続・軍務尚書の戯言

国際情勢や医学ニュースに関して日々感じたことを残すブログです。

戦争の悲劇~かけがえのない平和を維持するために~

2005-07-21 05:24:39 | 論文・考察
夏が訪れ敗戦記念日である8/15日が近付くと,マスコミや教育関係者を中心にいわゆる歴史教育が行われる。
その多くはいかに第二次世界大戦中の日本軍やナチス・ドイツが残虐なことを行ったか,いかに戦争が悲惨で残酷なものかを繰り返し教え込む内容である。
原爆を描いた「裸足のゲン」、沖縄戦を題材とした「ひめゆりの塔」などは左翼系偏向教育者が好んで夏期特別授業で放映するし,「風の谷のナウシカ」「螢の墓」「シンドラーのリスト」を教材にする学校もあると聞く。
またマスコミでも第二次世界大戦の記録映像をまとめたドキュメントや第二次世界大戦を題材としたドラマ、第二次世界大戦を主題とし反戦メッセージのこもった映画を放映する。
最近では明石家さんま氏が主演した「サトウキビ畑の歌」が、主題歌とも合わせて大きな反響を呼んだのは周知の通りだ。

言うまでもなく,戦争は悲惨で残虐なものである。
「螢の墓」を見れば,大人たちが始めた戦争の犠牲となって死んでいく幼い兄弟の姿を涙なくしては見れないだろう。
特に第二次世界大戦は、枢軸国・連合国共に其の国力のすべてを動員し国家の存亡をかけて戦ったことから、戦争は極めて大規模なものとなり戦場だけでなく生産拠点である都市を含む国土すべてを巻き込んだ総力戦となった。
戦車・戦闘機をはじめとする新兵器が次々と開発され殺傷力と破壊力が増し、犠牲者は第一次世界大戦とは比較にならないほど増加した。
またナチス・ドイツが掲げた「アーリア人によるヨーロッパ支配」をはじめとする民族主義の台頭は、他民族の組織的迫害と虐殺という蛮行をもたらした。
戦火は戦場の兵士だけではなく一般市民にもおよび,まさに世界は地獄と化したのである。
この結果,第二次世界大戦の推定犠牲者6500万人のうち非戦闘員である市民が4000万人を占めると言う人類の歴史に消すことのできない汚点を残した。

では,戦争の悲劇とは、前述した映画やドラマで描かれているように「善良でか弱い市民が無抵抗に殺される」ことだけなのだろうか?
小生はそうは考えない。
戦争のもう一つの悲劇とは,戦争という特殊な状況下で価値観の逆転がおこった結果、善良でまじめな家族を愛するごく普通の父親が、「沖縄県民に自決を強要する中隊長」「ユダヤ人を収容所に送り込む親衛隊」になってしまうことなのである。

映画やドラマで描かれる、ヒステリックに天皇の名を叫び、部下に暴力を振るい、無理な作戦と玉砕攻撃を命令する小隊長が特別に邪悪で軍国主義思想に染まった殺人鬼であった訳ではない。
知っての通り、第二次世界大戦の日本兵とは、平和な戦後の日本では礼儀正しく節度を持ち家族を愛していた我々の祖父の一人である。
彼等を恐るべき虐待者・殺人者に作り替えたもの、それは常に自己の生命が危機にさらされる戦場と言う環境に加え、食料や弾薬がないにもかかわらず圧倒的な物量と兵力を誇るアメリカ軍に立ち向かわざるを得なかった日本軍の悲惨な状況であった。
つまり,善良な市民を自認している我々も、戦友が次々と戦死して腐敗した死体となり、食料がなく泥水をすすりながら飢えを凌ぐ悲惨な戦場では,部下に玉砕攻撃を強要し市民に自決を強いる小隊長になり得るのである。

またナチス・ドイツの強制収容所でユダヤ人の虐殺に従事していたのは,ナチズムの反ユダヤ主義に狂った凶暴な人物ではなくむしろ律儀さと潔癖さを持った官僚的人物であったことは有名な事実である。
なぜなら次々と運ばれてくる大量のユダヤ人を迅速に処分するためには,感情に左右されない正確なスケジュールの実施が求められたからだ。
そしてナチス支配下のドイツではユダヤ人はアーリア人を堕落させる敵であり,彼等の絶滅はアーリア人に課せられた使命であるとさえされていた。
第二次世界大戦後,強制収容所の職員を戦争犯罪人として尋問した連合国兵士は,強制収容所で実施された恐るべき虐殺と彼等のあまりの平凡さとの落差に慄然としたと言われている。
彼等は食肉工場で肉牛を処分するように400万人とも言われるユダヤ人をガス室に送り込んで虐殺する一方、仕事を終えて帰宅すればワーグナーを聴いて涙するまじめな父親であったのだ。

