になる街です。
かつて繁栄して、娯楽の町というとそれだけで、トキメキます。
ジョージ4世の館は外観はインド風で内装は中国風でっせ、当時異国情緒が流行っていたといえ、
そのアンバランスさにトキメかざるを得ないでしょう。



ロンドンは紀元前1世紀古代ローマ人により築かれた町です。
イーストエンドはロンドン最古の地区で、19世紀には人口が増え、危険と堕落の象徴でした。
運河は列車や車が誕生する前の交通路で材木や石炭を運ぶために使われていました。

昔は、ボートを馬に引かせていた。トンネルでは馬をボートの乗せ、代わりに「こぎ手」ならぬ「けり手」を雇いました。


けり手?その言葉に???と思いますよね。
けり手とはボートの屋根に足を上げて上向きで寝て、トンネルの天井を蹴って進ませる人のことを言うようです。
馬はトンネルの中、歩かないのかよというつっこみも入れましたが、番組は答えてくれるはずもなく、
疑問のまま番組は進んでいくのでした。




ヨークシャー州は18世紀の英国の繁栄により、を重要な貿易港へと変えました。
キャプテン・クックが最初に船出したのもこの場所だそうです。

ホイットビーの修道院はヘンリー8世の時代に衰退します。
王妃との離婚を認めないカトリック教会を離れてプロテスタントを国教とし、修道院の財産を没収したそうです。

そして、この町はドラキュラの舞台になった町でドラキュラゆかりの場所をめぐるツアーもあるそうです。


王ってわがままですね。自分が気に入らないと思ったら、国教をすぐ変えてしまう。
羨ましいです。私も独裁者になりたかった(笑)



ノーサンバーランドはハドリアヌスの城壁で知られています。
紀元前2世紀ローマ皇帝ハドリアヌスが帝国の領土の最北端に築いた壁です。
城壁の北側はローマ人が恐れていたスコットランドです。
この壁は侵略者からローマ帝国を守るためのもので、同時にローマ帝国支配の北限を意味していました。
スコットランドとの境界は2000年後の今もさほど変わりません。
城壁は全長117キロにもおよび、400メートルごとに監視所が設けられていました。
侵略者を防ぎ、税関の役目も果たしたのです。


古代ローマ人の勢いって凄いものがあります。
かなりな面積を支配していましたよね。確か。
でも、なんで海を渡ってわざわざイギリスまで支配したのか、歴史に疎い私は疑問に思ってしまいます。
もう、攻めるところがなかったのかしら?
この辺もちょっと調べたら面白いかもしれませんね。
来年2月以降、時間ができたら調べてみますか。




リバプールの繁栄は18世紀、奴隷貿易として大きな役割を果たしたのが始まりです。
19世紀までは重要な交通の中心として大英帝国の顔になりました。
北米から戻った移民が定住したために人口も急増します。
そのため、リバプールにはさまざまな文化が混在しています。
第一次世界大戦後、街の繁栄は終わりました。
終わった要因の一つに新たな輸送手段の登場もあるそうです。


確か、ビートルズはリバプール出身ですよね?
ビートルズが世界的に有名になったことで、
リバプールはいいイメージの町になってしまっているような気がするのは私だけでしょうか?
くらーい過去のことが、蓋をされかかっているように思ってしまいます。
それは、日本にいるから、更に強く感じちゃうのかもしれませんね。
でも、よーく考えてみると、さまざまな文化をもつ町だからこそ
ビートルズのような当時の型破れな人間が出てきたのかもしれませんね。



ちょっと面白いと思った話を一つ。
イギリスでは車は日本と同じ左側通行だそうです。
昔、剣を持つ右手を空けるために馬車は左側通行だったため、その風習が続いているそうです。
では、なぜ、アメリカをはじめとする欧州各国は右側通行なのでしょうか。
番組ではアメリカは英国に反抗し、右側通行にしたと言っています、
ネットでちょっと調べたら、ナポレオンが左利きだったからという説もありましました。
どちらが本当かはわかりませんが、アメリカの性格からして、アメリカの反抗説を支持したいと思います。(笑)




仏像鑑賞

2004-09-29 | 教養系番組

今さら聞けない!オトナのための教養辞典
仏像鑑賞
9月29日(水) 22:25~22:55
NHK教育


仏像の拝み方

賽銭を入れて
敬意を表して拝む
禅宗のお寺だと
「南無※釈迦牟尼仏(なみしゃかむにぶつ)」と言います

※釈迦牟尼仏とはお釈迦様の正式名称


お寺のご本尊は普通はひとつで左右に脇侍(わきじ)を従えるようにして三体になります。
三体がすべて如来像の場合は同格で、「過去」「現在」「未来」を表す三世仏となるそうです。


