続・軍務尚書の戯言

国際情勢や医学ニュースに関して日々感じたことを残すブログです。

医師の序列~名誉とお金~

2005-06-18 07:30:05 | 医学ニュース
大阪の形成外科病院で性転換手術を実施した男性が急変し死亡したとのこと。
医学界に身を置いてその内情を知っていると,こうした形成外科病院での医療事故はおこって当たり前だし、公表されるのは氷山の一角だと思う。
なぜなら、非常に失礼ながらこうした形成外科医のほとんどが高い収入とは裏腹に医学界においては日陰者に属する人々であり,医学知識や医療技術に関しては疑問符が着かざるを得ないからだ。

先日も激変する医療界~医療改革の行方~で述べたのだが,医学会には医局支配や年功序列以外に一般の人にはあまり知られていない独特の序列が存在する。
それが研究・清貧尊重主義とも言える序列である。

一般の職業では,その人の能力や業績は会社での肩書きと年収によって表される場合がほとんどであり,努力してより高い役職に就任しより多い収入を得ることが理想であり目的であることは疑う余地がない。
ところが医者の序列の場合はそうではないのである。
大病院を経営し長者番付けに掲載されるような収入をたたき出す開業医よりも,研究室で開業医の十分の一の収入に甘んじながら立派な研究成果を出す大学勤務医の方が序列は高くなり多くの尊敬を受ける傾向があるのだ。
これは医者になりたての研修医においても20%程度が開業を希望しているに過ぎず、その多くが大学勤務医としてのキャリアを積むことを希望して理不尽な医局制度の支配に甘んじている現状からも理解できる。
こうした「開業軽視・研究重視」の原因は,以下に大別される。

1. 医局制度の影響
医学界を支配する医局制度はその名の通り大学の医局を核にしており,大学での序列がすなわち医師の序列となる。
医科大学は研究・教育・臨床を主眼におくことから当然ながらどの分野でも評価されて呵るべきなのだが,臨床や教育の評価というのは一般的に困難なのが実情だ。
外科系の各科では手術成績が一つの目安となるのだが,グループ医療が当然の現在では個人の技量に加えチームの協力や術後管理も重要な要素になってくるし,内科系では「臨床に良い医師/悪い医師」を客観的に判断するのはきわめて困難なのである。
そのため、どうしても目に見える形で発表され、論文として点数化される研究が重視される傾向が強くなるとともに、大学病院の低い収入に甘んじて研究を継続していることが美徳とされるようになる。
また大きな研究業績を上げ医学界で認められることは,医師の名誉欲を満たすのに十分だ。
ドラマ「白い巨塔」でも主人公財前五郎をあらゆる手段を使って教授にしようとする義理の父・財前又一のセリフにもあったように,
「金はなんぼでも作れるが,名誉だけはどうにもならん。名誉があれば金と権力は自然とついてくる。人間の究極の欲望は名誉欲や」
と言うことであろうか。

2. 「医は仁術」とする考え方
医師のモラルの低下が叫ばれる現在,こうした考え方に批判はあるかもしれないが,医師の行動規範に大きく影響を与えていると考える。
一般の人々が考える以上に,医師の職業は理不尽で過酷なものなのだ。
そうした中で、収入や名誉だけではないヒューマニズムがあるからこそ多くの医師は医業を続けることができるのである。
これは今でも手塚治虫氏の「ブラックジャック」に感化されて外科医になるものが後を絶たないことや、最近ドラマ化された漫画「ブラックジャックによろしく」が医者のあいだで非常に人気があることからも理解できる。
多くの医者は日々の業務の中で忘れがちになりながらも,表面的には法外な治療費を請求する悪徳医師だが,本当はヒューマニズムに溢れ奇跡的な手術で貧しい患者を治療するブラックジャックに憧れているのである。