戦争の悲惨さを学ぶことは大変重要である。
しかしそれは被害者の側から見た一方的な、加害者を狂った凶悪な兵士とするものだけでは不十分であると言わざるを得ない。
地獄のような戦場で自己の正気を保ち、自己の生命を危険にさらしてまで部下や市民の生命を守る倫理観の持ち主が,我々の中でいったいどれだけいるだろうか?
国民が熱狂的に支持する独裁者のもとで、正義の行いとして実施されるユダヤ人の迫害と虐殺を、自らの良心に照らし自分のキャリアや生活を犠牲にしてまで拒否できる人物がどれだけいるだろうか?
我々がもし第二次世界大戦時に生きていれば、ヒステリックに無意味な玉砕攻撃を命令する軍曹、無表情にガス室のボタンを押すナチス親衛隊に十分なり得るのである。

再度繰り返すが,戦争の悲劇とはお互い善良な市民であるはずの兵士が、互いに憎みあい・殺しあい・無抵抗の市民を虐殺し,それが憎悪の連鎖を引き起こし更なる暴力と破壊へ駆り立てられることだ。
だからこそ我々は戦争を避け、平和を守らなくてはならない。
善良な市民が善良な市民のままでいられる平和がかけがえのないものであるからこそ,我々は頭の中お花畑の平和主義者が唱えるような机上の理想主義によって平和を維持しようとするのではなく、現実の世界を見据えた確実な方法~抑止力の維持,不断の外交努力、同盟関係の強化~を日々模索しなければならない。
急激に軍事力を増強し,台湾侵略を計画し、日本の領海侵犯を公然と実施する中国共産党に、日本への侵略を思いとどまらせるだけの軍事力の保持とアメリカとの同盟強化を継続しなくてはならないのである。

今日の箴言
「平和とは存在するものではなく、作り上げ不断の努力で維持するものだ」

アメリカ文化雑感~其の十:アメリカ女性と日本女性~

2005-07-19 07:48:28 | アメリカ文化雑感
今回のアメリカ文化雑感は、フェミニスの反発を買うことは十分承知の上であえてアメリカ女性と日本女性の外観について論じてみようと思う。
もちろん女性を含め全ての人間は外見でなく人格で評価されるべきであるし,女性の外見をとやかく論評する事自体が性差別であり女性の商品化を助長していることは十分承知している。
ただし、そうはいっても人間は他人を外見で判断する生き物である事はまぎれもない現実だし,背が低く人並みの容姿しか持ち合わせていない小生も外見による偏見でかなり損をして来ているので,これぐらいの論評は許してもらえるのではないかと思う。

日本人の多くは戦後のアメリカ文化の流入により価値観のアメリカ化が急速に進み,特に女性の外見や美容に関してはその影響が著しいのはみなさんも良くご存じだろう。
女性誌の表紙を飾るのは金髪碧眼で痩身の白人女性モデルか日本人離れした容姿の若い女性であり,若い女性はこぞって彼女達を目標に美白やダイエットに血道を上げ、彼女たちが宣伝するブランドを購入している。
ところが現実にアメリカに住んでみると,日本人女性が憧れるような白人女性は極めて稀もしくはほとんど存在せず,むしろ日本人女性の方が美人が多いことに気が付く。
確かにビバリーヒルズ周辺のナイトクラブやショッピングモールではモデル張りの女性にお目にかかれることはあるがその数は極めて少なく、ほとんどの女性は平均点よりも若干下ぐらいの容姿でしかない。
つまり今までも再三述べてきたが,アメリカと日本の最大の相違点は多様性であり、女性の外観もその例にもれないということなのである。

