これ、実は俳句だったということはあまり知られていない気がする。
江戸時代、米沢藩主の上杉鷹山(ようざん)の歌で前半部分はよく耳にする。
後半部分は・・・ほとんど聞いたことがない。これもゆとり教育の弊害か。
なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり
【意味】
人が何かを為し遂げようという意思を持って行動すれば、何事も達成に向かうのである。
ただ待っていて、何も行動を起こさなければ良い結果には結びつかない。
結果が得られないのは、人が為し遂げる意思を持って行動しないからだ。
この石碑を見んがため、日没までの2時間で福島から45km(峠超えあり)を必死に走って来た。
道中吹雪いたりもしたが、この言葉を思い出し必死でペダルを回した。
本当になせば成るもんだと実感。
朝、いつもより遅め(8時頃)に出発。
お天気はまずまずだ。
ここ2日は雨スタート、この日も午後から山形は雪マークだったがまぁよしとしよう。
室内でオイルを溶かし、差してみたのだが・・・。
すぐに固まってしまう。効果があるのかないのやら。
次回、東北や北海道など寒い地域へ行く際は粘土の低いオイルを持参したほうがよさそうだ。
仙台駅へ向けて出発。
ベガルタ仙台の本拠地。
特別大きなスタジアムではなかった。
銀杏並木がきれいだった。
ただ銀杏臭い。地面に落ちた銀杏が車に引かれて悪臭が漂う。
毎日新御堂筋で嗅いでいるあの悪臭。
昔は銀杏は嫌いではなかったが、かくも毎日あの悪臭の道を通り通勤していると嫌いになった。
ついでに自転車の裏側に銀杏の破片が多数へばりつく。剥ぎ取るのも苦労する。
宮城県庁。
仙台駅。
次は仙台城を目指す。
やはり東北一の街。栄えている。
街もきれいだ。道もきれいで走りやすかった。
仙台にもモンベルがあった。しかもでかい。
開いていればのぞいてみてもよかったんだが、まだ早かったようだ。
杜の都・仙台は意外と坂が多い。
仙台城へ行くまでにも結構アップダウンを超える。
立派な石垣だ。城自体もかなり高台にあり攻め落とすのが非常に難しそうなお城だ。
ようやく本丸跡に。
せっかくここへ来たので伊達正宗像の撮っておこう。
裏。
あと、何かの塔。地震で壊れたのだろうか。
本来ならこのような姿らしい。
城内にある宮城縣護國神社。
福島へ向けて出発。ここからは仙台道という位置づけだ。(ここまでは松前道)
国道6号線との分岐。
前回は海沿い(国道6号線)に進むためにこちらへ進んだ。
今回は内陸(国道4号線)へ。
ようやく蔵王が見えるようになった。
奥の方にかすんで見えるのが蔵王連邦。
蔵王も蔵王という山は存在せず、最高峰の熊野岳を主峰とした山塊だそうだ。
いつかは蔵王エコーラインも自転車で超えてみたい。11月初旬から翌年4月下旬までは冬季閉鎖されるそうだ。
ボートの練習。
神埼川でも時折見かける。あのオールを漕ぐぶっとい腕にあこがれる。自分とは対極の存在。
ただいまのスペック、178cm、50kg。二の腕の太さ、手首+α程度。(手で一周まるまる掴める)
コンプレッションウェアがコンプレッションしないなど色々と弊害があるほど痩せている。
遅筋比率が平均より高いのでもはや無駄な努力はしない。とりあえず動ける痩せで行く。武井壮まじでリスペクト。
時間が経過してもやはり蔵王の雲は取れない。むしろ増えたかも。
誰かの結婚式。
自分も4年前はあんな感じだったのだろうか。
きっと彼(女)等にもいろいろな困難が待っているのだろうな。二人で頑張って乗り越えていってくれ。
お幸せに。良い事言った、そんな俺は今日も一人旅。 God bless you.
