続・軍務尚書の戯言

国際情勢や医学ニュースに関して日々感じたことを残すブログです。

小泉自民党を応援する理由~其の一:抜本的社会改革の必要性~

2005-08-19 03:09:55 | 論文・考察
今後10年の日本の将来を決定的に方向付ける2005年衆議院選挙を数日後に控え,過去の記事と重複する事を承知の上で、あえて本記事を投稿させていただく。
今回の2005年衆議院選挙は,この10年で最も重要な選挙である。
なぜなら、今回の選挙で国民が選択するのは,郵政事業民営化という一公社の運営形態~官か民か~という些細な事ではなく、戦後日本が継続してきた社会~政・官・民の結合を中心とするムラ社会的システム~を今後もこのまま継続するのか,日本人自らの手で新たな社会の構築を試みるのかという日本社会の本質だからである。
郵政事業民営化問題は、この選択を単純化し国民に明確な対立軸を示すための象徴に過ぎない。
本稿では9/11に実施される衆議院選挙において、小泉自民党が勝利しなければならない理由についてシリーズとして論述する。

現在、日本の社会システムが行き詰まり、社会そのものが崩壊しかかっているという認識に異論はないだろう。
日本が戦後一貫して継続してきた社会補償システムは、年金制度や国民皆保険制度をはじめとしてほとんどが制度疲労と合理化の失敗により破綻寸前であり,日本の国家財政自体が国家予算の10年分に相当する660兆円を超える赤字国債をかかえ、まさに破産寸前の企業のような自転車操業を行っている。
身のまわりに目を投じてみても,続発する異常な犯罪と治安の低下はいっこうに改善せず,援助交際をはじめとする性の商品化と風紀の乱れは著しく,親殺し子殺しや幼児虐待が日常化し,経済は停滞して失業率は改善せず,汚職と腐敗はなくならず、人口の急速な高齢化と少子化が進行し,社会不安は増悪する一方だ。

こうした末期的状況の日本社会に必要なもの、それは根本的な社会システムの変革すなわち抜本的な構造改革に他ならない。
これこそが小泉自民党が今回の総選挙において過半数を維持して勝利し、彼の政権が継続しなければならない第一の理由であり、戦後60年にわたり強固に構築されてきた政・官・民の癒着と国民の血税を使った利権の配分に基づく政治を終焉させるためには、彼のような強力な意志を持つ指導者に、一時的に強大な権限を持たさざるを得ないと小生は考えている。

日本は今や官僚と政治家を中心に、国民の税金をむさぼり利権のおこぼれをあずかろうとする「物乞い国家」に堕落し,下は地方公務員から上は中央官僚まで,既得権益を利用して国民の血税を浪費する事で自己の政治力と利益を図るシステムが完全かつ強固に構築され,それが非合理的な財政運営と莫大な赤字国債の元凶となっている。
政治家が政府から公共事業をはじめとする予算を自分の選挙区に誘導するよう官僚に働きかけ,官僚は政治家の要求を実行する代わりに許認可権と天下り先を保証され,予算により不当な利益を得た業者が組織票と資金を政治家に上納するというトライアングルは,日本社会の基本的構造と呼べるほど根深く強固なものだ。
分かりやすく言えば,日本は悪代官と越後屋の密談「越後やそちも悪よのう」「御前ほどではござりませぬ」を大なり小なり行い、税金を浪費してみんながそのおこぼれを預かる社会に陥ってしまっているということだ。
この結果、野方図で非合理的な公共事業~治水上必要性の全くないダムの建設,過疎地への高速道路の延伸,入場者が無く赤字を垂れ流す美術館~を次々と実施し、日本は莫大な借金を抱えるに至った。
こうした政・官・民の強力な癒着構造を断ち切り,日本の公共事業を合理化し,行財政改革を実施するためには,強力な指導力と意志を持った人物による一種独裁に近い改革の断行以外に方法がないのである。
なぜなら、こうした改革には必ず利益の衝突が発生し,票と地盤を失う政治家・許認可権と既得権益を失う官僚・公共事業による利益を失う業界団体から猛烈な反対が発生するのは必然であり,中庸で意見集約型の指導者では全く改革が実施できないからである。
また,前述の様に日本全体がこうした利権と癒着により何らかの恩恵を受けている現状~地元を便利にしてくれる高速道路、職を生み出す公共事業、高給と終身雇用を保障される公務員~では、この改革において国民に何らかの痛みが伴うのは必然だ。
こうした国民の「痛み」を、無視できるほどの強力な意志と指導力、自己の改革への独善的とも言える使命感がなければ、完全に腐敗しきった日本社会を改革する事など到底できないのである。

