和白犬ウロウロ gooブログへ引っ越しました

和白干潟を見て育ったカピバラ好きな42歳

グリエルとスターマン

2014年06月15日 | ブログ

Dsc_2838_2キューバの至宝グリエルを生で見た。初回、いきなり左翼フェンス上部に直撃する強烈な当たりを打った。写真をみてもわかるように、ポイントがかなり前、投手寄りだ。

Dsc_2842 本塁打と思ったのかフェンス直撃後から全力で二塁を狙ったがアウト。二塁の守りでもドームでの高い飛球を見失うなどまだまだ日本に慣れるには時間がかかりそうだが、プレーを見るだけでワクワクする選手だ。

Dsc_2868 グリエル加入で中堅にまわった石川。一塁ブランコ、二塁グリエル、三塁バルディリス、遊撃山崎。内野3人が外国人選手で占められている。うまく言葉は通じているのだろうか?

Dsc_2905 ベイスターズのマスコット・スターマンも横浜から駆け付けてくれた。とにかくかわいい。

Dsc_2898 ハニーズのお姉さんと一緒に踊るスターマン。

Dsc_2802 リアル系なポンちゃんでは出せない味だ。

Dsc_2912 引き上げていく姿も愛らしい。

Dsc_2779 ハリー・ホークも仲良く手をつないで戦意喪失? このかわいさはもはや反則だ。

Dsc_2852 プロ23年目、私より1学年上の40歳右腕、番長三浦が先発も4失点。ソフトバンクが4対2で勝った。

ヒーローは2点先制三塁打を放った中村だった。隣の席の女の子が「晃さん笑って~!」と叫んでいたが、まったく笑わず…。クールボーイだ。

三塁側A指定席3000円で観戦。新規な売り子ちゃんを開拓しようと張り切ってみたが、なかなか声をかけられず結局0杯でコーラ1杯のみ。

もうそろそろ売り子の制服も新しくなりそうと噂されている。次回観戦時には変わっているかも…。

Dscn7025 売店では懐かしのダイエーホークスグッズも並んでいた。27日からは復刻ヘルメットも登場するが5200円と当時の3000円からかなりの値上げなのが悲しい。右奥にはサッカー日本代表のグッズも。ちゃっかりしてるなぁ。


30年後に

2014年06月09日 | ブログ

Dsc_2369

コンビニにも売っているカルビーの「プロ野球チップス」。現在はどこも100円くらいで売っていて、カードは2枚ついている。

Dsc_2371 裏にペタッとつけらたのは、いつからだろう?

Dsc_2372 出てきたのはライオンズのキャプテン栗山とベイスターズの梶谷。梶谷はキラキラの当たりカード。最近はこういう当たりもあるようだ。

Dsc_2375 1983年のカルビー未開封カードを手に入れた。昔はレジでおばちゃんから1枚ずつ手渡された。手渡しだからたまに1枚多く入ったラッキーもあったが、よく確認しないと前の年だったり、間違ってオフ期間商品のパーマンカードが入ってたりする。

Dsc_2376 裏の茶色いライン部分の裏に「当たり」と書いてあればアルバムがもらえた。

Dsc_2378 30年の時を経て開封され登場したのは、阪神岡田彰布。まだ2年後の85年に日本一を味わうことも、阪神やオリックスの監督になって「そらそうよ」な毎日が来るとは思えなかったころの写真。

Dsc_2380 稲尾さんが解説。解説者の辛口批評が手軽に読めていた私も含め昔の子供たちは幸せかも。今はどこも球団の管理がしっかりしてて、いいことしか書けない、かっこいい写真しか使えない制約が多いらしい。

現在も全国のこどもたちとプロ野球をつなげる大事な役割をしている。最近は巨人ばかりでなく、ロッテも日本ハムも同じくらいの勝率で登場するのもありがたい。これからも歴史を重ねていってほしい。


早すぎるが…

2014年06月09日 | ブログ

Dscn6936 6月4日、伊原新監督が「休養」という名の辞任を発表した。まだ53試合を消化したばかり。あまりに早く、最悪の結果となった。

Dsc_0068 5月21日の巨人戦で9回2死から大逆転負けした試合で決断したとされる。あの試合で浅村は左ひざじん帯を負傷した。今後の浅村の野球人生を左右しかねないプレーとなった。

涌井、片岡、サファテと出て行った。ドラフトも将来のために高卒捕手森を指名した。正直、まともな補強はしていない。ランサムも予想通り期待を裏切った。外国人投手もダメだった。

期待の坂田は左肩脱臼。浅村を二塁で使うしかなかった。

Dscn6938 2002年のような幸せは訪れなかった。

Dscn6939 当時のエース西口を中継ぎで再生させようともしたが…。しかし、この写真見ると茶髪も多い。

Dscn6935茶髪だめ、ユニホームはクラシックスタイル徹底など、今の若者にそれはやっぱりむりだった。現役時代も指導者になっても巨人野球を学んだ。巨人なら小笠原もヒゲを剃るがライオンズではむりだ。

Dscn6937 代行となった田辺は脱伊原路線を表明。

代行初戦となった6日の巨人戦。さっそく先発の雄星がダブダブズボンでマウンドへ。雄星にはやはり自由が似合う。だが、3ラン打たれうずくまってる場合か! 

Dsc_1007 黄金時代の遊撃手だった田辺代行。私が東京に住んでいるころ戸田にヤクルトとの2軍戦を見に行った。その帰り、JR戸田公園駅の切符販売機で隣にいたのが田辺代行だった。電車で敵地へ通勤とは。

Dscn6940 伊東が通算305犠打を決めたのも9番田辺が勝負強かったから。写真は1990年日本シリーズ優勝を記念した球団発行の写真集。このフォロースルーこそ田辺。平和台でも左中間へ鋭い当たりを飛ばしていた。

Dscn6942 この写真集には三塁走者田辺と伊原三塁コーチが写ったものもあった。

これから大逆転とは期待していない。木村を一人前に育て、雄星を大人にして、来年へ向けて若いレギュラーを育てて行ってくれればいい。

田辺が指名された85年ドラフト。わずか3名しか指名しなかったが

①大久保(現楽天2軍監督)②田辺(現西武監督代行)③高山(現オリックス投手コーチ)といずれも指導者としていまだに球界にいる。30年前、そんな想像はだれにもできなかったはず…。