道中はよく柿を見かけた。福島県周辺は柿の産地だそうだ。
収穫した柿はあんぽ柿になるそうだ。
【あんぽ柿】
渋柿を硫黄で燻蒸して乾燥させる独特の製法で作られる。
単に干しただけの干し柿は、乾燥して黒く堅くなり、さらに時間が経過すると糖分の粉を白く吹く(ころ柿など)。
これに対してあんぽ柿は、半分生のようなジューシーな感触で、羊羹のように柔らかいのが特徴。
硫黄は乾燥中に揮発するため毒性はない。カリウム、ビタミンなどの栄養素を豊富に含んでいる。
原料には主に、蜂屋柿(はちやがき)や平核無(ひらたねなし)などの渋柿を使用する。
蜂屋柿は大粒で柔らかく、平核無は小粒で甘みが強いのが特徴である。
( from Wikipedia )
白石に入って昼食を。
道の駅が近くになかったのでマックで冬限定のグラコロを注文。
蔵王を眺めながら食べれるとは白石市民はなんて贅沢なんだと思ったが、地元民からしたら特に何も感じないんだろうな。
地元ってそんなもんだよな。
かくいう自分も、東京に5年間住んだからこそ大阪の良いところ、悪いところが見えるようになったわけで・・・。
福島県突入。
福島市街。
やはり柿が多い。
奥羽山脈南部。(西吾妻山方面)
やはり雲がかかり、はっきりしない。
福島市内へ。
前回通って来た国道155号線と合流。
これで奥州街道は郡山までつながった。
五街道、残りは郡山~宇都宮までの150kmと宇都宮~日光までの50km。もう一旅で終われそうだ。
このまま右折して、山形へ向かっても良いのだがせっかくなので万世大路を起点から進むことにした。
【万世大路】
1876年(明治9年)、山形県の初代県令三島通庸は「交通の整備が県を発展させる」として、
反対意見を押し切り隣県との間に多数の大規模な道路建設を開始した。
山形県と福島県を結ぶ従来の幹線路は、上山と桑折を金山峠・小坂峠経由で結ぶ羽州街道であったが、
三島はこれを廃し米沢と福島を栗子峠経由で結ぶ道を新たな羽州街道として計画した。
途中には苅安、栗子山、二ツ小屋の3本の隧道を含んでいたが、中でも県境の栗子峠に掘られた栗子山隧道は866mという
当時としては考えられないような長大な隧道であり、地盤の固さとあいまって難工事となったが、
奇跡的にも1名の死者も出さず日本最長の隧道として完成した。
当時はまだ自動車はなく、道路を通る最大の物といえば馬車であったが、それには充分過ぎる程大きな道であったと伝わる。
計画途中に福島県から、栗子山隧道を約100m延長して線形を改良する提案が出されたことがあった。
栗子山隧道掘削の費用を全て持つことになっていた山形県は難色を示し、延長による工事費用を福島県で持つならばよいと回答した。
検討を重ねた結果これは廃案となり、当初の予定に従って掘削が行なわれた。
現在の福島市内においては路線上の土地家屋の強制収用が行われ、市内陣場町(現在の万世町通りとの交差点)から
大笹生(現在の十六沼公園の南側)までの路線(現在の陣場通り(市道)、福島県道3号福島飯坂線、福島県道312号折戸笹谷線)は
ほぼ一直線に道が伸びていた。
そして1881年(明治14年)の開通式の際、参加した明治天皇により、「萬世ノ永キニ渡リ人々ニ愛サレル道トナレ」という願いを込めて
「萬世大路」と命名された。明治天皇巡幸の後、太政官公達により國道3等に指定された。
さらに1885年(明治18年)には、当時の内務省により國道39號に指定され、首都圏と東北地方を結ぶ重要な幹線として利用されてきた。
( from Wikipedia )
なので起点へ向けていったん進む。
ここが万世大路(国道13号線)の起点。
阿武隈川の直前だ。ここを右折すると万世大路が始まる。
ほどなく福島県庁。
そして福島駅。
何かに群がる福島県民。
が、それが何だったのか結局わからなかった。聞きたかったが、東北弁がトラウマに・・・。
聞いて言葉がわからず "は?" みたいな失礼な態度もどうかと思い聞けずじまい。そんな非コミュ系、32歳チャリダー。
時計を見ると2時。東北の日没の4時過ぎまでに米沢の上杉神社まで(45km)たどり着くのが難しくなってきた。
米沢までに栗子峠(標高620m)も超えなければならない。
日没後にダウンヒルも勘弁してもらいたいし、何より日のあるうちに上杉神社に行って写真を撮りたい。
なせば成る 為さねば成らぬ何事も 成らぬは人の為さぬなりけり
上杉鷹山の言葉を思い出し、やれるだけやってみる。
福島市郊外へ出ると栗子峠への登りが始まる。
いくつもの登坂車線とトンネルを通り抜ける。
登坂車線、以前は嫌いであったが、最近は好きになってきた。
というのも峠まではいずれにせよ登らなければならない。だらだら数十キロ緩く登り続けるより、
