goo blog サービス終了のお知らせ 

妄想する美術史。

妄想と現実間のアートの歴史記録

思いは招く

2017-03-28 | 日常
植松努さんの講演のメモ書き

とてもいいフレーズばかりで、挫折しそうになったら読み返そう。

どうしたらできるのか

なぜそれをしたいのか

方法はいくらでもある。

発信し続けたら、世界は広がり仲間が増えていった。

失敗から学ぶことはある。

失敗を恐れずに、進むことの大切さ。

ーーーーーーーーーーーーーーーー

「社会」も「会社」も
人が力を合わせて
一人ではできない事を
めざす場所

新しいことは
だれも知らないから
絶対に
教えてもらえない


そんなものみたことがないへんだ(マイナス)
こんなのみたこともたべたこともない(プラス)

自分で考えて
自分でためしたら
個性が身に付いて
必要とされる


「普通」だと
値切られる
「ちがう」と
必要とされる

「ちがう」を
「おかしい」と思う
社会は
とても弱い社会

「ちがう」は
「すてき!」


いやなことを
がまんしないで
なんでいやだと思うのか
かんがえたら
人をたすける発明になる


かんがえるためには
心をつたえる
美しい言葉が必要です


人間は
必ず失敗する

失敗は
乗り越えたら
力になる

失敗したらどうなるのか
かんがえて準備しよう

失敗に
罰を与えては
いけない

失敗を
自分のせいに
してはいけない

失敗をさけると
なにもできなくなる
成長できない
考えられなくなる


失敗を責めるのは
教育ではない

失敗は
失敗の乗り越え方を
おしえる
チャンスです!

失敗は
なんでだろう?
だったら
こうしてみたら?
で 力になる


樺太育ちの祖母
お金は ねうちが
かわってしまう
だから
お金は知恵と経験に
つかいなさい


値段はいくらかな?
ではなく
どうやってできるのかな?
を考えてみよう


やりたいことを
やったことがない人に
相談すると
できない理由を
おしえられる

否定や禁止は
アドバイスではない

本当の
アドバイスは
情報を増やすこと

がんばれなくなる
いまできることしか
できなくなる
考えたくなくなる

じぶんなんて・・・
どーせ・・・
むり・・・

やったことがないことを
やりたがる人
あきらめない人
くふうする人

生まれたときから
あきらめ方を
知っている人はいない

だれかが
あきらめかたを
おしえてくれる

おとなしくて聞き分けの良い
都合のいい人間を作っている


(主体性や思考力)
考える力は
おしえられて
身につくものじゃない

自分の「ゆめ」を
どんどんしゃべろう!

やりたいことは
やったことがある人と
仲良くなればできる!

わかってくれる人に
出会えるまで
しゃべり続けよう

学歴も成績も
世界のほんの一部です
大好きなことこそが
人生のパワーになる

歴史は
1人が変える
好きなことを
やめなかったら
こうなっちゃった

好きなことは
がんばれる
おぼえちゃう
それが本当の実力

好きなことは
なかまを ふやす
ちからを ふやす
可能性を ふやす

人を殺しては
いけないのは
人の可能性を
うばってしまうから

言葉で
人の可能性を
うばうことは
殺人と同じです

どーせ無理
自信と可能性を奪う
最悪の言葉

自信がないと・・・
なにをしていいのか
わからない
何ができるのか
わからない

(1)お金で自信を買う
(2)じまんする
(3)人を見下す
(4)努力をじゃまする

僕らは
間違った自信を
教えられてきた

「比べる自信」は
間違った自信です
本当の自信は
比べなくても成り立つ


自分は
安心できているかな
自信を持てているのかな
自由に選べているかな

つらさを感じるのは
弱さじゃない
つらさを無視できるのは
強さじゃない

心の問題は
虫歯とおなじ
がまんすると
悪くなる

<心のまもりかた>
いやだって言ってもいい
はなれてもいい
しゃべってもいい

わかってくれる人に
出会えるまで
しゃべり続けよう

心をつぶす人
夢をつぶす人
=自信と可能性を
うばわれた人

「どーせ無理」
をなくせば
いじめ、暴力
戦争がなくなる

夢とは
大好きなこと
やってみたいこと
仕事とは
人の役に立つこと

大好きなことや
やってみたいことが
人の役に立つように
なったら
夢が仕事になる


お金で買える
=サービス(してもらう)
自分でやる
=本当の趣味(する)