アメリカの場合,映画スターも真っ青の絶世の美人がごく少数存在する一方で、残りの多くの女性はまるで外観を気にしていないかのような状況で、本当にどうしようもない人々も多数存在する。
こうしたどうしようもない人々に,普通に生活していたのでは絶対に肥満になるアメリカの生活習慣とこれによる動脈硬化の進展、流行に左右されない自由な(いいかげんな)服装が追い打ちをかける。
つまり、アメリカでは常に食生活に気を配り、運動を心掛け、お肌と髪の手入れに余念がなく、最新ファッションに敏感で且つ素質のいい人だけが美人になれるのである。
また日差しが非常に強いロサンゼルスにヨーロッパ北部の寒冷地に適応して進化した白人が住んでいる結果,紫外線の影響で白人女性の肌には非常にシミやそばかすが多く,その肌理も極めて悪い。
若い女性であっても日光に曝される顔や上腕にはシミが多く,肌も乾燥してぼろぼろのしわだらけであり、男である小生の肌の方がいくらかましなぐらいなのだ。
こうした理由も相まって,アメリカ人女性は非常に年をとって見え,日本人の小生の感覚だと実年齢に5歳程度加えた容姿の人がほとんどである。
このため美容整形やしみとり手術が非常に盛んだとも聞く。

一方、日本人女性は日本の教育や生活水準同様、とんでもなくずば抜けた美人が少ない一方で、全ての女性が平均点以上を維持しているといった特徴があり、みんなが流行のファッションやメイクに気を配り,ダイエットやエステへの関心も高く,常に自己の外見をどうすれば魅力的に見えるか知っている。
また世界に有名な日本女性の肌の美しさは健在であり、日本女性がアメリカで実際の年齢よりもかなり若くみられるのにはこうした理由もある。
日本女性は,平均点では圧倒的にアメリカ女性を引き離しているのだ。
日本女性はもっと自分の容姿に自信を持って堂々とアメリカ女性と渡り合って行けば良いと、お節介ながら意見する次第である。

今日の箴言
「日本女性は世界一イイイイ!!」

種としての人類~地球の癌~

2005-07-16 09:17:22 | 論文・考察
少し昔の映画になるが,デジタル処理を駆使した斬新な映像で一世を風靡した「マトリックス」で、主人公Neoの最大の敵であるエージェント・スミスがこんな台詞を口にしていた。
「いいかね,人間は地球の癌・治療すべき疾病なのだ。我々AIはその治療薬なのだよ。」
小生は仕事柄癌細胞を扱って研究をしているのだが,地球で起こっている様々な問題を目にするたびに,人類の営みと癌細胞の性質を比較して彼の言葉が正しいことを実感せずにはいられない。
なぜなら癌細胞の性質と人間の営みは極めて類似性があるからである。

病理学の教科書を紐解くと,癌細胞とは「生体のコント-ロールから逸脱して増殖し,正常組織を浸潤・破壊する細胞」と定義されている。
癌細胞の成り立ちは,もともとは正常な細胞が発癌物質や素因による遺伝子異常でその性質を変える=変異することから始まる。
ただし生体の免疫系は常にこうした異常な細胞を監視して排除し変異した細胞が増殖しないようにコントロールを行っており、一説には我々の体では日々数百個の変異細胞が生まれているが、これらは全て免疫により排除されこのため多くの人は癌を発症せずに済んでいるのだそうだ。
ところがひとたび何らかの方法でこの免疫の監視システムから逃れることのできる変異細胞が発生すると、その細胞は急速に増殖をはじめる。
増殖は更なる遺伝子変異を誘発し,変異細胞はさらにその変異度を増して正常細胞からかけ離れた性質を獲得するだけでなく,増殖の加速や正常組織との結合性の低下と多臓器への浸潤傾向を示し,ついには癌細胞と呼ばれるに至るのである。
ひとたび癌細胞となれば生体のコントロールを受けることなく増殖・浸潤・転移し,癌細胞の圧迫により正常組織の機能が低下してその宿主が死ぬまで増殖を止めることはない。

