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とりあえず西洋絵画から始めて、現代日本作家まで

小妻 要

2010-07-12 | 日本人作家

 日本人作家

小妻 要【日本人作家】 小妻 要 Tattoo

小妻 要  おずま かなめ

1939年(昭和14年) 119日- 2011年 (平成23年) 927

絵師。
10代の頃から叔父である日本画家、坂井草子に絵の手ほどきをうける。
大学卒業後、デザイン会社に就職し、
1965年(昭和40年)から奇譚クラブに責め絵の投稿を始めている。
1970年代のSM雑誌ブームで一躍、責め絵師として注目を集め、
SMセレクト、SMファン、SMキング、別冊SMファン、SM秘小説、SMクラブ、
SM奇譚などの主たるSM雑誌に多くの作品を発表した。
刺青美人画を得意とし、国内外に多くの支持者をもつ。
元日本出版美術家連盟副会長。
(smpedia.com)

 

 

 

Kaname Ozuma、小妻容子 (Yoko Ozuma)、坂井勝利 (本名)

略 歴

1939年(昭和14年)、新潟県柏崎生まれ。
1950年(昭和25年)、叔父の日本画家・坂井草子(坂井辰次)に師事。
1956年(昭和31年)、上京、中央美術大学院入学
1958年(昭和33年)、肺結核療養のため新潟県柏崎市に戻る。
1959年(昭和34年)、柏崎市の小田印刷デザイン部に入社、画判、版下担当。
1962年(昭和37年)、再度上京。戸井版画工房入社。
1965年(昭和40年)、栗津画廊にて画業育成の指導を受ける。
1965年(昭和40年)、奇譚クラブ9月号に小妻容子『黒いコートの記憶から』が懸賞入選作品として掲載。
1968年(昭和43年)、栗津画廊を辞し、新聞、雑誌などの挿画、表紙画、口絵を描く。
1972年(昭和47年)、小妻要画集『女人幻想』(萃擁社)刊行。
1986年(昭和61年)、中央区銀座ロイヤルサロンギンザに於いて個展開催。
1987年(昭和62年)、小妻要、沢登みよじ、堂昌一、西村晴海、レオ澤鬼で「艶5人展」発足[注 1]。
1997年(平成9年)、報知新聞、文芸家クラブ大賞、挿画賞受賞。
2009年(平成21年)、ヴァニラ画廊に於いて個展。『刺青美女・縄の情念と柔肌の』
2009年(平成21年)9月18日〜11月28日、風俗資料館にて『小妻容子秘画帖~豊艶の濫り~』
2010年(平成22年)1月、初代彫蓮とボディーペイントショーコラボ制作。
2010年(平成22年)8月26日ー9月18日、ロサンジェルス「Known Gallery」にて"OZUMA KANAME & HORIYOSHI III - IREZUMI BIJIN"が開催。
011年(平成23年)9月27日、永眠。
2012年(平成24年)9月25日~10月7日、画廊浅草ブレーメンハウスに於いて『小妻容子追悼絵画展』。
2013年(平成25年)5月3日~5月14日、京都・京町家ぎゃらりぃほりかわに於いて『小妻容子三回忌原画展』。
2015年(平成27年)5月5日~5月17日、ギャラリー新宿座にて『一人称二人展(小妻要・小妻容子原画展)』

 

            小妻容子【Galleries】

 

奇譚クラブへ投稿した初期の絵からも分かるように、太った女性に対する嗜好があったようで、独自のスタイルを確立した後も、しばしば豊満な女性の責め絵を描いている。

 

 

 

 

 

 

 

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