続・軍務尚書の戯言

国際情勢や医学ニュースに関して日々感じたことを残すブログです。

小泉自民党を応援する理由~其の一:抜本的社会改革の必要性~

2005-08-19 03:09:55 | 論文・考察
今後10年の日本の将来を決定的に方向付ける2005年衆議院選挙を数日後に控え,過去の記事と重複する事を承知の上で、あえて本記事を投稿させていただく。
今回の2005年衆議院選挙は,この10年で最も重要な選挙である。
なぜなら、今回の選挙で国民が選択するのは,郵政事業民営化という一公社の運営形態~官か民か~という些細な事ではなく、戦後日本が継続してきた社会~政・官・民の結合を中心とするムラ社会的システム~を今後もこのまま継続するのか,日本人自らの手で新たな社会の構築を試みるのかという日本社会の本質だからである。
郵政事業民営化問題は、この選択を単純化し国民に明確な対立軸を示すための象徴に過ぎない。
本稿では9/11に実施される衆議院選挙において、小泉自民党が勝利しなければならない理由についてシリーズとして論述する。

現在、日本の社会システムが行き詰まり、社会そのものが崩壊しかかっているという認識に異論はないだろう。
日本が戦後一貫して継続してきた社会補償システムは、年金制度や国民皆保険制度をはじめとしてほとんどが制度疲労と合理化の失敗により破綻寸前であり,日本の国家財政自体が国家予算の10年分に相当する660兆円を超える赤字国債をかかえ、まさに破産寸前の企業のような自転車操業を行っている。
身のまわりに目を投じてみても,続発する異常な犯罪と治安の低下はいっこうに改善せず,援助交際をはじめとする性の商品化と風紀の乱れは著しく,親殺し子殺しや幼児虐待が日常化し,経済は停滞して失業率は改善せず,汚職と腐敗はなくならず、人口の急速な高齢化と少子化が進行し,社会不安は増悪する一方だ。

こうした末期的状況の日本社会に必要なもの、それは根本的な社会システムの変革すなわち抜本的な構造改革に他ならない。
これこそが小泉自民党が今回の総選挙において過半数を維持して勝利し、彼の政権が継続しなければならない第一の理由であり、戦後60年にわたり強固に構築されてきた政・官・民の癒着と国民の血税を使った利権の配分に基づく政治を終焉させるためには、彼のような強力な意志を持つ指導者に、一時的に強大な権限を持たさざるを得ないと小生は考えている。

日本は今や官僚と政治家を中心に、国民の税金をむさぼり利権のおこぼれをあずかろうとする「物乞い国家」に堕落し,下は地方公務員から上は中央官僚まで,既得権益を利用して国民の血税を浪費する事で自己の政治力と利益を図るシステムが完全かつ強固に構築され,それが非合理的な財政運営と莫大な赤字国債の元凶となっている。
政治家が政府から公共事業をはじめとする予算を自分の選挙区に誘導するよう官僚に働きかけ,官僚は政治家の要求を実行する代わりに許認可権と天下り先を保証され,予算により不当な利益を得た業者が組織票と資金を政治家に上納するというトライアングルは,日本社会の基本的構造と呼べるほど根深く強固なものだ。
分かりやすく言えば,日本は悪代官と越後屋の密談「越後やそちも悪よのう」「御前ほどではござりませぬ」を大なり小なり行い、税金を浪費してみんながそのおこぼれを預かる社会に陥ってしまっているということだ。
この結果、野方図で非合理的な公共事業~治水上必要性の全くないダムの建設,過疎地への高速道路の延伸,入場者が無く赤字を垂れ流す美術館~を次々と実施し、日本は莫大な借金を抱えるに至った。
こうした政・官・民の強力な癒着構造を断ち切り,日本の公共事業を合理化し,行財政改革を実施するためには,強力な指導力と意志を持った人物による一種独裁に近い改革の断行以外に方法がないのである。
なぜなら、こうした改革には必ず利益の衝突が発生し,票と地盤を失う政治家・許認可権と既得権益を失う官僚・公共事業による利益を失う業界団体から猛烈な反対が発生するのは必然であり,中庸で意見集約型の指導者では全く改革が実施できないからである。
また,前述の様に日本全体がこうした利権と癒着により何らかの恩恵を受けている現状~地元を便利にしてくれる高速道路、職を生み出す公共事業、高給と終身雇用を保障される公務員~では、この改革において国民に何らかの痛みが伴うのは必然だ。
こうした国民の「痛み」を、無視できるほどの強力な意志と指導力、自己の改革への独善的とも言える使命感がなければ、完全に腐敗しきった日本社会を改革する事など到底できないのである。

小泉首相の政治手法を「独裁的」と批判する人々~特に小泉首相の人物を完全に読み誤った亀井静香氏らのグループ~がいるが,彼は衆議院選挙と言う最も民主的な方法を用いて構造改革を実行しようと試みており,反対派の亀井氏や民主党の主張する「独裁者」と言う批判は全く的を得ていないばかりか、自らの民主主義に対する理解度の低さを露呈するものだ。
彼自身も再三述べているように,小泉首相は4年前の総裁選挙から一貫して郵政民営化を公約の第一とし,その公約を高く掲げて2003年の衆議院選挙や昨年の総裁選挙を戦ってきた。
その選挙において多数決で小泉純一郎氏を総裁に選んだ以上は、彼の公約の実行に協力するのはあたりまえであり,この民主主義の基本原理を守らずに批判を繰り返すのは蒙昧無知も甚だしい。
反対派の多くは選挙の時にだけ小泉人気を利用し,自己の安寧と利権の維持をはかってきた品性下劣としか言い様がない人物である。
参議院選挙の際には「郵政民営化には反対しません」との念書を提出したおかげで比例最下位で当選したにもかかわらず,現在は郵政民営反対派・反小泉派の中心の一人となった荒井広幸氏の現在の発言に見られるように,言い訳はいくらでもできる
政治家として本当に大切な事は,小学校で教えられる「約束を守る」という基本的道徳であり,政治家の倫理感は小学生の道徳に劣るほど堕落していると考えざるを得ない。

確かに,独裁者は民衆が生み出すものだ。
ナチス・ドイツのヒトラーも,最も民主主義的な体制と謳われたドイツ・ワイマール共和国の民主主義的選挙によって、国民の熱狂的な支持を得て合法的に権力を手中におさめ独裁者となった。
そして現在の日本の状況が、ヒトラーを生み出した第一次世界大戦後のドイツと共通した点が多いのも事実である。
だが、小泉首相の政治手法が仮に「独裁的」であったとしても、そうした強力な指導力による政策の実施によらなければ、強固な癒着構造を破壊する真の改革など到底不可能であり、先日の投稿「民主主義の意義~民主主義と独裁制~」でも述べた通り,独裁的権力により迅速な構造改革が成功した例は歴史上多数存在する。
そして現在の日本の状況は,一刻の猶予もならない危機的なものであり,強力な指導者による改革の断行以外に日本が再生する道はない。

以上の点において,小泉首相は現在の腐敗し行き詰まった日本社会を抜本から改革できる唯一の人物なのだ。
小泉首相の、他者に対する共感の著しい欠落・強烈な目的意識と使命感・苛烈で徹底した政治手法・前例と因習に捕われない行動は,こうした改革を成し得るのに必要不可欠であり,逆に言えば時代が彼を改革者として日本の首相に選んだのだともいえるだろう。

日本人は強力な指導者を好まず,権力の分散と不明瞭化を無意識に望む特異な精神構造を持っている。
小泉首相の苛烈な政治手法~郵政法案反対派の公認取り消し・刺客と呼ばれる対立候補の派遣・公認候補者への念書の強制~は、ムラ社会における「和」を第一に考え、責任の所在を曖昧にしてお互いを慰めあう日本人には異質に映る。
しかし彼の実施しているこうした政策は,議会制民主主義の大原則~政策の一致した議員が政党を構成する~を厳格に適応しているにすぎず、小泉自民党の政権公約が郵政民営化である以上,それに反対する議員を公認せず新たな候補者を擁立するのはむしろ極めて正しい事なのだ。
また、「第三の敗戦を繰り返さないために~責任の明確化~」でも述べた通り,「和」を第一に考え責任の追及をうやむやにした結果,日本は悲惨な二度の敗戦を経験し、多くの人命と日本人の美徳~勤勉で礼儀正しい国民性、安全な社会~を失うに至った。

日本は、みんながぬるま湯につかりながら不正に目をつぶり腐敗して行くムラ社会を捨て,国民それぞれが自己の責任と義務を明確に堅持しそれに基づいて行動する社会に生まれ変わらなくてはならない。

そのためには、小泉首相が改革を断行する事が必要不可欠であり、衆議院選挙で小泉自民党は絶対に勝利して単独過半数を獲得しなければならないのである。
彼の改革が不十分である事は確かだが,彼の使命は既得権益と政・官・民の癒着を完全に破壊する事であり,彼の後に続く人物が新たな日本社会を築いて行けば良い。
改革者と再生者が同一人物である必要は全くなく,彼は確実に改革者・破壊者なのである。
彼により日本の旧態依然とし行き詰まったムラ社会が崩壊した後,様々な意見を集約し、弱者を救済する新たなシステムを作り,日本を再生する道筋を具体化する人物が日本をリードして行けば良い。
今こそ二度の敗戦で得た教訓を生かし,日本人自らが自らの手で社会の変革を成し遂げる時なのであり、そのためにも小泉首相の権力強化と小泉政権の継続が絶対に必要なのである。