きついがここで一気に標高を上げておけば後で楽が出来る。そう思うようになったからだ。
でも、やはりきついものはきつい。
今も工事が続いている万世大路。
標高400mを過ぎたあたりから雨が降り始め、標高500m付近からは雪に変わった。
山の天気は変わりやすいというが本当にそう思う。
東栗子トンネル。
とてつもなく長いトンネルだ。長いトンネル=ピークという法則がある。
なのでここがピークだと勝手に思い込んでしまった。トンネルは若干下り勾配だったのもよりそう信じてしまった原因だろう。
トンネル内は湿った空気が滞留しており、入った瞬間から眼鏡が曇り前が見えない。
仕方なく眼鏡なしでトンネルを通過。トンネルを抜けるとそこは山形県米沢市。
再び登り勾配に。
そして、ようやくさっきのトンネルがピークでなかったことを悟る。
標高がさらにあがり、若干吹雪きになってきた。
吹き付ける雪で顔が痛い。頭は合羽のフードで覆われているのまだましなのだが顔だけはノーガード。
日本一周すると様々な状況に出くわすものだ。まさか自転車乗るのに目出し帽がいる状況に遭遇するとは。
今度こそ本当のピーク。
路肩は雪が積もり始めた。
こちらのトンネルも長い。
同じく眼鏡が曇るので外して走る。
日中なのに気温が低い。
まだ1℃あるだけラッキーなのかもしれない。0℃ないしは氷点下になると路面凍結が始まり、危険度が桁違いにあがるだろう。
もうすぐ日没だ。ここから更に気温が下がるだろう。一刻も早く標高を下げないと危ない。
そう思いすぐにダウンヒル開始。
途中道路工事箇所が何箇所もあり、跳ね上げる泥がとてつもなく汚い。
はっきり目で黒いのがわかる。体中が汚れていくのがわかり切ない。
口の中に砂利が入り込み何度もつばをはくがきりがない。
しかし、今はそんなことを言っていられない。路面が凍ったら一環の終わり。
何とか日没までに上杉神社へ行くんだ。
米沢市街地でも道路工事中の万世大路。軽く渋滞に巻き込まれる。1分1秒が惜しい。
間に合うのか?体も完全に冷え切ってしまった。体も震える。自転車を漕いでいても寒い。
しかし諦めたら終わる。そんなぎりぎりの攻防を繰り返すこと20分。なんとか日没前に上杉神社へ滑り込む。
餐霞館(さんかかん)跡地
案内図に句碑とあったので、ここだと勝手に思い込んでしまいこっちへ来てしまった。
確かに句碑はあったのだが、これじゃないんだ。意外なところでタイムロスしてしまいもう日没だ。
あった、これだ!
若干、タイムオーバーな気もしなくもないが無事写真をゲット。(σ・∀・)σゲッツ!!
後は気兼ねなく上杉神社を散策出来る。温かい飲み物も買いに行ける。トイレにも行ける。
上杉謙信 銅像
天地人(上杉景勝と直江兼続)銅像
上杉鷹山 銅像
伊達正宗 石碑
伊達政宗は実は米沢生まれだったのか。朝、仙台で銅像見てきた。
意外な所でつながった。何だか得した気分だ。
米沢=米沢牛という貧困な発想しかない俺。
しかしいつも好きなものはという問いに対して野菜と回答してきた草食系男子、肉にはあまり興味がない。
何かないかとコンビニで観光雑誌を読みあさる。
どうも米沢には以下の名物・特産物があるらしい。
・米沢牛
・米沢ラーメン
・鯉
他にも山形県の名物として玉こんにゃく、芋煮鍋、ラフランス、リンゴ、さくらんぼ、すいか、ずんだなどが紹介されていた。
ただ、明日は道の駅巡りの観光主体となる日だったので米沢らしいものが良かったので米沢ラーメンに決定。
後は店を探すだけだ。こんな時こそスマホだ。米沢ラーメンとGoogle先生に打ち込めば候補が出てくる。
便利な時代になったものだ。
【米沢ラーメン】
細打ち縮れ麺とあっさりとした醤油味のスープが特徴。出汁は野菜や鶏ガラ、煮干しなどを使う店が多い。
1920年代に、米沢に居住していた中国人が始めた中華そば屋台が原形という[要出典]。
後に、東京の精養軒で修行したコックが「手揉み」による縮れ麺を発案するなどの改良を加え、現在の特徴が形成された。
米沢市内だけでも100軒を超えるラーメン店があり、中には米沢ラーメンの特徴から外れたラーメンを供する店もある。
また、ほとんどの店舗で「ラーメン」ではなく「中華そば」と呼んでいる。米沢ラーメンの名を掲げるチェーン店も存在する。
( from Wikipedia )
Google先生で出てきた"一麺亭"
この店を選んだ理由は進行方向上にあるということと、コインランドリーがすぐ近くにあるということ。
ラーメンで冷えきった体を温めることも大事だが、乾いた衣類に着替えることも山形市まで行くためには重要なファクター。
おまけに近所に風呂まであった。
山形は俺に優しい。日本海側でも悪い思いではない。
むしろ景色も良かったし、食べ物も美味しかった。
山形 Love Foerver.
