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妄想する美術史。

妄想と現実間のアートの歴史記録

月光ノ絵師 月岡芳年 | 札幌芸術の森

2017-06-13 | 展覧会
最後の浮世絵師月岡芳年の作品を見てきました。

浮世絵とか日本美術には疎く近年勉強をしているところです。


昨年開催された国芳様のお弟子で最後の浮世絵師と言われた芳年。

この展覧会は小学校5年生の課外学習と事前に調べていたので、その日と土日を外しての絶妙な鑑賞日。

アプローチの段階で期待は高められました。

同じ題材を2人はどう描いているのかの違いという導入部分は、学芸員の質の高さを感じました。

わかりやすい比較解説。

ニノ巻きは、芳年ならではの残酷な絵シリーズ。展示がおしゃれに区切られていましたが、日本と西洋の残酷絵の表現方法は全然違っていて、日本の方が私はシュールでグロいと思うのです。西洋のグロいと絵は平気でも、今
回は凝視すると気分悪くなりそうな苦手な描写もあり、そそくさとその場を離れてしまいました(笑)

美人画のタイトルは、絵を見て気持ちが素直に通じて、比較的軽い気持ちで楽しめましたね。

月の絵シリーズも構図にこだわりがあり、後半は独特の構図解説や物語の内容など、こう感じ取ってもらいたいんだなという学芸員の意図がみえて嬉しかったです。

それにしても、明治に入ってからの赤い顔料は人工的で退色もなく、どぎつい感じは、やはりしましたね。明治の浮世絵の赤はやはり好きにはなれないなぁ。

全体的に見て、私個人的な感覚は国芳の方が、遊びごころが多いし、集中してたくさんの題材を貪欲にこれでもかというくらい好きに描いている感じが好きですね。

芳年は線が多くて、リアルでグロくて変態な印象が強い。ライトな作風もあるけれども、目の付け所がどこか違う。そんな風に感じました。

森村泰昌展

2013-01-20 | 展覧会
今日は宮の森美術館に『森村泰昌展』を見てきました。
こじんまりとした美術館で、企画展といってもほんの少ししか展示されていませんでしたが、笑いすぎて腹筋がいたくなる立体作品がありました。
友人に誘われていったのですが、そういえば、友人に森村さんの面白さを教えたの私だったかもしれないと思いながら、笑って涙流しながら堪能している友達を見て癒されました。

『森村泰昌展』

イサムノグチ展

2005-11-25 | 展覧会

イサムノグチ展
東京都現代美術館
2005/09/16~2005/11/27

実はあまり乗り気ではなかった。
でも、なんとなく現代美術館に足を向けてみた。

平日なのにチケット売り場に列ができていた。
デザインを学んでいる学生風の人が多数。
建築家の雰囲気を漂わせている人も何人かいた。
独特な感じの展覧会。

初期の頃のブロンズの作品はブランクーシによく似ていた。
師匠だから仕方ないか。
最初は模倣から始まるものだし。
初期の頃の作品はイサムノグチも認めてるくらい思想と表現が離れている。
タイトルと作品がすぅーっと入って来ないものが多かった。
しかし、石という素材に出会ってから、思想と表現が見事に一致した。
特に『この場所』は何かわからない懐かしさがあり、切なく暖かい作品だった。

うろ覚えだから、細かいことは覚えていないけど、
晩年、イサムノグチは石に入りたいと話していたと言う話を昔聞いたことがある。
それはこの作品ではなく、墓石になった石を指しての話だと思ったが。

この作品を見ていると石の魅力に取り付かれた理由がわかるような気がした。



『砥石』も味のある作品だった。
これをテーブルにしてお酒を飲んだら、贅沢な時間が過ごせそうと考えてしまうのは、私くらいなものかもしれない。
照明は勿論あかりシリーズで。

あまり乗り気ではなかった割には、そんなくだらない事考えることができたので、それなりに良かったのかもしれない。


横浜トリエンナーレ

2005-11-21 | 展覧会

横浜トリエンナーレ
2005/09/28~2005/12/18
横浜山下ふ頭3号、4号他



行くべきかどうか悩みながら行ってきました。横トリ。
2001年の横トリはボリュームがありすぎて大変だったけど、今回はコンパクトになっていました。
それでも、真剣に楽しもうとしたら1日では物足りないでしょう。
かいつまんで見ても2時間半はかかってしまいました。