ひるがえって人類の歴史を眺めてみると,我々の主としての性質が癌細胞に極めて似通っていることが理解できる。
まず第一に,癌細胞が生体の免疫システムの監視から逃れているのと同様に、人類は地球上に現存する種族のうちで唯一淘汰の圧力から解放され,環境に自らを合わせて進化するのではなく、自らに合わせて環境を変化させることのできる種族である点だ。
人類以外の種族は常に自然界からの淘汰の圧力を受けており、環境に適応できない個体や疾病・奇形などの生存に不利な特性を持って生まれた個体は淘汰を受け生存することができず,その数は一定に保たれる。
ところが人類は自らの欲望に合わせて環境を作り替えることが可能であり、この自然界による淘汰の圧力がほとんど作用しない。
原野を切り開いて都市を建設し,山を切り崩して道路を造り,海を埋め立てて新たな土地を造るだけでなく,疾病を治療するために医療を発明して新生児死亡率を減少させるとともに個々の寿命を延ばし,ついにはあらゆる生命の設計図である遺伝子の解明とそれを用いた遺伝子治療まで行うことが可能となった。
人類は「淘汰」という人類以外の種族が自然界から受けるコントロールを逸脱し増殖する存在なのである。

第二に,人類の人口増加パターンと癌の発症パターンが極めて似通っている点だ。
こちらのグラフを参照していただきたいのだが,人類の人口は紀元前1000年頃までは緩やかな増加だったものが徐々に加速、紀元1000年の後半から幾何級数的な爆発的増加を示していることがよく分かる。
紀元前1000年頃を期に起こった人口の増加は農耕の発明と文明社会の形成時期と一致し、農業革命により人類が自然をコントロールする術の第一である農耕と都市建設を修得した結果だと考えることができる。
しかしそれでも人口増加は緩やかであり,この時点ではまだ人類は自然界の淘汰の圧力から完全に脱しておらず、飢饉や伝染病の流行といった自然界の影響を強く受けていた。
ところが18世紀にイギリスで発生した産業革命の発展と資本主義社会の形成は、あらゆる分野で人類の文明の発達を急激に加速させ様々な技術を生み出した結果,人類は自然界による淘汰の圧力から完全に逸脱して人口の爆発を来したと考えることができる。
この過程は,癌細胞が新たな遺伝子変異を獲得してその性質を変え,急激に増加する様とそっくりなのだ。
そしてこの人口爆発に合わせて地球規模の環境汚染や他種属の絶滅が進行し,現在地球がどのような状況にあるかはみなさんもよくご存じであろう。

人類に発生した最初の変異は,おそらく大脳新皮質の形成を司る遺伝子群におけるものだったと考えられる。
この変異は人類が他種族との生存競争に打ち勝つために有利に働くと共に,二足歩行による手の使用が刺激となって更なる大脳新皮質の増大をもたらし、さらなる変異を増加させていった。
そしてこの人類の遺伝的特異性~異常に巨大化した大脳新皮質を形成する遺伝子群~によって生み出された農業革命と産業革命が、人類を自然のコントロールから逸脱させ,爆発的人口増加と限りのない欲望による環境破壊・他種族の絶滅をもたらしている。
人類は,間違いなく地球の「癌細胞」なのだ。

現在も人類は爆発的な増加を継続しており2050年には100億に迫ると推測されているが、人口の6%でしかない先進諸国が世界の富の59%を所有し欲望にまかせた高エントロピー資本主義文明社会を形成し、ありとあらゆる手段で自然を変化させ,エネルギーを収奪し、他の種族を次々と絶滅に追いやり,あまつさえ生命そのものまで作り変える事を試みている。
その一方で文明社会からとり残された人々は飢餓に苦しみ、宗教と民族を原因とした戦争はなくならず,地球を数回滅亡させることが可能なだけの核兵器を保有するという極めて歪んだ状況を作り上げている。

前述したように,癌細胞は無秩序な増殖と転移により正常細胞を圧迫した挙げ句、宿主とともに滅亡する。
人類も癌細胞と同様,爆発的な増殖と過度に発達した文明により地球を食い荒らした挙げ句,母なる地球と滅亡する運命なのだろう。
その日が自分の子供たちが生きている時代に来ないことを祈るばかりである。

今日の箴言
「癌は致命的」

宗教と民族の対立~人類の業はてしなく~

2005-07-14 06:19:44 | 国際情勢
先日発生し多数の死傷者を出したロンドン同時テロが,国外から入国したテロリストではなくパキスタン系イギリス人により実行された自爆テロであったことが、イギリスとヨーロッパ社会に大きな波紋を広げている。
毎日新聞の社説にもあるように、9・11テロ以降、テロリスト集団として様々な差別に曝されてきたイスラム教の人々に鬱積した不満が、ウサマ・ビン・ラディンらの指揮する「西欧社会に対するジハード」と結合して悲惨なテロリズムに昇華した典型的な例と考えることができる。

