続・軍務尚書の戯言

国際情勢や医学ニュースに関して日々感じたことを残すブログです。

アメリカ文化雑感~其の十:アメリカ女性と日本女性~

2005-07-19 07:48:28 | アメリカ文化雑感
今回のアメリカ文化雑感は、フェミニスの反発を買うことは十分承知の上であえてアメリカ女性と日本女性の外観について論じてみようと思う。
もちろん女性を含め全ての人間は外見でなく人格で評価されるべきであるし,女性の外見をとやかく論評する事自体が性差別であり女性の商品化を助長していることは十分承知している。
ただし、そうはいっても人間は他人を外見で判断する生き物である事はまぎれもない現実だし,背が低く人並みの容姿しか持ち合わせていない小生も外見による偏見でかなり損をして来ているので,これぐらいの論評は許してもらえるのではないかと思う。

日本人の多くは戦後のアメリカ文化の流入により価値観のアメリカ化が急速に進み,特に女性の外見や美容に関してはその影響が著しいのはみなさんも良くご存じだろう。
女性誌の表紙を飾るのは金髪碧眼で痩身の白人女性モデルか日本人離れした容姿の若い女性であり,若い女性はこぞって彼女達を目標に美白やダイエットに血道を上げ、彼女たちが宣伝するブランドを購入している。
ところが現実にアメリカに住んでみると,日本人女性が憧れるような白人女性は極めて稀もしくはほとんど存在せず,むしろ日本人女性の方が美人が多いことに気が付く。
確かにビバリーヒルズ周辺のナイトクラブやショッピングモールではモデル張りの女性にお目にかかれることはあるがその数は極めて少なく、ほとんどの女性は平均点よりも若干下ぐらいの容姿でしかない。
つまり今までも再三述べてきたが,アメリカと日本の最大の相違点は多様性であり、女性の外観もその例にもれないということなのである。

アメリカの場合,映画スターも真っ青の絶世の美人がごく少数存在する一方で、残りの多くの女性はまるで外観を気にしていないかのような状況で、本当にどうしようもない人々も多数存在する。
こうしたどうしようもない人々に,普通に生活していたのでは絶対に肥満になるアメリカの生活習慣とこれによる動脈硬化の進展、流行に左右されない自由な(いいかげんな)服装が追い打ちをかける。
つまり、アメリカでは常に食生活に気を配り、運動を心掛け、お肌と髪の手入れに余念がなく、最新ファッションに敏感で且つ素質のいい人だけが美人になれるのである。
また日差しが非常に強いロサンゼルスにヨーロッパ北部の寒冷地に適応して進化した白人が住んでいる結果,紫外線の影響で白人女性の肌には非常にシミやそばかすが多く,その肌理も極めて悪い。
若い女性であっても日光に曝される顔や上腕にはシミが多く,肌も乾燥してぼろぼろのしわだらけであり、男である小生の肌の方がいくらかましなぐらいなのだ。
こうした理由も相まって,アメリカ人女性は非常に年をとって見え,日本人の小生の感覚だと実年齢に5歳程度加えた容姿の人がほとんどである。
このため美容整形やしみとり手術が非常に盛んだとも聞く。

一方、日本人女性は日本の教育や生活水準同様、とんでもなくずば抜けた美人が少ない一方で、全ての女性が平均点以上を維持しているといった特徴があり、みんなが流行のファッションやメイクに気を配り,ダイエットやエステへの関心も高く,常に自己の外見をどうすれば魅力的に見えるか知っている。
また世界に有名な日本女性の肌の美しさは健在であり、日本女性がアメリカで実際の年齢よりもかなり若くみられるのにはこうした理由もある。
日本女性は,平均点では圧倒的にアメリカ女性を引き離しているのだ。
日本女性はもっと自分の容姿に自信を持って堂々とアメリカ女性と渡り合って行けば良いと、お節介ながら意見する次第である。

今日の箴言
「日本女性は世界一イイイイ!!」

アメリカ文化雑感~其の九:アメリカ気質~

2005-07-07 07:18:59 | アメリカ文化雑感
アメリカに住んでみると,予想以上にアメリカ人がいわゆる「おおらかな気質」であることを実感する。
世界の常識と比較すれば日本人が異常に精密かつ神経質だとの指摘もあり、一概にどちらが良いとは言えないとは分かっているのだが、やはりアメリカ人のおおらかさ,ハッキリ言うといい加減さに驚かされる。

まずはじめに気が付くのが,住宅などの建築、特に内装関係の粗雑さである。
アメリカ人には「職人気質」という言葉はもはや死語の様で,とにかく間に合わせでいい加減に作ったとしか思えない内装をしょっちゅう見かける。
曲がって壁に作られたコンセントや隙間のあるカーペットだけならまだしも,閉まらないドアや傾いている壁など日本なら欠陥住宅として訴えられるであろう粗雑な作りの家がごろごろあり,しかも住人もあまりそれを気にせずヒンジを付け替えたりして凌いで住んでいる。
見かけが悪いだけならまだ許せるが,時に建物の血管とも言うべき水道管をきっちり施設していなかった為に新築家屋の壁から漏水して部屋が水浸しになることもあるそうだ。