今日の箴言
「強力な指導力なくして改革なし。」

原子爆弾の悲劇~消すことのできない戦争犯罪~

2005-08-11 04:11:34 | 論文・考察
今年は日本の無条件降伏による第二次世界大戦の終結から60年の節目の年であり,これは人類が初めて核兵器を市民に使用してから60年が経過した事を意味している。
毎年この時期になると、原子爆弾使用の是非に関する様々な議論が行われるのは周知の事実であろう。
原子爆弾を使用したアメリカは、日本本土への上陸作戦が実施されていた場合のアメリカ兵及び日本人の予想被害者数と原子爆弾の被害者数を比較して,原子爆弾の使用は戦争終結に有効であり正当なものであったと当然の事ながら主張している。
一方の日本人は,原子爆弾による被害の悲惨さや戦争の悲劇を学習するが,とにかく日本軍を悪者に仕立て上げたい左翼系教育者を中心に、原子爆弾使用の是非よりも戦争を始めた日本と日本軍の過ちを強調し,原子爆弾の被害者は軍国主義によりアジアを侵略した日本の被害者であるかの様に教育するのが常である。
小生は,こうしたアメリカの二重基準に基づく自己正当化と左翼系偏向教育者による事実の歪曲に強く反発する一人だ。

広島と長崎に投下された原子爆弾は,ナチス・ドイツ占領下の強制収容所で実施されたユダヤ人絶滅計画と並ぶ人類史上例を見ない残虐かつ非道な虐殺行為であり、アメリカがいくら弁明したとしても人類の歴史に消すことのできない汚点を残した事実は疑う余地がない。

その第一の理由は,原子爆弾が武器を持たない無抵抗の一般市民に対して使用された点だ。
第二次世界大戦は,それまでの戦争とは異なり、国家がその命運をかけて資材と人的資源のすべてを注ぎ込んで戦った総力戦だった。
戦火は戦場の兵士だけでなく、戦線を維持するための兵器・弾薬・食料を生産して供給する都市や,戦争を遂行するための中枢である首都をも巻き込んだ凄絶なものとなった。
すなわち、第二次世界大戦においては戦争の勝利条件が、戦場での戦術的勝利ではなく,敵の都市を灰にして補給を経ち首都を壊滅させて敵の中枢を破壊する事に変化したのである。
この結果,人々が居住する都市や工場地域が軍事目標となる凄惨な事態を招き、大都市は爆撃と市街戦によりことごとく廃墟と化し、そこに住む罪のない女子供や老人が虐殺されることになった。
こうした戦略目標に対する無差別攻撃を最初に実施したのは,電撃戦による大都市爆撃を行ったナチス・ドイツをはじめとする枢軸国側であったのは事実である。
しかし枢軸国側が連合軍の物量に圧倒され戦線を後退させると,都市に対する史上空前の無差別爆撃を行ったのは何を隠そうアメリカ軍を中心とする連合国側であった。
ドイツと日本の大都市は連合軍のB29大編隊による連日の爆撃によりことごとく焦土と化し,市民数十万人が虐殺された。
そして、アメリカはその総仕上げとして,広島と長崎に住む武器を持たない無抵抗の市民21万人以上に対し原子爆弾を投下したのだ。
ユダヤ人を強制収容所でガス室に送り込むことや南京で捕虜を処刑することと、無抵抗の市民を原子爆弾の熱線と爆風により一瞬に殺戮することに、いったいどんな違いがあるというのか。

第二の理由は、開発して間もない原子爆弾を黄色人種を使った動物実験として使用した点だ。
アメリカ軍・特に軍指導部と政府首脳が、世界で初めて開発に成功した原子爆弾を、兵器の性能試験として実験的に使用したのは現在疑いのない事実である。
戦後に発表された原子爆弾の投下候補地は,いずれも盆地かそれに類似した地形を持ち、過去に大規模な空襲による被害が少なく、人口が密集した都市であった。
これは原子爆弾の効果とその被害を正確に評価するためのデータ収集に,こうした都市が適していたからである。
盆地は原子爆弾の効果を集中させ評価対象を限定するのに役立ち,過去に大規模な空襲がない事実は原子爆弾の威力を正確に判断するために必要であり,人口の密集は殺傷効果を高めるとともにサンプル数を増加させるために必須であった。
アメリカが主張するように,日本に早期降伏を促すために原子爆弾を使用したのならば,数度の空襲を受け焼け野原と化していた大都市も目標の候補に挙がっていてもおかしくはない。
むしろ東京,大阪をはじめとする大都市に使用した方が,日本の戦争指導者に対する心理的影響は大きかったはずである。
ところが選定されたのは,広島・小倉・京都・新潟をはじめとする前述した条件を満たす都市であり,これはアメリカの原子爆弾使用の本当の目的~原子爆弾の黄色人種を使った兵器実験~を如実に表している。
事実,アメリカ軍は戦後ただちに組織された大量の調査団を広島と長崎に派遣し,徹底した調査と情報の収集を行い,被爆者のカルテや写真はことごとく押収されアメリカ本国に送られて研究された。
アメリカは,非戦闘員である一般市民を兵器実験のモルモットとして虐殺したのだ。
この行為と,アメリカや中国が主張する関東軍731部隊による捕虜を使った人体実験が事実と仮定して、その間にいったいどんな違いがあるというのか。

アメリカが主張する原爆使用による戦争の早期終結とソ連侵略の予防についても、現在では根拠のない主張であるとする見方が一般的である。
沖縄失陥後、日本政府は水面下で降伏のための工作を盛んに実施しており,特に日本と不可侵条約を結んでいたソ連を介して再三降伏の意思をアメリカに伝達していた。
原子爆弾を使用しなくても,日本が降伏する事をアメリカは十分承知していたのだ。

小生は原子爆弾投下を引き合いに出して第二次世界大戦中の日本軍の残虐行為を正当化するつもりは毛頭ない。
主張したいのは,日本軍による南京大虐殺やナチス・ドイツによるユダヤ人絶滅計画と同様に連合国軍による原子爆弾の投下は、決して許される事のない戦争犯罪であり、ともに厳しく糾弾されなくてはならない蛮行であったという事だ。
第二次世界大戦を悪逆な日本軍と正義の連合国軍の戦いと教育する左翼偏向教育者のもとでは,この事実は意図的に隠蔽されているが、「正当な原子爆弾投下理由」「正義の戦争」は存在しない。
原子爆弾投下の事実、そこに存在するのは、新たに開発した兵器の実験材料として女子供を含む武器を持たない無抵抗の市民を一方的に虐殺したという、隠すことのできない歴然とした事実なのである。

今日の箴言
「悲劇は忘れてはならないし,曲解してもならない」

郵政解散と小泉改革~日本の分水嶺~

2005-08-10 05:37:49 | 論文・考察
「小泉首相という人物~その歴史的意義~」の投稿後一か月を経て,参議院での郵政民営化法案否決を受けて小泉首相はその公約どおり衆議院を解散した。
小泉首相の理念や政治姿勢に関しては、半年前に現在の状況を冷静に分析・予言したこちらのコラムや、マーケットの馬車馬さんの的確な解説を参照していただくとして、本稿では今回の衆議院選挙の歴史的意義を検討したい。

50年後、今回の衆議院選挙に至る経緯とその結果は、良い意味であれ悪い意味であれ日本の分水嶺として人々に記憶され教科書に記載される事は間違いない。
今回の選挙を小泉首相は「郵政選挙」と命名したが,これは小泉首相の郵政大臣時代からの悲願であった郵政事業民営化を前面に押し出す事で争点を明確にし、選挙戦での構図を「改革派」「抵抗勢力」という形で単純化するための方策に過ぎない。
なぜなら今回の選挙の本質、すなわち今回の選挙で国民に問われているのは,第二次世界大戦後バブル崩壊という第二の敗戦を経てもなお脈々と継続してきた日本的社会運営~政・官・民の癒着、弱者救済に名を借りた税金の浪費、公共投資に絡む利権とそれをむさぼる特権階級の形成~を継続するのか,こうした既存の社会体制を放棄して日本人自らの手で新たな社会の構築を目指すのかという命題なのである。

今回の総選挙で自民党の敗北と小泉首相の退陣を国民が選択した場合,日本は郵政事業に代表される政・官・民の癒着と相互補助~政治家による利益誘導,官僚による許認可権の乱用と組織票の提供,民間企業の政府依存と資金提供~という日本人特有の「ムラ社会」を維持していくことになる。
離島に住むたかだか数千人の住民が週に何通受けとるか分からない手紙のために、日本国民の血税を湯水の様に投入して非効率的な郵政事業を継続し,特権階級と化した特定郵便局職員の権益を守りぬくということであり、「政治的判断」により地方の農村に誰も走らない高速道路や新幹線・莫大な赤字を生産し続ける美術館や記念館を建設し、地元の建設業者や役人などを国民の血税によって潤すことである。
80歳の老人にも,17歳の少女と同様に「命の価値は尊い」というお題目のもと,破綻しかけている医療保険制度をよそに莫大な医療費をかけ無意味な延命治療を施すことである。
究極的には,660兆を超える赤字国債をさらに増加させ、子供たちの世代に国家予算すべてを注ぎ込んでも返済に10年以上かかる莫大な借金を残すということだ。