コインランドリーで服を乾かし、ひとっ風呂浴びてラーメンへ。
こんな贅沢旅で経験したことがあろうか。最高のひと時だ。
無難に、ラーメンと餃子のセットを注文。
何よりトッピングに納豆があったのに驚いた。山形県民はラーメンにも納豆を入れるのか。
スープはあっさりの魚介系、麺は米沢ラーメンの売りの縮れ麺。
米沢ラーメン=中華そばの図式が成り立った。特に変わったラーメンではなくなったが普通に美味い。
完食。後は山形を目指すのみ。
南陽市には赤湯温泉があった。
さっき風呂入ったばかりだったからあっさりスルーしたんだけど。
知っていたら天然の温泉に入っていただろうに。ちょっともったいないことをした。
上山温泉(かみのやま)。
上山市にある上山温泉。
山形は至るところに温泉がある。この先にもまだ黒沢温泉というのもある。
ちょっとルートから外れれば蔵王温泉、天童温泉、小野川温泉、小さい温泉も含めると無数にある。
明日はどこかの温泉に入ろう。
上山城。
シャッター通り。
3連休なのに大丈夫だろうかというくらい閑散としていた。
時間はまだ人が出歩いていておかしくない9時頃。都会の9時と田舎の9時はやはり違うのだろうな。
ただ、まったく人がいないのでちょっと恐い気もしつつ通過。
山形市内に到着(看板なし)。これで本州の県庁所在地すべてに到達。
山形市の夜景。
蔵王見晴らしの丘というところから山形市内の夜景を一望できた。
肝心の蔵王は夜のためうっすらと稜線だけが見える程度。
こんなきれいな夜景が見えるところに入るとカップルが来そうだなと思っていたが、誰も来ない。
もっときれいな夜景スポットがあるのだろうか。
市街地に入り、ネットカフェに避難・・・と思ったが財布に現金がない。
何はなくとも金。とりあえずコンビニATMで現金チャージ。
残高が妙に増えていた。
あぁ今月は25日が日曜日だからすでに給料振り込まれていたんだ、そして自分がサラリーマンであるということ思い出す。
今度からアンケートの職業欄に"旅人"って書いてみようかな。
ネットカフェへ移動。寝カフェとはうまいこと言ったもんだ。
しかし、悪天候×3日も走行すると自転車がとてつもなく汚くなる。
さすがに Swiss Stop といえど三日三晩も走れば劇的にシューが磨耗した。
今回は予備を持ってきていない。旅の直前に前後新品のシューに交換しておいたから。
それでも危なかった。もう1日雨の日があったら完全に磨耗しきってブレーキが握れなくなっていただろう。
やはり連日になる旅の場合は、シューは持参すべきだな。
今までフルフラットシートは取れたことがなかったが、初めて取れた。店内はがらがらだったからだ。
他の都市では他に行くところがないヤンキーやオタク達のオアシスに成り下がっていることが多いネットカフェ。
珍しいこともあるものだ。山形県民はおとなしいのだろうか?それともこんな電脳文化とは相容れないのだろうか?
どっちでもいい。自分にとってはありがたいことだ。
とりあえず軽くテレビで翌日の天気予報をチェック。
明日は終日お天気大丈夫そうとの予報。
明日はゆっくり村山地方を見れるといいなと願いつつ就寝 zzz
【本日の走行】
走行距離:189.4km
累積標高:1354m
走行時間:13時間
本日のルート(ルートラボ)