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妄想する美術史。

妄想と現実間のアートの歴史記録

ミニ旅行

2005-08-02 | 観光・散策

御岳山に行ってきました。

ケーブルカーで御岳山を上るときにアジサイの花がたくさん咲いていました。
どうやらここは都心より1ヶ月くらい季節が遅いようです。
ひやッとするものの自然が豊富なため湿度が高く、ちょっと動くとじんわりと汗がでてきます。


御岳山駅でケーブルカーを降りて、ロープウェーで大展望台駅へ。

残念ながら曇っていて、新宿の高層タワー群を望むことは出来ませんでしたが、東京ドームらしきものはうっすらと見えました。(写真には撮れてませんが。)
高層ビルよりはっきりわかるものだとは思いませんでした。東京ドームって光沢のある建物だったんですね。



8月1日からレンゲショウマ祭が開催されているということで見てきました。
時期が早かったということもあって、あまり花を咲かせていませんでしたが、愛らしいつぼみと控えめな花がひっそりと咲いていました。



立派な杉や檜の樹木を堪能した後で、武蔵御岳神社まで歩くことにしました。
徒歩30分くらいの距離のはずなのに、あたりまえのことですが、坂道が多く、運動不足の体には堪えました。
坂の上をのぼっていくと立派な『神代けやき』がありました。ケルトや北方民族の話に出てきそうな形。こういう形していたら、歩き出してもおかしくはないと思ってしまう。

山道は単なる山道ではなく、宿坊があったり、神社の近くにはお土産やさんがあったりして、かつて賑わっていた雰囲気を漂わせていました。
東京でありながら、東京とは思えない場所。

そういえば、去年まで毎年、夏に京都お寺めぐりをして、急な坂道を登って観光を楽しんでいたっけ。
この足の疲れ具合と妙な達成感と新発見はそんな感じに似ている。
時間の流れ具合も京都の大原に似ている。

神社で参拝した後に、御岳山駅まで歩いた。
通り過ぎるそこの住人と思われる人が次々に挨拶してくれる。
あたりまえのことだけど、新鮮でうれしい。
こういう当たり前な習慣が失われてしまっている。

そこに住むおばあちゃんがまた声をかけてくれた。
駅まで一緒に歩きながら、この辺のことを説明してくれる。

そのおばあちゃんの一族は慶応年から、御岳山で暮らしているという。
そして、ここに住む人は神主かお店屋さんしかいないらしい。
小、中学校までは、この辺で子供を教育できるけど、高校からは下宿させないと学校に通わせることができなくて、それが大変だったとのこと。
ゆっくりと時の流れる中で子供を育てるので、子供も都会のペースについていくことが大変だったとか、夏でも気温があまりあがらないので、馬鈴薯を育てることが出来て、しかもそれがおいしいとか、いろいろなその場所での生活の話を聞くことができて楽しい時間を過ごすことができた。
そのおばあちゃんはまもなく80歳になるという年だったけど、姿勢もまっすぐ、歩くのも早く、肌の艶も良くてとても80に近いとは思えなかった。

人間が自然と生きていける時間ってこれくらいの時間の流れなのかもしれないと思った。
時間に追われる生活ではなく、時間の流れに任せる生活。
わずか半日の旅行だったけど、気持ちが豊かになったような気がした。


富士5合目

2005-07-12 | 観光・散策










曇っていたけど、富士5合目ならではの風景。

雲がこんなにも近く見えるなんて、やはり富士。

てっぺんまでのぼったら、また違う光景が見られるんだろうな。


ブリュージュの水面

2005-05-18 | 観光・散策

ベルギー象徴派展でフェルナン・クノップフ の『ブリュージュにて-ブリュージュのたたずまい、愛の湖』を見て思い出したのが、この風景でした。風景画は感情移入がしにくいので、あまり得意ではないけど、あの絵は自分の過去の記憶と結びついてすんなり鑑賞ができました。ブリュージュはもう一回行きたい街のひとつです。















金閣寺

2005-03-17 | 観光・散策

正式には『鹿苑寺』。あまり金ぴかなのが好きでないため、金閣寺より銀閣寺の方が好きでした。銀閣寺の方には3~4回以上は行っていると思います。でも、2002年に放映されたプロジェクトXの「金閣再建 黄金天井に挑む」を見て考え方が変わりました。その年に京都に来る予定があったので、これは見なければいけないとはりきって行ったら、工事中でした。(涙)番組から一ヶ月ちょっとしか経っていないのに・・・。番組で放映されたから、慌てて改修されたかどうかわかりませんが、とても切ない思いをしました。金閣寺も銀閣寺も拝観券はお札です。これを貰うとうれしい気分になります。とてもありがたいサービスです。