如来の特徴
螺髪(らほつ)・・・髪の毛を巻いています
阿弥陀如来の印は(手の形)は弥陀定印(みだじょういん)
白毫相(びゃくごうそう)という[ほくろ]があります。

如来とは、「かくのごとくきたれる人」という意味で、すべての欲を捨てて悟りを開いた人が人をすくうために戻ってきた姿のことを言うそうです。

仏像の種類
如来・・・一枚の布をシンプルにまとっている。白毫相があります。
菩薩・・・王冠をかぶり装飾品を身につけた姿をしています。
明王・・・怒りの形相で悪を懲らしめ強引に教え導きます。
天・・・仏教の守護神。如来、菩薩、あらゆる人を守ります。もともと、古代インドの神々でさまざまな姿をしています。
羅漢・・・尊敬に値する人。人々の崇拝を受けるにふさわしい理想の修行僧。
高僧・・・信仰の対象となっている僧。


菩薩
悟りを求め人々を救おうとする修行中の仏のことです。
如来の補佐役
釈迦の出家前、王子だった頃の姿をモデルとしているため、豪華な装飾品や冠などを身につけているとのことです。

菩薩の種類
普賢
弥勒
観音
文殊
地蔵


<感想>
とてもありがたい番組でした。
仏像について、2回ほど京都の観光ガイドを読んだことはありましたが、
右から左へと抜けてしまって、覚えられないでいましたが、
この番組をみて、仏像の種類がおおよそ理解できました。
如来と菩薩の区別がついただけでも、たいした成長です。

仏像覚えたらお寺に行ってみたくなりました。
近くといえば、高幡不動かしら。
不動というからには不動明王かな。

最近、日本の芸術に興味を持ち、少しずつではありますが、知識が増えてきました。
10年くらい前から日本の芸術を少しでもわかりたいと思っていたのですが、
やはり、奥が深すぎてこれだけの歳月がかかってしまったようです。




スリランカ

2004-09-27 | 教養系番組

スリランカとモルディブ
9月27日 3:00~4:00
ディスカバリーチャンネル

スリランカの言語はシンハラ語とタミル語だそうです。
準公用語が英語だそうです。
調べて、要約しようとしたのですが、専門外過ぎるのと、奥が深すぎるので、
この辺の話はこの辺を覗いてみてください


コロンボは19世紀から栄えた貿易港で人口100万を超えるスリランカ一の大都市だそうです。
名物の食べ物は「コツゥ」と呼ばれる小麦粉と野菜の炒め物と「ホッパー」と呼ばれるクレープみたいなものです。飲みものでは、「トディ」と呼ばれるココヤシの木の樹液があり、このアルコール度数はビール程度のものですが、発酵させると「アラック」と呼ばれる強いお酒になるそうです。

ここも小麦粉文化なのかしら?
ココヤシの樹液はひとつで二度おいしい?それとも腐ってもおいしい?
どちらにしろかなりお得感があります。(それは、どうだ?)



マタラという街にはウェウルカンナラ寺院があり、ここにある仏像はスリランカ最大だそうです。



ラトゥナプラという街は宝石の街で採掘者たちはこの街に原石を持ち込んでは業者と取引を行っているそうです。ここでの特産はサファイア。



シギリアにはに5世紀に建てられた砦があります。
岩はその形からライオン岩と呼ばれています。ライオンは勿論、権力の象徴です。
この街にはこんな歴史があるそうです。

1500年前カサッパ王は父王を壁に生き埋めにして王座を奪い、
逃亡した弟の反撃に備えここに砦を築きました。
王は安全のため衛兵をそばに置いていました。

しかし弟に会うために王が砦を離れると、兵は逃げ去り孤立したカサッパは自殺しました。
のどを切った短剣をさやに収めて死んだといいます。


なんて勝手なヤツなんでしょう。
暴君だったらしいですが、その反面ひどい小心者だったようで・・・
って私には理解できない行動です。
これって民族的に理解ができないものなのでしょうか。
宗教的に理解できないものなのでしょうか。
この行動は当然の行動なのでしょうか。
やっぱり理解できません。

因みにカサッパが岩に描いたフレスコ画があり、その壁画は現在残っている22枚残っていて、描かれた題材は宗教画ではなく王の愛妾たちだそうです。

ますます日本人的視点で見ると恥ずかしい人です。



キャンディには、国内最大の祭り、ペラヘラ祭があります。
飾り立てられた数百頭のゾウが十夜町を行進するお祭りで、国中の仏教徒が集まり、
釈迦の歯「仏歯」に敬意を表します。
「仏歯」は火葬の際、僧が灰の中から取り出し、安置場所が戦火に見舞われ301年ごろ、
仏歯はインドからスリランカに運び出されました。
首都に安置されたあと1592年キャンディに移され、この祭りが始まったといいます。



