美術の勉強し始める前から苦手でした。
ゴッホといえば、精神錯乱して耳を切り落としたという話が有名ですよね?
かなり狂気じみていますよ。
ゴッホの絵を見ているだけで、狂気が移りそうです。
比較的美しいと感じる「星月夜」

青と黄色のコントラストが綺麗で素敵な夜の空〜(心のこもっていない棒読み)
なんだか酔う。
ぐるぐるして酔う。
やっぱり目が回るよ〜。
これゴッホの頭の中ちゃう?
頭の中がこんなんだったら、ゴッホの狂気的な理由がわかるような気がする。
この絵は画家のゴーギャンとの生活がうまくいかなくなって、サン・ミレの精神病院にいた頃に描かれているそうです。
でもそこからはこの景色が見えたわけではないと。
ゴッホの心の中に見えた風景、幼い頃に住んでいたところから見えた風景ではないかとか言われています。
ゴッホとゴーギャンとのトラブルはゴッホの心の奥深くに、そしてゴーギャンの心奥深くにえぐられた傷のように残ったようです。
ゴーギャンは楽園を目指して旅立ってゴーギャンの画風を確立させましたからね。
ゲイジツの話でいうと非常に意味のある仲違いだったのかもしれません。
この仲違いがなければ、お互いに突っ切れなかったのかもしれません。
どちらも切ない物語になっていますが・・・
「夜のカフェテラス」も色彩のコントラストが綺麗です(これは心から少し言っている)
この絵は「やぎ座とけんびきょう座の一部」が描かれているから秋の空だそうです。
テキトーに星を書いているわけではなかったのね。
一応配列気にしていたのね。
でも、やぎ座とけんびきょう座も私にはわからない。
後でこっそり調べて検証してみよう。多分忘れると思うけど。

私の中の数少ないゴッホの高評価作品でした。
えっと・・・ゴッホのなんの絵をメインに語ろうと思っていたんだっけ?
「ゴッホの部屋」とか「ゴッホの椅子」とか「ゴッホの種蒔く人」とか「花咲く梅の木」とか「ジャポネズリーシリーズ」とか
模写された絵と模写した絵について書いていこうかと思いましたが、
ゴッホが模写した作品は広くあるんですよね。
非常に勤勉だったこと真面目だったこと貪欲だったことがわかります。
「ジャパネズリーシリーズ」なんかはどれだけ日本に憧れを抱いているかがわかります。
日本は黄金の国、日本に行けば元気になれる!!
せめて日本的なところに住みたいから、せめて南フランスに住もうって住んじゃうんですよ。
浮世絵のイメージで明るく暖かい国のはずとの思い込み。
日本に来ていたら、がっかりしていたでしょうね。
今の情報化社会でネットで情報を簡単に得られていたら、妄想や勘違いはなかったでしょうね。
っということは名作が生まれなかったわけです。
現代の私たちは情報という海の中に溺れかけています。
その中で新たな芸術や個性を出すのは至難の技です。
すぐにこの辺はあれのコピーに違いないとか疑われて炎上して消滅するか、
炎上商法で成り上がっていくか。
作家や画家やデザイナーになれる人が増えた中、その競争で混沌として溺れていく。
あ!!話がすっかりそれてしまいました。
ゴッホの話でしたね。
ゴッホは日本が好き。
好きと言われた日本人はゴッホが好きになる
心理学でそんな効果がありましたね。
日本人はミレーの「種まく人」が好き。
同じ農耕民族に何かしらの思いがつながったような錯覚を得る。
「岩波書店」のマークにさりげなく小さく使われる。
あまりのさりげない使われ方で無意識の意識に刻み込まれる。
こういった効果の他に「山梨県立美術館」がミレーの「種まく人」や「落ち葉拾い」を買い集めミレーを中心にした所蔵をして「ミレー美術館」とも言われる
結びつきが強くなって、日本人のDNAに新たに刻み込まれる。
そんな日本人が好きなゴッホもミレーの「種まく人」が好きで模写しちゃう。
日本人もゴッホもミレーが好きならやっぱり好きと好きの度合いが上がる。
結局、何が書きたいのかといえば、全くわからなくなってしまいました。
ゴッホについて考えると無限ループに陥るから私はゴッホが苦手。
どうして人々はゴッホの描くあのうねうねをみて気持ち悪くならないのだろうか。
それが私にとってのゴッホの謎だったりします。