雨の中、急遽、京都観光にした理由は、雨の金閣寺が見たかったからです。晴れの日はきっとまばゆすぎて直視できないような気がして・・・。
だから、雨や霧で和らげられた金閣寺が見たかったのです。やはり、薄霧の中の金閣寺は美しい。この光景を見ていると唄が詠めたらいいのにと思いました。










雨の日だったからこそ、発見できたもの。雨がたくさん流れているから雨仕舞かも。
同じく金色に揃えられていて、思わず微笑んでしまいました。
 



金閣寺


北野天満宮

2005-03-17 | 観光・散策

北野天満宮に行った目的はひとつ。
学問の神様こと菅原道真様にお願いをすること。
8年前の3月の末にもお願いに来て願いが叶えられたから、今回もお願いに来ました。



境内にある臥牛の頭をなでると賢くなると、8年前に一緒に来た友人が話していました。
その時は数人のおばさまがたが撫でられてましたが、今回は誰も撫でてません。
知られていないだけなのか、触っていけないものなのかわかりませんが、何の注意書きも見つけられなかったので、とりあえず、撫でてきました。少しは賢くなったかしら。

何故、牛なのかと言えば、菅原道真公は、承和12年(845年)6月25日生まれで、その当時でいうと乙丑年、丑月、丑日、そして丑刻に生まれたので、牛は天神さまのお使いになっているそうです。私も丑年だけど、それだけじゃ、ダメみたいです。



現在の本殿は慶長12年(1607)に、豊臣秀頼公が造営したものです。この時作られた中門、東門、絵馬堂、神楽殿、校倉等も現存しています。豊臣の時代と言えば桃山芸術です。この彩色はたまりません。



蟇股(かえるまた)好きになので、もうひとつ蟇股。



さて、一番の目的がこれです。絵馬に願い事を書いてかけてきました。前回も思ったのですが、筆は書きにくいです。予想以上に大きな文字になり、人様にはお見せできるような文字は書けませんでした。でも、道真公はわかってくれるはず・・・。前回も私の文字で願い叶えてくれたんですもの。



帰り際に宝物殿を少し覗いてきました。やはり、私には日本美術のよさがまだわかりません。江戸後期から少しずつ勉強していかなくちゃ。



北野天満宮



二条城

2005-03-17 | 観光・散策

二条城に訪れるのは高校の修学旅行とき以来です。
廊下の床は鴬張りにされていて、忍者がこっそり歩いても音がなる仕組みになっていると高校のときの社会科の先生が説明していたことだけ覚えています。
その鴬張りの廊下と大政奉還をした大広間の狩野探幽の襖絵が見たくて、2004年の9月に二条城を観光する予定だったのですが、台風18号が京都に向かっているのを知り、泣く泣く諦めて東京に戻ることになりました。今回はそのリベンジで本格的な雨が降っていたのにも関わらず、二条城の二の丸庭園や本丸御殿跡地に移築された旧桂宮御殿など見てきました。
まず、東大手門をくぐり抜けたところに番所があります。
「番所か・・・」とチラッと見て通り過ぎようとしたら、中に役人の姿をしたお人形さんが・・・
京都でお寺めぐりを中心にしていたので、すっかり油断していました。
建物関係の博物館に行くとこういう人形がいらっしゃるのは、半分常識でした。
驚きすぎている自分に少し反省。

ちゃんと監視されているような居心地の悪さを感じ、すぐに順路と書かれた方向に振り向いてみると、「史跡 旧二條離宮」という石碑を発見。

離宮って皇居や王宮とは別のところに建てられた宮殿のことを指しますが、ここはそんな風な使われ方をしていたのでしょうか。家康が上洛の際の宿として作られ、三代将軍家光のときに大規模な改修がされたことを事前に資料で読んでいたけど・・・
っと思い再び資料に目を通してみると、1884年(明治17年)離宮となったと書いてありました。それにしても大政奉還から17年ほどの間、どなたが管理していたのでしょう。

