続・軍務尚書の戯言

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民主主義の意義~独裁制と民主主義~

2005-08-03 08:13:54 | 論文・考察
我々が生きる現代社会において,「民主主義は正義」という概念はほぼ常識であろう。
幼少期から民主主義の重要性とその意義を教育され,第二次世界大戦における枢軸国と連合国の戦いを「非民主主義独裁国家と自由民主主義国家の争い」、第二次世界大戦後の米ソ冷戦を「共産主義陣営と民主主義陣営の対立」と考えている人も多い。
また、いわゆる先進国と呼ばれる諸国は、多少の相違こそあれほぼ例外なく国民が選挙によって意見を国政に反影させる(もしくは反影させうる)議会制民主主義を共通の政治体制として標榜しており,逆説的にいえば「民主主義国家であることが先進国の条件」であるといっても過言ではない。
そして民主主義と対立する概念であるとされる独裁制や、血統による支配である王制は非民主主義であるが故に悪とされ,先のイラク戦争の様に非民主主義体制であること自体が攻撃の理由となる場合すらある。
このように、現代では民主主義は絶対の真理であり普遍的で最高の政治体制であるかの様にとらえられている。

ところが、歴史を紐解いてみると現在の議会制民主主義が「正しい政体」として認知される様になったのは,第二次世界大戦以降のわずかな期間でしかないことが分かる。
第一次世界大戦による帝政の崩壊と第二次世界大戦における連合国側の勝利が議会制民主主義の正当性の根拠となり、ソビエト連邦の崩壊は議会制民主主義のもう一つの形であった社会主義体制の欠点を暴露してさらにこの考えに拍車をかけ、現在の様な「民主主義絶対主義」の状況を作り上げたのである。
つまり人類が文明を形成して以降の4000年の歴史において,民主主義体制は高々100年しか経っていない非常に若い概念なのだ。
この非常に若い「民主主義」という概念が,本当に人類の普遍的で最良の政治体制なのだろうか?

民主主義の点対象に位置する概念として「独裁制」もしくは「王制」があげられる。
共に少数の権力者が民衆の意見に左右されることなく権力を振るう政治体制のことであり,代表的なものとしてはナチス・ドイツや現在の北朝鮮・金正日王国があげられるだろう。
前者は第二次世界大戦を勃発させただけでなく,人類史上例を見ない「民族の虐殺」を実行し、非戦闘員を含め4000万人以上の死をもたらす原因となった。
後者の金正日体制がどのようなものであるかは前述の「困ったチャンの国・北朝鮮~21世紀に出現した王国~」で述べた通りであり、餓死する国民をよそに一部の支配者は酒池肉林の享楽にふけるという非常にグロテスクな状況をもたらしている。
しかしここで見落としてはならない重要なポイントがある。

まず第一に、独裁者は民主主義と対立する者としてではなく、民主主義の延長上に誕生したという点だ。
二度とヨーロッパに戦火が起こらないように、ヨーロッパ各国は第一次世界大戦で敗北したドイツに対しこれまでの立憲君主制を廃止し議会制民主主義を基盤とする共和制を強制した。
このワイマール共和国が採用したワイマール憲法は、第一次世界大戦の反省をふまえた大変進歩的なものであり、ドイツはその時点で「最も民主主義的な政治体制を取る国家」と呼ばれていたのだ。
ところが現実は、戦勝国による莫大な賠償金の請求と世界恐慌によりドイツは空前のインフレーションに陥り経済は破綻,600万人ともいわれる失業者が街に溢れ、社会不案は増大すると共に,政府や議会は有効な政策を打ち出すことができずに混乱し民主主義体制そのものが機能しなくなってしまった。
こうした混乱の中,「ゲルマン民族の復権」「ドイツ帝国の復活」「ユダヤ人の迫害」をかかげるヒトラーとナチスに人々は救いを求めて熱狂的な支持を送るようになり,1932年の合法的選挙でナチスは第一党となりヒトラーが政権を獲得するに至ったのである。
以降はなし崩し的にワイマール憲法を無力化する法律が次々と成立し、1933年のヒトラーの総統就任により憲法はその効力を失い,ワイマール共和国はナチスの支配する第三帝国へと変貌した。
すなわち、ヒトラーは最も民主主義的な方法で独裁者となったのだ。