また電化製品や電動おもちゃの不良品率が極めて高い。
購入した電化製品の2台に1台は何らかの故障があるし,電動おもちゃにいたってはまともに動くものの方が少ない印象がある。
ひどかったのはDVDプレーヤーで,高い金額を出して日本とアメリカの両リージョン対応のものを買ったは良いが,一台目は再生ができず、二台目は画像が乱れ、やっと三台目でまともなものにありつくといった状況である。
よく見てみると電化製品やおもちゃの多くは中国・韓国製がほとんどなのだが,日本で購入したこれらの国の商品がここまで壊れた印象はなかったため人に聞いてみたところ,日本向け輸出品は特注仕様なのだそうだ。
またアメリカでは消費者はレシートさえあれば非常に簡単に返品できる特徴があり,このシステムが不良品をなくす努力の足枷になっているとも考えられる。

そのうえロサンゼルスは日本の都市と比較して一般に汚く,おおよそ都市全体が大阪の下町のような感じである。
もちろんビバリーヒルズのように清潔な地域もあるが,多くの地域ではあちこちにファーストフードのゴミやガムが無造作に捨てられており,治安の悪いダウンタウンやウエストLAはゴミ箱に住んでいるのような散らかりようである。
街を歩いている人をよく注意してみてみると、結構な頻度でポイ捨てをしたり,ゴミを放置したりしているのが目に付く。
それなら家の中がきれいなのかと言えばそうでもなく,靴を履いたまま暮らす上に土足で入ったじゅうたんの上に平気で寝転がったりするし,日本人の感覚からは到底理解できない清潔度なのだ。

時間に関しても遅刻が当たり前,むしろ時間どうりや少し早めに行くことは失礼に当たるようで、パーティーなどではSmart Delayといってわざわざ15分程度遅れて行くのが礼儀とされている。
パーティーや待ち合わせであれば15分程度遅れても別に良いのだが,仕事の約束時間であってもSmart Delayやってくるアメリカ人は日本人には理解できないだろう。
また水道や電話の契約で指定された時間になっても全く電話も水道も使えず,カスタマーセンターに連絡すると「翌日になりました」とこともなげに言い放たれた時には再度の真珠湾攻撃を真剣に検討した。

こうしたアメリカ気質の背景には、広大な国土をもち移民で構成された国家であることと同時に,国民の多様性があげられる。
日本人のように国民の能力や意識が均一化しておらず,非常にばらつきのある能力の人々が同居しているアメリカ社会では,全ての事柄を職人気質で完璧にやり遂げることは不可能に近いのだ。
だから社会が崩壊しない最低限でみんなが守れるルールだけをなんとか維持し,後はおおらかに見逃そうという発想なのだろう。
確かにアメリカには日本では考えられないような細かくばかばかしい法律(「プールでバイクに乗ってはならない」「チーズ工場で居眠りをしてはならない」)が多数存在するのだが,これはあまりの価値観の多様性に対応しようとした結果であり,多くは形骸化してしまっている。
このようなアメリカの姿を見て,日本人が世界で最も緻密かつ神経質な国民であることを実感するのである。

今日の箴言
「日本は職人の国」

アメリカ文化雑感~其の八:アメリカ育児事情~

2005-07-03 16:37:34 | アメリカ文化雑感
以前にも述べたとおり、小生には3歳の娘と1歳の息子がいる。
渡米した時期は娘がちょうど友達を非常に欲しがり出した頃で、アメリカの友達が出来るのも悪くないし異文化に触れる絶好の機会だろうと日本の幼稚園に相当するPre-Schooに入学させた。
最初の数日は、幼いながらさすがに言葉が通じないことに驚いたようだったが、持ち前の積極的な性格と幼児特有の柔軟さですぐにクラスにとけ込み、半年がたった現在では毎日元気に登校している。
娘がたくさん友達を作ってくれるおかげで、われわれ両親もアメリカ人の親と知り合いとなる機会が得られたのだが、その中でアメリカと日本の子育ての違いに大変驚かされた。

一番大きな違いは、アメリカの母親は日本の母親の半分程度の労力しか育児に費やさず、ベビーシッターや託児所に子供を預けることをなんら躊躇しない点である。
これは女性の社会進出が著しく、日本と異なり家計も夫婦それぞれが負担しあうアメリカでは、子供が成長してある程度親の手元を離れると直ちに母親は働きに行くため、ベビーシッターや託児所を利用せざるを得ないという側面がある。
また個人主義的で悦楽的なアメリカ文化の中、「子供の奴隷となるのはまっぴら御免」「面倒なことはお金を払って済ませばいい」という母親の考えも強く影響しているようだ。
このため小生の妻のように専業主婦で育児を中心に生活している母親を見ると、「かわいそう」「日本人は女性を抑圧している」と考える向きもあるようだ。
現実に抑圧されているのは夫である小生なのだが。

こうした育児状況の中で、子供たちは働く両親から切り離されて託児所やベビーシッターに預けられ一日の大半を家族以外の人物と過ごす。
家に帰っても、母親は仕事に行っておりもちろん食事の用意はなく、ファーストフードやデリバリーフードを一人で食べて済ます子供も多いそうだ。
ひどい例では家族と暖かい食事をするのは週末だけといった子供もいると聞く。
この傾向は低所得者層よりも、むしろ母親の学歴と就業率が高い中ー高所得者層に多いそうだ。