イスラム教徒として差別されていたとはいえ,彼等はパキスタン系イギリス人として西洋式の教育を受け、人権意識がある程度浸透した西欧社会に住み,生活環境もそれなりに豊かであったはずである。
たしかに9・11テロ以降、イギリス公安組織による逮捕や監視のような有形の差別に加え,一般市民による嫌がらせやイスラム教冒涜のような無形の差別に日常的に曝されていたのは事実だろうが、それだけが彼等に自爆テロを計画・実行させる理由であったとは思えない。
つまり今回のロンドン同時テロは,日々の食料にも事欠き、古くからの因習と宗教的戒律がすべてを支配して西洋的な人権意識に乏しく、国土と経済が荒廃する一方で富裕層が富と権力を独占する絶望的環境の中東の若者が、イスラム原理主義とテロリズムにしか生きる意義を見いだすことができずに行った自爆テロとは異なるのだ。
西洋社会に住み、中東の最貧国と比べれば格段に豊かな生活を送り、それなりの未来も将来もあったにもかかわらず,彼等はイスラム教にもとづく彼等の正義を実行するために、自らの若い命を50人以上にもおよぶイギリス人と共に爆発によって消し去る道を選択したのである。
彼等が自爆テロにおよんだ背景は今後徐々に解明されていくだろうが,現在の世界情勢を考えるたびに宗教と民族の対立という人類の深く消すことのできない「業」に思いを馳せずにはいられない。

「頭の中お花畑」の左翼系平和主義者が呪文の様に唱える「民族・宗教の和解と共存」という一見すばらしいスローガンは,人類の歴史と現在の世界情勢を見ればいかに虚しい机上の空論であるかが理解できる。
人類の歴史はそのまま民族対立による虐殺と宗教戦争の歴史であるといっても過言ではない。
古くは十字軍によるイスラム教徒の大量虐殺,近代以降では第二次世界大戦におけるユダヤ人迫害や広島・長崎への原爆投下、そして最近の9・11テロとその後のアフガニスタン戦争・イラク戦争と続発するテロリズムは,民族と宗教の融和がほぼ不可能であることを我々にまざまざと見せつけている。
マルクスとレーニンは民族と宗教による対立をなくすにはそれらを消失させることが重要と考え,あらゆる文化と宗教を否定し社会主義による世界の統合を夢見たが、結局は最悪の非民主主義体制である共産主義体制を誕生させ、権力闘争による一億人以上の粛正を招いた挙げ句,強制移住により民族対立がさらに複雑化・激化するという置きみやげを残して失敗した。
こうした民族・宗教による対立の根本的な原因は,人間が進化の過程で獲得してきた本能と、人間の種としての限界にあると思われる。

第一の原因である本能とは、「同族意識」という極めて根本的且つ重要な感情のことである。
万物の霊長であるとはいえ人類も動物の一種であり、その究極の存在意義は「自己DNAの保存」に過ぎない。
この「利己的遺伝子論=全ての生物は遺伝情報であるDNAの単なる容器に過ぎない」とする考え方に関しては後日改めて詳述するが,人類を含め全ての生物は自己のDNAを子孫に保存・拡大するために生きているのだ。
常に存在する淘汰の圧力に屈することなく、自己のDNAを子孫に伝えその数を拡大していくためには、自己と同じDNAを持つ家族や肉親を外敵や異なるDNAを持つ個体から守らなくてはならず、その結果身を以て子供をかばう行動や家族のために犠牲をいとわない行動を生み出すのである。
この行動様式は自己のDNAを持つ個体にだけでなく,類似したDNAを持つ個体にも作用する。
なぜなら類似したDNAを持つ個体はそれだけ血縁関係が濃く、間接的ながら自己のDNAを保存することに寄与するからである。
この現象を現実社会に当てはめれば,自己と同じDNAを持つ個体とは家族であり,類似したDNAを持つ個体とは民族ということになる。
つまり他人や自分と異なる民族を排斥することはあらゆる生命に共通の基本原理であり,この原理に従って淘汰の圧力に屈することなく生存競争に勝ち抜いた個体の子孫が現在生き残っている我々なのだと考えられる。
従って家族や自己の所属する民族に対する「愛情」や「忠誠心」と、他民族に接した際に惹起される「恐怖」「警戒感」「敵対心」は,人類の本能に根ざした自然な感情であり、性欲や食欲と同じく教育や制度で矯正できるものでは決してないのである。