この唐門をくぐり向けると二の丸御殿の登場です。

これが二の丸御殿です。桃山時代の武家書院造の代表的なものです。右側にあるのが車寄せです。二の丸御殿内は遠侍、式台、大広間、蘇鉄の間、黒書院、白書院と6つの棟から構成されています。狩野派の襖の絵はもちろんのこと、天井の模様や欄間がいちいち凝っていてすばらしいです。天井なんてわざわざ見る人はあまりいないでしょうが、一見の価値はあると思います。

大広間の狩野探幽の描いた松は気持ちのいいくらい大胆でした。大広間を威厳に満ちた空間にしています。室内に入った感じはどうなのでしょう。廊下から見る以上に圧倒されてしまうのではないでしょうか。たいした威厳のない将軍でも、オーラを与えてしまいそうな雰囲気があります。でも、その前に、部屋に負けて逆に小さく見えてしまう可能性のほうが強いかも・・・

白書院は将軍のプライベート空間のため、壁画は質素になっています。大広間の松の絵や遠侍の虎の絵では癒されませんものね。



今まで城はいくつか見てきましたが、庭のある城ははじめてです。城は本来、敵の攻撃を防ぐために築いた防御施設です。平和になった時代につくられた城だからでしょうね。こんな悠長なものがあって今も残っているのは江戸城とここくらいじゃないかしら。


左手前に養生されているのが、蘇鉄です。蘇鉄の間からはこれがよく見えるのでしょう。蘇鉄は暖かい地方の植物なので、暖かくなるまでその姿を見せることはないそうです。



二条城には城のシンボルである天守閣がありません。これで城と呼べるのか疑問に思っていたのですが、昔は5層の天守閣があったそうです。1750年(寛永3年)に雷が落ちて焼失してしまい、それ以降、再建されることなく今に至っているのです。因みに下の画像は、天守閣のあった位置から本丸御殿の方を見ています。


本丸御殿は今回、運良く特別公開されていました。去年見なくて正解だったのかも・・・
本丸御殿の外観から「おかしいなぁ~」と思っていたのですが、中に入ってその違和感が増しました。一通り見て終わったあとに、説明好きの監視のおじさんがいて疑問に思っていたことを聞いてみました。
この本丸御殿は創建当時のものではなく、京都御所にあった旧桂宮邸の御殿を明治26年から27年にかけてここに移築したものとわかり納得しました。もともとの御殿は1788年(天明8年)の市中の大火で焼失し、その後幕末に15台将軍慶喜の住居として建てられましたが、明治14年に破損が激しいため撤去されてしまったそうです。

何故、二階建てで洗練された造りなのか。なぜ、中二階に洋室があるのかなどの理由がわかりすっきりしました。
っというか説明をちゃんと読みましょう。

思っていた以上のボリュームでかなり満足しちゃいました。

二条城


三十三間堂

2005-03-17 | 観光・散策


予感的中。三十三間堂に入って1001体の観音像を横から見ただけで、鳥肌が立ちました。こんな風に何かを見て取り肌が立つのっていつ以来でしょう。息もできないくらいの光景。高校のときにも三十三間堂は観光コースに入っていたのですが、外観を見ただけで終わってしまいました。あの多感な時代にこの光景を見ていたら、何を思っていたでしょう。
改めて斜め前から観音像を見てみると、横からチラッと見た以上の迫力がありました。テレビや本などで何度も見たことある光景なのに、私の中で消費されていないようです。有名な名画を実際に見たときの感動の薄さがそこにはありませんでした。

三十三間堂は母屋正面の柱が三十三間(約120メートル)あることから、三十三間堂と呼ばれていますが、正式には蓮華王院と言います。蓮華王院は1164年に後白河上皇の命で造営されました。作られた当時は五重塔や不動堂などがあったそうですが、火災で焼失してしまい本堂だけが1266年に再建されました。昔から日本は地震国家であったため、このお堂は、粘土と砂を層状に重ねた「版築」地盤にするなど、耐震のための「揺れる建造物」となっているそうです。

1001体ある千手観音像は中央の千手観音坐像を中心に左右に500体ずつ並べられています。1001体の観音像は正式には「十一面 千手千眼観世音(じゅういちめんせんじゅせんげんかんぜおん)」といい、観音菩薩がわれわれ一切衆生を救ってくださるために、十一面 千手千眼の姿に変容されて応現されたものだそうです。