こうしたアメリカ人の子育てを一概に批判するつもりはないが、日ごろは子供に寂しい思いをさせ、冷たく栄養の偏ったファーストフードを食事として与えておきながらて、祝日や誕生日に「家族は大切さ!!」と常軌を逸したお祝いやパーティーをするアメリカンファミリーに何か矛盾を感じざるを得ない。
こうした機会を捉えて家族の意義や絆を確認しないと,本当の意味で家族が崩壊してしまうという現実の表れなのかもしれないが。

先日の「アメリカ文化雑感~其の七:アメリカアニメ事情~」でも述べたアメリカの子供向けチャンネル「Nicklodeon」に、「Fairly Oddparents」という人気アニメがある。
ごく普通の少年TimmyのもとにCosmoとWandaという妖精がやってきて、彼のいろいろな願いをかなえてくれるという「アメリカ版ドラえもん」的番組なのだが、ここに描かれているTimmyの両親が前述のアメリカ家族のパロディですさまじくひどいのだ。
とにかく自分たちの仕事と娯楽を第一に考えて息子Timmyのことはそっちのけ、監獄のような託児所やベビーシッターのVickeyにまかせっきりにして、家事や食事などの面倒を全く見ないのだ。
しかもこの高校生ベビーシッターであるVickeyがまさに極悪非道で、児童虐待の限り(掃除や皿洗いをさせる、愛蔵の漫画を燃やす、おもちゃを捨てるなど)を尽くしてTimmyをいじめているのだが、両親はTimmyの訴えには耳も貸さず、彼を残してレストランに食事に行ったり旅行に行ったりしまうのである。
アニメに関してはohmyhalさんのブログで紹介されているのでご参照頂きたいのだが,ギャグアニメであるにも関わらず見ていて時々背筋が寒くなる内容である。
勿論これはアニメの中の誇張された物語だが、日本ではとうてい考えられないような悲惨な状況であり、こうした事例~孤独な子供,面倒を見ず自分の生活を優先する両親~がアメリカではアニメのネタになるほど一般的であることを示している。

アメリカ人の独立性と個人主義は幼少期から自立することを学ぶからだとされているが、一方で日本とは比較にならないほどの児童虐待や家庭崩壊が発生している。
いつも欧米を引き合いに出すエセ社会学者の人々は、アメリカの現状を理解する必要があると思う。

今日の箴言
「かわいい子ほど旅をさせよう。ただしそれは放置ではない」

アメリカ文化雑感~其の七:アメリカアニメ事情~

2005-06-29 06:26:40 | アメリカ文化雑感
アメリカはその広大な国土のせいで地上波テレビはあまりなく,あっても極めて画像が悪い地方チャンネルが数個見れるだけで、ほとんどの家庭では有料のケーブルテレビをひいている。
このケーブルテレビのチャンネル数が半端ではなく,最も基本的な契約のものでも100近いチャンネルがあり,それぞれがあるジャンルに特化しているという特徴がある。
分かりやすくいうと,ニュースチャンネル(ABCやFox11)は朝から晩までニュース,ドラマチャンネル(TNTやA&E)は朝から晩までドラマといった具合で,中には料理番組ばかりを扱うFood Channelや動物番組ばかりで構成されるAnimal Planetといったマニアックなものまで存在するのだ。
小生には3歳の娘がいるため、アメリカに転居してからも自宅で主に見るテレビ番組は子供向けのものが中心で、特に子供が大好きなのがアニメを中心とした子供番組を放送するNickelodeonと少し高学年向きのアニメ番組ばかりで構成されたThe Cartoon Channelである。
子供たちと一緒にアメリカのアニメを見ていると,アメリカアニメと日本のアニメの質的な差に驚くとともに,日本のアニメーションが世界中の子供たちと一部の大人たちに熱狂的に指示されている理由がよく理解できる。

アメリカのいわゆるコアなアニメファン(アニメオタクとも言う)の状況に関しては,Moonlight Fantasiaのホームページで非常に詳しく述べておられるのでそちらをご参照頂きたいのだが,アメリカはディズニーによるアニメーション発祥の地であるにもかかわらず一般のアニメのレベルが極めて低く、このため日本のアニメが非常に人気がある。

この原因としては,アメリカと日本における漫画やアニメの認知度の大きな違いがあげられる。
「アルプスの少女ハイジ」や「日曜アニメ劇場」等の質の高いアニメを子供の頃から普通に鑑賞し,ドラマや小説と遜色ない深いテーマや社会性をもった漫画を大人になっても読む日本とは違い、アメリカでは漫画やアニメは「子供のもの」でしかなくそこに芸術性や社会性は全く求められていない。
子供向け玩具やキャンディーと同様に幼児期にだけ接するものであり,従って分かりやすさや子供の注目を集める色彩が強調されるのである。
この結果、アメリカ製のアニメはその多くが単純な絵・原色だけの色彩・コメディイタッチの分かりやすい内容になり、確かに子供は喜ぶのだが、宮崎駿や押井守のアニメを知っている大人には鑑賞に堪えられるものではない。
特に子供が大好きなアメリカの長寿アニメ番組Spongebob Squarepantsなどは、ビキニ湾の海底に住むカイメンの子供Spongebobとその仲間たちのどたばたコメディで,いわゆる「アメリカンジョーク」満載、日本ならPTAが選んだ子供に見せたくない番組10選に必ず選ばれそうな内容である。
また前述したようにデジタル処理やコンピューターグラフィックスを多用する日本のアニメとは違って、ほとんどが単純な構図と原色で構成されているため、分かりやすいが飽きやすいという欠点もあるようだ。