コンテナのアーチを眺めてからチケット売り場へ。
チケットを手にして急いで会場に行こうとしたら「高橋尚子が・・・」という声が。
どうやらチケット売りのお姉さんが私に向かって言った言葉らしい。
最後まで聞き取れなかったけど、その言葉を聞いて昨日のマラソン結果を知らない自分を残念に思ってしまった(笑)

まず、ボートピープル・アソシエーションの作品を体験。ビニールハウスの屋根(?)の船。中はよくありそうなロフトの部屋。
空がよく見えて気持ちよかったけど、揺れがちょっときつかった。
日常的な空間がちょっと場所を変えるだけでこんなに変わるものなのかと新鮮な気分にさせてくれた。



メイン会場までの道にはダニエル・ビュランの作品が青い空と青い海に映えて美しかった。
この冬、一番の寒さだったらしいけど、その寒さを感じさせないくらいさわやかで心地よかった。


入り口に入ってすぐに足場風の巨大な階段が。。。
池水慶一の『コンニチハヨコハマソウコデス』は、建築現場を見ることが好きな私をときめかせる作品だった。


どなたの作品かわからないけど、会場のいたるところにあった携帯やデジカメの中「左回り」を連呼しながら回る人の映像。
これは大爆笑した。そしてまだに「左回り」の言葉が頭の中ぐるぐるとしている。
夢に出てきそう・・・


照屋勇賢の作品は細かかった。紙袋の中にある木。
この木は紙袋を切って作られたもので、袋の上はその形が開いている。
新・日曜美術館でも紹介されていたけど、実物を見たらその作業の細かさに驚かされた。


ソイ・プロジェクト の作品も面白かった。扉を開けて入っていくと天井には星空がありロマンチック。
一畳弱の空間ごとに壁と扉で空間が仕切られていて、扉を開けるとまた同じような空間が。
暗いし、他の人の扉を閉める音でビクッとしたけど、星空と扉に貼られた小さなイラストで不安感はあまりなかった。
この二つの要素がなければ、全く別の空間になっていて相当怖かっただろうと思う。
ちょっとの工夫でこんなにも変わるのかと本日二回目に思った作品。


ヴォルフガング・ヴィンター&ベルトルト・ホルベルトのビールケースで作られた展望台は、
海と反対色である黄色のビールケースを使った作品で、そこから覗く海は少し濃い青に感じられた。
これってやっぱり補色効果かしら?
空間内に照明があったので、夜は夜でライトアップされて海に浮かび上がったように見えるのかもしれない。
その光景を見ることができなくて残念。(完全なる憶測の話ですが)


奈良美智+grafの部屋はある見慣れた封筒を見つけてしまいひとり大笑いしてしまいました。
犬を穴から見る作品はかわいかったなぁ~。犬の足元目線でしか見ることができず、違う世界を垣間見た気がします。


ピュ~ぴるの金色の折鶴は暗闇の中、幻想的でした。
折鶴で作られた円錐のなかで、うずくまりながら足元の先にある映像を見るというこの作品は不思議な世界を体感できました。
祈りの気持ちを体で表現するとそういうカタチになるのかもしれない。少なくても脳内ではあんな感じのような気がする。


一番気に入ったのは高嶺格の作品。癒されたぁ~。
箱庭に映し出される映像と流れる音楽がとても心地よかった。
ストーリー性もあってその世界に魅せられました。



全体的に前回のトリエンナーレよりいい意味でチープで楽しかった。
総合ディレクター川俣 正 色が強いからかもしれない。

倉庫の持っている雰囲気をうまく取り込んだ作品が多く、そのせいか空間を体験させる作品に面白い作品が多かったように感じた。
(個人的な嗜好によるものかもしれないが)




栄光の大ナポレオン展

2005-11-17 | 展覧会

栄光の大ナポレオン展
東京富士美術館
2005/11/03~2005/12/23

なんだかちょっとお疲れ気味。
展覧会見に行きたいけど、混んでいるところはちょっと・・・っということで
比較的近い富士美術館にはじめて行ってみた。
・・・が、混んでいたorz
宗教の集客力のすごさを改めて実感しました。
バスに乗ったときから嫌な予感はしていたんだけどね・・・


ナポレオンの絵で有名な絵といえば、ジャック・ルイ・ダヴィッドの『サン・ベルナール峠を越えるボナパルト』
とっても勇敢な姿のナポレオン。勢いを感じます。
それにしても、この有名な絵が富士美術館所蔵というのは驚きです。

っと思ったらマルメゾン城国立美術館にも同タイトルの絵があります。
しかし、ネットで見る限り、マントの色が金色っぽく見えます・・・
よく目にするのは富士美術館蔵のものなのでしょうか。
ん~謎です。