こうした「ムラ社会」的社会体制が、確かに今日の日本の繁栄に役立った事は否定できない。
公共投資の名の下に採算を度外視して豊かな都市から貧しい地方へ莫大な資金を注入したからこそ,日本は最も成功した社会主義体制と揶揄される高度に均質化され階級間闘争が乏しく豊かな社会を形成する事に成功したのである。
どこに住んでいても美しく鋪装された道路を走る事ができる,郵便物を驚くほど安価で受け取る事ができる、国民皆保険制度によりどんな僻地でも世界最高水準の医療が低価格で享受できる社会は、世界中で日本だけであろう。
しかしこうした社会システムは、高度成長期に日本の人口と経済が持続的に成長するという根拠の無い前提のもと構築されたものであった。
バブル経済と持続的経済成長の神話崩壊と共に「ムラ社会的」システムの負の側面~非効率的な組織と官僚主義,公務員倫理の低下と癒着、予算主義による経費の浪費、特権階級への利益誘導~が噴出、日本は失われた10年といわれる長期間の社会的混乱と日本人の美徳の多くを失い、莫大な赤字国債を背負うに至ったのだ。

また、小泉自民党の敗北は売国奴的媚中政治家である岡田党首の率いる民主党が政権を取ることを意味し、これは日本にとって非常に危険な事だ。
民主党は自分達が政権を執れば改革を実行できるとほざいているが,その主張や行動をつぶさに観察すれば,彼等がいかにあさはかで机上の空論に過ぎない夢物語を主張し,票を得るために既得権益を持つ団体や公務員にこびへつらう保守派であるかが理解できる。
もし本当に彼等が行財政改革を実行するつもりなのなら,なぜ今回の郵政国会で郵政民営化法案に対抗する法案を提出しなかったのか?
民主党の各議員はいろいろと言い訳をしているが,結局のところ民主党の衆議院議員には若手が多く強力な選挙基盤を持たないが故に,特定郵便局の組織票を手放す事を危惧したからである。
野党にいるにもかかわらず既得権益との対立を避け自己の保身と票読みしかできない政党に、政・官・民の癒着により強固に構築された公務員の既得権破壊と行財政改革が断行できる訳が無い。
それ以上に小生が最も危惧するのは,民主党が旧社会党系の左翼的夢想主義に感化されて、国家主権の委譲と共有などという夢物語以上の亡国論を主張したり,岡田党首自身が対米追従の修正と東アジア中心外交などという寝言をほざいている点だ。
「日中友好という名の幻想~日本を守るために~」でも述べたが,急速に軍備を増強し膨張政策を取る中国共産党に対していかに日本を守るかが最も重要な懸案であるこの時期に,あろう事かアメリカとの同盟関係を破棄して中国共産党との連携を主張するなど正気の沙汰ではなく,売国奴以外の何者でもない。
民主党が政権を取った場合,日本が国家経済の破綻と国家の滅亡へむかうのは確実である。

バブル経済の崩壊で我々は美徳と考えてきた多くのもの~治安の良い社会、礼儀正しく勤勉な国民性、終身雇用制に代表される安定した雇用、持続的な経済成長~を失い、10年以上の歳月と莫大な血税をバブルの清算のためだけに浪費してきた。
家族の崩壊により親殺し・子殺しが当たり前となり,治安は乱れて異常な犯罪で罪の無い人々が殺される一方裁判所は温情判決により犯罪者を放任し,社会は混乱して多くの不正や汚職が蔓延し,日本はまさに国家的危機にある。
そうした混乱の中で日本人の誰もが改革の必要性、それも小手先のものではない日本を根本から改革し再生させるための改革の必要性を痛感したからこそ,「変人」と呼ばれた小泉純一郎氏を日本の首相に選択したのではなかったか。
彼の政治手法や発言は強引で問題がある事、彼の改革は日本を「勝ち組」と「負け組」に分断し誰もが平等なムラ社会を崩壊させる事、郵政事業民営化の裏にはメガバンクの総預金量に匹敵する郵便貯金を巡るアメリカの意向がある事も十分承知している。
しかし現在の日本には既得権益を破壊し効率の良い政府と社会を作り上げるための改革が絶対に必要であり,これを実行するためには痛みを伴う強権的手法以外に方法はない。
誰もが満足するような改革はもはや改革ではなく,そのような既得権益の妥協により生まれた改革では日本は立ち直れない。

この選挙結果如何によっては,日本は明治維新・第二次世界大戦の敗北に匹敵する社会構造の変化を経験する事になるだろう。
我々はまさに歴史的変革のまっただ中におり,日本の将来と子供たちの未来が我々の選択にかかっているのだ。
郵政民営化法案の否決と衆議院解散を受けて実施された緊急世論調査では,国民の小泉首相に対する前例のない「参議院否決による衆議院解散」を断行し有言実行を貫いた爽快感と、痛みを伴う構造改革を独断で実行する政治手法への反発という複雑な感情が見て取れる。
また日本人は強力な指導者よりも権力の分散と不明瞭化を望む特異な国民性があり,小泉首相の一種独裁ともとれる政治姿勢には感情的反発もあるだろう。
今後次々と実施される世論調査とマスコミのキャンペーンがどのように国民の投票行動に影響し、どのような選挙結果をもたらすかは未知数だ。

ただ、ありきたりな主張である事は十分承知の上で、最後にこれだけは主張しておきたい。
「民主主義の意義~独裁制と民主主義~」でも述べたが,我々の社会は自己責任を伴う議会制民主主義により運営されている。

我々と我々の子供たちの将来を選択するためにも,公明党の組織票が国家の命運を左右するような事態を避けるためにも,必ず投票して自分の意見を示そう。
改革の進まない政治を嘆き,崩壊する社会を目の当たりにして昔を懐かしみ,高額の税金と低い社会保障に怒るだけではなく、我々が何を望んでいるのかを明らかにしよう。


その結果小泉自民党の痛みを伴う改革が継続されるのか,岡田民主党の親中保守的政権が誕生して失われた10年を再び経験するのか,その選択は我々にしかできないのであり、この時代に生きている我々の義務なのだ。

今日の箴言
「歴史は始まっている。主人公は我々だ。」

民主主義の意義~独裁制と民主主義~

2005-08-03 08:13:54 | 論文・考察
我々が生きる現代社会において,「民主主義は正義」という概念はほぼ常識であろう。
幼少期から民主主義の重要性とその意義を教育され,第二次世界大戦における枢軸国と連合国の戦いを「非民主主義独裁国家と自由民主主義国家の争い」、第二次世界大戦後の米ソ冷戦を「共産主義陣営と民主主義陣営の対立」と考えている人も多い。
また、いわゆる先進国と呼ばれる諸国は、多少の相違こそあれほぼ例外なく国民が選挙によって意見を国政に反影させる(もしくは反影させうる)議会制民主主義を共通の政治体制として標榜しており,逆説的にいえば「民主主義国家であることが先進国の条件」であるといっても過言ではない。
そして民主主義と対立する概念であるとされる独裁制や、血統による支配である王制は非民主主義であるが故に悪とされ,先のイラク戦争の様に非民主主義体制であること自体が攻撃の理由となる場合すらある。
このように、現代では民主主義は絶対の真理であり普遍的で最高の政治体制であるかの様にとらえられている。

ところが、歴史を紐解いてみると現在の議会制民主主義が「正しい政体」として認知される様になったのは,第二次世界大戦以降のわずかな期間でしかないことが分かる。
第一次世界大戦による帝政の崩壊と第二次世界大戦における連合国側の勝利が議会制民主主義の正当性の根拠となり、ソビエト連邦の崩壊は議会制民主主義のもう一つの形であった社会主義体制の欠点を暴露してさらにこの考えに拍車をかけ、現在の様な「民主主義絶対主義」の状況を作り上げたのである。
つまり人類が文明を形成して以降の4000年の歴史において,民主主義体制は高々100年しか経っていない非常に若い概念なのだ。
この非常に若い「民主主義」という概念が,本当に人類の普遍的で最良の政治体制なのだろうか?

民主主義の点対象に位置する概念として「独裁制」もしくは「王制」があげられる。
共に少数の権力者が民衆の意見に左右されることなく権力を振るう政治体制のことであり,代表的なものとしてはナチス・ドイツや現在の北朝鮮・金正日王国があげられるだろう。
前者は第二次世界大戦を勃発させただけでなく,人類史上例を見ない「民族の虐殺」を実行し、非戦闘員を含め4000万人以上の死をもたらす原因となった。
後者の金正日体制がどのようなものであるかは前述の「困ったチャンの国・北朝鮮~21世紀に出現した王国~」で述べた通りであり、餓死する国民をよそに一部の支配者は酒池肉林の享楽にふけるという非常にグロテスクな状況をもたらしている。
しかしここで見落としてはならない重要なポイントがある。

まず第一に、独裁者は民主主義と対立する者としてではなく、民主主義の延長上に誕生したという点だ。
二度とヨーロッパに戦火が起こらないように、ヨーロッパ各国は第一次世界大戦で敗北したドイツに対しこれまでの立憲君主制を廃止し議会制民主主義を基盤とする共和制を強制した。
このワイマール共和国が採用したワイマール憲法は、第一次世界大戦の反省をふまえた大変進歩的なものであり、ドイツはその時点で「最も民主主義的な政治体制を取る国家」と呼ばれていたのだ。
ところが現実は、戦勝国による莫大な賠償金の請求と世界恐慌によりドイツは空前のインフレーションに陥り経済は破綻,600万人ともいわれる失業者が街に溢れ、社会不案は増大すると共に,政府や議会は有効な政策を打ち出すことができずに混乱し民主主義体制そのものが機能しなくなってしまった。
こうした混乱の中,「ゲルマン民族の復権」「ドイツ帝国の復活」「ユダヤ人の迫害」をかかげるヒトラーとナチスに人々は救いを求めて熱狂的な支持を送るようになり,1932年の合法的選挙でナチスは第一党となりヒトラーが政権を獲得するに至ったのである。
以降はなし崩し的にワイマール憲法を無力化する法律が次々と成立し、1933年のヒトラーの総統就任により憲法はその効力を失い,ワイマール共和国はナチスの支配する第三帝国へと変貌した。
すなわち、ヒトラーは最も民主主義的な方法で独裁者となったのだ。