こうしたアメリカアニメの質の低さのため、日本のアニメは非常に人気がありその認知度も極めて高い。
日本でも大人気だった「ポケモン」「ドラゴンボール」「遊戯王」はその関連商品と共にアメリカの小学生を席巻しているだけでなく,日本で最近放映されたばかりの「One Piece」「鋼の錬金術師」「金色のガッシュベル」も現在Cartoon Channelで絶賛放映中,なんと「攻殻機動隊」まで深夜放送しており、全てが高い視聴率を記録している。
またアメリカの番組中で日本のアニメ~特にポケモンとドラゴンボール~を取り上げたりパロったりしていることもしばしばあり,ここからも日本アニメの認知度の高さが伺える。
一番驚いたのは日本でとんと見かけなくなったPuffyがアニメとコラボレーションしてアメリカで大ブレイク中であることで、彼女たちが主人公のアニメ「Hi!Hi! Yumi & Ami」はCartoon Channelの歴代視聴率1位を獲得したのだそうだ。

こうしたアメリカにおける日本のアニメの浸透と関連商品の普及は、アメリカ人の若い世代の中で日本人を「極東島国の黄色人種」から「Coolなアニメと精密機械を作る人々」へ徐々に変容させている。
もちろんアニメを通じてのものであるためかなりの誤解もあるようだが、いずれにせよ世界に誇る日本のアニメにより日本人のイメージが良い方向に変化するのであればこれほど喜ばしいことはないだろう。
外務省が高い金額を出してODAに精を出すより、良質な日本アニメの輸出と普及につとめた方が,日本の文化と日本人の優秀さを世界の人々に知らしめる最良の方法になるのではないかと思うのだが、いかがだろうか。

今日の箴言
「三つ子の魂百までも」

アメリカ文化雑感~其の六:治安問題~

2005-06-28 08:12:14 | アメリカ文化雑感
アメリカ,特にここロサンゼルスは犯罪発生率が非常に高いことが知られている。
犯罪の増加傾向がピークに達した2002年には年間の殺人事件発生数が658件と全米で最悪となり,以後は当局の必死の努力により改善傾向にあるものの、多くの人々が犯罪の犠牲となっていることに変わりはない。
なにせここ2か月の間に9件のHighway Shooting(高速道路で走行中に発砲されること)が発生して死者が4名に達し,これでも毎年と比べれば少ないのである。

小生の家族はロサンゼルスの中でも最も治安の良い地区の一つ,UCLAのふもとにあるWestwoodと呼ばれる地域に住んでいる。
ここはロサンゼルスでも珍しく夜間でも歩いて外出できる地域なのだが、逆に言えば他の地域は夜間は歩いて外出できないということなのだ。
特にアフリカ系アメリカ人の多く住むロサンゼルス市中心部,DowntownからSouth Centralと呼ばれる地区はまさにギャング映画に出てくる光景そのもので,崩壊しかかったような古いビルディングと落書きだらけのシャッターがおろされた商店が軒を並べ,昼間でも歩くのはおろか自動車で通るのすら恐怖を感じるゴーストタウンとなっている。
また治安の良い地区であっても犯罪者の流入は防ぐことができず,週に1度は警察のヘリコプターとパトカーが犯罪者を追跡するため派手なカーチェイスを演じているし,ホームレスがアパートの裏口で眠っていることもしばしばある。
日本の犯罪率の増加が叫ばれる昨今だが,アメリカに住んでみるといかに日本が安全で日本警察が優秀か,実感せずにはいられない。

こうした高い犯罪率の背景には,極端な所得格差・人種間の軋轢・銃社会等があげられるが、それにもまして実感するのは,アメリカ人の倫理観の低さである。
アメリカンドリームがもてはやされ,それぞれが成功のために激しく競争を繰り広げているアメリカ社会では,とにかく「勝ったもの勝ち」であり、勝利へのプロセスがほとんど評価されない特徴がある。
日本人の様な「卑怯な手を使って得た勝利に意味はない」「結果ではなく,正直にこつこつと努力することが大切だ」といった倫理観は、アメリカ人の心の平原を地平線まで探しても見つけることはできない。
とにかくどんな汚い手を使っても勝利をつかむことが大切であり,成功すれば汚い手段が正当化される風潮すらあるのである。

よく日本とアメリカを比較して「日本人には宗教的倫理観が乏しいため不正がおこるが,アメリカ人はそうではない」などという評論家の寝言を耳にするが,実際のアメリカ人を知ってから発言していただきたい。
彼等の心の中に「なんじ盗む事なかれ」「上着を盗むものあらば下着まで与えよ」と教えたイエス・キリストの精神は日曜日の午前中しか存在していないのは明白である。
こうした倫理観の欠如は小生の医学研究分野でも日常茶飯事で,他人の研究アイデアの窃盗や研究結果の流用、果ては教授の論文盗用まで日本では考えられないような事態が毎日の様に耳に入ってくる。
こうした人々の低い倫理観が多発する犯罪の背景にあることは間違いない。