小泉首相の政治手法を「独裁的」と批判する人々~特に小泉首相の人物を完全に読み誤った亀井静香氏らのグループ~がいるが,彼は衆議院選挙と言う最も民主的な方法を用いて構造改革を実行しようと試みており,反対派の亀井氏や民主党の主張する「独裁者」と言う批判は全く的を得ていないばかりか、自らの民主主義に対する理解度の低さを露呈するものだ。
彼自身も再三述べているように,小泉首相は4年前の総裁選挙から一貫して郵政民営化を公約の第一とし,その公約を高く掲げて2003年の衆議院選挙や昨年の総裁選挙を戦ってきた。
その選挙において多数決で小泉純一郎氏を総裁に選んだ以上は、彼の公約の実行に協力するのはあたりまえであり,この民主主義の基本原理を守らずに批判を繰り返すのは蒙昧無知も甚だしい。
反対派の多くは選挙の時にだけ小泉人気を利用し,自己の安寧と利権の維持をはかってきた品性下劣としか言い様がない人物である。
参議院選挙の際には「郵政民営化には反対しません」との念書を提出したおかげで比例最下位で当選したにもかかわらず,現在は郵政民営反対派・反小泉派の中心の一人となった荒井広幸氏の現在の発言に見られるように,言い訳はいくらでもできる
政治家として本当に大切な事は,小学校で教えられる「約束を守る」という基本的道徳であり,政治家の倫理感は小学生の道徳に劣るほど堕落していると考えざるを得ない。

確かに,独裁者は民衆が生み出すものだ。
ナチス・ドイツのヒトラーも,最も民主主義的な体制と謳われたドイツ・ワイマール共和国の民主主義的選挙によって、国民の熱狂的な支持を得て合法的に権力を手中におさめ独裁者となった。
そして現在の日本の状況が、ヒトラーを生み出した第一次世界大戦後のドイツと共通した点が多いのも事実である。
だが、小泉首相の政治手法が仮に「独裁的」であったとしても、そうした強力な指導力による政策の実施によらなければ、強固な癒着構造を破壊する真の改革など到底不可能であり、先日の投稿「民主主義の意義~民主主義と独裁制~」でも述べた通り,独裁的権力により迅速な構造改革が成功した例は歴史上多数存在する。
そして現在の日本の状況は,一刻の猶予もならない危機的なものであり,強力な指導者による改革の断行以外に日本が再生する道はない。

以上の点において,小泉首相は現在の腐敗し行き詰まった日本社会を抜本から改革できる唯一の人物なのだ。
小泉首相の、他者に対する共感の著しい欠落・強烈な目的意識と使命感・苛烈で徹底した政治手法・前例と因習に捕われない行動は,こうした改革を成し得るのに必要不可欠であり,逆に言えば時代が彼を改革者として日本の首相に選んだのだともいえるだろう。

日本人は強力な指導者を好まず,権力の分散と不明瞭化を無意識に望む特異な精神構造を持っている。
小泉首相の苛烈な政治手法~郵政法案反対派の公認取り消し・刺客と呼ばれる対立候補の派遣・公認候補者への念書の強制~は、ムラ社会における「和」を第一に考え、責任の所在を曖昧にしてお互いを慰めあう日本人には異質に映る。
しかし彼の実施しているこうした政策は,議会制民主主義の大原則~政策の一致した議員が政党を構成する~を厳格に適応しているにすぎず、小泉自民党の政権公約が郵政民営化である以上,それに反対する議員を公認せず新たな候補者を擁立するのはむしろ極めて正しい事なのだ。
また、「第三の敗戦を繰り返さないために~責任の明確化~」でも述べた通り,「和」を第一に考え責任の追及をうやむやにした結果,日本は悲惨な二度の敗戦を経験し、多くの人命と日本人の美徳~勤勉で礼儀正しい国民性、安全な社会~を失うに至った。

日本は、みんながぬるま湯につかりながら不正に目をつぶり腐敗して行くムラ社会を捨て,国民それぞれが自己の責任と義務を明確に堅持しそれに基づいて行動する社会に生まれ変わらなくてはならない。

そのためには、小泉首相が改革を断行する事が必要不可欠であり、衆議院選挙で小泉自民党は絶対に勝利して単独過半数を獲得しなければならないのである。
彼の改革が不十分である事は確かだが,彼の使命は既得権益と政・官・民の癒着を完全に破壊する事であり,彼の後に続く人物が新たな日本社会を築いて行けば良い。
改革者と再生者が同一人物である必要は全くなく,彼は確実に改革者・破壊者なのである。
彼により日本の旧態依然とし行き詰まったムラ社会が崩壊した後,様々な意見を集約し、弱者を救済する新たなシステムを作り,日本を再生する道筋を具体化する人物が日本をリードして行けば良い。
今こそ二度の敗戦で得た教訓を生かし,日本人自らが自らの手で社会の変革を成し遂げる時なのであり、そのためにも小泉首相の権力強化と小泉政権の継続が絶対に必要なのである。

今日の箴言
「強力な指導力なくして改革なし。」

原子爆弾の悲劇~消すことのできない戦争犯罪~

2005-08-11 04:11:34 | 論文・考察
今年は日本の無条件降伏による第二次世界大戦の終結から60年の節目の年であり,これは人類が初めて核兵器を市民に使用してから60年が経過した事を意味している。
毎年この時期になると、原子爆弾使用の是非に関する様々な議論が行われるのは周知の事実であろう。
原子爆弾を使用したアメリカは、日本本土への上陸作戦が実施されていた場合のアメリカ兵及び日本人の予想被害者数と原子爆弾の被害者数を比較して,原子爆弾の使用は戦争終結に有効であり正当なものであったと当然の事ながら主張している。
一方の日本人は,原子爆弾による被害の悲惨さや戦争の悲劇を学習するが,とにかく日本軍を悪者に仕立て上げたい左翼系教育者を中心に、原子爆弾使用の是非よりも戦争を始めた日本と日本軍の過ちを強調し,原子爆弾の被害者は軍国主義によりアジアを侵略した日本の被害者であるかの様に教育するのが常である。
小生は,こうしたアメリカの二重基準に基づく自己正当化と左翼系偏向教育者による事実の歪曲に強く反発する一人だ。

