続・軍務尚書の戯言

国際情勢や医学ニュースに関して日々感じたことを残すブログです。

戦争の悲劇~かけがえのない平和を維持するために~

2005-07-21 05:24:39 | 論文・考察
夏が訪れ敗戦記念日である8/15日が近付くと,マスコミや教育関係者を中心にいわゆる歴史教育が行われる。
その多くはいかに第二次世界大戦中の日本軍やナチス・ドイツが残虐なことを行ったか,いかに戦争が悲惨で残酷なものかを繰り返し教え込む内容である。
原爆を描いた「裸足のゲン」、沖縄戦を題材とした「ひめゆりの塔」などは左翼系偏向教育者が好んで夏期特別授業で放映するし,「風の谷のナウシカ」「螢の墓」「シンドラーのリスト」を教材にする学校もあると聞く。
またマスコミでも第二次世界大戦の記録映像をまとめたドキュメントや第二次世界大戦を題材としたドラマ、第二次世界大戦を主題とし反戦メッセージのこもった映画を放映する。
最近では明石家さんま氏が主演した「サトウキビ畑の歌」が、主題歌とも合わせて大きな反響を呼んだのは周知の通りだ。

言うまでもなく,戦争は悲惨で残虐なものである。
「螢の墓」を見れば,大人たちが始めた戦争の犠牲となって死んでいく幼い兄弟の姿を涙なくしては見れないだろう。
特に第二次世界大戦は、枢軸国・連合国共に其の国力のすべてを動員し国家の存亡をかけて戦ったことから、戦争は極めて大規模なものとなり戦場だけでなく生産拠点である都市を含む国土すべてを巻き込んだ総力戦となった。
戦車・戦闘機をはじめとする新兵器が次々と開発され殺傷力と破壊力が増し、犠牲者は第一次世界大戦とは比較にならないほど増加した。
またナチス・ドイツが掲げた「アーリア人によるヨーロッパ支配」をはじめとする民族主義の台頭は、他民族の組織的迫害と虐殺という蛮行をもたらした。
戦火は戦場の兵士だけではなく一般市民にもおよび,まさに世界は地獄と化したのである。
この結果,第二次世界大戦の推定犠牲者6500万人のうち非戦闘員である市民が4000万人を占めると言う人類の歴史に消すことのできない汚点を残した。

では,戦争の悲劇とは、前述した映画やドラマで描かれているように「善良でか弱い市民が無抵抗に殺される」ことだけなのだろうか?
小生はそうは考えない。
戦争のもう一つの悲劇とは,戦争という特殊な状況下で価値観の逆転がおこった結果、善良でまじめな家族を愛するごく普通の父親が、「沖縄県民に自決を強要する中隊長」「ユダヤ人を収容所に送り込む親衛隊」になってしまうことなのである。

映画やドラマで描かれる、ヒステリックに天皇の名を叫び、部下に暴力を振るい、無理な作戦と玉砕攻撃を命令する小隊長が特別に邪悪で軍国主義思想に染まった殺人鬼であった訳ではない。
知っての通り、第二次世界大戦の日本兵とは、平和な戦後の日本では礼儀正しく節度を持ち家族を愛していた我々の祖父の一人である。
彼等を恐るべき虐待者・殺人者に作り替えたもの、それは常に自己の生命が危機にさらされる戦場と言う環境に加え、食料や弾薬がないにもかかわらず圧倒的な物量と兵力を誇るアメリカ軍に立ち向かわざるを得なかった日本軍の悲惨な状況であった。
つまり,善良な市民を自認している我々も、戦友が次々と戦死して腐敗した死体となり、食料がなく泥水をすすりながら飢えを凌ぐ悲惨な戦場では,部下に玉砕攻撃を強要し市民に自決を強いる小隊長になり得るのである。

またナチス・ドイツの強制収容所でユダヤ人の虐殺に従事していたのは,ナチズムの反ユダヤ主義に狂った凶暴な人物ではなくむしろ律儀さと潔癖さを持った官僚的人物であったことは有名な事実である。
なぜなら次々と運ばれてくる大量のユダヤ人を迅速に処分するためには,感情に左右されない正確なスケジュールの実施が求められたからだ。
そしてナチス支配下のドイツではユダヤ人はアーリア人を堕落させる敵であり,彼等の絶滅はアーリア人に課せられた使命であるとさえされていた。
第二次世界大戦後,強制収容所の職員を戦争犯罪人として尋問した連合国兵士は,強制収容所で実施された恐るべき虐殺と彼等のあまりの平凡さとの落差に慄然としたと言われている。
彼等は食肉工場で肉牛を処分するように400万人とも言われるユダヤ人をガス室に送り込んで虐殺する一方、仕事を終えて帰宅すればワーグナーを聴いて涙するまじめな父親であったのだ。

戦争の悲惨さを学ぶことは大変重要である。
しかしそれは被害者の側から見た一方的な、加害者を狂った凶悪な兵士とするものだけでは不十分であると言わざるを得ない。
地獄のような戦場で自己の正気を保ち、自己の生命を危険にさらしてまで部下や市民の生命を守る倫理観の持ち主が,我々の中でいったいどれだけいるだろうか?
国民が熱狂的に支持する独裁者のもとで、正義の行いとして実施されるユダヤ人の迫害と虐殺を、自らの良心に照らし自分のキャリアや生活を犠牲にしてまで拒否できる人物がどれだけいるだろうか?
我々がもし第二次世界大戦時に生きていれば、ヒステリックに無意味な玉砕攻撃を命令する軍曹、無表情にガス室のボタンを押すナチス親衛隊に十分なり得るのである。

再度繰り返すが,戦争の悲劇とはお互い善良な市民であるはずの兵士が、互いに憎みあい・殺しあい・無抵抗の市民を虐殺し,それが憎悪の連鎖を引き起こし更なる暴力と破壊へ駆り立てられることだ。
だからこそ我々は戦争を避け、平和を守らなくてはならない。
善良な市民が善良な市民のままでいられる平和がかけがえのないものであるからこそ,我々は頭の中お花畑の平和主義者が唱えるような机上の理想主義によって平和を維持しようとするのではなく、現実の世界を見据えた確実な方法~抑止力の維持,不断の外交努力、同盟関係の強化~を日々模索しなければならない。
急激に軍事力を増強し,台湾侵略を計画し、日本の領海侵犯を公然と実施する中国共産党に、日本への侵略を思いとどまらせるだけの軍事力の保持とアメリカとの同盟強化を継続しなくてはならないのである。

今日の箴言
「平和とは存在するものではなく、作り上げ不断の努力で維持するものだ」

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2 コメント

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考えさせられました。 (たいぶー)
2005-07-21 05:47:24
平和が当たり前って思っちゃダメなんですね。みんなの努力で平和をつくり上げないと!おいらも、まだまだ勉強不足です。
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コメントありがとうございます。 (軍務尚書)
2005-07-21 06:08:42
タイブー様,コメントありがとうございました。

小生もまだまだ勉強不足ですよ(笑)。

今後もどうぞよろしく!!
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