次に,独裁制では権力の集中の結果、構造改革や政策を強力かつ迅速に実行できる点だ。
独裁者となったヒトラーがまず実施したのは,国民にとって最も深刻な問題であった失業対策だった。
ワイマール共和国が議会における妥協と駆け引きの結果、失業問題を解決する有効な手段を全くとれなかったのに対し,ヒトラーはその独裁的権力を使って国庫を湯水の様に使ってアウトバーンをはじめとする公共事業を精力的に行うとともに、官僚機構の構造改革と政治の刷新を断行し劇的な効果をあげた。
街に溢れ帰っていた600万人の失業者はヒトラーの政権奪取後数年で消失し,失業者問題は完全に解決されたのである。
こうした改革と経済復興を成し遂げたヒトラーに対して国民は惜しみない喝采を送り,事実この業績は賞賛されるに値する偉大なものであった。
もちろん,その後には第二次世界大戦の開戦と無謀な作戦の連発によるドイツの敗北、西側とソ連による東西分割という悲劇が待っていた訳だが,彼の独裁により一時的であれドイツの抱えていた問題が解決したことは間違いない。
このように,独裁制による権力の集中により、議会制民主主義のもとでは利害関係によって実行できなかった改革が実現した例は歴史上数多く存在する。

こうして見てみると,必ずしも民主主義と独裁制が対立した概念ではなく、民主主義だけが絶対的に正義であるといえないことが分かる。

必要性を誰もが痛感しながら利害関係と妥協の連続により改革は遅々として進まず,その間に構造的腐敗と経済破綻はさらに進行するという悪循環に陥っている現在の日本の状況を見て、歯がゆく思うのは小生だけではあるまい。
延々と続く不毛な議論や牛歩戦術などとうい愚かな方法がまかりとおる議会、国家や国民の事より支持団体と後援会の利益確保と票読みに躍起となっている議員,不満は述べるが投票率は50%に満たず宗教団体の組織票に圧倒される国民など,現在の日本の民主主義の現実はまさに衆愚政治である。
また民主主義における多数決の論理にも大きな矛盾が潜んでいる事実にも注意しなくてはならない。
多数決とは単に「集団の過半数が賛成に票を投じた」という事実に過ぎず、その判断が正しいかどうかとはまた別問題である。
さらに、集団の多数派の中に構成されたグループにおいてさらに多数を占めれば母集団を間接的にコントロールする事が可能となり、現在の自民党政治の様に,実際は多数派の中の多数派という小さなグループによって巨大な母集団がコントロールされる状況がおこり易い。
「衆愚政治と化した民主主義」と「優秀な指導者による独裁制」のいずれが良いのかとの問いに,明確な根拠を持ってこたえることは極めて困難であると言わざるを得ないのである。

しかし,だからといって小生は独裁制を支持するつもりは毛頭ない。
「皇帝ウラディミル・ウラディミロヴィッチ・プーチン~復活するロシア帝国~」でも述べたが,極めて優秀な指導者や改革者が、権力の持つ魔力的効果により悪逆な独裁者へと変貌したあげく自滅する事例は,歴史上列挙にいとまがない。
自らを掣肘するシステムなしに自己の欲望をコントロールし,当初の志を維持して改革を継続できるほど,人間は強くないのである。
また王制のような世襲制の独裁制では,優秀な初代の後に凡庸で初代の築きあげた業績を食いつぶす二代目が登場するのが常であり,人間の能力が遺伝的素因よりも養育環境に大きく影響される事実を如実に示している。
独裁制はそのシステム故に、国家の運営が不完全な人間に過ぎない個人の能力と感情にゆだねられてしまい、国家の暴走や破滅的運営をもたらす危険が非常に高いのである。

小生は民主主義が独裁制に勝る最大の利点は、政治の責任を国民自らが負うという事実であると考えている。
民主主義とは自らの所属する国家の方向を自らが責任を持って選択する一方,その結果も国民自らが享受するといういわば「自己責任」の政治体制なのだ。
こうした自己責任の政治体制を確立するまで,人類は数百年の時間と多くの犠牲を払ってきた。
現在の民主主義が最高の政体といい難いのは前述の通りだが,だからこそ我々は自己責任でそれを監視し,自らの意志を投票行動で示し,所属する国家のとるべき道を決定する必要があるのである。

今日の箴言
「民主主義とは平和と同じく築き上げるものである」

戦争の悲劇~かけがえのない平和を維持するために~

2005-07-21 05:24:39 | 論文・考察
夏が訪れ敗戦記念日である8/15日が近付くと,マスコミや教育関係者を中心にいわゆる歴史教育が行われる。
その多くはいかに第二次世界大戦中の日本軍やナチス・ドイツが残虐なことを行ったか,いかに戦争が悲惨で残酷なものかを繰り返し教え込む内容である。
原爆を描いた「裸足のゲン」、沖縄戦を題材とした「ひめゆりの塔」などは左翼系偏向教育者が好んで夏期特別授業で放映するし,「風の谷のナウシカ」「螢の墓」「シンドラーのリスト」を教材にする学校もあると聞く。
またマスコミでも第二次世界大戦の記録映像をまとめたドキュメントや第二次世界大戦を題材としたドラマ、第二次世界大戦を主題とし反戦メッセージのこもった映画を放映する。
最近では明石家さんま氏が主演した「サトウキビ畑の歌」が、主題歌とも合わせて大きな反響を呼んだのは周知の通りだ。

言うまでもなく,戦争は悲惨で残虐なものである。
「螢の墓」を見れば,大人たちが始めた戦争の犠牲となって死んでいく幼い兄弟の姿を涙なくしては見れないだろう。
特に第二次世界大戦は、枢軸国・連合国共に其の国力のすべてを動員し国家の存亡をかけて戦ったことから、戦争は極めて大規模なものとなり戦場だけでなく生産拠点である都市を含む国土すべてを巻き込んだ総力戦となった。
戦車・戦闘機をはじめとする新兵器が次々と開発され殺傷力と破壊力が増し、犠牲者は第一次世界大戦とは比較にならないほど増加した。
またナチス・ドイツが掲げた「アーリア人によるヨーロッパ支配」をはじめとする民族主義の台頭は、他民族の組織的迫害と虐殺という蛮行をもたらした。
戦火は戦場の兵士だけではなく一般市民にもおよび,まさに世界は地獄と化したのである。
この結果,第二次世界大戦の推定犠牲者6500万人のうち非戦闘員である市民が4000万人を占めると言う人類の歴史に消すことのできない汚点を残した。

では,戦争の悲劇とは、前述した映画やドラマで描かれているように「善良でか弱い市民が無抵抗に殺される」ことだけなのだろうか?
小生はそうは考えない。
戦争のもう一つの悲劇とは,戦争という特殊な状況下で価値観の逆転がおこった結果、善良でまじめな家族を愛するごく普通の父親が、「沖縄県民に自決を強要する中隊長」「ユダヤ人を収容所に送り込む親衛隊」になってしまうことなのである。

映画やドラマで描かれる、ヒステリックに天皇の名を叫び、部下に暴力を振るい、無理な作戦と玉砕攻撃を命令する小隊長が特別に邪悪で軍国主義思想に染まった殺人鬼であった訳ではない。
知っての通り、第二次世界大戦の日本兵とは、平和な戦後の日本では礼儀正しく節度を持ち家族を愛していた我々の祖父の一人である。
彼等を恐るべき虐待者・殺人者に作り替えたもの、それは常に自己の生命が危機にさらされる戦場と言う環境に加え、食料や弾薬がないにもかかわらず圧倒的な物量と兵力を誇るアメリカ軍に立ち向かわざるを得なかった日本軍の悲惨な状況であった。
つまり,善良な市民を自認している我々も、戦友が次々と戦死して腐敗した死体となり、食料がなく泥水をすすりながら飢えを凌ぐ悲惨な戦場では,部下に玉砕攻撃を強要し市民に自決を強いる小隊長になり得るのである。

またナチス・ドイツの強制収容所でユダヤ人の虐殺に従事していたのは,ナチズムの反ユダヤ主義に狂った凶暴な人物ではなくむしろ律儀さと潔癖さを持った官僚的人物であったことは有名な事実である。
なぜなら次々と運ばれてくる大量のユダヤ人を迅速に処分するためには,感情に左右されない正確なスケジュールの実施が求められたからだ。
そしてナチス支配下のドイツではユダヤ人はアーリア人を堕落させる敵であり,彼等の絶滅はアーリア人に課せられた使命であるとさえされていた。
第二次世界大戦後,強制収容所の職員を戦争犯罪人として尋問した連合国兵士は,強制収容所で実施された恐るべき虐殺と彼等のあまりの平凡さとの落差に慄然としたと言われている。
彼等は食肉工場で肉牛を処分するように400万人とも言われるユダヤ人をガス室に送り込んで虐殺する一方、仕事を終えて帰宅すればワーグナーを聴いて涙するまじめな父親であったのだ。

戦争の悲惨さを学ぶことは大変重要である。
しかしそれは被害者の側から見た一方的な、加害者を狂った凶悪な兵士とするものだけでは不十分であると言わざるを得ない。
地獄のような戦場で自己の正気を保ち、自己の生命を危険にさらしてまで部下や市民の生命を守る倫理観の持ち主が,我々の中でいったいどれだけいるだろうか?
国民が熱狂的に支持する独裁者のもとで、正義の行いとして実施されるユダヤ人の迫害と虐殺を、自らの良心に照らし自分のキャリアや生活を犠牲にしてまで拒否できる人物がどれだけいるだろうか?
我々がもし第二次世界大戦時に生きていれば、ヒステリックに無意味な玉砕攻撃を命令する軍曹、無表情にガス室のボタンを押すナチス親衛隊に十分なり得るのである。

