ワカキコースケのブログ(仮)

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ポップスってなんでしょう~ももクロと少女時代をきっかけに考えてみる

2013-02-01 01:46:05 | 日記


数日かかりきりだった台本仕事のひとつが片付いてきたのだが(僕の仕事のメインは売れない番組構成作家)、大体、こういう時は頭がキーンと回って、すぐに眠れない。試験勉強の最中ほど全く関係ない読書がはかどるみたいな経験を、どなたもおありと思うが、あれに近い。クールダウンのつもりで、いきなり、ポップスってなんだろうと改めて考えてみる。

最近、ももいろクローバーZの「サラバ、愛しき悲しみたちよ」を聴いて、おもしろいなー、とずいぶん感じ入ったのだ。
とてもJ-POPのシングルとは思えないような、情緒のまるでない躁的ビートで始まり、どんどんそれで押すから、ビックリすると同時に痛快。でも、ずっとこれでいくのか、と心配になった頃に、ガラッと転調。あれよあれよと曲想が変わった挙句、「サラバ、昨日を脱ぎ捨てて……」と胸をキュンとさせるメロディの大サビに至る。計算され尽くした解放感!

初めてレコードを欲しいと思った歌謡曲は、ピンクレディーの「ウォンテッド」だった。「私の胸のカギを……」と始まるコーラスから、クールなファンク風になり、さらに乾いたおしゃべりのブレイク(あれはひょっとしたらアイドル歌謡初のラップか)を経て、甘い甘い「好きよ、好きよ……」にいく、めまぐるしさにときめいた。
メロディの構築にともなうストーリー性、ドラマツルギーが、「ウォンテッド」と「サラバ」はよく似ている。

http://www.youtube.com/watch?v=OWSbfCPkTBk


曲調自体は違うが、少女時代の韓国での新曲「I GOT A BOY」も、1曲のなかでコロッコロと表情が変わり、まるで油断させない。プログレッシブ・ポップなんて、つい言いたくなる。あーなってこーなった後によくあるサビ、とイントロだけで察しがついてしまう日本語詞バラードをしっとり歌うようになってからは、少女時代を縁薄く感じていた。 「I GOT A BOY」ぐらい転調の嵐で攻めてくるとは思わなんだ。また好きになりそう。

アイドルの曲についてばかり触れているのだが、今は、アイドルについて語りたいのではない。
たかだか3~4分ぐらいの間に、音楽だけでアミューズメントな楽しさを与えてくれる、ポップスっていいなーとまず、しみじみ再認識したい。娯楽工芸の持つ視覚的要素の必然として、せっかくならかわいい女の子が歌ったほうがもっと作りこんで遊べる、展開が広がる、と作り手の格好の表現の場ともなり、ポップスとアイドルは密接になった、という順番だ。作り手のほうに意識を向けると何倍も楽しめるようになる点では、ポップスは映画と近い。

とにかく、「サラバ、愛しき悲しみたちよ」と「I GOT A BOY」のような、1曲のなかに2、3曲分の要素をブチ込んだ、過剰な構築のポップスがたまに現れてくれると、軽音楽全体へのワクワク感が久しぶりによみがえる。
同時に、ここまでの箱庭的スペクタクルには、爛熟・飽和のあぶなっかしさもある。

例えばポール・マッカートニーの「バックシート・オブ・マイ・カー」。あまりに天才過ぎてノッてるときはどうにも止まらなくなる現代のアマデウスが、『アビイ・ロード』のB面のような展開をまとめて1曲にしてしまった、おそらく一番やり過ぎた曲のひとつ。ふつうなら神がかった素晴らしい大サビと讃えられるメロディ、のみで出来ている曲だから、かえってメリハリがなくなり、代表作のうちにはカウントされないという。
それにもうひとつ例えれば、ダイアナ・ロスの「エイント・ノー・マウンテン・ハイ・イナフ」。アシュフォード=シンプソンのおしどり作家コンビが、ここでは、ドラマティックの上にドラマティックなアレンジを重ねたゴスペル・ミュージカルを作りこんでいて、ものすごい。大のつく名曲だが、あと一歩で退廃にいく。