この絵は実際の姿ではなく、美化された姿を描いたものです。
ナポレオンのイメージ戦略ということです。
実際は、寒さに強いラバに乗っていたそうです。

ラバに乗ったバージョンの『サン・ベルナール峠を越えるボナパルト』の絵も展示されていました。
この絵はナポレオンの死後30年経ってからポール・ドラローシュによって描かれたものです。
ナポレオンの死後その様子を想像しながら描かれたと思いますが、
ナポレオンの寒さが身にしみている表情がたまらなくリアルです。
個人的にはダビッドの絵と並べて展示して欲しかった(笑)
この絵を見ることができただけで、満足してしまいました。
相変わらず、ひねくれものです。

あと、ジョセフィーヌと離婚したこともはじめて知りました。
子供を産めなかったのが原因らしいです。
そして再婚の相手はオーストリア皇帝の娘、マリー・ルイーズ。
明らかな政略結婚です。
マリー・ルイーズを描いた絵がいくつかありましたが、なぜか后妃の気品を感じる絵がなかった。
たまたまかもしれないけど、ジョセフィーヌの存在感の方が圧倒的でした。
画家の腕というより、モデルの違いによるような気がしてならない。


皿などの工芸品も数多く展示されていて、とくに装飾品にはすごい人の群れでした。
やっぱり、この会場の空気は何かが違う。


最後のほうに展示されていたナポレオンの風呂は遠征などに持っていったもので、湯沸し機能付。
さすが皇帝です。
でも、この風呂の大きさは私には無理(笑)。
200年ほど前だからということもありますが、ナポレオンの小柄さがよくわかる大きさでした。



Ciao!20th イタリア美術

2005-11-17 | 展覧会

Ciao!20th イタリア美術
八王子市夢美術館
2005/09/30~2005/11/23

「がんばれ!八王子!!」っと言いたくなるような再開発ビルにある小さな小さな美術館。
アットホームな感じです。


20世紀のイタリア美術といえば、未来派やアルテ・ポーヴェラを思い浮かべます。
ローマ時代やルネサンスといった過去の栄光にすがりつくことに対する否定から生まれたように思えます。
(ちゃんと調べてないので、直感的に考えて書いていますが・・・)
歴史があるというプレッシャーや甘えは、歴史があまりない土地で生まれた私にはよくわかりません。
京都の人にもそういうのがあるんでしょうね。


展覧会はイタリア国旗になぞらえての3部構成。
第一部は「緑-前衛と伝統」で未来派や形而上絵画など。
キリコの絵も一点展示されていましたが、晩年の作品で勢いが全く感じられませんでした。
時代的なもの(その時代よりも未来を生きているため)なのか展示内容によるものなのかわかりませんが、
未来派のスピードが感じられなかった。

第二部は「白-無限の絵画」は主にアルテ・ポーヴェラな作品。
アルベルト・ブッリ『大きい白』『大きい白と黒』は紙の上に切り抜いた紙を貼りあわせた作品。
この作品を見てロシアのマレーヴィチのシュプレマティズムの作品を思い出した。
マレーヴィチの『白の上の白』のようにうっすらとした気配を感じる作品であったが、アルベルト・ブッリの作品は鋭いカッターか何かで輪郭線が切られていてシャープ。

ヤニス・クネリス『ダンスの破片』はガラスの破片に見えてしまう作品。
紙なのに一瞬「へっ?」と思って覗き込んでしまいました。

第三部「赤-再燃する絵画」は戦後生まれの作家によるもの。
サンドロ・キアの『少女』は若くてはちきれんばかりの少女の様子がダイナミックに描かれていました。


GUNDAM-来たるべき未来のために-

2005-11-10 | 展覧会

GUNDAM-来たるべき未来のために-
上野の森美術館
2005/11/06~2005/12/25


『From First』


旦那の付き合いで見に行ってきました。一番の目的はやはり『コアファイター 1/1SCALE』。
よく作ったなぁと感心してしまいました。

会場内では立体物や絵画、映像作品などジャンルは多岐にわたっていましたが、何故か映像作品にだけ人が少し群がってました。
やっぱり独特な客層なんだと改めて実感。
基本的にガンダム好きの人にとって、すごく楽しい展覧会ではなかったように見えました。
旦那もアートとしては面白いけど、その程度とのこと。