彼等はとにかく成功するためにばれなければ何をしても良いと考えており,それが強盗や窃盗の大きな背景になっている。
このためアメリカでは住宅の空き巣や窃盗よりも行きずりの人を狙った強盗の発生件数が極めて高い。
これは空き巣や窃盗には技術が要る上証拠が残りやすいが,行きずりの人を狙った強盗では犯人を特定しにくく検挙されにくいという事情があるのだそうだ。
もちろん,アメリカ人の多くは法を守り他人種に寛容で底抜けに明るい健全な市民だが,それでもとにかくみんな「楽をして他人のものを奪いたい」という社会であることは間違いないであろう。

かく言う小生も,たまたま出かけた少し治安の良くないスーパーでさらわれかけるという希有な経験をした。
子供や妻には気を配っていたが,まさか自分が狙われるとは思っておらず,ついつい油断したのがいけなかったようだ。
アメリカの犯罪に詳しい知人によると,こうした事例の場合はほとんどがレイプか臓器売買が目的で,さらわれれば100%生きては帰ってこられないとのこと。
幸い抵抗してことなきを得たが,一般人が安心して買い物もできないような社会が先進国と呼べるのかどうか疑問をもたざるを得ないのである。

今日の箴言
「アメリカはやっぱり侵略者の国」

アメリカ文化雑感~其の五:食文化~

2005-06-23 04:57:46 | アメリカ文化雑感
アメリカに暮らして実感するのは,日本との食文化の大きな違いである。
日本人の食生活が近年西洋化していると声高に叫ばれるが,実際にアメリカの食文化に直接触れると、西洋化と言っても本家アメリカの足下にも及ばないことがわかるし、自分が日本人であり日本食をどれだけ愛していたかが実感できる。

まず彼等は骨の髄から「肉食人種」である。
牛肉,鶏肉,その他諸々の肉をとにかく毎食大量に食べるし、どうやら肉を食わないと食事をした気にならないらしい。
彼等にとって日本でお馴染みの「コロッケ定食」は、「フライしたポテトにご飯とサラダ」と認識され、我々が食事にサラダだけを食べる状況と等しく感じるのである。
小生のラボにはボスの希望で日本人コックによるまかないが付いているのだが,一度コロッケ定食が昼食だった時,アメリカ人の多くが「こんな野菜ばかりの食事では仕事ができない。」とハンバーグを買いに行ったのには,食文化の違いを実感させられた。
ただし、肉大好きなアメリカ人だが,その調理法は日本人から見るとお世辞にも豊かとは言えず,基本の塩胡椒に加えアメリカ謹製のこってりバーベキューソースと日本から輸入され大ブームの甘辛いテリヤキがあるぐらいで、ほとんど同じ味である。
また日本とは異なって「柔らかさ」よりも「歯ごたえと肉汁」を好む結果,日本人の感覚からいくと堅くて冷めるとまずい肉がおいしいとされているようだ。
また彼等は魚をほとんど食べず,結果スーパーの魚売り場には鮭と白身魚の切り身ぐらいしかおいていない。
しかも鮮度はかなり疑わしく,調理済みのものにいたっては,日本人が口にしたとたん料理を地面に叩き付けたくなるようなものばかりである。

次に感じるのは,単純な味のものを大量に摂取する傾向だ。
アメリカの食事はとにかく何でも量が多いのが特徴であり,日本でお馴染みのマクドナルドやケンタッキーフライドチキンも約1.5倍の分量がある。
ケンタッキーフライドチキンのマッシュポテトにいたっては,皿の上に小山を形成するほどの量で最後まで食べきるのは通常の日本人であればまず不可能だ。
そしてお味の方は非常に単純でいわゆるダシのようなコクや深みが全くなく,「塩からい」「甘い」「辛い」に分類され,しかもそれぞれが極端に濃いのである。
特にひどいのがケーキなどの「甘い」味で,一般にショートケーキは頭痛がするほどに甘く、一口食べても何のケーキであるかすら分からないほどだ。
こうした極端な味覚の食事をダイエットコーラと共に胃に豪快に流し込むのがアメリカ流といっても過言ではない。
彼等がちまちまと出てくる日本の懐石料理を食べてもちっとも満足できないのは現地の食生活を知ると十分に理解できるのである。

ただこうした食事を続ける結果,アメリカの肥満率は年々上昇し、特にここカリフォルニアは人口の30%以上が肥満でアメリカで最も肥満人口の多い州という不名誉な称号を得ている。
確かに街を歩くと十両クラスは当たり前で小錦クラスの人もちょくちょく見かけるし、日本と比較して「太っている人」の定義が全く違うのである。
こうしたことから積極的にダイエットを進める広告や、肥満の大きな原因とされるファーストフード摂取の減少を呼びかけるキャンペーンが行われているが,あまり効果はないようだ。
多くの人はフードコートで特大サイズのピザを丸ごと食べながらダイエットコーラを飲むという,日本人が見ると思わず突っ込みを入れたくなるような食生活を続けている。