再度繰り返すが,戦争の悲劇とはお互い善良な市民であるはずの兵士が、互いに憎みあい・殺しあい・無抵抗の市民を虐殺し,それが憎悪の連鎖を引き起こし更なる暴力と破壊へ駆り立てられることだ。
だからこそ我々は戦争を避け、平和を守らなくてはならない。
善良な市民が善良な市民のままでいられる平和がかけがえのないものであるからこそ,我々は頭の中お花畑の平和主義者が唱えるような机上の理想主義によって平和を維持しようとするのではなく、現実の世界を見据えた確実な方法~抑止力の維持,不断の外交努力、同盟関係の強化~を日々模索しなければならない。
急激に軍事力を増強し,台湾侵略を計画し、日本の領海侵犯を公然と実施する中国共産党に、日本への侵略を思いとどまらせるだけの軍事力の保持とアメリカとの同盟強化を継続しなくてはならないのである。

今日の箴言
「平和とは存在するものではなく、作り上げ不断の努力で維持するものだ」

種としての人類~地球の癌~

2005-07-16 09:17:22 | 論文・考察
少し昔の映画になるが,デジタル処理を駆使した斬新な映像で一世を風靡した「マトリックス」で、主人公Neoの最大の敵であるエージェント・スミスがこんな台詞を口にしていた。
「いいかね,人間は地球の癌・治療すべき疾病なのだ。我々AIはその治療薬なのだよ。」
小生は仕事柄癌細胞を扱って研究をしているのだが,地球で起こっている様々な問題を目にするたびに,人類の営みと癌細胞の性質を比較して彼の言葉が正しいことを実感せずにはいられない。
なぜなら癌細胞の性質と人間の営みは極めて類似性があるからである。

病理学の教科書を紐解くと,癌細胞とは「生体のコント-ロールから逸脱して増殖し,正常組織を浸潤・破壊する細胞」と定義されている。
癌細胞の成り立ちは,もともとは正常な細胞が発癌物質や素因による遺伝子異常でその性質を変える=変異することから始まる。
ただし生体の免疫系は常にこうした異常な細胞を監視して排除し変異した細胞が増殖しないようにコントロールを行っており、一説には我々の体では日々数百個の変異細胞が生まれているが、これらは全て免疫により排除されこのため多くの人は癌を発症せずに済んでいるのだそうだ。
ところがひとたび何らかの方法でこの免疫の監視システムから逃れることのできる変異細胞が発生すると、その細胞は急速に増殖をはじめる。
増殖は更なる遺伝子変異を誘発し,変異細胞はさらにその変異度を増して正常細胞からかけ離れた性質を獲得するだけでなく,増殖の加速や正常組織との結合性の低下と多臓器への浸潤傾向を示し,ついには癌細胞と呼ばれるに至るのである。
ひとたび癌細胞となれば生体のコントロールを受けることなく増殖・浸潤・転移し,癌細胞の圧迫により正常組織の機能が低下してその宿主が死ぬまで増殖を止めることはない。

ひるがえって人類の歴史を眺めてみると,我々の主としての性質が癌細胞に極めて似通っていることが理解できる。
まず第一に,癌細胞が生体の免疫システムの監視から逃れているのと同様に、人類は地球上に現存する種族のうちで唯一淘汰の圧力から解放され,環境に自らを合わせて進化するのではなく、自らに合わせて環境を変化させることのできる種族である点だ。
人類以外の種族は常に自然界からの淘汰の圧力を受けており、環境に適応できない個体や疾病・奇形などの生存に不利な特性を持って生まれた個体は淘汰を受け生存することができず,その数は一定に保たれる。
ところが人類は自らの欲望に合わせて環境を作り替えることが可能であり、この自然界による淘汰の圧力がほとんど作用しない。
原野を切り開いて都市を建設し,山を切り崩して道路を造り,海を埋め立てて新たな土地を造るだけでなく,疾病を治療するために医療を発明して新生児死亡率を減少させるとともに個々の寿命を延ばし,ついにはあらゆる生命の設計図である遺伝子の解明とそれを用いた遺伝子治療まで行うことが可能となった。
人類は「淘汰」という人類以外の種族が自然界から受けるコントロールを逸脱し増殖する存在なのである。

第二に,人類の人口増加パターンと癌の発症パターンが極めて似通っている点だ。
こちらのグラフを参照していただきたいのだが,人類の人口は紀元前1000年頃までは緩やかな増加だったものが徐々に加速、紀元1000年の後半から幾何級数的な爆発的増加を示していることがよく分かる。
紀元前1000年頃を期に起こった人口の増加は農耕の発明と文明社会の形成時期と一致し、農業革命により人類が自然をコントロールする術の第一である農耕と都市建設を修得した結果だと考えることができる。
しかしそれでも人口増加は緩やかであり,この時点ではまだ人類は自然界の淘汰の圧力から完全に脱しておらず、飢饉や伝染病の流行といった自然界の影響を強く受けていた。
ところが18世紀にイギリスで発生した産業革命の発展と資本主義社会の形成は、あらゆる分野で人類の文明の発達を急激に加速させ様々な技術を生み出した結果,人類は自然界による淘汰の圧力から完全に逸脱して人口の爆発を来したと考えることができる。
この過程は,癌細胞が新たな遺伝子変異を獲得してその性質を変え,急激に増加する様とそっくりなのだ。
そしてこの人口爆発に合わせて地球規模の環境汚染や他種属の絶滅が進行し,現在地球がどのような状況にあるかはみなさんもよくご存じであろう。

人類に発生した最初の変異は,おそらく大脳新皮質の形成を司る遺伝子群におけるものだったと考えられる。
この変異は人類が他種族との生存競争に打ち勝つために有利に働くと共に,二足歩行による手の使用が刺激となって更なる大脳新皮質の増大をもたらし、さらなる変異を増加させていった。
そしてこの人類の遺伝的特異性~異常に巨大化した大脳新皮質を形成する遺伝子群~によって生み出された農業革命と産業革命が、人類を自然のコントロールから逸脱させ,爆発的人口増加と限りのない欲望による環境破壊・他種族の絶滅をもたらしている。
人類は,間違いなく地球の「癌細胞」なのだ。

現在も人類は爆発的な増加を継続しており2050年には100億に迫ると推測されているが、人口の6%でしかない先進諸国が世界の富の59%を所有し欲望にまかせた高エントロピー資本主義文明社会を形成し、ありとあらゆる手段で自然を変化させ,エネルギーを収奪し、他の種族を次々と絶滅に追いやり,あまつさえ生命そのものまで作り変える事を試みている。
その一方で文明社会からとり残された人々は飢餓に苦しみ、宗教と民族を原因とした戦争はなくならず,地球を数回滅亡させることが可能なだけの核兵器を保有するという極めて歪んだ状況を作り上げている。

前述したように,癌細胞は無秩序な増殖と転移により正常細胞を圧迫した挙げ句、宿主とともに滅亡する。
人類も癌細胞と同様,爆発的な増殖と過度に発達した文明により地球を食い荒らした挙げ句,母なる地球と滅亡する運命なのだろう。
その日が自分の子供たちが生きている時代に来ないことを祈るばかりである。

今日の箴言
「癌は致命的」

小泉首相という人物~その歴史的意義~

2005-07-12 06:51:13 | 論文・考察
先日の郵政法案のきわどい衆議院通過は、小泉首相の求心力の低下と政治手法の限界を露呈し一気に政局を流動化させている。
現在の参議院における議論でも,小泉首相と政府は伝家の宝刀である衆議院解散権を楯に反対派を恫喝する一方で参議院での修正を匂わすなど、まさに「飴とムチ」を使ったなりふり構わない戦術でなんとかこの法案を成立させようと必死だが、以前とは異なり党や派閥による議員のコントロールが効かなくなりつつある現在の自民党では、こうした戦術がどこまで効果があるか疑問であり,特に解散がなく特定郵便局組合の影響力の強い参議院では郵政法案の否決は避けられないと思われる。
小泉首相は以前から自分の任期は2006年秋までと公言しており総裁職にこだわりがないことは明白だし、郵政民営化が最大の政治目標であると再三主張していることからも,参議院で否決されれば衆議院解散は確実に実行され,結果自民党は分裂して政権を離脱、彼の公約の目玉であった「自民党をぶっつぶす」という事態が図らずも実現する訳だ。
残り少ない彼が日本の首相である日々に、彼の歴史的役割を再度検討することは今後の日本の政治や将来を考える上で大変重要なことだと思う。

彼の歴史的意義の第一は,「政治は国民によって変化しうる」という当たり前だが日本人の多くが忘れていた事実を国民にまざまざと見せつけたことだ。
失言総理大臣森喜朗の退陣を受けて総裁選候補に三度目の立候補をした時,彼が総裁になることをいったい誰が予想し得ただろうか。
自民党総裁選挙の常態であった派閥力学・政治力/資金力・根回し・院政政治のどの観点から見ても,彼が自民党の総裁に選任される可能性はほぼゼロであった。
野中務氏をはじめとする自民党実力者を名指しで批判し,強力な自民党の後援団体であった特定郵便局の民営化を公言し「自民党をぶっつぶす」と息巻く小泉氏は、自民党内では異端であり当初は「変人」とまで揶揄されていたのだ。
ところが総裁選が近付くにつれ,自民党支持者だけでなく国民を巻き込んだ彼に対する支持と熱狂が自民党を大きくゆるがし,最終的には一般自民党員の圧倒的支持を受けて橋本龍太郎氏をはじめとする他候補に地滑り的勝利を収めて自民党総裁に就任したのである。
もちろん反小泉派の面々が指摘するように、彼のルックスや過激な発言・巧妙な宣伝活動と優秀なブレーンによる情報操作により、バブル崩壊後のデフレ経済と社会システムの劣化に強い閉塞感を抱いていた国民が冷静さを失って熱狂した側面は否めないが,それでも「国民が動けば政治は動く」という民主主義の根本的原理を国民に認識させた功績ははかり知れない。