3. 開業医になる経緯
当初から開業を志向していた場合は別として,多くの場合医師にとって開業は「医局における権力闘争での敗北」もしくは「第一線医療からの引退」を意味する。
日本は国民皆保険制度と言うきわめて特殊な制度を持つことから、海外では考えられないような高度先進医療を地方の病院で実施できる特徴がある。
従って医局人事で関連病院の勤務医を続けている間は,労働条件は悪いが先進医療に携わることが可能なのだ。
ところが開業すれば昨今の厳しい医療情勢から高額な医療機器を納入することはできず,いわゆる「町医者」的な状態となり,こうした先進的治療から遠ざかることになる。
このため前述した通り,医師が開業を決断するのは医局での出世が望めなくなった場合、もしくは昼も夜もなくストレスの多い長年の勤務医生活で燃え尽きてしまい子供の教育費と家のローンのために開業するといったケースが多いのが実情なのだ。

こうした理由から医師の序列は、
教授
助教授
大学職員である医局員
関連病院院長や部長
一般勤務医
一般開業医
大学院生
研修医
というかたちとなり,独特の序列制度が形成されることになるのである。

今日の箴言
「私は私の研究で,数千人の命を救っているのだよ」(第二外科藤井教授「ブラックジャックによろしく」より)

激変する医療界~医療改革の行方~

2005-05-27 02:39:24 | 医学ニュース
ようやく最近になって研修医制度の義務化とその弊害をマスコミが報じるようになったが,現在日本の医療情勢は戦後最大の変革期を迎えている。
すなわち、研修医の義務化に伴う医局制度の崩壊である。

一般の読者は医局制度と言われても理解が困難だと思うので,まず「医局」と言う医学界独特の制度から説明させていただく。
「医局」とは大学医学部に存在する医師が所属する暴力団の組と同じ性格の組織のことである。
大学病院に行くと,看板に「循環器学教室」や「第1外科」等と書かれているのを目にすると思うが,これが「~組」に相当する医局の名前だ。
医局には唯一絶対の教授を頂点とし,研修医を底辺とする完全なピラミッド形権力構造が確立されている。
そこには大学病院の医師だけでなく、関連病院と呼ばれる教授の人事権がおよぶ病院に所属する医師,医局で研修後開業した医師まで所属しており、都市部大学病院の勢力の強い内科医局などでは医局員が数百人におよぶ場合もある。
医学部を卒業し国家試験に合格した新米医師のほとんどは、まず自分が所属する医局を選択しなくてはならない。なぜなら国家試験を合格しただけでは何の役にも立たず,大学病院で研修医として数年働かなくては医師として独り立ちできないからである。
この時点で「内科」「外科」「産婦人科」等の専門を選ぶこととなり,その医師の一生はほぼ確定する。なぜ確定するかと言えば,ひとたび医局に所属した以上は暴力団と同じく、上司に反抗したり医局を脱退するのはきわめて困難だからである。
絶対権力者である教授は医局員の人事権から医局費の裁量権、大学院生の学位裁定権まで全てを一手に握り,しかもその職は定年まで保証され,まさにプチ皇帝といったところであり、教授の意向に逆らうことはすなわち「僻地病院への転勤」であり「研究の中断と学位の放棄」であるからだ。
こうして先日高視聴率をたたき出した「白い巨塔」のような閉鎖的・前時代的な医局が完成するわけであり、ドラマで描かれた医局やその人間関係は決して誇張されたものではない。