小生は日本にいた時は仕事柄マクドナルドなどのファーストフードをよく利用していたのだが,こちらに来てとんと食べなくなってしまった。
貧乏留学のせいもあるのだが,食事はもっぱら妻の作ってくれる和食,しかも日本ではほとんど食べなかったような焼き魚や野菜の煮物が中心になっており、日々食文化の違いを実感する毎日なのである。

今日の箴言
「ロサンゼルスでおいしいものが食べたければ,日本料理店に行くべきである」

アメリカ文化雑感~其の四:女性の運転~

2005-06-17 08:21:44 | アメリカ文化雑感
アメリカはロサンゼルスに住んで実感するのは,アメリカ社会が自動車なくしては成立し得ないほどの自動車社会であることだ。
東部のニューヨークなどではそうでもないようだが,砂漠の真ん中に人工的に作られたここロサンゼルスは,関東平野に匹敵する広大な都市圏と公共交通サービスの不足もあって,自動車なしでは生活できない状態にある。

そのためほとんどの家庭で一人一台自動車を所有し運転することが常識なのだが,ここで問題となるのは運転技術とマナー,特に女性のそれがきわめて悪い点である。

断っておくが小生は女性差別主義者ではないし、我が家は妻による絶対帝政状態(涙)であることからも、女性が男性より劣っているとは考えていない。
だからそこの田嶋先生もキイキイ言わずに黙って読んでほしい。

小生は経済的事情もあって自転車通勤をしているのだが,青の横断歩道や歩道ではねられそうになったことは一度や二度ではすまない。
そしてそのすべてが大型SUVを運転しながら携帯電話をかけている金髪女性であった。
自動車を運転している時も,たいがい無理な割り込みや横断・赤信号の交差点への侵入・無茶な駐車をするのは同じく大型SUVを運転しながら携帯電話をかけている金髪女性なのである。
どう考えても,「金髪女性の運転は荒い」との結論に達せざるを得ない。それでは,なぜ彼女たちの運転は危険なのだろうか?

1. 女性ホルモンの影響
金髪の女性はそうでない女性と比較して女性ホルモンの基礎分泌量が高いことが知られている。これは、金髪女性が年を取って閉経を迎えると金髪が色あせてくることからも理解できる。女性ホルモンには空間認識能力を低下させる作用があることが分かっており,金髪女性は空間認識がうまくいかず、そのうえ死角の多い大型SUVに乗ることでさらにこの傾向が強まり,運転が危険になる。

2. レディーファースト文化
アメリカは表向きレディーファーストの国であり,特に金髪女性は支配階級の白人層に属するため幼少期からレディーファーストが当たり前になっている。このため運転が自己中心的になり,無理な割り込みや路上駐車をする傾向が強くなる。
また大型SUVを乗り回す女性の多くは収入の多いキャリアウーマンであり,積極的な性格がさらに乱暴な運転に拍車をかける。

3. 携帯電話好き
アメリカの女性は日本人以上に携帯電話が大好きで,四六時中携帯電話で話していることが多い。運転中に携帯電話をかけることはアメリカの法律でも違法だが,そんな法律はどこ吹く風でみんな携帯電話をかけまくっており、この傾向は特に女性に強い。
携帯電話をかけながらの運転が注意力を低下させ,巻き込み事故や追突事故を起こしやすくするのは周知の事実である。

4. 簡単な運転免許試験
アメリカの運転免許取得方はきわめて簡単で,教習所に通う必要がない。
筆記試験に合格すれば次はいきなり路上運転試験で,しかも交通量の少ない公道で実施される。S字カーブやシケインといったコースもなく,非常に簡単なのだ。
このため十分な運転技術を修得せずに免許を取得して運転している人が多数存在し、全般的な運転技術や運転マナーが日本と比較して低い。

今日の箴言
「SUVに乗った金髪白人女性には気をつけろ!」

アメリカ社会雑感~其の三:ゴミ大国アメリカ~

2005-06-07 05:41:19 | アメリカ文化雑感
日本からアメリカ・ロサンゼルスに移住した時、一番驚いたのがゴミの分別がないという事実である。
プラスチック、カン,生ゴミ,果ては使い古したフライパンから割れた食器まで,すべて一緒くたにしてゴミ袋に放り込み,所定のゴミ箱に捨てれば廃棄は完了だ。

先進国アメリカのこと,強力なゴミ焼却炉や分別システムを開発しているのだろうと思っていたら,その処理方法を聞いて再度驚かされた。
なんと全てのゴミは埋め立て処理されているのだそうである。
まさに「未来少年コナン」に登場するゴミの島を、世界各国が環境保護に必死になって取り組んでいる21世紀になっても作り続けている状態なのだ。