個人的に少し考えさせられたのは『ザク(戦争画RETURNS番外編)』。
人が見えない形の戦いは血や肉などを見ることがないからリアリティに欠けて人を殺すことに抵抗を感じなくなりそうと思っていたけど、これだけのザクが戦って炎を上げている様子は人と同じくらいあるいはそれ以上のリアリティが感じられてぞっとしてしまいました。

グロさを感じたのは『crash セイラ・マス』。
画像をあちらこちらで見ていたので、大きいという知識は持っていたものの、そのほかの仕掛けがあるとは考えもしませんでした。

『アムロとアムロたち』はアムロの部屋が再現されてその中にアムロと同じ年頃の少年を映し出している作品で、映像よりも空間が衝撃的で、こんな部屋にいたら気が狂いだしそうと思ってしまいました。やはり実物はリアルだわぁ~

一番、笑えたのは『ピキピキーン(劇場版)』。こちらは形にするとなんて滑稽なんだろうと思います。

個人的に気に入ったのは、『ガンダム筆(バズーカ筆)』。ほっすぃ・・・(ウソ)


上野の森美術館は今まで2回ほどしか入ったことないので、通常の状態がわからないのですが、順路はユニークでこの展覧会の内容にあっているように思えました。

そして、外に出ると富野由悠季氏による立体作品『From First』があり、写真撮影可ということもあり、ちょっと真剣に真剣に写真を撮っている方がいました。
これはファンにとってはうれしいものなのでしょうね。



ギュスターヴ・モロー展

2005-10-23 | 展覧会

ギュスターヴ・モロー展
Bunkamura ザ・ミュージアム
2005/08/09~2005/10/23

すっかり会期を忘れてしまっていて、最終日の朝一に慌てて行ってまいりました。
10時10分に会場に入ったのにも関わらず、混雑していました。モローの絵って好きというわけではないのですが、とても惹かれます。幻想的な美しさとあやうさ、はかなさが妙に心地いい。

ギリシャ神話の主題が多く、ギリシャ神話を知らない人には一見とっつきにくい内容ですが、そこはBunkamura ザ・ミュージアムの丁寧で分かりやすい解説パネルが補ってくれます。Bunkamuraの解説文は難しい用語や言いまわしを使わないので、リラックスしながら絵が楽しめます。

今回の目的はやはり『出現』と『一角獣』。これを見るために1300円払ったといっても過言ではありません(笑)
しかし、いい出会いが最初からありました。それは、モローの母親を描いた『ポリーヌ・モローの肖像』。鉛筆かなにかで描かれた色のない地味な作品でしたが、厳格で凛とした表情が印象的でした。モローは父親を亡くした後、母親と一緒に暮らし、母親はモローが絵を描くことに専念できるように献身的に身の回りの世話をし続けたそうです。想像するにその世話の仕方は、完璧すぎるものだったのでしょう。自分に厳しく、息子に優しいそんな母親だったのかもしれません。でも、そんな母親を持ってしまうとなかなか結婚にふみきれなかったのでしょうかね。モローには結婚はしなかったけれども、長い間、親しい関係にあった女性がいたそうです。そういうところが原因だったのかななぁと余計な想像を膨らませてしまいました。(笑)でも、その女性は母親公認で、モローのアトリエ兼住宅に一緒に暮らしていたとも言います。母親が生きていたときから一緒に暮らしていたのかどうかまではわかりませんが、とても不思議です。
私が見た後期展示では、母親の肖像画が展示されていましたが、前期展示では恋人、アレクサンドリーヌ・デュルーの肖像画が展示されていたみたいです。何故、一緒に展示しなかったのか、さらにいろんなことを考えてしまいました。多分、確実に考えすぎなんでしょうけど。。。

『出現』はモローの中で最も有名な絵ではないでしょうか。サロメの話は知らなかったので、これが一般的なサロメの絵だとこの展覧会を見るまで思っていました。違ったんですね。新約聖書にはない完全なるオリジナル。しかし、この解釈がピアズリ-とかに影響を与え、「運命の女」がちょっとしたブームになりました。母親に騙されてヨハネの首を欲したサロメと自分の意思で欲したサロメ。この絵が描かれた100年ほど前、自分の強い意思を持った女性が現れてきたのかもしれませんね。それにしても、サロメのとまどいのある表情が色っぽくてたまりません。

モローはほかの画家と積極的に交遊することもなく、住宅にひきこもって制作をし、プライベートなことは隠して生きていたため、謎の多い画家とされています。彼自身作品こそ全てで、自分自身やそれを取り囲むものごとは作品には関係ないという考えだったのかもしれません。画家の作品のみならず、画家が何を考えて絵を描いていたかを考えてしまうような私はモローにとってうざい人間なのかもしれませんね。