千手観音像のイメージが強く、観音像の前に28部衆と風神・雷神の30体の等身大が安置されているとは知らなかったため、雷神を見たときは「あれ?千手観音像だけではないんだ」と思ってしまいました。しかも、大きさが等身大で、久しぶりに自分が大きいことにショックを受けてしまいました。



京都観光 2日目

2005-03-17 | 観光・散策

天気予報的中。本日は一日中雨振りらしい。さすが極上の雨オンナ。私が一人で行動するときに雨の降らないときはほとんどありません。
当初の予定では大阪まで足を伸ばすつもりでしたが、雨の京都もなかなか風情があるのではないかと思い、本日は京都観光に決定。

見に行きたい場所は、前回のリベンジで金閣寺と二条城。あとは神頼みをするために北野天満宮。
この3箇所はあらかじめ決めてありました。しかし、朝に京都観光と決めた段階でもうひとつ行きたい場所が思い浮かびました。それは、三十三間堂。こういう風に突然思い浮かんだものには何かステキな出会いがあるはず。場所は3箇所と離れているけれども、今の時間ならまだ何とかまわれるかもしれない。そう思い、朝一で三十三間堂へ。


<補足説明>
金閣寺はプロジェクトXで放映された2002年の12月下旬に行きましたが、あいにく工事中で白い囲いがされた状態でした。
二条城は2004年の台風18号上陸のため、急遽予定を切り上げて東京に戻ったため。判断誤れば帰れないところでした。

知恩院三門

2005-03-16 | 観光・散策


今日は、清水寺にのぼり、ねねの道を歩き、ねねにまつわるところを見て円山公園まで歩いたので、足が棒になってしまいました。長楽館を出て少し歩いたところに画像の知恩院が見えたのですが、聳え立つ階段を見て知恩院に入ることを断念しました。この三門はとても威厳があるなと思っていたら、あとで調べてみたところわが国で現存する木材建築最大の 楼門だそうです。
それにしても、知恩院入らなくて良かった。ガイドブックで境内の様子を確認したらかなりなボリュームのものでした。今度、体力のあるときに拝観しようと思います。


ねね様終焉の地

2005-03-16 | 観光・散策

高台寺を見る予定はなかったのですが、高台寺の前の観光案内のおじさんに3カ所共通拝観券はお得だよと薦められて、圓徳院で券を購入。「高台寺」、「高台寺掌美術館」、「圓徳院」の3カ所の拝観のほかに絵葉書セットか手ぬぐいのサービスがついてきました。これで900円とはかなりお買い得でした。







圓徳院
圓徳院は伏見城にあった化粧御殿を東山に移築したものです。北政所はここで19年間余生を送り、北政所を慕った大名や禅僧、茶人、歌人、画家などの多くの文化人が訪れた場所でもあります。中に入ってみると、驚くほど視界が開けた部屋がありました。あまりの切り取られた風景の美しさに思わず立ち尽くしてしまったくらいです。大原にある宝泉院の風景の切り取られ方もすばらしいのですが、それに劣らないすばらしさでした。北庭は伏見城北政所化粧御殿の前庭を移したもので、当時の原型をほぼそのまま留めています。代表的な桃山時代の庭園のひとつで、賢庭作で後に小堀遠州が手を加えました。この庭を効果的に見せるために方丈の柱は最小限にしているのでしょう。それにしても、細い柱でどのように建物を支えているのか気になります。
ここの見所はもうひとつあります。それは障壁画です。たまたま長谷川等伯の襖絵が公開されていたので拝見。やはり時がたっていたため色あせていていました。それにしても桐紋の唐紙に描くのはどうなのだろうかという疑問があったのですが、それはパンフレットを読んで解決。襖絵制作をしたいと思っていた等伯は住職から許可がもらえなかったので、住職の留守中に勝手に襖絵を描いたからだそうです。等伯さんってお茶目な人だったようです。今回は長谷川等伯の襖絵公開のため、通常飾られている襖はいくつか取り払われていましたが、通常飾られている襖絵も迫力がありステキでした。普通、床の間には掛軸を飾るため絵は描かれませんが、木に掛軸をぶら下げるようなデザインで描かれているのを見て、日本美術の豊かな遊び心を感じました。