生活してみても,アメリカがゴミ問題に関しては非常に後進国であることを多々実感する。
まず感じるのが,資本主義陣営の盟主だったアメリカらしく,「大量消費文化」にどっぷり使っている点である。
最近日本ではやりの「もったいない」と言う概念は、アメリカ人の心の中を地平線まで捜索してもひとかけらも存在しない。
基本的に食器や家具などの生活消費材が日本と比較して格段に安いせいもあり,彼等はとにかく何でもバンバン購入してバンバン捨てる。
スーパーで買い物をしているおばさんのカートは,日本の2倍の容積があるにも関わらず商品で溢れかえっており、他人であっても「こんなに買ってどうするんや!!」と突っ込みを入れたくなるほどである。
最近はさらにこの傾向に拍車がかかり,「長もちする高級品」を専門に扱う百貨店の多くが経営不振に陥り合併を繰り返すほどなのだ。
そのうえ「大きいことは良いこと」「多いことは良いこと」という分かりやすいアメリカ人気質もあって、何に関してもきわめて無駄が多い。
こうした消費者の傾向にさらに拍車をかけるのが、消費者心理につけ込んだ販売方法である。
こちらでは、「2つ買えば一個はタダ」「3つ買えばもう一つおまけ」と言う販売方法が一般的で,ひどい場合は賞味期限が1週間のミルクを「15本買えば1個分の値段!!」というとんでもない方法で販売している。
これは問屋への返品が効かないアメリカの流通制度にも原因があるのだが,結果消費者は不必要なものを大量に購入し,それらがゴミとなって廃棄される運命をたどるわけである。

また女性の社会進出が著しい結果、家事の負担を減らすために使い捨ての食器が一般化しており,これがまた大量のゴミをもたらす。
クリスマスシーズンなど,各家庭の前にはパーティーで使用された使い捨ての紙皿やコップと残飯が詰め込まれたゴミ袋がうずたかく積み上げられており,これが全て処理されないまま埋め立てられるのかと思うと,ゾッとしたものだ。

アメリカは環境問題に関して非常に消極的な取り組みしかしていないが,ゴミ問題は其の最たるものであり,後進国なみのシステムしか持っていない。
ゴミの山をせっせと作りながら、「クジラを保護しろ」と日本に圧力をかけるアメリカに矛盾を感じざるを得ない。

今日の箴言
「アメリカは未来におけるゴミの大陸」

アメリカ社会雑感~其の二:崩壊する高級住宅~

2005-06-03 06:01:54 | アメリカ文化雑感
小生の住むwest LAから自動車で1時間程度の風光明美な住宅地ラグナビーチで,土砂崩れにより高級住宅が次々と崩壊しているとのこと。

日本ではあまり知られていないが,ここロサンゼルスはもともと砂漠に近い乾燥した土地を人工的に植樹して作り上げた都市である。
年間降水量は390mmであり、日本の1718mmのほぼ5分の一程度しかなく、乾期である夏には雨がまったく降らない月もあるほどだ。
詳しくはここを参照してもらえば分かるが,ようするにサバンナの中にできた都市であり,雨が極端に少ないのである。
したがって、こちらの都市は日本と異なり「雨対策」と言うものがほとんどなされていない。
まず目に付くのが,道路の排水溝と雨水を流すための排水設計がなされていないと言う点である。日本の道路には側溝と水を流すための傾斜が設定してあり,雨が降っても水は自然と下水に流れ込み排水されるようになっているが,こちらはそうではない。したがって雨が降ったり,道路に散水したりした後はそこかしこに水たまりができることになる。
次に住宅の耐水性の低さである。どうやら屋根にすらそうした排水設計と言う概念が乏しく,水が溜まるくぼみや溝が多数存在するのだ。少量の雨なら溝に溜まってもすぐ乾くのだろうが,長雨だとそう言う訳にも行かない。またおおらかなアメリカ人気質,気密性や耐水性にも乏しい屋根なので,非常に雨漏りがしやすいと言うことになる。
最後に雨を考慮しない住宅建設である。こちらの山は日本と異なり内部に核となる岩石を持たないいわゆる砂丘のようなものであり,きわめて不安定なのだが,そうした山の頂上にみんな競って住宅を建設している。これは「山の上の方が眺めが良い」というきわめてアメリカ的な発想の産物であり,日本では考えられないような切り立った崖の頂上にプール付きの高級住宅が多数建設されている。

日本の常識を超えたこうした住宅事情でも今までは万事オッケーだったのだが,今年は事情が異なった。
昨年12月から記録的な大雨に見舞われ,2月末まで日本の梅雨なみにほぼ毎日雨が降り続き,時には嵐となる日もあった。実に観測史上2番目の降水量を記録するほぼ130年ぶりの大雨が、雨対策が全くなされていないロサンゼルスを襲ったのである。
これにより道路はあちこちで冠水・陥没するだけでなく洪水による道路や空港の崩壊が発生し、都市機能に大きな影響を与えた。
また住宅は軒並み雨漏りしてしまい、修理業者はフル操業でも仕事が追い付かなかったそうだ。かく言う小生も自宅と研究所がともにひどい雨漏りを起こし,引っ越しを余儀なくされた。
そして最も被害が甚大だったのが,前述した高台の高級住宅地であった。
核となる岩石を持たない山は連日の雨で完全に緩み,住宅の重みに耐えられなくなって次々と地滑りを起こしたのである。高級住宅に必須のアイテムであるプールからの漏水がさらに事態を悪化させ、映画に出てくるような高級住宅が次々と崩落して行ったのだ。
被害は風光明美な海沿いの高級住宅地マリブやビバリーヒルズに近いウエストハリウッドで特に激しく,目の前で数億円をかけて建設した自宅が崩壊する様を見なくてはならなかった住民の嘆きはいかほどであるか、察するに余りある。
今回の土砂崩れも,今年初旬の雨で緩んでいた地盤がここ数日の雨で崩壊したのが原因のようだ。