ジャン・プルーヴェ展

2005-10-14 | 展覧会


ジャン・プルーヴェ展
D-秋葉原テンポラリー(旧千代田区練成中学校)
2005/09/06~2005/10/23

去年の冬(?)に神奈川県立近代美術館で開催されていたジャン・プルーヴェ展、鎌倉という場所と個人的にかなりたて込んでいたため見に行くことはできませんでしたが、こんな短期間で東京で開催されるとはありがたいです。

っと書きながら、ジャン・プルーヴェとはどんな人物でどんなものを作った人だか知りませんでした。(^^;)
建築系の展覧会のチェックをするために毎週、KenKen!のメルマガを購読しているのですが、そこで建築的な人なんだと思ったくらいです。
レンゾ・ピアノ、ノーマン・フォスター、ジャン・ヌーヴェルなど多くの建築家が師と仰ぐほどの人物であり、ポンピドゥ・センターのコンペの審査員をしていたすごいお方だったんですね。本当に無知ではずかしい。。。(汗)

展覧会は、家具や建築模型などと文献資料がたくさんありましたが、この資料が難解で難解で読むのに大変苦労しました。読むだけ読みましたが、ほとんど理解できず(汗)。最初からかなりマニアックな内容でした。しかし、中盤くらいから模型が増え、大きいものでは実寸大のものまであり、空間というよりも構造を堪能することができました。構造や素材を極めた人の造形は意匠をやっている人の造形と比べて合理的で無駄がなく、美しい。決して殺風景なわけではなく、力の流れが感じ取れて自然な感じさえしました。とても本質的。
プルーヴェ自身建築家を拒否し建設家と名乗り、設計する人、実際に作る人とわけないでトータル的に建設することが大事だと考えていて、その考えの基づいて建物を作っていたそうです。昔の職人的ですが、いいものを作り上げるということはそういうことなんだと思います。全てが分業化されてしまうと、やりたいことがなかなかうまくできないですしね。「量産システムの開発を進めながら一品生産とでもいう痕跡にこだわった」と開催趣旨に書かれてますが、恐らくそういうことなんでしょう。

いろいろな模型がありましたが、その中で私が気に入ったのは『エヴィアン カシャ鉱泉の休憩所』(1956年)
屋根の自然な曲線の美しさにうっとりしてしまいました。



巨匠 デ・キリコ展

2005-10-14 | 展覧会



巨匠 デ・キリコ展
大丸ミュージアム
2005/10/06~2005/10/25

久しぶりの展覧会だよぉ~(TOT)
夏くらいからキリコ展がくるのを密かに楽しみにしていました。

キリコと言えば形而上絵画
なんだか難しげですが、リンク先を読んでいただくと何となくわかります。
簡単に言ってしまえば、「夢に登場するような世界」で、この形而上絵画がシュールリアリスムへと発展していきます。

初キリコということで、テンションがあがります。
しかし、解説などを読んで一気にテンション下がりました(笑)
言葉が難しすぎて、キリコの思想が理解しにくい(^^;)
詩的に絵を描くから、難しいのはしかたがないのかもしれない。


展覧会の構成は以下の4セクションから成り立っていたけど、これも理解しにくい。
第1章 メタフィジカ、認識の”道”(自己啓示):瞑想
第2章 旅:歩みの隠喩、あるいは”道”
第3章 精神と物質の二元論
第4章 個(我)、闘い


だけど、展示された作品をみるといろいろな不安を駆り立ててくれて面白かった。
電球のような頭は取り外しが可能だったとは。。。
電球のような頭は仮の姿でその下にあるのが本当の顔。
本当の顔は小さくて黒いミニミニ電球。本当は否定的でちっぽけな人間ということなのかな。
人間の二面性をうまく表現しているようにみえました。

太陽と月の作品も世の中の二面性を表現しているようにみえた。
太陽だって疲れることがあるんだよね。
そう言う風に捉えてしまう私はやっぱりお疲れなのかも。

一番気に入ったのは、『橋の上の戦い』。
室内に置かれた橋。川も段差を勢いよく落ちています。窓の外には平和で静かな街。
橋の上には丸焦げになったような人や馬が。死体は川に投げ捨てられようとしています。
そんな様子が描かれているのに静的です。動きが止まっているように見えるだけではなく、音も感じられない。
全てが止まっているせいか、感情にも訴えかけてこない。
ふつうであれば何らかの感情移入ができそうな場面ですが、冷静に客観的に見てしまう。
残酷な夢を客観的に冷静に見ていると自分で感じている時と同じ感覚を感じてしまいました。
こんな風に感じられるのは、キリコの表現力がうまいからなのでしょう。