タイトルにモウディブとありますが、ワタクシ的にこれといって面白いなぁというものがありませんでしたので、内容すっかり忘れてしまいました。
ただ、ひとつ面白いと感じたのは、スリランカは仏教でモルディブはイスラムで、インドはヒンドゥー教ということです。東南アジア~インドにかけて3つの全く異なる宗教があるというのは、不思議な気がします。
恐らく、どのように宗教ができ、どのように広まったかを調べれば、面白い結果にたどりつきそうな気がしますが、宗教の問題は奥が深くちょっとやそっとのことでは理解できそうもないので、興味はあるものの、この辺で切りあげたほうが自分の身のためでしょう。きっと・・・


スリランカ大使館のホームページ


高松塚古墳壁画

2004-09-25 | 教養系番組

サイエンスZERO  画像解析で国宝壁画の謎に迫れ!
9月25日(土) 19:00~19:45 
NHK教育


国宝・高松塚古墳の画像解析のお話。

上野の東京文化財研究所に高松塚古墳の原寸台が模型があるそうです。
大きさは幅1m、奥行きが2.6m、高さ1mとかなり小さい。


実際の高松塚古墳は奈良県の明日化村にあり、古墳の中に入るまでに5枚の扉がつけられています。
これは、温度・湿度の急激な変化を避けるためと、微生物が入らないようにするためだそうです。
そして、入り口は人がひとり入るのがやっとの大きさ。
石室の湿度は100%で、8800万画素のデジタルカメラの機材を入れて撮影するには非常に苛酷な環境です。
その中で、半年に及ぶ撮影が行われました。



今回撮影で用いられた技法は「蛍光撮影」
「源氏物語絵巻」など、直接試料を採取できない貴重な絵画の分析に使われてきた撮影方法で、
微量の染料をとらえることができるため、長い年月の間に消えかかって見えなくなった本来の絵の様子を再現することができます。



日本画で使用される絵の具は二種類あり、一つは鉱物を使った顔料、もう一つは植物性の染料です。
染料は退色しやすく、高松塚古墳の壁画は1973年に発見されてから、かなり退色してしまって、
元の姿がわかりにくい状態になっています。
しかし、この「蛍光撮影」を用いると退色した部分が蛍光に浮かび上がり、元の姿が見えてきます。
この撮影でもう一つすごい発見がされました。
強い光を発している部分があり、その部分を詳しく調べてみると、
どうやらアフガニスタン産のラピスラズリが使われていたらしいことを発見!!
非常に貴重な鉱物なので、埋葬された人はそれなりの地位の人であったのではないかと言われています。

高松塚古墳にラピスラズリ?そんな昔にアフガニスタン地方と交易していたというのが驚きです。
そして、その時代にラピスラズリが顔料として使われていたことにもびっくりです。
ラピスラズリは西洋でも高価な顔料でなかなか手に入れることは難しかったと「美の巨人たち」でやっていました。そして、この色は退色しにくく、非常に美しいためにこの色にみせられた画家は多いそうです。
わたしの中でラピスラズリの青といえば、フェルメールの「青いターバンの少女」です。
これ以上、ラピスラズリについて書こうとすると、話はどんどんずれてしまうので、この辺で終わらせておきましょう。
因みに美の巨人たちの詳細はこちらからどうぞ。
画像解析のすごさよりも、そっちの方にすっかりもっていかれてしまいました。ハハハ。


話は高松塚古墳に戻ります。
高松塚古墳の壁画は1972年の発掘したときに、まだはっきりしていた白虎の輪郭線は30年で消えてしまいました。
一般的に輪郭線は炭で描かれることが多く、退色しにくいものと考えられていましたが、
この白虎の輪郭線は染料で描かれたために退色してしまったらしいのです。

間違った修復や防カビ剤、絵の具の思い込みで退色してしまったのは、非常に残念なことです。
しかし、今回の調査で、新たな発見がされました。それは白虎に蛇が描かれていたことです。
白虎と蛇、一体どういう関係があるのでしょうか。そしてどういう意味を持つのでしょうか。
これも、追々研究がされることでしょう。

高松塚古墳の壁画は恐らく、近い将来、消えて見えなくなるかもしれません。
消える前にデジタル技術による保存と研究が進めばいいなぁと思います。



ワシントンDC

2004-09-20 | 教養系番組

ワシントンDC
9月20日(月) 3:00~4:00他 
ディスカバリーチャンネル

番組を見たのをもとに、いろいろ調べて、いろいろ考えてみました。



ワシントンは人口60万人の都市でどの洲にも属さない特別行政区です。
町の3分の1は公園で、町にはホワイトハウス、国会議事堂、国立墓地など重要な建物があります。


ホワイトハウス(大統領官邸)
1800年に建てられますが、当初ホワイトハウスはホワイトではなかったようです。
1812年の米英戦争で焼かれて、焦げた後を隠すために白く塗られたそうです。


