ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ
シチリア島で発掘された、ローマ帝国時代の別荘(ヴィッラ)の跡。
ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレ(シチリア語:Villa Rumana dû Casali 英語 The Villa Romana del Casale)は、シチリア島のピアッツァ・アルメリーナ(Piazza Armerina)郊外約5キロメートルの場所にある。此処には、ローマ時代に制作された、モザイク絵画が数多く残されている。1997年にUNESCOの世界遺産に登録された。
ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレの建設が始まったのは4世紀のはじめの頃と推測されている。周辺のラティフンディアを含めた中心の別荘地としての建設されたものと考えられる。実用として用いられていたのは約150年に満たない期間であるが、それでもなお、東ゴート王国、ヴァンダル王国、ビザンツ帝国、アラブ人と次々と支配者が変わる中でも、人々は居住してきた。
ヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレが完全に放棄されたのは、12世紀の頃であり、当時、ヴィッラに居住していた住民は現在のピアッツァ・アルメリーナに移動したと考えられる。
ヴィッラのことは完全に忘れられ、また、ヴィッラの地域は農地へと一部転じていた。19世紀の早い段階で、数本の円柱が再発見された。その後、19世紀中に発掘作業が何度か実施されたが、本格的な発掘は、1929年と1935年から39年の2回の発掘作業を待たなければならなかった。
その後も、1950年代から60年代に大規模な発掘作業が実施され、現在の形を見せるようになった。その後も1970年代に小規模ながら発掘作業が実施された。
(wikipedia)
ビキニの起源は、これが最初か。
ルイ・レアール Louis Reard が最初に発表したのが、1946年の7月5日の事だそうだが、この頃にヴィッラ・ロマーナ・デル・カサーレの発掘が進められていた。
そうすると、ルイ・レアールが最初に、ビキニを発表したと言うのも、責められるべき話ではない。
近代以降の服飾文化は厳格で、肌の露出はとても制限されていた。
それが、第二次世界大戦以降になると、姓の「解放」とかが勧められたのは、たしかに認められる。だがルネッサンスとか、あるいはもっと大昔の古代ともなれば、お話しは変わってくる。