ただ、今回全体を通して気になったのは、色ムラです。完成作ではなく習作ばかりが展示されているような印象を受けました。習作なら習作でいいんですけど、あれが完成作だとしたら、晩年のキリコはどうしちゃったのかなと思ってしまいます。

まぁ、いろいろと難解でしたが、キリコの世界が堪能できてそれなりに満足でした。

建築家 清家清展

2005-09-22 | 展覧会

建築家 清家清展 「私の家」から50年
松下電工汐留ミュージアム
2005/07/23~2005/09/25

今年の4月にお亡くなりになられた建築家清家清の展覧会に行ってきました。

清家清といえば、副題(?)にある「私の家」をテキストで見たことがあるくらいでした。
相変わらず、不勉強な学生です(^^;)

建物は平屋で低く、開口部(入り口)から部屋の奥にある本棚が印象的な作品で、どこか懐かしさも感じる住宅だと思いました。

展覧会ではこの「私の家」の1/1の模型が展示されていて、空間を体感できるようになっていました。
汐留ミュージアムに入るくらいですから、住宅はかなり小さいコンパクトです。
延床面積は70㎡。畳に換算すると42.5畳、坪換算では21坪くらい。
あくまでも述床面積で、です。

清家氏は扉が嫌いらしく、この家はワンルームになっています。
勿論トイレにも扉はありません。
シャワースペース(?)は、水はけの問題で使用中止。
結局、裏にあった両親の家の風呂をつかっていたとのことです。

当初、靴を履いたままの生活を想定して設計されたので、玄関もありません。
しかし、これも酔った友人が泥靴で入ってきたとかさまざまな理由で、靴履き生活は破綻してしまったそうです。

建築家の実験住宅という感じがして面白いです。


本棚には実際に清家氏が読んだ本が展示されていました。
何にでも興味があり、博識ある人というのが伝わってきます。
中には家政学の本まであり、家政科系出の私としては、うれしくなりました。
家事を知らない建築家より、家事を知る建築家の方がいいにきまってます。

可動式の畳はちょっと笑ってしまいました。かわいい。。。
この畳の上で洗濯物を畳んだり、寝床になったりと外で椅子がわりに座っていたり、家の中から外まで大活躍していたそうです。


古来から日本人は山などの遠くの自然を借景して空間を楽しんでいました。
その考えはこの家にも取り入れられています。
部屋を広く感じさせるために空間を庭に連続させています。
コンパクトでもコンパクトに感じさせない家。

清家氏の住宅作りの思想は、鴨長明の「方丈記」に影響を受けているそうです。
コンパクトというよりミニマムな住宅を目指していたみたいです。



清家氏は若かりし頃、画家になることを夢見て芸大で絵を学びたいと考えていましたが、もっと役に立つものを学んだ方がいいとの父親のアドバイスにより東京美術学校の建築学科に進学。

その若かりし頃の絵も2点ほど展示されていました。
志すだけあってうまい。


後半は『私の家』シリーズ以外の建築作品をパネルや模型で展示。
私が行ったこと、見たことあるのは『八景島のシーパラダイス』、『軽井沢プリンスホテル新館』、『札幌市立高等専門学校』。でも、清家氏設計のものだと認識してみたことは、ありませんでした。
札幌市立専門学校はそんな話を少し聞いたことある程度で、すっかり頭の外に行ってました。むかしは建物にそこまで興味がなかったですからね。(っと言い訳してみます)

主な代表作を見ながら、清家氏はいい意味で住宅作家なのだと思いました。公共、商業建築も美しいのですが、それ以上に住宅に対する思い入れが強く、一つ一つが暖かくてやさしさを感じるデザインです。こういう家で育ったら、性格が温和になりそうです。家は人の性格をも左右する大事なものだと改めて感じました。


最後のセクションでは、清家氏の人柄にせまっていました。
快適なお風呂の大きさを自身が装置で研究している姿は、微笑ましいものがありました。
電車の車両を敷地内において鉄道の模型部屋にしている写真は少年そのものでした。
24時間建築のことしか考えていない人より魅力的に感じました。
そして、違いのわかる男のCMにも出ていたとは知りませんでした(笑)