ただし今年の大雨の原因は地球温暖化にあるとする意見が多く,そうであればアメリカは自業自得と言うことになる。
今回の大雨は,地球温暖化に対する取り組みに積極的でなく自動車をガンガン乗り回し大量消費社会を続け、京都議定書にも批准を拒み続けるアメリカに,自然が鳴らした継承とも言えるのではないだろうか。

今日の箴言
「家は安全な場所に建てましょう」

アメリカ社会雑感~其の一:多民族国家アメリカの現実~

2005-05-31 15:57:36 | アメリカ文化雑感
アメリカは紛れもなく世界最大の多民族国家である。
国家の成り立ち自体が、ヨーロッパで食い詰めた移民の国であり、その後の奴隷貿易によるアフリカ系アメリカ人の流入、第一次世界大戦以後のアジアや隣国メキシコを中心とした移民の持続的流入がそのままアメリカの歴史を形成しているといっても過言ではない。

小生の住むカリフォルニア州は「フロンティアの終着駅」であったことからその傾向が特に強く、統計では白人約60%に対してヒスパニック系30%、アジア系10%、アフリカ系約7%となっており、実際の生活でも本当にいろんな人種に接する機会が多い。
自分自身がアメリカに住んでみて感じるのは、やはりその門戸の広さである。
同時多発テロ以降、移民や小生のような一時居住者に対する制限が強化されたとはいえ、行政手続きは日本と比較して非常に簡単であり、「こんなんでいいのかなあ」と本人が思うぐらいである。
また日常生活でも表面的には多くのアメリカ人は非常に親切かつ友好的で、極東アジアの島国から来た黄色人種を気軽に自宅に招いたり、パーティーに招待したりしてくれる。
もちろん、小生がアメリカ51番目の州日本から来ているからと言う側面もあるだろうが、そうだとしても日本人と比較するとアメリカ人の移民や在米外国人に対する寛容さは驚くべきものがある。
こうした形で移民を受け入れ、それを国家を支える国民としてうまく活用することで、アメリカは20世紀初旬以降世界の大国たり得たのだとしみじみ実感するわけだ。

ただし、先ほど「表面的」と書いたのには訳がある。
人種・文化・宗教の異なる集団がともに社会を形成する場合、残念ながら集団間の摩擦や軋轢は完全になくすことは出来ない。
これはいかに教育や法律を徹底してもなくなることのない人間の「性」であり、人種の坩堝アメリカもその例外ではない。
差別を教育により消失させ得ると信じるのは「頭の中お花畑」の理想論者のやることだ。
この理想論者に騙されて西ヨーロッパ各国は大量の移民を受け入れた結果、現在は民族主義と異民族排斥運動の荒れ狂うネオナチの格好の土壌となっている。
多数の人種によって構成される移民の国アメリカでさえ、人種差別の撤廃を行政として決定したのは高々40年前であり、現実には人種差別は存在し続けている。

その代表的なものが「人種の住み分け」である。

ロサンゼルスでは人種による明らかな住み分けがなされており、これにより人種間の軋轢を回避するシステムが出来上がっているのである。
例を挙げれば、いわゆるダウンタウンとその周辺はアフリカ系アメリカ人の牙城である一方、ビバリーヒルズを中心とした郊外の高級住宅地はまさに「金髪碧眼」白人のメッカ、小生の住むウエストロサンゼルスはアジア系と白人がほぼ半々といった具合で、各人種が社会的・行政的に完全に分離された状況になっている。
この居住地の人種的偏りは行政や法律で強制されたものではないものの、生活環境・教育・治安・家賃によりそれ以上の影響力を持っており、暗黙のうちに固定化されているのだ。
具体的にいえば、アジア人の小生はいくらお金があってもビバリーヒルズに住むのは難しい。なぜなら文化的相違による近隣住民とのトラブルを解決するのが困難なばかりではなく、有色人種であるがゆえに子供の幼稚園や自治会など社会的にも受け入れてもらえないからである。
一方、麻薬と銃犯罪が横行し毎晩警察のヘリコプターが上空を飛び交うダウンタウンに住むことも普通の日本人にとっては困難であり、おのずから住む地区は限られてくるといった具合になる。

多民族国家アメリカでさえ、表向きの差別撤廃とはうらはらにアメリカらしくない「暗黙の了解」を使って民族間の対立と摩擦を何とか避けようと必死なのである。
近年肉体労働をはじめとする単純労働力の不足から日本でも移民を受け入れるべきだとの、妄言が経済界を中心に上がっているようだが、言語・文化・宗教を共有するほぼ単一民族から形成される日本が移民をうまく受け入れることは到底不可能であり、それこそ民族主義を助長し差別を激化させるだけだ。
左翼や経済界の机上の空論に惑わされることなく、アメリカの現実を直視し、民族間に真の平和はありえないことを理解しなくてはならない。

今日の箴言
「水と油は決して混ざることはない」