そう、ポップスは工芸品ゆえに、定期的に異形なほど転調に凝り、音を重ね、極端に走る。ほとんど実験音楽みたいに過激になった一時期のマドンナやビヨンセなんかはもっと端的な例だろう。(そして代わりばんこのように、アコギ弾き語りのシンプルなメロディーの歌がヒットして業界のバランスを保つ。)
音楽は聴くのを楽しむだけで、つくりかたを知らない人間としては、ここをどう捉えればよいのか、よく分からなかったのだが、「ミュージック・マガジン」のバックナンバー(2004年3月号)をめくっていて、アッとなった。

原雅明という音楽ライターさんの一文、「マルチトラック録音が当たり前になった時代の弊害をもろに受けたのがジャズだったと思います」。
これが、目からウロコだった。
ジャズと同じように、日本の歌謡曲もバンドとの一発録音をやめることで、変質を余儀なくされた分野だ。(そこらへんはまた別の機会に書きたい)
翻って言えば、マルチレコーディングが前提になり、作曲・編曲の段階からその利点を活かす想定で作られる歌謡曲のことを、ポップスと呼ぶ。そういう仮定の定義ができる。そりゃそうだろうという認識は多くの方がとっくにお持ちだと思うが、こういう風に平明に書いてくれて、やはりそうなのかと視界を晴らしてくれることが、僕のようなシロウトには有難い。


映画館でバイトしていた時の先輩(ずっとあとで川原テツのペンネームで『名画座番外地』を書くことになる)に、僕はずいぶんレコードについて教わった。いちばんショックだったレッスンは、「『ブラウン・シュガー』をヘッドホンで聴いて、ギターを何本重ねているか数えてみろ」だった。
バイトから帰ってさっそくやってみた。おなじみのイントロ、♪ジャッ、ジャッだけで、アレ、1本、2本、3、4、5……、あとはもうワカラナイ、Hooh! テツさんのコーチで、ルーズで気ままなロックンロール・バンド、大事なのはノリ一発だぜ、みたいな涼しい顔をしてみせているローリング・ストーンズも、レコーディングではここまで細やかに音を作りこんでいる、イメージだけで判断してはダメ、と学んだ。

あの感動を思い出すと、ストーンズが実は脈々と持っているポップス・センスにも改めて気が付く。フィル・スペクターの〈ウォール・オブ・サウンド〉の方法論をギター・リフに活かして、ブルース・ロックをエンタテインメント化させる。それに成功したのが、「ブラウン・シュガー」だったということか。

結局、表面をなぞる、散らかった話しかできなかった。が、少なくとも、これだけは言える。ポップスは女子やミーハー向け、くだらない、と無碍に下に見るロック好きやジャズ愛好家と話をしてもあんまり面白くない、と感じる人がいたら、その知性のほうが正しい。
ただ、J-POPには、こんなもんだろう、と手馴れたルーティンで作られるものが確かにものすごく多く、僕もとても普段は付き合いきれないと思うクチなので、バカにするひとの気持も、実はけっこう分かる。そのなかから、工夫を凝らしているものが生まれた時に、十把一からげにしない柔軟性はもっと鍛えたいと、つくづく思う。


「サラバ、愛しき悲しみたちよ」を面白い、と感じた数日後に、作曲は布袋寅泰と知り、そうか! ととても納得した。でも、布袋がアイドル的存在に楽曲提供する時にかなりの冴えを見せるのは、80年代の山下久美子時代から知っていることなので、腑に落ちた分、少しだけ残念にも思った。布袋が悪いわけでは全くなくて、新しい発見、未知の作り手との出会いでは無かったのか……というこちらのエゴの問題。

逆に、山下久美子ってよく知らない、というももクロファンの人がいま聴いたら楽しんでもらえるんじゃないかな。桑田佳佑による原由子「恋は、ご多忙申し上げます」と並ぶ“モータウン祭り”の「SINGLE」もいいけど、僕はかなり久し振りに山下久美子のCDを引っ張り出し、ずっと前に布袋がすでにももクロみたいなことをしていた、と頭に置いて「微笑みのその前で」を聴き、とても面白かった。
 


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