でも、もっともその人柄を現していたのが、ミュージアム外にある映像です。
自宅である『続私の家』と息子さん家である『倅の家』の話でしたが、息子さん一家が数日、旅行で家を空けているときに、何の相談もなしに家をつなげてみたり、『倅の家』を勝手に改築したり、好き勝手に思いつきでリフォームして楽しんでいました。
彼の息子一家や工務店はかなりいい迷惑だったはず。
でも、それが許せてしまうお得な人柄だったようです。
確かにあの顔で好き勝手されてしまうと怒れないですね。

建築家の展覧会でありながら、心温まる内容で楽しめました。


ドレスデン国立美術館展

2005-09-07 | 展覧会

ドレスデン国立美術館展
国立西洋美術館
2005/06/28~2005/09/19


予想外の展覧会でした。
何が予想外というとチケットやチラシの表紙にフェルメールの『窓辺で手紙を読む若い女』、看板にはレンブラントの『ガニュメデスの誘拐』。この二つの絵画と西洋美術館という会場を考えれば、西洋絵画の展覧会だと普通思うでしょう。それが、入場してびっくり。入り口すぐに『集光鏡』が展示されていました。思わず、リストを見てみると『世界の鏡』と書かれています。完全に見落としてました。今回の展覧会のテーマはこれだったのかぁ~と思ったとたん、ぼんやりとしていた脳細胞が目を覚ましました。絵画も好きだけど、昔の人の科学への挑戦も実は好きです。

第1章 ドレスデンの『美術収集室(クンストカンマー)』
最初に展示されていた『集光鏡』は、その存在だけでも見る価値はありましたが、何に使われたものか説明を読むと、太陽の光を集めて物質を溶かし、その成分を分析する装置とのこと。いろいろなものへの感心の深さが窺われます。

そのほかにも『地球儀』や『振り子照準四分儀』などときめくものがいくつかありました。学問の追求だけにこだわったわけではなく、その形の美しさ、贅沢さは、うっとりしてしまいました。


第2章 オスマン帝国-恐怖と魅惑
さすがに武器とか争いごとは好まないので、ここはざっと見ただけで、特に印象的なものなどありませんでした。


第3章 イタリア -芸術の理想像
ここではやはりティッツアーノの絵が印象的です。展示されている『白いドレスの女性の肖像』は気品があります。こちらを見ているモデルの視線は、真っ直ぐすぎて同姓ながらドキドキしてしまい、思わず目をそむけてしまいました。1765年のドレスデンギャラリーの所蔵目録には『ティツィアーノの愛人』と記載されていたそうですが、実際この方はどなたなんでしょうね。


第4章 フランス -国家の表象と宮廷文化
この章も特に気になったものがなかったので、パス(笑)
ただ、フランスの絶対王政はザクセン王国の政治の手本になったそうです。
ルイ14世、あまり好きではないけど、影響力の大きい人だったということを再認識してしまいました。


第5章 東アジア -驚嘆すべき別世界
私としては驚嘆すべきはマイセンの模倣技術だと思いました。勿論、日本や中国の磁器もすばらしいのですが、それをすぐに模倣して、その技術を自分のものにしてしまったというのは驚きです。アウグスト強王の金銭的支援とプレッシャーとかあったからこそ成し遂げることができたと思いますが、それにしてもすごい。

特に1700年頃有田で作られた『染付牡丹唐草文象耳鳥籠付き蒔絵瓶』のマイセンによる複製は『色絵花卉文象耳鳥籠付き瓶』は、見事としかいいようがありません。これが1727年に完成しているということも驚きです。


第6章 オランダ -作られた現実
いよいよフェルメールの『窓辺で手紙を読む若い女』とレンブラントの『ガニュメデスの誘拐』の登場です。
数少ないフェルメールの絵を日本で鑑賞できることに感謝です。
フェルメールの光はやわらかくて心地よさを感じます。しかし、フェルメール独特の構図は、彼女の人には見せない表情を現しています。その手紙はおそらく恋人からのものでしょう。あまり喜ばしいことが書かれていないのかも知れません。な~んてことを想像してしまう絵です。窓に映った姿は何を表現しているのでしょう。フェルメールの絵を見るたび図像学を学びたいと思ってしまいます。


第7章 ロマン主義世界観
風景画はやっぱり苦手。どうも感情移入しにくくて・・・(^^;)