次に,独裁制では権力の集中の結果、構造改革や政策を強力かつ迅速に実行できる点だ。
独裁者となったヒトラーがまず実施したのは,国民にとって最も深刻な問題であった失業対策だった。
ワイマール共和国が議会における妥協と駆け引きの結果、失業問題を解決する有効な手段を全くとれなかったのに対し,ヒトラーはその独裁的権力を使って国庫を湯水の様に使ってアウトバーンをはじめとする公共事業を精力的に行うとともに、官僚機構の構造改革と政治の刷新を断行し劇的な効果をあげた。
街に溢れ帰っていた600万人の失業者はヒトラーの政権奪取後数年で消失し,失業者問題は完全に解決されたのである。
こうした改革と経済復興を成し遂げたヒトラーに対して国民は惜しみない喝采を送り,事実この業績は賞賛されるに値する偉大なものであった。
もちろん,その後には第二次世界大戦の開戦と無謀な作戦の連発によるドイツの敗北、西側とソ連による東西分割という悲劇が待っていた訳だが,彼の独裁により一時的であれドイツの抱えていた問題が解決したことは間違いない。
このように,独裁制による権力の集中により、議会制民主主義のもとでは利害関係によって実行できなかった改革が実現した例は歴史上数多く存在する。

こうして見てみると,必ずしも民主主義と独裁制が対立した概念ではなく、民主主義だけが絶対的に正義であるといえないことが分かる。

必要性を誰もが痛感しながら利害関係と妥協の連続により改革は遅々として進まず,その間に構造的腐敗と経済破綻はさらに進行するという悪循環に陥っている現在の日本の状況を見て、歯がゆく思うのは小生だけではあるまい。
延々と続く不毛な議論や牛歩戦術などとうい愚かな方法がまかりとおる議会、国家や国民の事より支持団体と後援会の利益確保と票読みに躍起となっている議員,不満は述べるが投票率は50%に満たず宗教団体の組織票に圧倒される国民など,現在の日本の民主主義の現実はまさに衆愚政治である。
また民主主義における多数決の論理にも大きな矛盾が潜んでいる事実にも注意しなくてはならない。
多数決とは単に「集団の過半数が賛成に票を投じた」という事実に過ぎず、その判断が正しいかどうかとはまた別問題である。
さらに、集団の多数派の中に構成されたグループにおいてさらに多数を占めれば母集団を間接的にコントロールする事が可能となり、現在の自民党政治の様に,実際は多数派の中の多数派という小さなグループによって巨大な母集団がコントロールされる状況がおこり易い。
「衆愚政治と化した民主主義」と「優秀な指導者による独裁制」のいずれが良いのかとの問いに,明確な根拠を持ってこたえることは極めて困難であると言わざるを得ないのである。

しかし,だからといって小生は独裁制を支持するつもりは毛頭ない。
「皇帝ウラディミル・ウラディミロヴィッチ・プーチン~復活するロシア帝国~」でも述べたが,極めて優秀な指導者や改革者が、権力の持つ魔力的効果により悪逆な独裁者へと変貌したあげく自滅する事例は,歴史上列挙にいとまがない。
自らを掣肘するシステムなしに自己の欲望をコントロールし,当初の志を維持して改革を継続できるほど,人間は強くないのである。
また王制のような世襲制の独裁制では,優秀な初代の後に凡庸で初代の築きあげた業績を食いつぶす二代目が登場するのが常であり,人間の能力が遺伝的素因よりも養育環境に大きく影響される事実を如実に示している。
独裁制はそのシステム故に、国家の運営が不完全な人間に過ぎない個人の能力と感情にゆだねられてしまい、国家の暴走や破滅的運営をもたらす危険が非常に高いのである。

小生は民主主義が独裁制に勝る最大の利点は、政治の責任を国民自らが負うという事実であると考えている。
民主主義とは自らの所属する国家の方向を自らが責任を持って選択する一方,その結果も国民自らが享受するといういわば「自己責任」の政治体制なのだ。
こうした自己責任の政治体制を確立するまで,人類は数百年の時間と多くの犠牲を払ってきた。
現在の民主主義が最高の政体といい難いのは前述の通りだが,だからこそ我々は自己責任でそれを監視し,自らの意志を投票行動で示し,所属する国家のとるべき道を決定する必要があるのである。

今日の箴言
「民主主義とは平和と同じく築き上げるものである」

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