彼の歴史的意義の第二は,北朝鮮による日本人拉致事件を自らが金正日主席と会談することで白日の下にさらけ出し,一部の拉致被害者とその家族の日本帰国を成功させたことだ。
小泉首相以前の首相や政治家で,北朝鮮の日本人拉致問題解決に真剣に取り組んでいたのは,ほんのわずかな人々に過ぎない。
多くの首相や国会議員は,北朝鮮が日本人を拉致した事実に気が付いていながら,朝鮮総連からの圧力・外務省の親中国派の意向・左翼系マスコミによる糾弾を恐れて見て見ぬ振りを決め込み、家族会の訴えに耳を塞いでいたのである。
正義と平和の党・社民党などは、「北朝鮮拉致疑惑は右翼による捏造である」とまで言い切り家族会の人々を犯罪者呼ばわりまでしていたのだ。
この問題を正面から取り上げることは極めてリスクが高いことは小泉首相は十分に知っていたはずだし,狂った独裁者の王国・北朝鮮を訪問する危険性も十分認識していたはずである。
何せ相手は国際ルールの通じない相手であり,首相の拉致や殺害も可能性がなくはなかったのだ。
しかし小泉首相は金正日氏と直談判せねば解決策が得られないことも良く承知しており,選挙対策や自身の求心力を回復させるための方策であった側面は否定できないとしても,自ら北朝鮮に出向いて北朝鮮に日本人拉致を認めさせ一部の被害者を日本につれて帰ってきた事実は賞賛に値する。
彼は歴代の総理大臣や政治家がなし得なかったことを、身を挺してまで実行したのである。

彼の歴史的意義の第三は,憲法による制約を無視してまで自衛隊をイラクに派遣し,アメリカのイラク戦争を支持したことにより日米同盟を強固にしアメリカの信頼を勝ち得たことで、増大する中国の脅威から日本を防衛する手段を確立したことだ。
「日米同盟の意義~その重要性~」でも述べたが,今後の日本では急速に増大する中国の圧力に如何に対抗するかが国家の存亡を左右する。
朝日新聞や共産党のように史上最悪の非民主主義体制である共産主義体制を受け入れ,数千万人の虐殺を世界革命のためと割り切れるのであれば話は別だが,中華思想をもちアジアの覇権を意図する中国共産党に対していかに国土と日本国民を守るかが、政府と政治家に課せられた最重要項目なのだ。
前述の様に,日本単独で中国の脅威から自国を防衛することは不可能であり,強大な軍事力と巨大な経済力を持つアメリカとの同盟関係を強化・維持することは国際戦略上極めて妥当な判断なのである。
左翼マスコミや左翼政党、果ては政権担当政党を自負する民主党(笑)までもがイラクへの自衛隊派遣に反対したが,国際世論の中で孤立していたアメリカを強力に支持し憲法を曲げてまで自衛隊を派遣したからこそ、アメリカは日本を同盟国とみなし中国の脅威から日本を守る後ろ楯となってくれているのである。
こうした人々は「アジアにおけるバランサー論」などという寝言をほざき,アメリカの政策にことごとく反対して孤立を深める韓国が現在どのような状況にあり今後どうなるのか,しっかり見つめておいた方が良い。

小泉首相の政策や政治手法には同意できない点も多々ある。
彼は日本社会を「共生が第一のムラ社会」から「競争と淘汰を中心とした社会」へ作り替えたし,その過程で多くの弱者が切り捨てられているのも事実である。
終身雇用制や官・民の協力をはじめとする日本の伝統的社会システムは彼の任期中にことごとく崩壊し,その一方で新たなシステムは構築が遅れ,少数の「勝ち組」と多数の「負け組」が生まれその格差は広がる一方だ。

しかし小生は小泉首相を高く評価しているし,歴史的に評価すれば戦後の歴代首相の中でベスト5に確実に入る人物だと思う。
バブル崩壊以降日本は抜本的な社会システムの変革に迫られていたにもかかわらず、それを成し遂げられずに更なる深みに嵌るという悪循環を繰り返していた。
日本的な社会システムはもはや世界では通用せず痛みを伴う改革が必要であり、それを多くの国民や政治家は認識していたにもかかわらず,誰も改革に取り組もうとはしなかった。
不正や犯罪がはびこり日本人の美徳の多くが失われ,汚職が蔓延して政府の権威は失墜し、国家財政は破綻の一歩手前まで悪化していた。
理由は何であれ、誰も取り組もうとしなかった,もしくは取り組めなかった抜本的改革に真正面から立ち向かったのが小泉首相だけだったからである。

小泉首相の改革は未だに路半ばであり,またその内容も官僚や党との妥協のために多くは効果に疑問符が付く不十分なものだ。
しかし彼が総理大臣になったこと,彼が改革を主張して国民の多くが彼を支持したこと、彼の登場によりそれまでの自民党の支配体制が完全に崩壊し新たな政治の動きが生まれたことは歴史的に非常に意義あることだ。
彼は反対派の人々が指摘するように良いものも悪いものも含め多くのものを破壊した。
しかし破壊して初めて改革できるという側面もある。
特に和を重んじる日本人は自らの手で抜本的改革を実行することが極めて困難な民族であり,歴史を見ても明治維新然り、第二次世界大戦後の経済復興然り、抜本的改革は常に外圧によるやむにやまれぬ結果であった。
小泉首相の存在意義は「破壊する」ことそのものであったのだ。
そしておそらく彼ができる最後のことは,衆議院を解散して自民党を崩壊させ,戦後脈々と継続してきた自民党と政府・官僚・経済界の癒着と日本的政治形態を終焉させ、新たな時代に道を開くことであろう。

今日の箴言
「批判は易く,実行は難し」

第三の敗戦を繰り返さないために~其の五:真の国際化~

2005-07-06 05:23:30 | 論文・考察
シリーズで連載している「アメリカ文化雑感」でも述べているが,インターネットを含めた情報技術が急速に進歩し、世界のあらゆる情報を手に入れることが可能になった現代でも,実際に海外に住んでみると日本との文化・習慣の違いに驚かされる。
昔からの格言に「他国に住んで3ヶ月経つと其の文化を理解した気になるが,3年経つとまた分からなくなる」というものがあるが,それほどまでに生まれた時から身に付いた文化や習慣というのは奥が深く、異なった文化や習慣を理解することは容易ではない。
そして異なった文化や習慣を理解することができず、自国の文化を最高のものであると誤解して他民族に押し付けた結果、「大東亜共栄圏」「西洋列強からのアジア解放」という高い理想とはかけ離れた侵略と原住民の抑圧的統治に陥ったのが第二次世界大戦時の日本であった。

第三の敗戦を繰り返さないために~其の四:誤った民族主義への警鐘~でも述べたが,日本が第二次世界大戦において日本の植民地化を阻止し,欧米列強からアジアの植民地を解放するために戦争を行ったことは議論の余地はない。
だからこそ初戦の勝利により欧米列強を駆逐し進駐してきた日本軍を、アジア各国の人々は「解放軍」「アジアの盟主」として喝采と共に迎えたのである。
また日本軍が現地の人々に実施した教育制度の普及と様々な工業技術の供与により、アジア諸国が西欧列強から富を収奪されるだけの植民地から経済的自立が可能な独立国へ発展する手助けをしたことは間違いない。
事実、第二次世界大戦中に日本式教育を受けた人々の多くが戦後のアジア各国の独立闘争で指導的役割を果たし、欧米列強の帝国主義を終焉させ世界に民主主義国家が多数誕生するきっかけとなった。
また韓国や中国では、日本の占領とこれにより実施された教育制度により文盲率が低下し教育が普及したことで、誤った風習の改善や身分制度により硬直化し腐敗した支配階級の崩壊を招き,戦後の発展に寄与したことはいくら両国が歴史を捏造し,反日教育を行っても消すことのできない真実である。

それでは、第二次世界大戦中の日本の高い理想や正しい統治政策にも関わらず、現在でもアジア諸国,特に長期間日本が占領・統治を行っていた韓国や中国に反日感情が激しく、多くの問題が生じているのはなぜなのだろうか?