第二の原因である人類の限界とは,人間の理解力には限界があり全てを許容することは不可能である事実だ。
実際の生活の中でも実感できるように,人間の記憶力や理解力にはおのずから限界が存在し、しかもそれらには感情や主観といったバイアスが大きく影響する。
簡単な例を挙げれば,好きなゲームの攻略法はすらすら暗記できるのに、嫌いな勉強はどれだけ努力しても記憶できないといった現象のことだ。
このためインターネットをはじめとする情報技術の急速な進歩により莫大な情報を手に入れることができるものの、人間の理解力には限界が存在するためおのずから取り込める情報量は限られてしまう。
この情報の取捨選択の際に前述した感情や主観といったバイアスが大きく影響することで、自分の感情に適した情報は理解される一方,そうでない情報は遮断され非常に偏った理解や偏見が生み出されるのである。
この現象はその構造上、いかに情報量を多くしてもなくなることはなく、むしろ情報量が多ければ多いほどバイアスの影響が強くなり偏見が増悪されるという特徴がある。
これだけ情報化社会が進歩し、民主主義教育が徹底されても差別や偏見がなくなるどころかより増悪している理由はここにある。
また宗教に関しては,その根本が「検証を許されない教義」であるが故に教義に合う事実のみ理解され他はシャットアウトされてしまう結果,「正義の軍隊と邪悪な悪魔」という単純な構図に落ち込み、虐殺や迫害が横行する結果を生むのだ。
歴史的にも「自己の信仰と正義を信じる最も敬虔な者が最も残虐な殺戮者となり得る」事実は列挙にいとまがなく,いかに人間の理解力に限界があるかを如実に示している。

ヨーロッパ各国は第二時世界大戦の反省と社会主義の影響を受けてあさはかな人権主義に陥り多くの他民族と宗教を受け入れた結果、ドイツを中心に荒れ狂うナチズムの再興と各国の民族主義の台頭により民族対立が激化しただけでなく,サミットのために先進国の首脳が集まっていたロンドンで自爆テロが発生するという前代未聞の悲劇を招いた。
ヨーロッパ各国には多数の差別・抑圧されているイスラム教徒が存在しており,今回の事件を期に高まるであろうイスラム排斥運動はさらに彼等を追いつめ、新たなテロを志向させることは確実である。
切り込み隊長さんも述べておられるが、理想に踊らされ机上の空論に従った結果,ヨーロッパは当初の目標であった融和と協調ではなく分裂と排斥に陥ったのだ。
日本でグローバル化のために移民を受け入れろと主張するエセ社会学者や労働力不足から移民を受け入れろと主張するエセ経済学者は、歴史の教訓をどのように考え、この事態をどのようにとらえ、彼等の主張をどのように言い訳するつもりなのだろうか。

今日の箴言
「水と油は決して混ざらない。民族や宗教も同じである。」

時事ニュースへの一言:071205

2005-07-13 04:35:20 | 時事ニュースへの一言
コクドが自社ビルを売却
バブル期のコクドグループの栄華を知る者としては,当然のこととは言え寂寥を感じざるを得ない。
バブルの清算もいよいよ最終局面だなあ。