広島と長崎に投下された原子爆弾は,ナチス・ドイツ占領下の強制収容所で実施されたユダヤ人絶滅計画と並ぶ人類史上例を見ない残虐かつ非道な虐殺行為であり、アメリカがいくら弁明したとしても人類の歴史に消すことのできない汚点を残した事実は疑う余地がない。

その第一の理由は,原子爆弾が武器を持たない無抵抗の一般市民に対して使用された点だ。
第二次世界大戦は,それまでの戦争とは異なり、国家がその命運をかけて資材と人的資源のすべてを注ぎ込んで戦った総力戦だった。
戦火は戦場の兵士だけでなく、戦線を維持するための兵器・弾薬・食料を生産して供給する都市や,戦争を遂行するための中枢である首都をも巻き込んだ凄絶なものとなった。
すなわち、第二次世界大戦においては戦争の勝利条件が、戦場での戦術的勝利ではなく,敵の都市を灰にして補給を経ち首都を壊滅させて敵の中枢を破壊する事に変化したのである。
この結果,人々が居住する都市や工場地域が軍事目標となる凄惨な事態を招き、大都市は爆撃と市街戦によりことごとく廃墟と化し、そこに住む罪のない女子供や老人が虐殺されることになった。
こうした戦略目標に対する無差別攻撃を最初に実施したのは,電撃戦による大都市爆撃を行ったナチス・ドイツをはじめとする枢軸国側であったのは事実である。
しかし枢軸国側が連合軍の物量に圧倒され戦線を後退させると,都市に対する史上空前の無差別爆撃を行ったのは何を隠そうアメリカ軍を中心とする連合国側であった。
ドイツと日本の大都市は連合軍のB29大編隊による連日の爆撃によりことごとく焦土と化し,市民数十万人が虐殺された。
そして、アメリカはその総仕上げとして,広島と長崎に住む武器を持たない無抵抗の市民21万人以上に対し原子爆弾を投下したのだ。
ユダヤ人を強制収容所でガス室に送り込むことや南京で捕虜を処刑することと、無抵抗の市民を原子爆弾の熱線と爆風により一瞬に殺戮することに、いったいどんな違いがあるというのか。

第二の理由は、開発して間もない原子爆弾を黄色人種を使った動物実験として使用した点だ。
アメリカ軍・特に軍指導部と政府首脳が、世界で初めて開発に成功した原子爆弾を、兵器の性能試験として実験的に使用したのは現在疑いのない事実である。
戦後に発表された原子爆弾の投下候補地は,いずれも盆地かそれに類似した地形を持ち、過去に大規模な空襲による被害が少なく、人口が密集した都市であった。
これは原子爆弾の効果とその被害を正確に評価するためのデータ収集に,こうした都市が適していたからである。
盆地は原子爆弾の効果を集中させ評価対象を限定するのに役立ち,過去に大規模な空襲がない事実は原子爆弾の威力を正確に判断するために必要であり,人口の密集は殺傷効果を高めるとともにサンプル数を増加させるために必須であった。
アメリカが主張するように,日本に早期降伏を促すために原子爆弾を使用したのならば,数度の空襲を受け焼け野原と化していた大都市も目標の候補に挙がっていてもおかしくはない。
むしろ東京,大阪をはじめとする大都市に使用した方が,日本の戦争指導者に対する心理的影響は大きかったはずである。
ところが選定されたのは,広島・小倉・京都・新潟をはじめとする前述した条件を満たす都市であり,これはアメリカの原子爆弾使用の本当の目的~原子爆弾の黄色人種を使った兵器実験~を如実に表している。
事実,アメリカ軍は戦後ただちに組織された大量の調査団を広島と長崎に派遣し,徹底した調査と情報の収集を行い,被爆者のカルテや写真はことごとく押収されアメリカ本国に送られて研究された。
アメリカは,非戦闘員である一般市民を兵器実験のモルモットとして虐殺したのだ。
この行為と,アメリカや中国が主張する関東軍731部隊による捕虜を使った人体実験が事実と仮定して、その間にいったいどんな違いがあるというのか。

アメリカが主張する原爆使用による戦争の早期終結とソ連侵略の予防についても、現在では根拠のない主張であるとする見方が一般的である。
沖縄失陥後、日本政府は水面下で降伏のための工作を盛んに実施しており,特に日本と不可侵条約を結んでいたソ連を介して再三降伏の意思をアメリカに伝達していた。
原子爆弾を使用しなくても,日本が降伏する事をアメリカは十分承知していたのだ。