近年の医療事故の表面化(実際の医療事故数は変化していないが,表に出るようになった)や、相次ぐ情報隠蔽と教授による贈収賄事件の多発で社会の医学界に対する不信感と批判が噴出したことを受けて,医局制度にあぐらをかいて言うことを聞かない教授たちを以前から問題視していた厚生労働省は,ついに医療制度の抜本的改変に乗り出した。
それが研修医の義務化である。
これは今まで大学病院の臨時職員でしかなかった研修医を国家公務員として義務化し各病院の受け入れ数を制限した上で、研修医期間中には専門を選択させず複数の科をまわらせ(これをローテートと言う)、医局による医師の囲い込みと医師人事のコントロールを廃止しようとしたものだ。
これにより若い医師を確保できなくなった医局は、人事権によりコントロールしてきた関連病院を手放さざるを得なくなり,結果大学病院に集中していた権力や資金が停止し,医局制が崩壊するとふんだ訳である。
確かにこの政策は医局による関連病院支配と教授の権力を弱め,医療界を変革するには役立った。しかしものすごい弊害が表面化するのはこれからである。

第一に,ニュースにも取り上げられているように,これから都市部と地方~僻地の医師数ならびに医療レベルの差が急速に拡大し、多くの地方病院が医師不足により閉鎖される一方,都市部では医師過剰による弊害が表面化するだろう。
医局制度はもともと医師を確保できない地方病院が中央の大学病院に医師の派遣を依頼する見返りに便宜を図ることから始まったものだ。この制度の下で多くの医師が「教授の一声」で泣く泣く地方の病院へ赴任した一方,地方はある一定水準の技術を持った医師を常に確保できるメリットがあった。
厚生労働省は医師数が少ない地方病院では給与が上昇し医師の確保がはかれると踏んでいるようだが,どっこいそうは問屋が卸さない。
このあたりは医師でないと理解できないかもしれないが、多くの医師は仕事に「経済的見返り」よりも「やりがいや自尊心の充足」を求めるからである。これはものすごい年収をたたき出す開業医が、医師の序列の中では低く扱われることからも分かる。

第二に,個々の医師の技術レベルが著しく低下する可能性が高い。
これは医療技術の多くが経験により修得される職人的技能に属するからであり、経験するためには常に医療事故のリスクを負わなくてはならないからである。
医局制度の元では全ての研修医は先輩医師から指導を受け,いわゆる徒弟関係を形成する。危険の伴う手技や技術が必要な手技は指導医の元で実施するわけだが、指導医としても自分の患者に医療事故のリスクがある手技は本来研修医にさせたくない。自分でやった方が数百倍も早いし安全なのだ。
それでもあえて研修医を指導し手技をやらせるのは,彼が同じ医局に所属する自分の後輩であり、自分も研修医の時に先輩の指導で成長した経験があるからなのだ。
ところが研修医の義務化によりローテートになると,研修医は数カ月で他科に移ってしまうし、しかも自分の後輩になるとは限らない。
研修医も自分が希望している以外の科では手技や診療に熱心ではない。
こうなると誰があえて患者の危険や自分が責任を追及されるリスクを冒してまで,研修医に手技を教え実施させるだろうか。

第三に、医師の倫理レベルが著しく低下する恐れがある。
昔語りになってしまうが、小生が研修医だった時代は先輩医師に怒鳴られながら必死に診療に当たっていた。
患者の状態が悪化して指導医が病院に泊まり込めば研修医である自分ももちろん泊まり込み、労働時間が週100時間を超えることも日常茶飯事だった。
そうした中で患者と家族の思いを知り、患者の死をみとることで生と死について考え,医師としての死生観と倫理観、生命を扱う医師という職業の責任を学んで行くのである。
ところが研修医の義務化によって、彼等は国家公務員であるために労働時間も労働基準法を遵守することが求められ、泊まり込みなどはしなくて良くなった。いきおい朝やってくると患者が既に死亡していたり,主治医により大幅な治療方針の変更がなされていたりして,診療から取り残され主治医としての責任感が低下してしまうことになった。
またローテートであるため自分の希望する以外の科は「適当にやっておく」風潮が蔓延し,治療が大変な重症患者は見にこない研修医や、医療手技だけに熱心で実際の診療には興味を示さない研修医といった、患者の命を預かるという自覚に欠けた医師が大量生産される事態に陥っている。