買うしかない
=してもらうしかない
=お金を払うしかない
=お金が必要

考えてくふうする
=お金で買えない
=経験と仲間が必要
=仕事になる可能性

優しさ
自信
やったことが
ないことをやる

ーーーーーーーーーーーーーーーーーー

エゴン・シーレ 死と乙女

2017-03-03 | 映画・演劇
2017年3月2日 札幌 シアターキノ



エゴン・シーレはタブーと挑戦的に戦った画家だと認識していた。

そういう風に紹介している図書が多いし、作品を直視できないようなエロい絵画が多い。

エロいというべきかエロスというべきか正直悩む。



映画はドライな印象であった。

フランス映画だったら、もっとエロくねっとりした描写になるような「主題」であるのに、驚くほどあっさりしている。

エゴン・シーレが育ちのいい好青年過ぎて、残された作品を改めて見ていても好青年の印象は全くない。

絵画から読み取れる解釈ではなく、年表と出来事、文献などをフラットな目で見てストーリーを組み立てたのかもしれない。

妹ゲルティの目線からの物語ということで、大好きな兄を余計なフィルターをかけないで美しく表現させたかったのかもしれない。



今まで、わたしはエゴン・シーレを色眼鏡をかけて見ていた。

そしてあらゆる方向から人物を見ようとはしていなかったことに気がつかされた。



シーレはとにかく人を描きたかったのだ。

人の形だけではなく、人の内面をえぐり出して描きたかったのだ。

ただ美しい人や装飾美術など形式的に描ける。

人の内面のエグいところは、感じ方が人それぞれであるように表現も独自なものになってしまった。

ただそれだけのことであったのだ。

シーレの絵画が彼の生きていた時代に受け入れられたのは、時代的にも土地柄的にも幸運な方だったのかもしれない。

未成年者誘拐事件や妹との近親相姦疑惑など、今の時代に生きていたとして(日本的な環境に身を置いているわたしの感覚で考えて)、彼のやっていたことはワイドショーに毎日とりだたされて叩かれて、ネット上では炎上することだと思う。そして炎上商法も何食わぬ顔でやり通す青年なのではないかと思う。

シーレにとって周りの目や評価など気にしていないのだ。

シーレはただただただ、人の内面からにじみ出るものを描くことに興味があったのだ。

その対象が、女性であれ、男性であれ、未成年であっても全く関係なかったのだ。

独特なポージングも描きたい対象物を極限にまで削ぎ落として見えたかたちなのではないかと思った。



彼の独特なセンスを理解したモデルはいい理解者であったが、彼が最終的に妻に選んだエディットは中流階級のお嬢様で妻であるためにシーレの思うままに描かせなかった。

わたしが妻だとしても、内面も外見もえぐり出してプライバシーを人々に晒してもいいよとは言えない。

芸術を理解していても、邪神を捨てきれない。だからわたしはヴィーナスにはなれないんだよね。

そういう意味でも、モデルとしてシーレを支えたモアやヴァリはヴィーナスであった。

映画では「死と乙女」は、ヴァリの訃報を知ってタイトルを変えたことになっていますが、実際のところはどうなのでしょう。

シーレは結婚してもなおヴァリとの関係は続けたかったけれども、シーレの思うようにことは進むはずなく・・・。

この辺の感覚は芸術家なのか、それともいいところだけを取りたいおぼっちゃまなのか頭が混同してしまいますが、彼の作風や思想から考えると人と同じものの考え方ができないよく言えば天才肌で悪くいうと空気の読めない男だった。だから彼は時代の寵児になり、28歳の若さで亡くなったことが、芸術家としての汚点を残さずに済んだ。

いやいや、汚点は妻の絵を想い通りに描けなかったことではないのだろうか。

すべてはうまく進むと考えていた。今の日本でいう中二病者である可能性は捨てきれない。

そう考えると、シーレの人生をもう少し妄想してみるのも悪くはないかな。


「エゴン・シーレ 死と乙女」