小生は原子爆弾投下を引き合いに出して第二次世界大戦中の日本軍の残虐行為を正当化するつもりは毛頭ない。
主張したいのは,日本軍による南京大虐殺やナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅計画と同様に連合国軍による原子爆弾の投下は、決して許される事のない戦争犯罪であり、ともに厳しく糾弾されなくてはならない蛮行であったという事だ。
第二次世界大戦を悪逆な日本軍と正義の連合国軍の戦いと教育する左翼偏向教育者のもとでは,この事実は意図的に隠蔽されているが、「正当な原子爆弾投下理由」「正義の戦争」は存在しない。
原子爆弾投下の事実、そこに存在するのは、新たに開発した兵器の実験材料として女子供を含む武器を持たない無抵抗の市民を一方的に虐殺したという、隠すことのできない歴然とした事実なのである。

今日の箴言
「悲劇は忘れてはならないし,曲解してもならない」

郵政解散と小泉改革~日本の分水嶺~

2005-08-10 05:37:49 | 論文・考察
「小泉首相という人物~その歴史的意義~」の投稿後一か月を経て,参議院での郵政民営化法案否決を受けて小泉首相はその公約どおり衆議院を解散した。
小泉首相の理念や政治姿勢に関しては、半年前に現在の状況を冷静に分析・予言したこちらのコラムや、マーケットの馬車馬さんの的確な解説を参照していただくとして、本稿では今回の衆議院選挙の歴史的意義を検討したい。

50年後、今回の衆議院選挙に至る経緯とその結果は、良い意味であれ悪い意味であれ日本の分水嶺として人々に記憶され教科書に記載される事は間違いない。
今回の選挙を小泉首相は「郵政選挙」と命名したが,これは小泉首相の郵政大臣時代からの悲願であった郵政事業民営化を前面に押し出す事で争点を明確にし、選挙戦での構図を「改革派」「抵抗勢力」という形で単純化するための方策に過ぎない。
なぜなら今回の選挙の本質、すなわち今回の選挙で国民に問われているのは,第二次世界大戦後バブル崩壊という第二の敗戦を経てもなお脈々と継続してきた日本的社会運営~政・官・民の癒着、弱者救済に名を借りた税金の浪費、公共投資に絡む利権とそれをむさぼる特権階級の形成~を継続するのか,こうした既存の社会体制を放棄して日本人自らの手で新たな社会の構築を目指すのかという命題なのである。

今回の総選挙で自民党の敗北と小泉首相の退陣を国民が選択した場合,日本は郵政事業に代表される政・官・民の癒着と相互補助~政治家による利益誘導,官僚による許認可権の乱用と組織票の提供,民間企業の政府依存と資金提供~という日本人特有の「ムラ社会」を維持していくことになる。
離島に住むたかだか数千人の住民が週に何通受けとるか分からない手紙のために、日本国民の血税を湯水の様に投入して非効率的な郵政事業を継続し,特権階級と化した特定郵便局職員の権益を守りぬくということであり、「政治的判断」により地方の農村に誰も走らない高速道路や新幹線・莫大な赤字を生産し続ける美術館や記念館を建設し、地元の建設業者や役人などを国民の血税によって潤すことである。
80歳の老人にも,17歳の少女と同様に「命の価値は尊い」というお題目のもと,破綻しかけている医療保険制度をよそに莫大な医療費をかけ無意味な延命治療を施すことである。
究極的には,660兆を超える赤字国債をさらに増加させ、子供たちの世代に国家予算すべてを注ぎ込んでも返済に10年以上かかる莫大な借金を残すということだ。

こうした「ムラ社会」的社会体制が、確かに今日の日本の繁栄に役立った事は否定できない。
公共投資の名の下に採算を度外視して豊かな都市から貧しい地方へ莫大な資金を注入したからこそ,日本は最も成功した社会主義体制と揶揄される高度に均質化され階級間闘争が乏しく豊かな社会を形成する事に成功したのである。
どこに住んでいても美しく鋪装された道路を走る事ができる,郵便物を驚くほど安価で受け取る事ができる、国民皆保険制度によりどんな僻地でも世界最高水準の医療が低価格で享受できる社会は、世界中で日本だけであろう。
しかしこうした社会システムは、高度成長期に日本の人口と経済が持続的に成長するという根拠の無い前提のもと構築されたものであった。
バブル経済と持続的経済成長の神話崩壊と共に「ムラ社会的」システムの負の側面~非効率的な組織と官僚主義,公務員倫理の低下と癒着、予算主義による経費の浪費、特権階級への利益誘導~が噴出、日本は失われた10年といわれる長期間の社会的混乱と日本人の美徳の多くを失い、莫大な赤字国債を背負うに至ったのだ。