確かに両国が自国民をまとめ政府への批判を封じるため・多額の賠償金を日本から奪うため国策として反日政策と歴史捏造を行っているのは事実である。
またアジアの島国であるにも関わらず,いち早く産業革命と西欧化を成し遂げた挙げ句に宗主国(笑)である中国を侵略したというアジア人としての反発もあるのだろう。
しかしこうしたアジア民衆の日本人に対する反発の根本的原因は,日本人が他民族の文化や風習を理解し尊重せず、自分達の文化を強要したことに他ならない。

第二次世界大戦時は現在の様に世界の情報が手に入る訳もなく,他国の情報は一握りのインテリにのみ伝えられるだけで,一般の人々が他国の文化・風習を理解できなかったことはやむを得ない。
しかも日本人はアジアの中で唯一西洋化された社会を持ち高い教育レベルと豊かな生活を享受しており,西欧列強の植民地政策のもとで奴隷として過ごしていたアジアの人々を見て未開・野蛮と考えたの当然のことであろう。
しかし問題は国家の指導的立場にいる人々までもが他文化や他国の事情に疎いばかりか、それを学ぼうとさえせず,日本文化を最高のものとし他国に強要する占領政策を推し進めたことである。
これは日本人が元来島国民族で,他国に侵略・占領された経験がなく文化や民族という概念に乏しかったことに加え、明治維新以降西洋化と富国強兵を推し進めて急速に国力を向上させてきた自信が民族主義と結びつき、「皇国史観」を形成したためである。
こうした「皇国史観」に基づく占領政策と、日本の言語・風習・文化を現地住民に強要する教育政策は、住民の感情的な反発とこれによる占領政策への反抗を招き,占領を維持するために強権的占領政策を取らざるを得なくなりさらに反日活動が激化するという悪循環に陥った。
とくに文化的・政治的・経済的に3000年もの間、文字どおりアジアの盟主であり自分の文化に絶対の自信と誇りを持つ中国人には、日本人による占領と日本文化の強要は堪え難い屈辱であり、これにより中国各地で反日行動が激化し日中戦争が泥沼に陥る一因となったのである。

こうした日本人における他国の文化や風習を尊重し相手の感情を慮るという国際感覚の欠落が、過去のものと考えてはならない。

思い出してほしい,バブル経済の時を。

日本人は経済力を背景に、まさに「金に物を言わせて」世界中のあらゆるものを買いあさった。
多数の名画・貴金属・高級車、果てはアメリカの象徴とも言えるロックフェラーセンターまでも買収し,「アメリカと戦争せずとも金で国土を収奪できる」とまで豪語していたのである。
歴史の浅いアメリカ人にとって、ロックフェラーセンターはアメリカの経済力とその歴史の象徴とも言える建造物であり,これを日本人が所有することに感情的反発が生まれない訳がない。
多くの名画を所有していたヨーロッパの人々が,自らの歴史と文化の象徴である芸術作品を鑑賞目的ではなく投機対象として買いあさる日本人を快く思うはずがない。
いくら独立を手助けし経済援助をくれるからといって,売春ツアーと称して金で東南アジア女性の貞節を踏みにじる日本人をアジアの人々が尊敬するはずがない。
このように日本人は他国の文化を理解せず,他国の習慣を無視し、他国の人々の感情を考慮しないでバブル経済に踊ったあげくアメリカとの経済戦争に敗北し、厖大な不良債権を得た代わりに「礼儀正しく勤勉で節操ある日本人」という我々の先祖が努力して積み上げてきた名声を失ったのである。

一部のインテリ偏向評論家が言うような,「日本文化を否定し西洋文化を模倣する」ことが真の国際化ではない。
真の国際化とは,自分の文化を理解しそれに対する誇りを持った上で、他の文化を自分のものと同じように尊重することである。
戦後の偏向左翼教育は日本文化を否定し,武士道をはじめとする日本的価値観や倫理観を破壊し続けてきた。
その結果がバブル経済時の「エコノミックアニマル」と揶揄された醜態であり,現在の「親殺し子殺しが当たり前」な狂った社会なのである。
こうした教育を受け自分の文化に自信も誇りも持てないような日本人が,他の国の文化を真の意味で尊重することなどできるはずがない。
情報が氾濫しグローバル化が急速に進む現代だからこそ,我々は本当の意味での日本人の国際化につとめなくてはならないのである。

今日の箴言
「郷に入っては郷に従え」

第三の敗戦を繰り返さないために~其の四:誤った民族主義への警鐘~

2005-06-25 03:49:53 | 論文・考察
沖縄は23日、日本軍の組織的抵抗が終了したとされる日である60回目の「慰霊の日」を迎えた。
1945年4/1にアメリカ軍の沖縄上陸によって始まった沖縄戦は,牛島満司令官に指揮された日本軍の強固な抵抗により泥沼の地上戦に突入し,民間人を巻き込んでまさに地獄絵図となった。
アメリカ軍は54万人の大兵力を動員し圧倒的な物量を誇ったにもかかわらず、沖縄攻略に三か月近い日数と7万5千人にのぼる死傷者を出し、太平洋戦争で最も被害をうけた戦闘となった。
一方,十分な装備や食料もないまま「死守命令」を受けた7万5千人の日本軍と多数の沖縄県民は、絶望的な戦いと「捕虜となる辱めを受けず」と言う皇国教育にもとずく集団自決であわせて20万人以上の犠牲者を出して壊滅し、1945年6/23牛島司令官は自決し日本軍の指揮系統は完全に消失,この日を沖縄戦における組織的抵抗が終了した慰霊の日と定めているのである。

沖縄戦をはじめとする第二次世界大戦末期の歴史上類を見ない日本軍の玉砕戦は、良い意味でも悪い意味でも我々の心を強く打たずにはおられない。
特に神風特別攻撃隊として戦場に若い命を散らした兵士の遺言書や家族に宛てた手紙を読んだ時,彼等が崇高な理想と高度な知識を持ちながら迫り来る極めて理不尽で確実な「死」をなんと淡々と受け入れているかに驚き、その文章からにじみ出る憂国の情,母なる国・日本への思い,そして家族を守るという強い意志と崇高な自己犠牲の精神を知り、同じ日本人として涙せずにはいられないのである。
これは我々日本人だけでなく実際に日本軍と戦ったアメリカ軍兵士にも感じられた様で,彼等には考えられないような悪条件の中で強固に抵抗し最後の一兵となるまで戦闘を続けた日本軍兵士や、自らを爆弾の一部として戦艦に特攻してくる神風特別攻撃隊の操縦士を単に「クレイジー・モンキー」と吐き捨てるものばかりではなかった。
アメリカ太平洋艦隊司令長官ニミッツ提督は,ペリュリュー島の日本軍1万2千人がアメリカ軍の猛攻に最後の一兵となるまで強固に抵抗し、司令部全員が割腹自殺するという壮絶な玉砕を遂げたことに強く感銘を受けた一人であり,彼が建立した石碑にはこう書かれている。

諸国からこの島を訪ねる旅人たちよ
どうか伝えてほしい
この島を守るために日本軍人は
勇敢な愛国心をもって戦い
そして全員玉砕したということを

人類の歴史上「壮大かつ最も愚かな社会実験」であったソビエト連邦の崩壊とこれによる共産主義圏の消失は、今まで隠蔽されてきた共産主義による多くのグロテスクな現実を白日の下にさらけ出し,長年左翼系教師のもとで反日偏向教育を受けてきた日本人の心に大きな変化をもたらした。
今までは絶対的タブーであった憲法改正や自衛隊の合法化が公に議論されるようになっただけでなく,第二次世界大戦における日本の果たした役割やその意義について考えるとともに,いままでは「加害者」として常態化していた東アジア諸国に対する土下座外交を改める機運すら生まれるようになった。
反日偏向教育の象徴であった教科書に関しても,今までの左翼的自虐史観に疑問を投げかけ独自の視点から日本史を見つめ直すことを目的とした教科書が検定を通過し、教育現場で使用可能となった。
また次世代を担う若者に小林よしのり氏をはじめとする新世代民族主義に強く賛同する人々が現れ,左翼系の人が呼ぶ「ネット右翼」「ネチズン」と呼ばれる集団を形成しているのは周知の事実である。
こうした近年の流れは,偏向した左翼的自虐教育と左翼系マスコミによる情報操作から人々が解放され,第二次世界大戦を再度自分の目で見直すことでこれまで否定されてきた日本人的価値観を取り戻そうとする動きであり非常に喜ばしいもののはずなのだが,残念ながら小生はこの流れの中に非常に危惧すべき点があると考えている。

それは左翼的価値観からの急速な反動の結果,日本人が再び自己中心的で独善的な民族主義に陥る危険性だ。

小林よしのり氏をはじめとする新世代民族主義の人々は,彼の著書「戦争論」にも記されているように、左翼系教育者や左翼系マスコミが封殺してきた第二次世界大戦における日本の果たした正の側面に焦点を当てることで人々に訴え,共感を得ることに成功している。
すなわち、

1. 第二次世界大戦以前の帝国主義時代において,日本はアジアで唯一の独立国であり,欧米列強の侵略から日本を防衛するためには帝国主義的政策をとる必要があったこと。
2. 太平洋戦争の開戦は,アメリカの貿易封鎖とハル・ノートによる最後通牒により,やむにやまれぬ決断であったこと。
3. 黄色人種が白色人種と対当もしくはそれ以上に戦えると言う事実を世界中に知らしめ、多くのアジア民衆が日本の勝利に喝采を送ったこと。
4. 第二次世界大戦中の占領地で日本軍により教育を受けた人々の多くが第二次世界大戦後独立運動の指導者となり,帝国主義時代の終焉をもたらしたこと。
5. 左翼的偏向教育とは異なり,神風特別攻撃隊をはじめとする多くの日本軍兵士が崇高な理想と母国防衛の情熱に燃えた勇敢な戦士であったこと。
6. 日本軍の神風特攻や玉砕を辞さない凄まじい抵抗がアメリカ軍の本土上陸を躊躇させ,結果戦後の国体および天皇制の維持につながり,現在の日本繁栄の礎となったこと。

以上の主張に関しては小生は諸手を挙げて同意する。
第二時世界大戦は、我々が偏向教育の中で押し付けられた様に「帝国主義に狂った日本政府と軍部がアジアを侵略して非道の限りを尽くした挙げ句、多くの日本人とアジア人を犠牲にして正義の国アメリカと中国に敗北した」戦争ではない。