高台寺
高台寺は、パンフレットで見た傘亭が気になっていました。でも、傘亭があるのは一番奥。傘亭を目指しながら、所々にある重要文化財を見学。
開山堂は、高台寺第一世の住持を祀る塔所で、左右の壇上にはねねの兄夫婦の像が安置されています。しかし、見所はそれだけではありません。彩色天井がすばらしいのです。日本画でよく描かれるような美人画に翼が生えた絵。ある意味、ツボにはまります。
臥龍廊はその名のとおり龍の背に似ていることからつけられた名前で開山堂と霊屋を結んでいます。
霊屋は、秀吉と北政所をお祀りしている所で厨子内には秀吉と北政所の木像が安置されています。扉の都合上、秀吉と北政所の木像を同時に見ることはなかなか難しいのが少々残念。ここは、秀吉と北政所を祀っているだけあって、贅沢な蒔絵で飾られています。
やっとたどりついた傘亭。内側の放射状の竹が写真では美しかったのですが、わずかな開口部からはそれを確認できませんでした。ん~残念。時雨亭も内部をよく見ることができませんでした。これらは写真の方が楽しめるものなのかもしれません。


高台寺掌美術館
高台寺ゆかりの品々が展示されています。ここで展示されているものでやはり目を引くのは蒔絵です。黒に浮かび上がる金色が美しかったです。こういう美しいものに囲まれてみたいです。でも、実際囲まれたらどぎまぎするでしょうけどね。



清水寺

2005-03-16 | 観光・散策

清水寺へ行くのは今回で3回目になります。1回目は高校の修学旅行、2回目は通信の大学に入学した年に、そして今回。1回目の時は夜行で北海道からおよそ1日かけてきたので、ぐったりしながら坂道をのぼった記憶があります。乗り物から降りてもゆられているような感覚。具合悪いを通り越してハイテンション状態になっていました。勿論、清水寺に行った記憶はあるのですが、これといった思い出は残ってなく、ただ、ぐったりしていたのを覚えています。2回目は、夏の暑い日に京都特有の暑さを満喫するようにのぼりました。緑が青々としていてきれいでしたが、あまりの暑さにくらくらしてしまいました。今回は、梅の季節でしたが、その他の植物はまだ咲いてなく、冬に近い地味な印象がしました。



清水寺というくらいですから観音様が奉られていますが、ほとんどの人はそこに興味はなく「清水の舞台」と「音羽の滝」を見て帰ります。「清水の舞台」が有名になりすぎてしまったようです。一応、観音様を拝んで、>大黒天様のマスコット(?)を買って音羽の滝のほうへ。せっかく来たのだからお清めをしてから、清水の舞台下の懸造を堪能しにいきました。清水の舞台の眺めはもちろんすばらしいです。でも、舞台の下から見上げるというのもなかなか迫力があって私は好きです。この懸造は日本最大の規模と美しさです。木材はけやきを使用しており、臍穴に通す梁には桧が使用されています。地震がきても、柔軟に動くことで耐震性のある建物になっています。でも、地震で建物が壊れにくいからといって地震時に舞台に立っていたいわけではけっしてありません(笑それにしてもこの懸造は惚れ惚れするくらい美しいです。


桜田門

2004-11-20 | 観光・散策


桜田門ってあの桜田門外の変が起こった場所ですよね。メトロに乗るたびに気になっていた場所です。ここが大老井伊直弼が暗殺された場所なんだぁと思いながら、マラソンランナーの走りを眺めていました。



旧江戸城 内堀散歩

2004-11-20 | 観光・散策


近代美術館に行ったついでに内堀の周りを歩いてみました。
今まで、3,4箇所の城とお堀を見てきましたが、やはり江戸城は規模が違いますね。ちょっと回って見ようと思った私がバカでした。それでも、負けず嫌いな性格のため、根性でほぼ1週歩いて靴擦れをおこしてしまいました。途中で、自分の足を見たときは、真っ青になりましたね。だって、靴が血で染まっていたんですもの。それでも、たくさん歩いていろいろなものを発見できてとても楽しかったわぁ~
内堀散策の様子は続く。


恋しくて

2004-11-11 | 観光・散策
こういうおおまぬけなものが、ひじょーに恋しい今日この頃です。
あまりの恋しさに顔君画像探してしまいました。
やっぱり、なごむねぇ~
最近、ふつーに生きすぎてちょっと疲れたみたい。
顔君、眺めてリフレッシュします。