今まで、ホワイトハウスがなぜ白いかは、
パルテノン神殿の白を真似したからだという話を誰かから聞いて、
素直にそう思っていましたが、どうやら違うみたいですね。(^^;)



大統領官邸が建てられた頃は大統領よりも議会の権限の方が強かったそうです。
そして、官邸はのどかな場所で大統領との握手や芝生で散歩もできていたそうです。


いつから大統領は独裁者に格上げされたのでしょうね。
いつから議会の権限が弱まってしまったのでしょう。
戦争は儲かると実感した第二次世界大戦くらいなのでしょうかね。
アメリカ大統領は世界を引っ張るリーダーだとアメリカ人は思っているようですが、
(違っていたらゴメンなさい)
世界的に最も目立つ存在になってしまったがために、
官邸はのどかな場所からテロが狙う危険な場所に変わってしまいました。
今、自由な国と憧れていた自由な国は、本当に自由の国なのでしょうか。

おっと、ここいら辺で切り上げとかなきゃ、大変なことになりそうだ。



連邦議会議事堂(国会議事堂)
見学ツアーがあるそうです。それは、ありそうですが、驚いたのが、
議事堂内にミニ地下鉄があるということです。
そんなに大きかったかしら???
大きいことは大きいと思いますが、地下鉄が必要な広さではあるまい。
っと思うのは、甘いですか?



ワシントンDCから車で3時間位のところにジェームズタウンがあります。
ジェームズタウンは新大陸に渡った英国人が最初に入植した場所です。
ここで再現されているのは、1600年代初頭の当時の生活です。
この町が誇る展示物は実物大に復元した「スーザン・コンスタント号」です。
入植者はメイフラワー号ではなく、このスーザン・コンスタント号で英国から1606年にからやってきたそうです。
っで、メイフラワー号は正教徒をのせて1620年にやってきます。


入植者と正教徒の違いでしたか。
ちょっと賢くなりました。




植民地は急速に発展を遂げ、200年後バージニアは米大陸で最大の英国植民地となり、
より豊かな拠点を求めて人々は北へ向かいます。
1774年にトーマス・ジェファーソンは英国政府へ異論を唱え始めます。
そして独立戦争へ。1781年の戦いを最後にジョージ・ワシントンの指揮の下、独立軍は勝利します。
歴史を決定付けたヨークタウンの戦いです。
アメリカは英国からの独立を宣言し、ワシントン総司令官は英雄となります。

この時代の街の様子を復元したのがコロニアル・ウィリアムズバーグです。
敷地は約1.3平方キロメートル、年間400万人が来場する歴史博物館です。


テレビで見た感じ、アメリカ版明治村というところでしょうか。
楽しく歴史を体感できそうなところです。
建物系博物館まにあとしてはときめきます(笑)




ワシントン近くのそのほかの観光名所をだだっと書いていきます。

アーリントン墓地
アメリカ最大の軍人墓地です。
25万人の戦死者がここで眠っており、1日平均25人の葬儀が行われています

海兵隊戦争記念碑(別名は硫黄島記念碑)
第二次世界大戦中、硫黄島で戦死した6800人の隊員の記念碑です
この碑は戦死した全ての海兵隊員のためのもので、回りに核戦争の名が刻まれています。


1日あたり25人って多いような気がするのは、気のせいでしょうか。
これもテロや対イラク戦争のせい?
戦争しなければ、そんなに亡くなる人はいないのではないでしょうか。




トーマス・ジェファソン記念館
総大理石造で贅沢につくっています。。
ジェファソンは6ヶ国語を操り、弁護士であり、数学、科学、考古学、植物学に詳しく音楽家、作家、独学の建築家でした。
「人間の心に対するいかなる形の圧政に対しても 永遠に立ち向かうことを神の祭壇で誓いました。」
という言葉が記念館に刻み込まれています。

フランクリン・D・ルーズベルト記念公園
大恐慌から国を救い、第2次世界大戦を指揮した偉大な大統領と言われています。
ポリオに冒され車椅子生活だったことは、当時隠されていました。
そのため、この場所は完全にバリアフリーだそうです。

リンカーン記念館
最も荒れた南北戦争の時代に大統領を務め、奴隷解放、北軍の勝利をもたらしました。
正直「エイブ」と呼ばれた人々に親しまれていたそうです。




やっぱり、ナマで見た~い。
テレビをいつか行くための予習♪として見ているんですけど、ショージキ虚しくなってきました。
アメリカに行きたいかぁ~?
(安全が保障されるなら)行きた~い!!
きっとこの保守的な考えが行けない理由なんだろうな・・・