歯医者の待合室にあった読売新聞に、たった4行の死亡記事が載っていた。
漫画家の内山まもるさんが1日、死去したらしい。死因は書かれていなかったが、62歳とまだ若かった。
代表作「リトル巨人くん」は小学館のコロコロコミックや小学生の学習雑誌に掲載され、夜テレビで見る巨人戦やセリーグの選手たちを身近に感じさせてくれた。80年代前半、私をここまでプロ野球好きにさせてくれた教科書のような漫画だった。
原が実物よりさわやかに描かれてはいたが、写真の掛布や田尾らがリアルに、そして丁寧な絵で描かれていた。
小学生なのに左腕で150㌔の剛速球を投げ、毎年春に掲載される漫画では、多摩川で野球をしている巨人君を見つけ、王や長嶋が即席対決し巨人に入団する。
リアルタイムでプロ野球を学べた。パリーグからもブーマーや郭泰源など旬な選手も登場。後楽園球場のナイターの雰囲気もよく描かれていた。
小学生の私の心に一番残っているのは、広島小早川が巨人くんと食事をしているときに、ラジコンかなにかをプレゼントし、「お礼にホームランでも打たせてくれるかい」と冗談で話すシーンを写真雑誌記者が激写し、実際に対戦し本塁打を浴びた巨人君と打った小早川に「八百長だ」と記事を書く話。マスコミの理不尽さを学んだ。
その記者は最後、自ら巨人くんとのキャッチボールを志願し、自分でわざとボールに当たり、硬球の痛さを感じ、選手たちの真剣勝負の場を学び反省した。
実力はとんでもないけれど、話自体は人間ドラマ。子供向け「あぶさん」、いや、もっと子供のために道徳的な話が盛り込まれていた。
ライバルの小学生が各球団に入るという話の年もあり、各球団の名前を分解した名前の小学生が登場。西武なら西田武、広島なら広田島太郎というような名前だった。
ヤクルトは‥‥矢藤来人。漢字は忘れたが、やとう・くると でヤクルトと強引すぎる名前は今も覚えている。現代だったらオリックス、ソフトバンクやDeNAはどう表現するんだろう?
死亡記事を伝えた2日付の読売新聞には「小学館が学習雑誌「三年生」「四年生」を今年度限りで廃刊」という記事も載っていた。リトル巨人くんが活躍した舞台も、ひっそりとその使命を終える。
内山まもるさんは「ウルトラマン」の漫画家としての方が有名で、古本屋では今でもたくさんのウルトラ系漫画を見つけることができる。でも、私にとってはやはりプロ野球の世界へ導いてくれた恩人の方が強い。ありがとう。今度和白に帰省したら、押し入れの中から出して巨人くんを読み返そうと思う。
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