また、小泉自民党の敗北は売国奴的媚中政治家である岡田党首の率いる民主党が政権を取ることを意味し、これは日本にとって非常に危険な事だ。
民主党は自分達が政権を執れば改革を実行できるとほざいているが,その主張や行動をつぶさに観察すれば,彼等がいかにあさはかで机上の空論に過ぎない夢物語を主張し,票を得るために既得権益を持つ団体や公務員にこびへつらう保守派であるかが理解できる。
もし本当に彼等が行財政改革を実行するつもりなのなら,なぜ今回の郵政国会で郵政民営化法案に対抗する法案を提出しなかったのか?
民主党の各議員はいろいろと言い訳をしているが,結局のところ民主党の衆議院議員には若手が多く強力な選挙基盤を持たないが故に,特定郵便局の組織票を手放す事を危惧したからである。
野党にいるにもかかわらず既得権益との対立を避け自己の保身と票読みしかできない政党に、政・官・民の癒着により強固に構築された公務員の既得権破壊と行財政改革が断行できる訳が無い。
それ以上に小生が最も危惧するのは,民主党が旧社会党系の左翼的夢想主義に感化されて、国家主権の委譲と共有などという夢物語以上の亡国論を主張したり,岡田党首自身が対米追従の修正と東アジア中心外交などという寝言をほざいている点だ。
「日中友好という名の幻想~日本を守るために~」でも述べたが,急速に軍備を増強し膨張政策を取る中国共産党に対していかに日本を守るかが最も重要な懸案であるこの時期に,あろう事かアメリカとの同盟関係を破棄して中国共産党との連携を主張するなど正気の沙汰ではなく,売国奴以外の何者でもない。
民主党が政権を取った場合,日本が国家経済の破綻と国家の滅亡へむかうのは確実である。

バブル経済の崩壊で我々は美徳と考えてきた多くのもの~治安の良い社会、礼儀正しく勤勉な国民性、終身雇用制に代表される安定した雇用、持続的な経済成長~を失い、10年以上の歳月と莫大な血税をバブルの清算のためだけに浪費してきた。
家族の崩壊により親殺し・子殺しが当たり前となり,治安は乱れて異常な犯罪で罪の無い人々が殺される一方裁判所は温情判決により犯罪者を放任し,社会は混乱して多くの不正や汚職が蔓延し,日本はまさに国家的危機にある。
そうした混乱の中で日本人の誰もが改革の必要性、それも小手先のものではない日本を根本から改革し再生させるための改革の必要性を痛感したからこそ,「変人」と呼ばれた小泉純一郎氏を日本の首相に選択したのではなかったか。
彼の政治手法や発言は強引で問題がある事、彼の改革は日本を「勝ち組」と「負け組」に分断し誰もが平等なムラ社会を崩壊させる事、郵政事業民営化の裏にはメガバンクの総預金量に匹敵する郵便貯金を巡るアメリカの意向がある事も十分承知している。
しかし現在の日本には既得権益を破壊し効率の良い政府と社会を作り上げるための改革が絶対に必要であり,これを実行するためには痛みを伴う強権的手法以外に方法はない。
誰もが満足するような改革はもはや改革ではなく,そのような既得権益の妥協により生まれた改革では日本は立ち直れない。

この選挙結果如何によっては,日本は明治維新・第二次世界大戦の敗北に匹敵する社会構造の変化を経験する事になるだろう。
我々はまさに歴史的変革のまっただ中におり,日本の将来と子供たちの未来が我々の選択にかかっているのだ。
郵政民営化法案の否決と衆議院解散を受けて実施された緊急世論調査では,国民の小泉首相に対する前例のない「参議院否決による衆議院解散」を断行し有言実行を貫いた爽快感と、痛みを伴う構造改革を独断で実行する政治手法への反発という複雑な感情が見て取れる。
また日本人は強力な指導者よりも権力の分散と不明瞭化を望む特異な国民性があり,小泉首相の一種独裁ともとれる政治姿勢には感情的反発もあるだろう。
今後次々と実施される世論調査とマスコミのキャンペーンがどのように国民の投票行動に影響し、どのような選挙結果をもたらすかは未知数だ。

ただ、ありきたりな主張である事は十分承知の上で、最後にこれだけは主張しておきたい。
「民主主義の意義~独裁制と民主主義~」でも述べたが,我々の社会は自己責任を伴う議会制民主主義により運営されている。

我々と我々の子供たちの将来を選択するためにも,公明党の組織票が国家の命運を左右するような事態を避けるためにも,必ず投票して自分の意見を示そう。
改革の進まない政治を嘆き,崩壊する社会を目の当たりにして昔を懐かしみ,高額の税金と低い社会保障に怒るだけではなく、我々が何を望んでいるのかを明らかにしよう。


その結果小泉自民党の痛みを伴う改革が継続されるのか,岡田民主党の親中保守的政権が誕生して失われた10年を再び経験するのか,その選択は我々にしかできないのであり、この時代に生きている我々の義務なのだ。

今日の箴言
「歴史は始まっている。主人公は我々だ。」

日中友好という名の幻想~日本を守るために~

2005-08-05 02:54:47 | 国際情勢
沖縄の日本への帰属には国際法上の問題があると中国誌が主張しているとの事。

先日の原子力潜水艦による日本領海侵犯、反日暴動とその後の中国政府の対応,東シナ海ガス田採掘権問題など、50年前であれば確実に日中戦争を引き起こしたであろう中国共産党の暴挙を目の当たりにしながら,それでも「中日友好」「アメリカ追従からの脱却」などという寝言をほざいている左翼系マスコミ・媚中派政治家・平和主義知識人の方々は、ぜひ中国に移住して自国民を戦車でひき殺す共産主義体制のもとで盗聴と逮捕におびえながら幸せに暮らしていただきたい。