しかしこうした主張の問題点は,反動のあまり客観的な視点が欠落し、左翼系教育者の場合と同じく歴史の持つ違った側面や事実を無視してしまっている点だ。
確かに日本軍兵士の多くは「大東亜共栄圏」という理想を持った勇敢な兵士であったが,その理想の高さ故に独善的となりアジアの民衆を蔑視し,戦況の悪化により多くの残虐な行為や虐殺,捕虜の虐待を行ったのは事実である。
また玉砕攻撃や神風特別攻撃隊に代表される兵士の気高い自己犠牲精神と日本防衛の情熱とは裏腹に,「第三の敗戦を繰り返さないために~其の二:責任の明確化~」でも述べた様に、兵士を指揮する軍指導部では統帥権を楯に無謀な作戦を連発する辻政信のような参謀や、インパール作戦を強行した上に失敗の責任を部下に押し付け自分は娼婦と戯れていた牟田口廉也のような将軍が権力をほしいままにしていたのだ。
彼等の兵士の生命を軽視する姿勢・自己の権力と体面の維持・統帥権を楯にした専横が、補給を軽視した無謀な作戦の乱発や戦略的に無意味な死守命令を招き,結果日本軍は各地で補給もなく分散したまま圧倒的なアメリカ軍に各個撃破され民間人を巻き込んで玉砕するという悲惨な敗北を繰り返したのである。

遺書にもあるように非常に高い教養と理想を持ち日本防衛の情熱に燃えていた若い兵士たちを,提案した司令官大西瀧治郎中将自らが「邪道の作戦」と呼びその成功率も通常攻撃と比し高くはなかった神風特別攻撃隊として使用したこと,日本軍兵士の死因の多くは実際の戦闘による戦死ではなく補給の軽視から招いた食料の不足による餓死・病死であったこと、沖縄戦では住民を巻き込んだ地上戦の狂気の中、日本軍による虐殺や自決強要により10万人以上の沖縄県民が犠牲となったことは、目を背けてはならない歴然とした事実である。

第二次世界大戦では、欧米列強からアジアと日本を守るため日本は高い理想をかかげて勇敢に戦い、多くの兵士は祖国と家族のためその尊い命を犠牲にした。
だからこそ、第二次世界大戦を単に賛美・美化するのではなく,彼等を現地で略奪をせざる得ないような状況に追い込み,無謀な作戦で戦略的に無意味な死守命令のもと多くの兵士を玉砕させた軍指導部の無能さと卑劣さをしっかりと認識しなくてはならない。

神風特別攻撃隊の提案者・大西瀧治郎中将は常に自分の実施した作戦に苦悩し、多くの若い命を空に散らせたことに責任を取って「吾死を以て旧部下の英霊とその遺族に謝せんとす」との遺書を残して敗戦翌日割腹自殺した。
しかし他方では多くの兵士を無駄死にさせ悲惨な敗戦を招いた張本人である辻政信参謀と牟田口廉也司令官は、ともに責任を取ることなく戦後長寿を保ち自己の正当性を声高に叫び続けたのである。

人は聞きたいことしか聞かず見たいものしか見ない傾向があり,われわれの祖父たちが「残虐な日本兵」であるとするより「勇敢な兵士」であるとするほうが受け入れやすい。
第二時世界大戦の意義を見直し、日本と家族のために勇敢に戦い死亡した兵士たちの失われた尊厳を取り戻すのはすばらしいことだ。
しかし同時に日本軍指導部の愚かさ、唾棄すべき人々の存在、日本軍が行った残虐な行為を正当化することがあっては決してならないのである。

現代に生きる我々は,崇高な理想のもとで戦った多くの兵士の死を無駄にしないために,偏狭で独善的な民族主義に陥ることなく、客観的に歴史を見つめ,反省すべきは反省し,それをこれからの日本に役立てて行かねばならない。

今日の箴言
「諫言は耳に痛く,良薬は口に苦し」

共産主義の宗教化~自己批判なき人々~

2005-06-16 05:27:44 | 論文・考察
先日の朝日新聞記者ブログ炎上事件や、マスコミのいわゆる左翼系知識人の言動を見ていると、共産主義の宗教化について考えざるを得ない。

共産主義の提唱者・マルクスと始祖・レーニンは「宗教はアヘンである」と言って宗教を全面的に否定したが、何のことはない100年後には自らが宗教となってしまった。

キリスト教をはじめ全ての宗教の特徴は、
「教義に対する盲信と絶対的服従」
「指導者の神格化と権力の集中」
「宗教・教義を批判するものへの高い攻撃性と残虐性」
である。

分かりやすくキリスト教を例に取ってみれば、「イエスキリストが人類の罪を背負って処刑された後復活した」という教義を無条件に信じることが大前提であり,これを科学的に批判・検証することは許されない。
先日死亡したローマ法王ヨハネ・パウロ2世の例とその後の宗教指導者にあるまじき権力闘争を取ってみても、彼等の権力がいかに絶大であるかがわかる。
他宗教や宗教を批判するものへの残虐性は、歴史をみれば十字軍からイラク戦争まで数えられないぐらいの例を挙げることができる。
こうした宗教の特徴、特に悪い面ばかりを現在の共産主義は全て持ち合わせていると考えざるを得ないのだ。

共産主義に重大な思想的欠点があることは、その「理想主義的主張(笑)」とは裏腹に,在任中に1億人を粛正したスターリンの大虐殺・3か月で自国民の半数300万人を虐殺したポルポト政権・ソ連崩壊と共に公表された資料・現在の北朝鮮と中国の現状を見れば明らかである。
米ソの冷戦中は「アメリカのプロパガンダ」という言い訳が使えたが、ソビエト連邦崩壊後公表された秘密文書は共産主義諸国の現実がアメリカのプロパガンダ以上に凄惨なものであったことを白日の下にさらけ出した。
農業政策の失敗による数千万人の餓死者、官僚の腐敗と権力闘争による粛正、硬直化した政策による経済破綻、思想とは裏腹に拡大する貧富の差等々、見るも無惨でグロテスクな状況が共産主義のもとで生まれ、多くの人々が犠牲となったのである。
ところがこうした現実を知っても、共産主義者の多くは自己の主義を改めようとはしない。相変わらず「アメリカのプロパガンダ」の一点張りか、良くても「スターリンは悪かったが,中国は違う(笑)」と言うのがせいぜいだ。
彼等は主義主張を科学的に検証し批判することを完全に放棄しているのである。
だからこそ自己の正義を盲目的に信じ、朝日新聞に見られるような恣意的な情報操作をいとも簡単にやってのけるのだ。
これは共産主義に対する盲信と絶対的服従に他ならない。

また,共産主義諸国において指導者に権力が集中し独裁体制となりやすい事実は歴史が証明している。
ヒトラーよりもソ連国民を殺したスターリン都市ごと市民を虐殺したポルポトは言うにおよばず、北朝鮮のプチ皇帝金正日を見ても、共産主義が悪逆な独裁者を資本主義以上に作りやすいシステムであることは明らかである。
これは共産主義が建前上の理想主義で形成されていることに大きな原因がある。
建前上「優秀で勤勉な国民」が「最も優れた主義を持つ共産党」の「優秀な代議士」により選ばれた「世界を革命する指導者」に導かれて革命を遂行するという赤旗新聞の紙面を埋め尽くしている文言で政治が動いているため、指導者に権力が集中し批判検証が困難になってしまうのだ。
この傾向にさらに拍車をかけるのがレーニンの階級闘争理論であり、この理論に従って権力者は反対派を大量に粛正することができるのである。
こうした共産主義社会における権力者の絶対性は宗教指導者のそれと限りなく一致しており、さらに独裁者が自国民を虐殺する構図は絶対的権力を得た宗教指導者が時に暴走して犯罪を犯す構図と全くと言って良いほどの類似性がある。

最後に、共産主義者の多くは共産主義を批判する人物や組織への高い攻撃性と残虐性を示す。
先ほど述べた朝日新聞記者ブログ炎上事件でも、Okuma氏なる朝日新聞記者(実名・経歴全て強制公開済み)は自己の主張に反論する人々を片っ端から「ネットウヨ」「小林よしのり信者」「右翼」とレッテルを貼り、ネットの礼儀をわきまえず誹謗中傷を繰り返した。
彼だけでなく多くの左翼主義者や左翼系知識人と言われる人たちが自分の主張に対する反論に耳を貸さず、反対派を「右翼」と決めつけ激しく批判する様は、某「朝まで生テレビ」でもお馴染みであろう。
また彼等の多くはいわゆるエリートであり(Okuma氏は京都大学出身だった)、「愚かな国民を指導して世界革命を実行する(笑)」という理想に燃え上がっている。そのためであれば何でも許されることになり、前述した情報操作はもちろん、個人の誹謗中傷や虚言は全く気にしないのである。

こうして見ると、共産主義がもはや「主義」ではなく、某統一教会や某オウム真理教と同じ「宗教」であり、共産主義者は「狂信者」であることが理解できる。
彼等は100年前にマルクスが唱えレーニンが開始した「共産主義」と言う名の宗教を信じる狂信者の集団なのだ。
だから科学的な批判検証を受け付けず、いまでも「世界同時革命」などという夢物語を信じ、アメリカを批判する一方で自国民を虐殺し日本の領土を侵略する中国との友好を呼びかけるのである。
こうした人々が「知識人」「教育者」「ニュースキャスター」として幅を利かしている日本の現状を憂慮せざるを得ない。

今日の箴言
「共産主義者と議論するのは、オウム真理教信者と議論するのと同じ」