安倍首相の「積極的平和主義」は盗用だった!言葉をつくった世界的権威の学者が「正反対の意味で使っている」と徹底批判!
2015.08.24. リテラ
安倍晋三首相が繰り返し使いつづけている「積極的平和主義」という言葉がある。先日の戦後70年談話でも〈「積極的平和主義」の旗を高く掲げ、世界の平和と繁栄にこれまで以上に貢献してまいります〉と述べたが、いま、この言葉の“産みの親”が安倍首相に「中身が違う」「盗用だ」と怒りを露わにしている。
「おそらく安倍首相の言う『積極的平和主義』は日米の軍事的な同盟をベースとしており、日本が米国の戦争を一緒に戦うことになる。私の『積極的平和』と中身は違う」(東京新聞、8月20日付)
「(安倍首相は)私の言葉を盗んで正反対の戦争準備をしている」(沖縄タイムス、8月22日付)
こう発言しているのは、今月20日に来日したノルウェーのヨハン・ガルトゥング博士だ。ガルトゥング博士は“平和学の父”とも呼ばれる著名な学者で、今回の来日を企画した映画配給会社「ユナイテッドピープル」の社長・関根健次氏のブログ記事によると、来日前には〈私が1958年に考えだした「積極的平和(ポジティブピース)」の盗用で、本来の意味とは真逆だ〉と関根氏とのSkypeで語ったという。
このようにガルトゥング博士が反論するのも当然で、じつは安倍首相の言う「積極的平和主義」と、平和学における「積極的平和」とは、まったく違うものだ。
まず、ガルトゥング博士が提唱した「積極的平和」とは、〈単に戦争がない状態を消極的平和と呼び、社会正義が果たされて飢餓や貧困もなくなった状態を積極的平和と呼んだ〉ことから生まれた概念だ(児玉克哉、中西久枝、佐藤安信『はじめて出会う平和学』有斐閣)。
そもそもガルトゥング博士は、1950年代後半に20代という若さで国際平和研究所を設立。当時、平和研究の分野では、おもにアメリカが冷戦状況から米ソ核戦争を回避させる研究が進んでいたが、ガルトゥング博士は〈北欧から見れば、むしろ、五〇年代、六〇年代に生まれてきたアジア・アフリカの新しい国の貧困という惨憺たる状態を生み出す国際構造を研究しない限り、国際平和を研究したことにならない〉と考え、〈まったく違ったスタンスで、研究をはじめ〉たという(高柳先男『戦争を知るための平和学入門』筑摩書房)。
つまり、平和について考える際、核軍拡にフォーカスした議論では飢餓や貧困といった開発途上国の問題は軽んじられてしまう。こうしたなかで、ガルトゥング博士は「積極的平和」という概念を提唱した。
これが新しかったのは、さらに〈暴力の概念を、直接的暴力と構造的暴力とに分け、戦争を直接的暴力に、飢餓や貧困を構造的暴力に位置づけた〉ことだった。
このガルトゥング博士の概念により、平和学は核軍縮や戦争の問題にとどまることなく、〈不平等や経済的不公平、社会的不正などといったものにまで、アプローチすべきものという認識が確立〉されることになったのだ(前出『はじめて出会う平和学』)。そのため平和学は、環境問題、ジェンダー問題、人権の抑圧、経済の問題など、さまざまな研究領域を含むことになった。
戦争をなくすだけでなく、人が貧困や抑圧といった暴力を受けない状態を目指すこと。これこそが正しい意味での「積極的平和主義」だ。対して、安倍首相の言う「積極的平和主義」とは、どんなものか。
安倍首相が「積極的平和主義」という言葉を使いはじめたのは、2013年に開かれた「安全保障と防衛力に関する懇談会」での挨拶と言われているが、それからというもの、ことあるごとに国内外で「積極的平和主義」を連発してきた。
だが、「新たに積極的平和主義の旗を掲げる」と述べた13年9月の国連の演説で説明したのは、「国際平和維持活動をはじめ国連の集団安全保障措置に、よりいっそう積極的な参加ができるよう図っていく」ということだった。
同様の意味で13年12月に閣議決定された「国家安全保障戦略」でも、「積極的平和主義」は日本の安全保障戦略の基本理念として掲げられているが、安倍首相はこの「積極的平和主義」を実現させるためには安保法案が必要だ、といま主張しているのだ。
つまり、アメリカと一緒に有事の際の行動に参加し、海外に自衛隊を派遣して、さらなる武器使用を認める法案こそが「積極的平和」だと言っているのだ。──こんな意味で言葉を使われるとは、盗用どころか悪質な誤用であり、あらゆる戦争や紛争、貧困や抑圧をなくす方法を研究してきたガルトゥング博士が怒るのも無理もない話だ。
最初に「積極的平和主義」を“誤用”したのは、保守系のシンクタンク・日本国際フォーラム理事長の伊藤憲一氏が1991年に出版した著書『「二つの衝撃」と日本』(PHP研究所)だといわれているが、安倍政権はこれを現在にいたるまで、本来の意味を理解しないまま、あるいは確信犯で、「積極的平和」という言葉に含まれる耳ざわりの良さを利用し、誤用したまま使用してきた。
しかし、「積極的平和」という言葉は、本来の意味があってこそ、人びとが目指すべき概念となる。戦争のきっかけづくりに使われる言葉ではあってはならないものなのだ。
だからこそ、ガルトゥング博士は来日を決意し、このように安倍首相に疑問を投げかける。
「日本はアメリカに依存しており、これでは平和に貢献することはできない。私が話すことができるのは、もし日本がアメリカに依存しない独立した(independent)国になったときにできることです」
(東大新聞オンライン、8月22日付)
「私は、日本がこう主張するのを夢見てやまない。『欠点もあるが憲法9条を守っていく』『憲法9条が当たり前の世の中にしよう』『軍隊は持たず、外国の攻撃に備えることもない』『そして核兵器は持たない』と」
(朝日新聞、8月19日付)
ちなみにガルトゥング博士は、安倍首相との面会は叶わなかったものの、昭恵夫人と対談を行ったらしい。前述した関根氏のFacebookの投稿によれば、〈ガルトゥング博士からはたっぷりと平和学における「積極的平和」をお伝えする時間がありました〉という。
ここはぜひ、アッキーから安倍首相に「積極的平和主義って言葉、意味と使い方が間違ってるよ!」と指摘してくれればいいのだが……。