展覧会のテーマ『世界の鏡』は影響を受けたさまざまな国を映して(模倣して)、そしてそれをザクセン王国風にアレンジしてリリースするという流れがとても面白かったです。



模写・模造と日本美術

2005-09-07 | 展覧会

模写・模造と日本美術 -うつす・まなぶ・つたえる-
東京国立博物館
2005/07/20~2005/09/11


ここ数年、私が単に気になっているだけかもしれませんが、模写を扱った展覧会が多いような気がします。
春のラ・トゥール展も失われた作品を弟子たちの模写から見つめてみるという試みがありました。
去年の夏には滋賀県立美術館で「コピーの時代」が開催されていました。模写とコピーは厳密に言うと意味合いが違ってきますが、開催者の意図は近いものがあるような気がします。

ネットの普及により、著作権問題がクローズアップされ、コピーはタブーとか引用はOKだとかいろいろな話をネットやニュースなどで目にします。しかし、そのほとんどは表面的な理解でしかないようにみえます。例えば、「コピー=模写」と考えている人がいて、模写は創造性がなく、ただうつしているだけなので、芸術性が低いとか、引用=転載だと勘違いし、著作権に触れていないと主張する人などなど。確かに模写には創造性がないかもしれませんが、精密に模写、模造することは大変な技術を要することです。多くの学習は真似をすることから始まると思います。芸術も一緒です。真似する技術を身につけてから創造へと向かうのだと思います。

今回のこの展覧会は、模写・模造の大切さを伝えています。
また、火災などにより失われた文化財を後世に伝えるための復元模写・模造も展示されています。描かれた当時はこんなに鮮やかだったんだなぁと不思議な気持ちで見ていました。歴史のある絵画は紙も絵の具も退色していて、歴史の重みみたいなものも足されて『味わいある』作品になっていると思い込んでいたので、きれいな復元絵を見ると違和感ありまくりでした。当たり前のことを当たり前に認識していませんでした。
特に後半にあった法隆寺の『玉虫厨子』の復元模造は、はじめてその豪華さや贅沢さを感じました。復元するにあたって、玉虫集めは全国の小中学生などに手伝ってもらったようです。昔はどうやって集めていたんでしょう。今より自然がたくさんあるから少しは入手しやすかったかもしれませんが、それでも相当な人手が必要だったのではないでしょうか。恐るべし、先人たち!

それにしても、模写・模造に囲まれた空間は、とても面白かったです。これが全て本物だったら、入館料は1500円くらいに跳ね上がるだろうし、宣伝もすごかったんだろうなと思うと、妙な面白さがこみ上げてきました。



ルーヴル美術館所蔵 古代エジプト展

2005-08-08 | 展覧会

ルーヴル美術館所蔵 古代エジプト展
東京都美術館
2005/08/02~2005/10/02


実は、四大文明とか考古学、博物学って興味はあるけど、そんなに詳しくありません。
特にエジプトの第何王朝って言われてもなかなかピンときません。
おおまかな流れが少しわかるくらい。
そんな人間が見るのだから、かなり感動が薄い展覧会でした。


そんな中でも面白いと思ったのが、画家であった初代館長ドミニク・ドゥノン(1747-1825)が体験記『上下エジプトへの旅』などを発表してヨーロッパにエジプトブームをもたらしたのですが、その表現として「エジプトマニア」という言葉が使われていたのは、ツボでした。訳語とはいえ「マニア」って言いえて妙なんですもの。
解説文でもってかれてどうする?って感じですね・・・。


でも、「第1章 ルーヴルとエジプト学」では、興味深いものがいくつか展示されていたのも事実です。

『ヒヒの像(トト神)』は、とてもに愛嬌があり、かわいかった。
こんな親しみやすい生き物が聖なる生き物として崇められていたというのは、ヨーロッパ的な感覚から不思議だったのではないだろうかと思ってしまいました。

『ワインの壷ラベル』
この時代にワインがあったことは想像できるのですが、ラベルがあったのは驚きです。ラベルは明細品という意味だそうで、ラベルの語源はここからきているとか。既に種類や産出地、生産者の情報が記されていたんですね。
いや~ラベルってこんなに歴史のあるものだとは思いませんでしたよ。


そして今回の展覧会のメイン。『ジェドホルの石棺』。
勿論メインの展示場にありました。シャンポリオンが最も愛した展示物と言われていて、テレビでこれを見たときその品のよさにうっとりとしてしまいました。今回、ナマで見たのですが、やはりすばらしい。こんなに品のある石棺はそうはないでしょう。シャンポリオンが「現在、過去、未来を通して最も美しい棺」といった意味が本当によくわかりました。私もこんな美しい棺で眠りにつきたいな~んて思ってしまいました。