今までも何度か述べているが,国民レベルでの交流は別として、日本と共産主義国家・中国が友好関係を築ける可能性はまったく無い
社民党や共産党が主張するように,中国の主張にことごとく服従し日本の領土を割譲した挙げ句,中国共産党に侵略されて中国に併合されれば、ある意味日中関係は平和に解決されることになるのだろうが,その代償として数千万人の知識人虐殺と満州北部への強制移住にともなう日本民族の滅亡を甘受せねばならず,気の○った共産主義者にだけ受け入れることのできる案である。
日本が日本民族としての尊厳と権利を維持しようとする以上,中国共産党は日本の最大の脅威であり,国家としての日本と日本民族の命運は増大する中国の脅威にいかに対抗するかにかかっているのである。

その理由の第一は,中国共産党の外交政策と国民感情の基本に存在する中華思想である。
簡単に説明すれば,中華思想とは読んで字の如く中国人とその国家を「世界の中心に咲く美しい花の様に光り輝く国家」と考える思想であり,じつは中国の正式名称(中華人民共和国)に使われていたりする。
つまり中国は公式に「おれたちは世界の中心にある最もすばらしい国だ」と宣言している訳であり,第二次世界大戦当時にヒトラーが主張した「ゲルマン民族の優位性とヨーロッパの支配」や、日本が主張した「皇国史観=日本は神の国」となんら大差のない偏狭な民族主義的主張を、あろう事か国家の名称に用いている国なのである。
この中華思想は民衆から政府まで幅広い層に強烈に保持されており,近年の急速な経済成長による生活レベルの上昇が触媒となって、中国国民に偏狭な中国第一主義・民族主義を勃興させるとともに,政府に近隣諸国の領海侵犯や外交礼儀を無視した閣僚の帰国をはじめとする傲慢な外交政策と、台湾侵攻計画をはじめとする膨張主義をとらせる思想的背景となっている。
またこの中華思想は、自国や自分達の利益のみを優先し商道徳や国際ルールを守らない中国の経済構造に如実に現れており,国家ぐるみで違法コピーの製造販売を行ったり,粗悪品・偽物を平気で海外に輸出する中国人の道徳心の低さは、これが原因となっているのである。
たしかに世界に文明が発生したとされる紀元前2000年頃から20世紀の初頭までの4000年間、中国は経済的にも文化的にも東アジアの盟主であった。
日本をはじめとする多くの近隣諸国が中国から強く影響を受け,その文化を取り入れる事で発展してきたのも事実である。
特に日本は、現在でも中国の漢字~彼等にとっては古文~と漢字から派生した仮名文字を使用し,中国の歴史や文化に強く影響されていることは文学作品や三国志をはじめとするゲームが大人気である事からも良く理解できる。
しかしそうした事実はもはや全て過去の栄光に過ぎないのだが,中国人はそれを受け入れる事ができないのだ。
だからこそ彼等は、自分達の従属国であったはずの日本があろう事か中国を侵略し,一度は敗北したものの再びアメリカの子分となって目覚ましい経済成長を遂げ、豊かな生活を享受している事が許せないのである。
こうした歴史的背景に裏付けられた中華思想があり日本を従属国と考える風潮がある以上,日本が中国と対等に友好関係を結ぶ事ができる訳が無い。

理由の第二は、今までも再三述べてきた江沢民国家主席が開始した反日愛国教育である。
彼等が幼少期からいかに「残虐非道な日本軍の蛮行」を学校で植え付けられているかを実際に目の当たりにすれば,日中友好が不可能である事は瞬時に理解できる。
「上海大空襲」「南京大虐殺」「731部隊と人体実験」「三光作戦」等々の日本軍が行ったとされる蛮行を、彼等は歴史教育の名のもとに再三再四教え込まれるのだ。
しかもその内容の多くは歴史的検証が全くなされておらず、中国共産党の意向に添った事実の捏造や歪曲・誇大表示が至る所にほどこされ、もはや中国共産党謹製一大フィクション「日本軍的蛮行及英雄的抗日運動」と化した代物なのである。
中国共産党はナチス・ドイツがヒットラーユーゲンとを洗脳してその両親までもナチスに服従するよう画策したのと同様,純粋で何事も容易に信じ込んでしまう幼少期からこうした教育を徹底的に行う事で,厳格な思想統制を実施しているのだ。
そのうえ、情報統制と隠蔽により、一般国民の多くは戦後補償とODAの名の下に日本が中国に対して莫大な資金を提供してきた事実や、中国人留学生が日本で犯罪の限りを尽くしている事を全く知らない。
こうした世代が成長して社会の中核を担うようになった時、どのような事態が発生するかは、先日の反日暴動とその後の経過や、最近の「謝罪しない日本人は入店禁止」と張り紙したレストラン,「日本人の診療を拒否する」と公表した病院の例が示す通り火を見るより明らかだ。
また現在でも、こうした反日愛国教育は中国共産党への不満をそらすはけ口として継続されており,これは毎年数千万人におよぶ反日活動家が中国国内で政府によって生み出されているのと変わらない。
媚中派政治家や左翼系マスコミが訴えるように日本がいくら謝罪して中国と友好を結ぼうと試みても,彼等にとって日本人は祖父母を虐殺し,強姦し,人体実験に用いた残虐な民族であり,真の友好が築けるはずは無いのである。
彼等が骨の髄まで日本人を憎んでいるからこそ、彼等を留学生として暖かく迎えた日本人の家族を子供も含めて平気で皆殺しにして海に放り込んだり,強盗・窃盗などの犯罪を平気でやってのけるのだ。
「話し合い,理解しあえばお互い許しあえる」などといった夢物語に決してだまされてはならない。