「驕れる者も久しからず,ただ春の夜の夢の如し」

ユニクロのトップに柳内会長復帰
業界最年少の社長を更迭して返り咲くとのこと。
ユニクロ神話が崩壊した今,業績を回復させられるとは思えないのだが,,,

「老いては子に従う」

杉田かおる氏、夫を批判
当初から予想されていたことなんだけど。
一度歪んでしまった人格は,マラソンぐらいでは修正不可能でしょう。

「夫婦喧嘩は犬も食わない」

パリがオリンピック誘致に関しロンドンを批判
お約束のブリテンとパリっ子の喧嘩。
オリンピックはもはや商業イベントなのだから,何をやっても勝った者が勝者。

「負け犬の遠吠え」

小泉首相という人物~その歴史的意義~

2005-07-12 06:51:13 | 論文・考察
先日の郵政法案のきわどい衆議院通過は、小泉首相の求心力の低下と政治手法の限界を露呈し一気に政局を流動化させている。
現在の参議院における議論でも,小泉首相と政府は伝家の宝刀である衆議院解散権を楯に反対派を恫喝する一方で参議院での修正を匂わすなど、まさに「飴とムチ」を使ったなりふり構わない戦術でなんとかこの法案を成立させようと必死だが、以前とは異なり党や派閥による議員のコントロールが効かなくなりつつある現在の自民党では、こうした戦術がどこまで効果があるか疑問であり,特に解散がなく特定郵便局組合の影響力の強い参議院では郵政法案の否決は避けられないと思われる。
小泉首相は以前から自分の任期は2006年秋までと公言しており総裁職にこだわりがないことは明白だし、郵政民営化が最大の政治目標であると再三主張していることからも,参議院で否決されれば衆議院解散は確実に実行され,結果自民党は分裂して政権を離脱、彼の公約の目玉であった「自民党をぶっつぶす」という事態が図らずも実現する訳だ。
残り少ない彼が日本の首相である日々に、彼の歴史的役割を再度検討することは今後の日本の政治や将来を考える上で大変重要なことだと思う。

彼の歴史的意義の第一は,「政治は国民によって変化しうる」という当たり前だが日本人の多くが忘れていた事実を国民にまざまざと見せつけたことだ。
失言総理大臣森喜朗の退陣を受けて総裁選候補に三度目の立候補をした時,彼が総裁になることをいったい誰が予想し得ただろうか。
自民党総裁選挙の常態であった派閥力学・政治力/資金力・根回し・院政政治のどの観点から見ても,彼が自民党の総裁に選任される可能性はほぼゼロであった。
野中務氏をはじめとする自民党実力者を名指しで批判し,強力な自民党の後援団体であった特定郵便局の民営化を公言し「自民党をぶっつぶす」と息巻く小泉氏は、自民党内では異端であり当初は「変人」とまで揶揄されていたのだ。
ところが総裁選が近付くにつれ,自民党支持者だけでなく国民を巻き込んだ彼に対する支持と熱狂が自民党を大きくゆるがし,最終的には一般自民党員の圧倒的支持を受けて橋本龍太郎氏をはじめとする他候補に地滑り的勝利を収めて自民党総裁に就任したのである。
もちろん反小泉派の面々が指摘するように、彼のルックスや過激な発言・巧妙な宣伝活動と優秀なブレーンによる情報操作により、バブル崩壊後のデフレ経済と社会システムの劣化に強い閉塞感を抱いていた国民が冷静さを失って熱狂した側面は否めないが,それでも「国民が動けば政治は動く」という民主主義の根本的原理を国民に認識させた功績ははかり知れない。

彼の歴史的意義の第二は,北朝鮮による日本人拉致事件を自らが金正日主席と会談することで白日の下にさらけ出し,一部の拉致被害者とその家族の日本帰国を成功させたことだ。
小泉首相以前の首相や政治家で,北朝鮮の日本人拉致問題解決に真剣に取り組んでいたのは,ほんのわずかな人々に過ぎない。
多くの首相や国会議員は,北朝鮮が日本人を拉致した事実に気が付いていながら,朝鮮総連からの圧力・外務省の親中国派の意向・左翼系マスコミによる糾弾を恐れて見て見ぬ振りを決め込み、家族会の訴えに耳を塞いでいたのである。
正義と平和の党・社民党などは、「北朝鮮拉致疑惑は右翼による捏造である」とまで言い切り家族会の人々を犯罪者呼ばわりまでしていたのだ。
この問題を正面から取り上げることは極めてリスクが高いことは小泉首相は十分に知っていたはずだし,狂った独裁者の王国・北朝鮮を訪問する危険性も十分認識していたはずである。
何せ相手は国際ルールの通じない相手であり,首相の拉致や殺害も可能性がなくはなかったのだ。
しかし小泉首相は金正日氏と直談判せねば解決策が得られないことも良く承知しており,選挙対策や自身の求心力を回復させるための方策であった側面は否定できないとしても,自ら北朝鮮に出向いて北朝鮮に日本人拉致を認めさせ一部の被害者を日本につれて帰ってきた事実は賞賛に値する。
彼は歴代の総理大臣や政治家がなし得なかったことを、身を挺してまで実行したのである。