医局制度はドラマでも描かれているように前時代的で封建的・閉鎖的な組織で多くの弊害を持ち、医療界の進歩と患者の権利拡大を阻害していたのは間違いなく、改革は必要であった。
しかし今回厚生労働省が行った研修医の義務化をはじめとする医療改革は,官僚が現状を理解せず机上で作り上げた政策の典型的見本であると言わざるを得ない。

きわめて問題の多い現在の研修医システムで、医師として最も大切だと言われる研修医の時期を過ごした医師たちが診療の主体となる10年後には,日本の医療レベルが劇的に低下し、現在以上に医療事故が頻発することを危惧してやまない。

今日の箴言
「問題は官僚の机の上でなく、現場で起っているものだ」

エイズウイルス~人類が直面する最強最悪のウイルス~

2005-05-24 04:49:14 | 医学ニュース
日本は先進国中で唯一HIV感染が増加している国である。

一時のエイズパニックが収束し,熱しやすく冷めやすい国民性のおかげで最近はニュースで見かけることもほとんどなくなってしまった。
その影でHIVは確実に日本に蔓延し,性道徳の乱れがウイルスの拡散にさらに拍車をかけている状況である。

HIVはおそらく人間が直面する最強最悪のウイルスに間違いない。
HIVに比べれば,アフリカで騒がれている致死性の高いマールブルグ病やエボラ出血熱は悪性度からいけば子供だましである。
その理由は以下に要約される。

1. 自覚症状のない長い潜伏期間
HIVは感染初期にはほとんど症状がなく,感染を自覚することがきわめて困難である。その上自覚症状のない潜伏期間が10年にもおよぶため,感染者はキャリアとして知らず知らずのうちにウイルスを拡散させてしまう。
2. 人間の生活と切り離せない感染経路
感染経路が人間の本能的欲望の一つ,性欲に伴う性交渉であり防止が困難である。本能的欲望であるが故に理性的な感染予防対策(コンドームの使用)が採られにくく、行政の対策も後手後手に回ってしまう。
3. 極めて高い致死率
近年のカクテル療法の進歩によりAIDSの発症を遅らせることは可能となったが,ウイルスを完全に消し去ることは困難であり,AIDSを発症すれば死亡率はほぼ100%である。ウイルス感染症に効果的なワクチンの開発も,変異しやすい表面抗原のせいで開発は不可能視されている。

マールブルグ病もエボラ出血熱も死亡率は90%以上と極めて高いが,現時点では潜伏期間は2週間程度であり感染経路も接触感染に限られている。
感染者を見分けるのも激烈な症状から比較的容易だし,接触感染であれば感染予防は比較的簡単だ。
分かりやすく言うと,これらのウイルスでは感染者が出た村が全滅して誰も居なくなれば、それ以上ウイルスは拡散せず感染は収束し、アウトブレイクにならない。

アメリカをはじめとする先進諸国はなりふり構わぬ感染対策と青少年への教育でなんとかHIVの蔓延を封じ込めることに成功している。
日本でも早急にHIV対策を実施しないと,大変なことになる。
現在の感染者数は報告の10~100倍と予想されており,このままではアウトブレイクが起こりアフリカ諸国の様に国民の75%が感染者といった状況に陥りかねない。

しかしHIV対策においては,教育者や議員のきれいごとをまとった対策は全く無意味である。
「青少年の性風俗の乱れ」や「売春の一掃」をかかげても、なんら効果は期待できないであろう。
なぜならHIVは法律や教育では完全にコントロールできない本能に根ざした性交渉を感染経路としているからだ。
青少年教育や感染情報の積極的な公表はもちろん,ラブホテルでのコンドームの無料化,ラブホテルでのエイズ感染を啓蒙するポスターの義務化、性風俗産業従事者の登録制とHIV検査の義務化など、なりふり構わない対策が急務である。

今日の箴言
「セックスの際には必ずコンドームの着用を!」