「政権を取る」等とほざきつつ靖国参拝を批判し東アジア中心外交などと言う妄想を叫ぶ民主党岡田代表や、自民党媚中派政治家~河野洋平や加藤紘一~は、中国人華僑の政治献金や中国の安い労働力に依存している日本の経済界からの要請を受けて中国との友好を主張しているが,彼等の行おうとしている事は売国奴的行為であるだけでなく,日本と民族の存亡を脅かすものであり、まさに亡国の政治家と言う名称がふさわしい。
小生は自民党の腐敗しきった「まあこんなところでしょう政治」に賛成している訳ではないが,一企業でしかない某ジャスコのために日本を嬉々として中国に売り渡すような政治家を党首にすえる政党に、日本を任せてはならない。
早く左翼系教育者による洗脳の呪縛から日本人が脱却し,中国共産党の真の姿と日本の危機的状況を自覚するよう祈ってやまないのである。

今日の箴言
「改革者気取りの売国奴を日本の元首にしてはならない」

民主主義の意義~独裁制と民主主義~

2005-08-03 08:13:54 | 論文・考察
我々が生きる現代社会において,「民主主義は正義」という概念はほぼ常識であろう。
幼少期から民主主義の重要性とその意義を教育され,第二次世界大戦における枢軸国と連合国の戦いを「非民主主義独裁国家と自由民主主義国家の争い」、第二次世界大戦後の米ソ冷戦を「共産主義陣営と民主主義陣営の対立」と考えている人も多い。
また、いわゆる先進国と呼ばれる諸国は、多少の相違こそあれほぼ例外なく国民が選挙によって意見を国政に反影させる(もしくは反影させうる)議会制民主主義を共通の政治体制として標榜しており,逆説的にいえば「民主主義国家であることが先進国の条件」であるといっても過言ではない。
そして民主主義と対立する概念であるとされる独裁制や、血統による支配である王制は非民主主義であるが故に悪とされ,先のイラク戦争の様に非民主主義体制であること自体が攻撃の理由となる場合すらある。
このように、現代では民主主義は絶対の真理であり普遍的で最高の政治体制であるかの様にとらえられている。

ところが、歴史を紐解いてみると現在の議会制民主主義が「正しい政体」として認知される様になったのは,第二次世界大戦以降のわずかな期間でしかないことが分かる。
第一次世界大戦による帝政の崩壊と第二次世界大戦における連合国側の勝利が議会制民主主義の正当性の根拠となり、ソビエト連邦の崩壊は議会制民主主義のもう一つの形であった社会主義体制の欠点を暴露してさらにこの考えに拍車をかけ、現在の様な「民主主義絶対主義」の状況を作り上げたのである。
つまり人類が文明を形成して以降の4000年の歴史において,民主主義体制は高々100年しか経っていない非常に若い概念なのだ。
この非常に若い「民主主義」という概念が,本当に人類の普遍的で最良の政治体制なのだろうか?

民主主義の点対象に位置する概念として「独裁制」もしくは「王制」があげられる。
共に少数の権力者が民衆の意見に左右されることなく権力を振るう政治体制のことであり,代表的なものとしてはナチス・ドイツや現在の北朝鮮・金正日王国があげられるだろう。
前者は第二次世界大戦を勃発させただけでなく,人類史上例を見ない「民族の虐殺」を実行し、非戦闘員を含め4000万人以上の死をもたらす原因となった。
後者の金正日体制がどのようなものであるかは前述の「困ったチャンの国・北朝鮮~21世紀に出現した王国~」で述べた通りであり、餓死する国民をよそに一部の支配者は酒池肉林の享楽にふけるという非常にグロテスクな状況をもたらしている。
しかしここで見落としてはならない重要なポイントがある。