彼の歴史的意義の第三は,憲法による制約を無視してまで自衛隊をイラクに派遣し,アメリカのイラク戦争を支持したことにより日米同盟を強固にしアメリカの信頼を勝ち得たことで、増大する中国の脅威から日本を防衛する手段を確立したことだ。
「日米同盟の意義~その重要性~」でも述べたが,今後の日本では急速に増大する中国の圧力に如何に対抗するかが国家の存亡を左右する。
朝日新聞や共産党のように史上最悪の非民主主義体制である共産主義体制を受け入れ,数千万人の虐殺を世界革命のためと割り切れるのであれば話は別だが,中華思想をもちアジアの覇権を意図する中国共産党に対していかに国土と日本国民を守るかが、政府と政治家に課せられた最重要項目なのだ。
前述の様に,日本単独で中国の脅威から自国を防衛することは不可能であり,強大な軍事力と巨大な経済力を持つアメリカとの同盟関係を強化・維持することは国際戦略上極めて妥当な判断なのである。
左翼マスコミや左翼政党、果ては政権担当政党を自負する民主党(笑)までもがイラクへの自衛隊派遣に反対したが,国際世論の中で孤立していたアメリカを強力に支持し憲法を曲げてまで自衛隊を派遣したからこそ、アメリカは日本を同盟国とみなし中国の脅威から日本を守る後ろ楯となってくれているのである。
こうした人々は「アジアにおけるバランサー論」などという寝言をほざき,アメリカの政策にことごとく反対して孤立を深める韓国が現在どのような状況にあり今後どうなるのか,しっかり見つめておいた方が良い。

小泉首相の政策や政治手法には同意できない点も多々ある。
彼は日本社会を「共生が第一のムラ社会」から「競争と淘汰を中心とした社会」へ作り替えたし,その過程で多くの弱者が切り捨てられているのも事実である。
終身雇用制や官・民の協力をはじめとする日本の伝統的社会システムは彼の任期中にことごとく崩壊し,その一方で新たなシステムは構築が遅れ,少数の「勝ち組」と多数の「負け組」が生まれその格差は広がる一方だ。

しかし小生は小泉首相を高く評価しているし,歴史的に評価すれば戦後の歴代首相の中でベスト5に確実に入る人物だと思う。
バブル崩壊以降日本は抜本的な社会システムの変革に迫られていたにもかかわらず、それを成し遂げられずに更なる深みに嵌るという悪循環を繰り返していた。
日本的な社会システムはもはや世界では通用せず痛みを伴う改革が必要であり、それを多くの国民や政治家は認識していたにもかかわらず,誰も改革に取り組もうとはしなかった。
不正や犯罪がはびこり日本人の美徳の多くが失われ,汚職が蔓延して政府の権威は失墜し、国家財政は破綻の一歩手前まで悪化していた。
理由は何であれ、誰も取り組もうとしなかった,もしくは取り組めなかった抜本的改革に真正面から立ち向かったのが小泉首相だけだったからである。

小泉首相の改革は未だに路半ばであり,またその内容も官僚や党との妥協のために多くは効果に疑問符が付く不十分なものだ。
しかし彼が総理大臣になったこと,彼が改革を主張して国民の多くが彼を支持したこと、彼の登場によりそれまでの自民党の支配体制が完全に崩壊し新たな政治の動きが生まれたことは歴史的に非常に意義あることだ。
彼は反対派の人々が指摘するように良いものも悪いものも含め多くのものを破壊した。
しかし破壊して初めて改革できるという側面もある。
特に和を重んじる日本人は自らの手で抜本的改革を実行することが極めて困難な民族であり,歴史を見ても明治維新然り、第二次世界大戦後の経済復興然り、抜本的改革は常に外圧によるやむにやまれぬ結果であった。
小泉首相の存在意義は「破壊する」ことそのものであったのだ。
そしておそらく彼ができる最後のことは,衆議院を解散して自民党を崩壊させ,戦後脈々と継続してきた自民党と政府・官僚・経済界の癒着と日本的政治形態を終焉させ、新たな時代に道を開くことであろう。

今日の箴言
「批判は易く,実行は難し」