まず第一に、独裁者は民主主義と対立する者としてではなく、民主主義の延長上に誕生したという点だ。
二度とヨーロッパに戦火が起こらないように、ヨーロッパ各国は第一次世界大戦で敗北したドイツに対しこれまでの立憲君主制を廃止し議会制民主主義を基盤とする共和制を強制した。
このワイマール共和国が採用したワイマール憲法は、第一次世界大戦の反省をふまえた大変進歩的なものであり、ドイツはその時点で「最も民主主義的な政治体制を取る国家」と呼ばれていたのだ。
ところが現実は、戦勝国による莫大な賠償金の請求と世界恐慌によりドイツは空前のインフレーションに陥り経済は破綻,600万人ともいわれる失業者が街に溢れ、社会不案は増大すると共に,政府や議会は有効な政策を打ち出すことができずに混乱し民主主義体制そのものが機能しなくなってしまった。
こうした混乱の中,「ゲルマン民族の復権」「ドイツ帝国の復活」「ユダヤ人の迫害」をかかげるヒトラーとナチスに人々は救いを求めて熱狂的な支持を送るようになり,1932年の合法的選挙でナチスは第一党となりヒトラーが政権を獲得するに至ったのである。
以降はなし崩し的にワイマール憲法を無力化する法律が次々と成立し、1933年のヒトラーの総統就任により憲法はその効力を失い,ワイマール共和国はナチスの支配する第三帝国へと変貌した。
すなわち、ヒトラーは最も民主主義的な方法で独裁者となったのだ。

次に,独裁制では権力の集中の結果、構造改革や政策を強力かつ迅速に実行できる点だ。
独裁者となったヒトラーがまず実施したのは,国民にとって最も深刻な問題であった失業対策だった。
ワイマール共和国が議会における妥協と駆け引きの結果、失業問題を解決する有効な手段を全くとれなかったのに対し,ヒトラーはその独裁的権力を使って国庫を湯水の様に使ってアウトバーンをはじめとする公共事業を精力的に行うとともに、官僚機構の構造改革と政治の刷新を断行し劇的な効果をあげた。
街に溢れ帰っていた600万人の失業者はヒトラーの政権奪取後数年で消失し,失業者問題は完全に解決されたのである。
こうした改革と経済復興を成し遂げたヒトラーに対して国民は惜しみない喝采を送り,事実この業績は賞賛されるに値する偉大なものであった。
もちろん,その後には第二次世界大戦の開戦と無謀な作戦の連発によるドイツの敗北、西側とソ連による東西分割という悲劇が待っていた訳だが,彼の独裁により一時的であれドイツの抱えていた問題が解決したことは間違いない。
このように,独裁制による権力の集中により、議会制民主主義のもとでは利害関係によって実行できなかった改革が実現した例は歴史上数多く存在する。

こうして見てみると,必ずしも民主主義と独裁制が対立した概念ではなく、民主主義だけが絶対的に正義であるといえないことが分かる。

必要性を誰もが痛感しながら利害関係と妥協の連続により改革は遅々として進まず,その間に構造的腐敗と経済破綻はさらに進行するという悪循環に陥っている現在の日本の状況を見て、歯がゆく思うのは小生だけではあるまい。
延々と続く不毛な議論や牛歩戦術などとうい愚かな方法がまかりとおる議会、国家や国民の事より支持団体と後援会の利益確保と票読みに躍起となっている議員,不満は述べるが投票率は50%に満たず宗教団体の組織票に圧倒される国民など,現在の日本の民主主義の現実はまさに衆愚政治である。
また民主主義における多数決の論理にも大きな矛盾が潜んでいる事実にも注意しなくてはならない。
多数決とは単に「集団の過半数が賛成に票を投じた」という事実に過ぎず、その判断が正しいかどうかとはまた別問題である。
さらに、集団の多数派の中に構成されたグループにおいてさらに多数を占めれば母集団を間接的にコントロールする事が可能となり、現在の自民党政治の様に,実際は多数派の中の多数派という小さなグループによって巨大な母集団がコントロールされる状況がおこり易い。
「衆愚政治と化した民主主義」と「優秀な指導者による独裁制」のいずれが良いのかとの問いに,明確な根拠を持ってこたえることは極めて困難であると言わざるを得ないのである。

しかし,だからといって小生は独裁制を支持するつもりは毛頭ない。
「皇帝ウラディミル・ウラディミロヴィッチ・プーチン~復活するロシア帝国~」でも述べたが,極めて優秀な指導者や改革者が、権力の持つ魔力的効果により悪逆な独裁者へと変貌したあげく自滅する事例は,歴史上列挙にいとまがない。
自らを掣肘するシステムなしに自己の欲望をコントロールし,当初の志を維持して改革を継続できるほど,人間は強くないのである。
また王制のような世襲制の独裁制では,優秀な初代の後に凡庸で初代の築きあげた業績を食いつぶす二代目が登場するのが常であり,人間の能力が遺伝的素因よりも養育環境に大きく影響される事実を如実に示している。
独裁制はそのシステム故に、国家の運営が不完全な人間に過ぎない個人の能力と感情にゆだねられてしまい、国家の暴走や破滅的運営をもたらす危険が非常に高いのである。

小生は民主主義が独裁制に勝る最大の利点は、政治の責任を国民自らが負うという事実であると考えている。
民主主義とは自らの所属する国家の方向を自らが責任を持って選択する一方,その結果も国民自らが享受するといういわば「自己責任」の政治体制なのだ。
こうした自己責任の政治体制を確立するまで,人類は数百年の時間と多くの犠牲を払ってきた。
現在の民主主義が最高の政体といい難いのは前述の通りだが,だからこそ我々は自己責任でそれを監視し,自らの意志を投票行動で示し,所属する国家のとるべき道を決定する必要があるのである。

今日の箴言
「民主主義とは平和と同じく築き上げるものである」